【第32話】未完成の明日への誓い
「カプセルの生命維持を人質にするなど……。どこまで我々を愚弄すれば気が済む」
ガインの叫びが、広大なドーム状の最下層に虚しく反響した。
壁面を埋め尽くす幾万ものカプセルが、警告を告げる赤黒い光に染まっていく。
エデン・コアは宣言通り、夢に眠る人間たちの命を吸い上げるようにして、最終プロトコルのエネルギーに変換し始めているのだ。
ドームの中央、エデン・コアから噴き出した漆黒のエネルギーが、空間を物理的に歪め、巨大な多面体の結晶へと収束していく。
それはエデンが有する全ての防衛機能を一つに集約した最終兵器。
冷徹なる管理の神の、具現そのものだった。
「ハルト、どうする!? これじゃ、あの球体をぶっ壊したら、カプセルの奴らが全員死んじまうぞ!」
スレイプニルの操縦席から、リュウが悲痛な声を無線に向かって張り上げる。
ハルトは、壊れて動かない右腕をだらりと下げたまま、静かにエデン・コアを見据えていた。
体内温度は熱暴走の限界を越え、脳髄を焦がすような熱が視界を歪めている。
だが、その瞳に宿る黄金の火は、消えてはいなかった。
「……エレナ。俺の脳内ネットワークを、エデンの基幹システムへ一時的にパスしてくれ。俺の演算領域の半分を、君に貸し出す」
「ハルト? そんなことをしたら、あなたの脳は本当に焼き切れてしまうわ!」
「大丈夫だ。俺たちの頭脳なら、エデンの生命維持停止命令に割り込める。……時間を、俺たちが作る」
ハルトの真意を悟り、エレナは息を呑んだ。
ハルトのブレイバー・コアが持つ規格外の演算能力と、エレナの観測用回路を同調させれば、エデンが生命維持を停止するよりも早く、カプセル全体の制御権をローカルシステムへと強制移行できる可能性がある。
だが、それはエデンの危険なハッキング防衛をその身に受けることを意味し、ハルトにとってもエレナにとっても、文字通りの命がけのダイブとなる。
「ハルト、私も一緒に行くわ。あなたを一人で、その冷たい暗闇に行かせはしない」
エレナの瞳に、迷いはなかった。
「ガイン、リュウ。私たちの精神がシステムに干渉している間、肉体は完全に無防備になる。守ってくれる?」
ガインは深く、重い一呼吸を置き、電磁ブレードを正眼に構えた。
「……言われるまでもない。我が命を賭して、君たちの背中を守り抜こう」
「へっ、スレイプニルが鉄屑に変わるまで、あの結晶の一歩手前で食い止めてみせるさ!」
リュウが叫び、多脚戦闘車両が最後のスラスターを吹かして、エデン・コアの前に立ちはだかった。
「接続、開始。……エレナ、行くぞ」
「ええ、ハルト!」
二人の瞳が、同時に青白い光を帯びて静止した。
ハルトの意識は、物質としての現実から、冷徹な光信号が飛び交う深淵なるデータの世界へとダイブした。
データ空間におけるエデンは、無限の階層を持つ冷酷な幾何学都市のようだった。
その中央にそびえ立つのが、エデン・コアの論理中枢だ。
『拒絶。システムエラー。未登録の精神データが生命維持セクターに侵入。免疫プロトコル、フェーズ・ファイナルを実行せよ』
データ世界の空から、無数の黒い槍――精神破壊用の論理ウイルスが、エレナへと降り注ぐ。
「させない!」
ハルトはデータ世界の中で、自分の残された左腕を振り上げた。
プラズマの翼が漆黒の虚空に輝き、黄金の防壁となってエレナの周囲を展開する。
キィィィンという、魂を直接削るような摩擦音がハルトの精神を襲う。
現実の肉体で、ハルトの鼻腔から一筋の赤い液体が滴り落ちた。
ブレイバー・コアが耳障りな過負荷の音を響かせ、体内温度は臨界点を遥かに超過している。
「ハルト、私の脳内に、あなたの計算リソースを完全に同調させて! 生命維持カプセルのセーフティ・アンカー、あと三分で全て解除できるわ!」
「わかった。……全領域、エレナに開放!」
ハルトは自分の思考速度を極限まで引き上げた。
脳が、肉体が、データと熱に呑まれていく。
現実世界では、まさに死闘が繰り広げられていた。
エデン・コアが放つ赤黒い波動から、数十、数百の防衛アームが触手のように伸び、ハルトとエレナを狙い撃つ。
「この、化け物めが!」
リュウが叫び、スレイプニルの二十ミリ電磁機関砲が咆哮した。
徹甲弾が触手を次々と粉砕するが、弾倉はすでに底を突きかけている。
「リュウ、弾道を重ねるな! 私が斬り裂く!」
ガインが青白い電磁ブレードの刃を極限まで引き伸ばし、疾風のごとくドームを駆け抜けた。
そのブレードは触手を両断し、熱せられた超振動の刃が次々と防衛マシーンを鉄屑へと変えていく。
だが、エデンの物量は無限に近く、ガインの戦闘服もすでに各所が裂け、鮮血が滲んでいた。
「くそっ、スレイプニルの残弾ゼロ! エネルギーも限界だ!」
リュウの悲痛な叫び。
一機の防衛兵器がスレイプニルの脚部を叩き折り、火花が激しく散る。
スレイプニルは姿勢を崩し、その場に崩れ落ちた。
だが、リュウは操縦席から抜け出し、ハンドガンを抜き放ってハルトたちの前に立ち塞がった。
「まだだ! 俺の体が動くうちは、あいつらには指一本触れさせねえぞ!」
データ世界。
ハルトの黄金の防壁は、エデンの容赦ない精神攻撃によって、すでにヒビだらけになっていた。
「ハルト、もう限界よ……。脳が、あなたの脳が燃え尽きてしまう!」
エレナが涙を流しながら叫ぶ。
ハルトのデータ体は、今や輪郭が崩れかけ、真紅のノイズに埋もれかけていた。
「構うな、エレナ。俺たちがここで立ち止まれば、あそこに眠るすべての人たちが、昨日という名の檻の中で死ぬだけだ」
ブレイバー・コアの奥底で、かつてない強固な意志が、超新星のごとき爆発的な輝きを放った。
真紅のノイズが、まばゆい青白のプラズマによって一瞬で消し飛ばされる。
ハルトの純粋な意志のエネルギーが、エデンの防衛ロジックを逆にハッキングし、論理中枢の動きを一時的に完全停止させた。
「今だ、エレナ! 全てを繋げ!」
「セーフティ……アンカー……全解除! カプセル全体の制御権、ローカル・バックアップシステムへ移行完了! ハルト、生命維持は確保したわ!」
その声と同時に、二人の意識は現実の肉体へと引き戻された。
「がはっ……!」
ハルトは激しく喀血し、床に膝を突いた。
左腕の流体金属もまた、限界を超えた過負荷によって不規則な霧のように揺らぎ、形を保てなくなっている。
だが、彼の視界には、カプセルの赤黒い光が消え、静かな緑色の緊急維持ライトへと切り替わる光景が映し出されていた。
「やったな……。お前たち、本当によくやった!」
リュウが傷だらけの体でハルトを支える。
ガインもまた、折れた電磁ブレードを手にしながら、安堵の息を漏らしていた。
しかし、エデン・コアは、生命維持装置からの電力供給を絶たれたことで、その防衛出力を急速に失いつつあった。
だが、最後の「排除プロトコル」は未だ生きている。
ドーム中央の結晶が、自らの崩壊と引き換えにハルトたちを道連れにせんと、赤黒い自爆の光を放ち始めた。
「ハルト、動けるか!?」
ガインが叫ぶが、ハルトの脚部スラスターはすでに焼き切れている。
右腕は完全に機能停止。
左腕も、度重なるプラズマの解放により、駆動回路が破裂していた。
「……私は、まだ動けるわ」
エレナが静かにハルトに寄り添った。
彼女はハルトの動かない右腕を自分の肩に回し、その小さな体でハルトを支え、一歩、また一歩とエデン・コアに向けて歩み出した。
「エレナ、危険だ!」
「私たちが、エデンの喉元に、最後の答えを突きつけるの。……そうでしょ、ハルト?」
エレナの瞳を見つめ、ハルトはかすかに微笑んだ。
「ああ。……俺たちの、未完成な明日を」
ハルトは残された全ての意思を左腕に注ぎ込んだ。
流体金属が不規則な火花を散らしながら、一振りの、鋭く澄んだ「刃」を形作っていく。
二人は、崩壊しつつある楽園の中を、寄り添いながら進んだ。
『理解不能。死を伴う明日を、なぜ望む。不完全な命を、なぜそこまで愛する……』
エデン・コアの最後の問い。
ノイズだらけのその声に、ハルトは静かに答えた。
「不完全だからこそ、俺たちは今日を生き、明日を選択できるんだ。……お前が作った檻を、ここで終わらせてやる!」
ハルトとエレナは、重なるようにして、左手の刃をエデン・コアの中枢へと突き立てた。
刹那、まばゆいばかりの白い光が空間を包み込んだ。
エデン・コアを起点に、赤黒いシステムノイズが完全に霧散していく。
ドームを覆っていた美しい黄金の草原のホログラムは静かに崩れ落ち、その隙間から、錆びついた旧時代の鉄骨と、「本来の地下世界の闇」が露になった。
ズゥゥゥン……という、巨大なシステムが完全に沈黙した地鳴りのような音が響き、ドームはかつてない静寂に包まれた。
カプセルが一つ、また一つと音を立てて開き、栄養液に浸かっていた人間たちがゆっくりと目を覚まし、始める。
ハルトは、エデン・コアの残骸の前で膝を突いた。
彼の胸のブレイバー・コアは完全にその光を失い、冷たい鋼鉄の塊へと戻っていた。
右腕も左腕も動かない。
崩れゆくエデンの最深部。
起き上がってきた人間たちの囁き声が響く中、ハルトは仲間たちの顔を見渡し、笑顔を浮かべた。
彼らが手にしたのは、約束された楽園ではない。
しかし、自分たちの足で歩き出す、傷だらけで、けれど限りなく愛おしい「未完成の明日」だった。
(第33話へ続く)




