【第33話】再生の揺り籠と錆びた楔
楽園の崩壊は、静寂とともに訪ずれた。
虚飾の青空が割れ落ち、天井の隙間から真の地下世界の暗闇が覗く中、数万の人間たちが長い微睡みから覚醒しつつあった。
だが、その救済の代償は、あまりにも重かった。
「ハルト……? 嘘でしょう、目を開けて……。ハルト!」
エレナの悲痛な叫びが、冷え渡る広間に響いた。
ハルトの胸元に埋め込まれたブレイバー・コアは、先ほどの一撃を最後に完全に沈黙していた。
輝きを失い、ただの冷たい鋼鉄の塊となったコアは、ハルトの肉体から急激に体温を奪い、生命の灯火を凍らせようとしている。
「ハルトの生体ログが消えかかっている! 脳への血液供給、急速に低下! 自己修復システムも停止している!」
ガインが、手元のコンソールに表示される致命的なエラーの群れを見つめ、血の気が引くのを感じていた。
ハルトの肉体は、半分が生身の人間であり、半分が機械である。
かつて機械帝国アルキメデスとの戦いによって致命傷を負い、死の淵を彷徨っていたハルトを、敵であるクロムが禁忌の技術を用いて改造手術を施した。
その手術は、単なる「兵器への改造」ではなかった。
クロムはハルトの生命維持を、最先端の人工臓器や生体ナノマシンによって補強し、ハルトが「人間」としての温もりと生体機能を数多く残せるように、細心の注意を払っていたのだ。
その上で、彼の胸に埋め込まれたブレイバー・コアの出力を肉体と精神の双方で増幅調整し、ハルトに未知の力を与えた。
だが、その絶妙なバランスが、エデン・コアとの極限の戦闘によって崩壊した。
精神を燃料とし、設計限界を遙かに超過した「ブレイバー・バースト」の連続使用。
そして、動かない右腕の代償。
ハルトの心臓はトクン、と微弱に鼓動を刻んでいるものの、それを支えるべき機械の循環系が熱で焼き切れ、生体への拒絶反応を急激に引き起こしているのだ。
「エデンの管理システムは沈黙したが、このままじゃハルトの命が尽きる! 俺たちの手じゃ、この複雑に絡み合った生体回路の修復は不可能だ!」
ガインの絞り出すような声に、エレナはハルトの冷たい左手を握り締めたまま、決然と顔を上げた。
「クロムよ。……彼を、ハルトを改造したクロムなら、絶対に治せる。彼に連絡を!」
「しかし、クロムは北の死の海の外縁、かつての秘密基地に潜伏している。この瀕死のハルトを連れて、あの過酷な雪原を引き返すのか!?」
ガインが問いかけるが、リュウがスレイプニルの残骸から戻り、力強く頷いた。
「やるしかねえ。スレイプニルの脚は折れちまったが、推進エンジンはまだ息をしてる。ソリの代わりにしてハルトを乗せ、全力で荒野をぶっ飛ばす!」
「……分かった。エデンから目覚めた人たちの誘導は、現地の自律システムに委ねるしかない。最優先は、ハルトの命だ!」
決断は一瞬だった。
一行は、ハルトの微かな呼吸を維持するための応急処置を施し、スレイプニルの装甲板を改造した簡易担架に彼を横たえた。
再び、白銀の地獄、死の海へと足を踏み入れる。
吹き荒れる吹雪の中、エレナはハルトの傍らに寄り添い、彼の体を必死に温め続けた。
ハルトの呼吸は弱く、肌は雪のように白く、時折全身を機械の拒絶反応による微細な痙攣が襲う。
「ハルト、死なないで……。やっと、明日を見つけたばかりなのに……」
涙が零れ、ハルトの頬に触れた瞬間に凍りつく。
その道中は、秒単位で削り取られる命の猶予との過酷な戦いだった。
――そして、数時間の強行軍の果て。
断崖の影に隠された、旧・機械帝国の観測シェルターに、一行は滑り込んだ。
そこに、ハルトを新生ブレイバーとして覚醒させた、あの男――クロムがいた。
「……フン、とんだ惨状だな。約束された楽園の歓迎は、随分と手痛いものだったらしい」
漆黒のアーマーを纏い、電子の瞳を鋭く光らせたクロムが、担架の上のハルトを見下ろす。
その言葉は冷徹だったが、ハルトの胸のコアと全身の数値をスキャンする手つきは、驚くほど迅速だった。
「ブレイバー・コアの完全な沈黙。右腕の物理融解。左腕の過負荷による駆動系破裂。……それだけではないな。コアの熱暴走が生体の神経系を焼き尽くし、本来なら死に至るはずの生体拒絶を起こしている」
「クロム、治せるのか!?」
ガインが焦りを滲ませて問い詰めるが、クロムは冷たく首を横に振った。
「治療ではない。これは、さらなる改造と再構成、そして命がけの再調整だ」
クロムは、ハルトを医療カプセルへと移し、数々の|ケーブルを接続しながら、エレナを睨みつけるように見た。
「以前、彼が死にかけたとき、私はアルキメデスの技術を用て改造を施した。ハルトの生体機能を数多く残したのは、彼の『心』をブレイバー・コアの増幅媒介にするためだ。ハルトが人間として強くあろうとする意志、その精神の高まりこそがコアを駆動させる。……だが、彼は今回、その精神を文字通り命の燃料として燃やし尽くした」
クロムがコンソールを叩くと、ハルトの胸のコアが小さく、しかし異様な不協和音を立てて振動を始めた。
「今のハルトは、人工心臓こそ使っているが人間そのものの機能は多く残してある、だがその融合を繋ぎ止めていた機械の楔が錆びて、剥がれ落ちようとしている。彼を救うには、再度コアのシステムを強引に再起動し、損傷したブレイバーの装備を修理、再調整するしかない。……だが」
「だが……何よ?」
エレナが息を呑み尋ねる。
「再起動の衝撃は、ハルトの人間としての領域をさらに侵食する。最悪の場合、彼の心臓も脳も完全にコアに呑み込まれ、ただの稼働端末に成り下がるかもしれない。君たちは、そんなハルトを望むのか?」
クロムの冷酷な問い。
ガインもリュウも、言葉を失い、うつむいた。
だが、エレナだけは、カプセルの中で微かに脈打つハルトの胸元を見つめ、迷わずに言った。
「いいえ、ハルトは負けません。エデンで、彼の心臓は確かに、人間として、明日を生きるために脈打っていました。彼の心は、そんなに弱くありません!」
「エレナ……」
「クロム、お願い。ハルトを助けて。……彼が、自分の足で明日へ歩き出すための身体を、もう一度繋ぎ止めて!」
エレナの強い眼差しを受け、クロムは小さく、フッと鼻で笑った。
「面白い。アルキメデス亡き、この混沌とした地表で、人間の意志がどれほどの奇跡を起こすのか。……見届けさせてもらおう」
クロムが大型手術アームを起動させ、シェルター内に警告の黄色いランプが回転し始める。
「手術を開始する。ガイン、リュウ、エネルギーグリッドの監視を。エレナ、君はハルトの精神アンカーだ。コアが暴走した瞬間、ハルトを繋ぎ止めるのは君の回路の信号だけだ」
「はい!」
冷たい手術台の上で、ハルトの胸のコアに電極が突き刺さり、超高電圧が送り込まれる。
ハルトの身体が大きく跳ね、動かないはずの両腕が、流体金属のノイズを撒き散らしながら不規則にのたうつ。
「ハルト――っ!!」
エレナはハルトの側で、自身の観測回路を全開にし、彼の精神の深淵へと、絶え間ない呼びかけのシグナルを送り続けた。
(第34話に続く)




