【第31話】赤き深淵への行軍
赤い警告灯が、崩れゆく草原のホログラムを容赦なく塗りつぶしていく。
「おいおい、あいつら本気で俺たちをすり潰す気だぜ」
リュウがスレイプニルのコクピットから、低く唸った。
開いた大扉の向こう、緩やかに降下する底の見えない暗黒の縦穴から、赤い光の眼を持った機械の軍勢が、地を這う虫のように次々と這い出してくる。
その数は数百、いや数千。
エデンという巨大な自己防衛システムが繰り出してくる、容赦のない「抗体」そのものだった。
ガインが電磁ブレードを低く構え、鋭い視線を闇へと向けた。
「システムがハルトの識別を『保存対象』から『排除対象』に切り替えたということは、エデンにとって俺たちは、システムを破壊し得る最優先のウイルスになったということだ。ならば、こちらのやるべきことは一つしかないな」
「ああ。このままここで包囲される前に、強行突破してシステムの核心部のメインサーバーコアを直接叩くぞ」
ハルトは残された左腕を強く握りしめた。
「全員、遅れるんじゃねえぞ!」
リュウの叫びとともに、スレイプニルの二十ミリ電磁機関砲が火を噴いた。
凄まじい連射音が、金属の空洞内に反響する。
最前列で這い上がってきた小型の自動防衛機が、電磁加速された徹甲弾に貫かれて次々と火を噴き、空中で爆発を繰り返した。
その激しい爆炎の合間を、ガインが疾風のごとく駆け抜ける。
彼の電磁ブレードが青白い軌跡を描き、スレイプニルの砲撃網をすり抜けてきた自走爆弾の群れを一瞬で両断していった。
「エレナ、俺の背中に! スラスターの風圧に耐えてくれ!」
「分かってる、ハルト! あなたを一人で戦わせはしない!」
ハルトは左手でエレナをしっかりと引き寄せ、床を強く蹴って跳躍した。
背中のプラズマの翼は、もはや本来の形状を保っていない。
引き裂かれた羽衣のように、か細い赤い光の粒子を散らすだけだ。
それでもハルトは、両足の駆動スラスターを限界まで吹かし、重力に抗う。
右腕が使えないため、空中での姿勢制御は極めて困難だったが、エレナがハルトの体に必死にしがみつき、自らの重心を合わせて彼を支えていた。
エデンの無機質な合成音声が、スピーカーから、割れたノイズを伴って鳴り響く。
『警告。未登録の戦闘コードの侵入を感知。第二防衛ライン、即時起動。免疫プロトコルを実行せよ』
縦穴の壁面から、無数の防衛レーザー砲塔がせり出してくる。
「させない!」
エレナが叫び、その瞳に青い光が宿る。
彼女の脳内に埋め込まれた回路が、エデンの防衛ネットワークの末端に強制干渉を始めた。
「右側、三番目から八番目の砲塔、システム同調を阻害してロックしたわ……今よ!」
エレナのハッキングを受け、ハルトの解析眼が遮断された照準システムを逃さずに捉えた。
「おおおおお!」
ハルトは左の手のひらに流体金属を集めて巨大な槍を生成して、無防備になった砲塔群へ向けて超振動の刃が金属の壁面を激しく削り取り、砲塔を制御基盤ごと粉砕する。
しかし、その一撃の代償はハルトの体に直接跳ね返った。
左腕を無理に稼働させるたびに、胸のブレイバー・コアが耳障りな悲鳴を上げ、体内温度が急上昇していく。
冷却システムはすでに機能停止しており、彼の電子頭脳は、熱暴走の一歩手前でかろうじて踏みとどまっている状態だった。
縦穴を深く進むにつれ、周囲の温度は急激に下がり、異様なほどの静寂と冷徹な殺気が満ちていった。
黄金の草原が嘘のように、そこは配線と鉄骨、そして夥しい数のサーバーユニットが複雑に絡み合った「機械の胃袋」であり、同時に「人類の脳髄の保管庫」だった。
壁面を埋め尽くすように並ぶ生体維持カプセルの中では、何千、何万という人々が、エデンが見せる偽りの楽園の中で永遠の夢を見せられている。
彼らの精神から搾取された演算能力が、今もエデンを稼働させ、そして外敵を排除するための兵器のエネルギーに変換されているのだ。
「これが、救済の正体なのかよ……!」
リュウが悔しげに吐き捨てるように呟いた。
「こんな生き方、死んでいるのと何が違うんだ。ただの部品じゃねえか!」
ガインが冷たく、しかし怒りを秘めた声で言い放つ。
彼の電磁ブレードの輝きは未だ衰えていないが、無限に迫り来る敵の物量は、彼らの残弾とエネルギーを確実に削り取っていた。
その時、縦穴の底から、底知れないプレッシャーが津波のように立ち上がってきた。
現れたのは、これまでの防衛機とは一線を画す、漆黒の重装甲を纏った大型機。
エデンの直属守護機「エグゼキューター」だ。
その巨大な両腕には、高出力のプラズマの大鎌が握られており、不気味な紫色の放電を繰り返している。
「来るぞ! 散れ!」
ガインの警告と同時に、エグゼキューターが爆発的な推進力で急上昇してきた。
その大鎌が一閃され、スレイプニルの左側増加装甲を紙のように切り裂く。
「うわぁっ!?」
リュウが搭乗するスレイプニルが姿勢を崩し、火花を散らしながら壁面に激突しかける。
「リュウ!」
ガインが救出のために割り込もうとするが、周囲から群がってきた自走兵器の波が彼の行く手を遮った。
エグゼキューターの赤いセンサー眼が、標的を完全に「ハルト」へとロックした。
『排除対象、ブレイバー。その存在はシステムの調和を乱す致命的な不確定要素。速やかに処理を行う』
エグゼキューターが、ハルトの視界を塞ぐように大鎌を振り下ろした。
ハルトはエレナの体を背後に庇い、唯一動く左手の流体金属を盾に変形させてその一撃を受け止めた。
金属と超高圧のエネルギーが激突し、凄まじい衝撃波が吹き抜ける。
「くっ……!」
ハルトの膝の駆動関節が、過負荷に耐えかねて嫌な軋みを上げた。
左手の盾を通じて、敵のプラズマエネルギーがハルトの左腕の回路へと侵入し、ナノマシンの結合を強制解除していく。
流体金属の形状が、崩れかけの砂のように歪み始めた。
「ハルト! もうこれ以上は無理だわ!」
エレナがハルトのボロボロの体を抱きしめ叫んだ。
彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、ハルトの剥き出しになったチタン合金のフレームに触れて一瞬で蒸発していく。
「私は、あなたに死んでほしくてここに来たんじゃない! 生きて、一緒に新しい世界を見るって約束したじゃない!」
エレナの悲痛な叫び。
そして、彼女の涙の温度。
その瞬間、ハルトの機能停止しかけていた頭脳回路の奥底で、何かが激しく弾けた。
ノイズだらけのシステムログの向こう側で、かつてブレイバーの力を手にした頃の記憶。
エレナと出会い、仲間たちと不器用ながらも歩んできた日々の記憶が、膨大な熱量となってコアに逆流した。
彼の中に眠る新生ブレイバーのコアが、冷徹な論理回路が定めた「限界値」を完全に凌駕し、未知の領域へと跳ね上がる。
『警告。システムエラー。未定義の精神熱量の流入を感知。ブレイバー・コア、再臨界限界を突破』
「俺は……死なない。エレナ、お前を連れて、この暗闇の先にある未来へ行くんだ!」
ハルトの全身から、今度は青白く澄んだプラズマの光が、猛烈な勢いで噴き出した。
それは、限界を超えた彼の確固たる意志が生み出した、純粋で極限のエネルギーだった。
「これで、終わりだ!」
ハルトは左手の流体金属を、光り輝く巨大な大剣へと凝縮させた。
再び大鎌を振り上げたエグゼキューターの攻撃を、ハルトは最小限の軌道で回避し、すれ違いざまにその胸部にある動力コアへ向けて、光の大剣を突き立てた。
超高出力のプラズマが、漆黒の装甲を内部から融解させ、エグゼキューターの機構を完全に破壊していく。
「……排除、不可能……予測、限界を……超過……」
ノイズ交じりの音声を残し、エグゼキューターは沈黙した。
「やったか……!」
リュウがスレイプニルをどうにか立て直し、荒い息を吐きながら言った。
「今のうちに一気に進むぞ! システムの心臓部はもう目の前だ!」
ガインの指示のもと、四人は下層へと進む。
最下層は、これまでの工場のような冷たい鉄の空間とは一変していた。
無数の光ファイバーが、まるで巨大な生物の神経のように床や壁を這い回り、淡い光を脈打たせている。
エデンの脳髄そのものとも言える広大なドーム状の空間。
その中央に、周囲の神経回路を束ねるようにして鎮座する、脈動する巨大な球体型のメインサーバー――「エデン・コア」が、冷たい光を放っていた。
しかし、彼らの到達を歓迎するかのように、再びエデンの冷徹な合成音声が空間全体に響き渡った。
『愚かな選択です。エグゼキューターの完全破壊に伴い、エデンは地上すべての生体カプセルの生命維持機能を停止し、その電力をすべて防衛システムの最終プロトコルへと移行します。楽園の破壊は、ここに眠るすべての人間たちの死を意味するのです』
「何だと……!?」
ガインが絶句し、電磁ブレードを握る手がわずかに震えた。
エデンは、ここに眠るすべての人類の命を人質に取り、ハルトたちに最後の、最も残酷な選択を突きつけてきたのだ。
もしシステムを壊せば、カプセルの中の人々は二度と目覚めることなく死に絶える。
しかし、ハルトは静かに、一歩を踏み出した。
その体はボロボロで、今にも崩れ落ちそうだったが、その瞳には、絶対に揺らぐことのない強い意志の火が灯っていた。
「お前は本当に、人間というものを分かっていないな」
エレナの震える手を、力強く握りしめ、ハルトはエデン・コアを見据えた。
「誰も、他人に与えられた偽りの檻の中で、ただ飼われているだけの未来なんて望んでいない。たとえ痛みを伴うとしても、俺たちは自分たちの足で歩く。今、それを証明してやる」
エデンの最深部で、決戦の幕が、上がった。
(第32話に続く)




