【第18話】武の理と人の熱
肺腑を突くような衝撃が、ブレイバー・コアを通じて全身に駆け巡る。
砂漠の急斜面を転がった俺の視界は、火花と砂塵が混ぜ合い、上下の感覚さえも曖昧にさせていた。
装甲の至る所から警告アラートが鳴り響き、デザートモード特有の放熱翼が悲鳴を上げている。
「ハルト! 損傷軽微……じゃないわ! 左肩のサーボモーターがロックされてる。強制パージして!」
リンク越しに響くエレナの悲鳴に近い叫び。
俺は歯を食いしばり、砂を噛みながら右腕で地面を突き上げた。
砂塵の向こう、漆黒の執行官クロムが、抜いたばかりの大太刀の切っ先を地に向けて静止している。
その姿には微塵の隙もなく、ただそこに存在しているだけで周囲の空間を捻じ曲げるような圧迫感を放っていた。
「……計算外の耐久性だな。今の踏み込みで、並の機体ならコアごと粉砕されていたはずだ」
クロムの声は、物理的な音波以上に重く、俺の脳内に直接響く。
彼はゆっくりと歩み出した。
重厚な装甲に包まれているはずなのに、その足取りは砂の上を歩いているとは思えないほどに軽やかで、物音一つ立てない。
「逃げろ、ハルト! そいつは今までのドローン共とは次元が違う!」
後方の装甲車両からリュウが叫び、電磁ランチャーの引き金を引く。
青白い閃光がクロムの背後を襲うが、彼は振り返りさえしなかった。
ただ、背負っていたもう一振りの太刀を鞘に入れたまま、弾丸の軌道をなぞるように腕を振った。
それだけで、高出力の電磁弾は虚空で真っ二つに裂け、左右の砂丘を爆砕させる無害な光へと霧散した。
「馬鹿な……ランチャーを、ノールックで……!?」
リュウの驚愕はもっともだ。
だが、今の俺にはその理由がわかっていた。
クロムは見ていない。
彼は「感じ」ているのだ。
周囲の空気の振動、熱量、電子の揺らぎ……この砂漠に存在するあらゆる情報を、武人の直感という名の超高度演算で処理している。
「リュウ、手を出すな! こいつの標的は俺だ!」
俺は叫びながら、無理やり体を立ち上がらせた。
左肩からは火花が散っているが、コアの出力はまだ落ちていない。
いや、むしろクロムが放つ殺意に呼応するように、ブレイバー・コアはこれまでにない激しさで脈動していた。
『……|ほう。その損傷でまだ戦意を失わないか。アルキメデスが、お前という個体を「バグ」と定義した理由が少しだけわかった気がする。バグとは、予定調和を乱すノイズ。だが、私の前ではすべてのノイズは沈黙する』
クロムが構えを変えた。
大太刀を中段に、静かな、けれど絶対的な死を予感させる構え。
「エレナ、オーバー・リンクを最大出力で維持してくれ。神経系のリミッターを解除する」
「正気なの!? 今のあなたの体でそんなことをすれば、リンクが切れる前にあなたの精神が焼き切れるわ!」
「わかってる。でも、普通に戦ったんじゃ、コンマ一秒先で俺の首は飛んでる。……あいつの『理』を越えるには、俺が俺以上の何かになるしかないんだ」
俺は胸のコアを強く叩いた。
瞬時、ブレイバー・デザートモードの装甲が赤く熱を帯び、放熱フィンから激しい蒸気が噴き出す。
視界が、情報の海へと変わる。
砂の一粒一粒の軌跡、風の風向、そしてクロムの機体から漏れ出す微細な電力波。
それらすべてが、脳内に直接流れ込んでくる。
情報の過負荷で鼻の奥がツンとした熱を帯びるが、俺はそれを無視して大地を蹴った。
「おおおおおっ!」
俺とクロムの距離は一瞬でゼロになった。
俺のエネルギーブレードと、クロムの漆黒の大太刀が激突する。
凄まじい衝撃波が周囲の砂嵐を吹き飛ばし、一時的に戦場に真空の静寂が訪れた。
火花が散る至近距離。
クロムのセンサーアイが、冷徹に俺を捉えている。
『無意味だ。お前の動き、熱源、筋肉の収縮……すべては私の演算網に捕捉されている。次の一撃で、お前の右腕を断つ』
クロムの太刀が、物理法則を無視した角度で跳ね上がった。
来る。
俺は脳内の戦術マップを全展開した。
だが、どの予測ルートを通っても、クロムの刃は俺の右腕に届くと出ている。
アルキメデスの計算、すなわち「この世界の正解」は、俺の敗北を指し示していた。
(……だったら、正解なんていらない!)
俺は、あえて右腕のガードを解いた。
リンクを通じてエレナの悲鳴が聞こえる。
クロムの瞳に一瞬、機械にはあり得ない|はずの「と惑い」が生じた。
俺は、斬りかかってくる大太刀の側面を、剥き出しの拳で殴り付けた。
ガキンッ、という重金属音が響く。
ブレイバーの装甲が砕け、俺の拳から熱い液体が飛び散る。
だが、その一瞬の「狂い」が、クロムの完璧な剣筋をわずかに逸らした。
『……!? 肉を切らせて、太刀を弾くというのか? 自己保存の本能を欠いた、論理破綻した行動だ……!』
「これが、お前たちが捨てた『熱』だよ、クロム!」
空いた懐に、左腕を叩き込む。
|ロックされていた|はずのサーボモーターを、コアの過負荷エネルギーで無理やり駆動させた。
壊れてもいい。
動かなくなってもいい。
今、この一瞬だけ動けばいい。
「ブレイバー・バースト……! 喰らえ!」
至近距離でのエネルギー開放。
俺の左拳から放たれた衝撃波が、クロムの漆黒の胸部装甲に直撃した。
轟音とともに、クロムの巨体が後方へと吹き飛ばされる。
砂丘をいくつも突き破り、黒い煙を上げながら彼は砂の海に沈んでいった。
俺は膝を突き、激しく喘いだ。
全身の装甲がオーバーヒートを起こし、感覚が麻痺している。
勝ったのか?
|いや、そんな甘い予感は、すぐに打ち砕かれた。
砂煙を割り、クロムが再び姿を現した。
胸部装甲には大きな亀裂が走り、内部の回路がパチパチと火花を上げている。
だが、その機体性能が大きく低下したようには見えない。
むしろ、彼から放たれる気配は、先ほどよりも鋭利に、研ぎ澄まされていた。
『……素晴らしい。計算不能な自己犠牲。これこそが、かつての「英雄」と呼ばれた存在が持っていた特異点か』
クロムは、折れた大太刀の破片を投げ捨て、もう一振りの太刀をゆっくりと抜いた。
『ハルトと言ったか。お前を、単なる破壊対象から「敵」として再定義する……だが、今はここまでだ。砂嵐が止む。アルキメデスの主力軍が、このノイズを感知した』
クロムが空を見上げる。
砂嵐の向こう、空気が不自然に歪み始めていた。
エリア 5で見せた、あの衛星軌道からの削除プロトコルの予兆だ。
「……逃げるのか?」
『再戦を期そう。お前がエリア 4に到達し、さらなる「熱」を手に入れることを期待している。その時こそ、私の武の理でお前を完膚なきまで定義してやる』
クロムの機体が漆黒の霧に包まれるようにして、砂の中に消えていった。
同時に、周囲を囲んでいたデザート・ハウンドの群れも、潮が引くように撤退していく。
「ハルト、大丈夫!? 返事をして!」
エレナが車両から飛び出し、俺の元へ駆け寄ってくる。
リュウやガインたちも、武器を構えたまま周囲を警戒しながら集まってきた。
「ああ……なんとか、生きてるよ……」
俺は変身を解除した。
途端に、全身を襲う激痛と疲労感。
立っているのが精一杯で、俺はエレナの肩に倒れ込んだ。
「馬鹿ね、本当に馬鹿。あんな無茶な戦い方、二度としないで」
エレナの声は怒っていたが、俺を支える手は優しく震えていた。
俺は視線を上げ、砂嵐が薄れ始めた前方を指差した。
そこには、灰色の地平線の向こうに、エリア 5とは異なる不気味な光を放つ巨大な構造物が見えていた。
エリア 4の中継局。
アルキメデスの神経節の一つ。
「……あそこに行けば、もっと多くの人と繋がれるんだよな」
「ええ。でも、その前に少し休んで……あなたはもう、十分に戦ったわ」
リュウが俺の肩を叩く。
ガインが静かに頷く。
俺たちは、クロムという強大な壁に直面しながらも、確かに一歩を進めたのだ。
砂塵の向こう。
エリア 4の境界線が、俺たちの到来を待っている。
それは希望への道標か、あるいはさらなる絶望への入り口か。
俺たちの心音は、過酷な砂漠の夜を越えて、なお力強く響き続けていた。
(第19話に続く)




