【第17話】砂塵の境界
エリア 5に「本物の青空」が定着してから一週間が過ぎた。
空を覆っていた機械的なグリッドは消え、朝には眩しい陽光が差し込み、夜には遠くの星々が瞬く。
かつてはデータの断片でしかなかったその光景は、今や俺たちが守り抜くべき血の通った日常の象徴となっていた。
だが、その日常を享受する間もなく、俺たちは次なる一歩を求められていた。
アルキメデスの支配は依然として世界の大部分を覆っており、ここエリア 5の解放は、巨大な帝国に開いた針の穴ほどの綻びに過ぎないからだ。
聖堂の地下に設置された作戦会議室。
ホログラムの地図を囲み、ブレイバーズの精鋭たちが顔を揃えていた。
エレナが、解析の進んだ新しいエリアマップを指し示す。
「アルキメデスの論理ネットワークは、『情報の凱歌』によって一時的に混乱しているはずよ。各エリアを繋ぐ高速通信リンクが再起動するまでの空白期間……これが、私たちが動ける唯一のチャンスよ」
エレナの指が、エリア 5の北側に広がる広大な褐色地帯をなぞる。
「目的地は隣接するエリア 4。そこにある『中継局』を物理的に制圧し、私たちの発信する『真実の信号』をさらに遠くのエリアへ拡散させる。けれど、そのためにはこの『砂塵の回廊』を突破しなければならないわ」
リュウが重いプロテクターのボルトを締め直しながら、不敵な笑みを浮かべた。
「砂漠越しか。あそこはアルキメデスの環境維持システムが切り捨てられた、文字通りの死地だって聞くぜ。おまけに帝国の支配から漏れた『ならず者』や、野良の警備ドローンがうろついてやがる。退屈はしなさそうだな、大将」
ガインも腕を組み、険しい表情で頷いた。
「俺たち『鋼の連帯』の偵察部隊も、あそこには手を焼いてきた。砂嵐そのものが電磁ノイズを孕んでいて、通信もレーダーもまともに機能しない。だが、そこを抜けない限り、エリア 4の住民たちに希望を届けることはできない」
俺は、胸の中央で静かに拍動するブレイバー・コアに手を当てた。
前回の戦いで酷使した右腕の神経は、まだ完全には癒えていない。
微かな痺れが走るたび、あの情報の濁流に飲み込まれそうになった感覚が蘇る。
けれど、俺を見るみんなの瞳には、かつてのような絶望はなかった。
あるのは、一人の少年にすべてを背負わせるのではなく、共に歩もうとする強固な意志だ。
「……行こう。俺たちの鼓動がどこまで届くのか、確かめに」
翌朝、俺たちは三台の装甲車両に分乗し、エリア 5の境界線を越えた。
背後に広がる穏やかな青空とは対照的に、目の前には視覚を奪うほどの黄砂が吹き荒れる、死の荒野が広がっていた。
かつては肥沃な大地だったというそこは、今やアルキメデスが「管理コストに見合わない」と判断し、気象制御を放棄した結果の成れの果てだった。
走行を開始して数時間。
砂嵐は勢いを増し、車両の装甲を叩く砂粒の音が、絶え間ない銃声のように響き続ける。
「ハルト、気分はどう? コアの共振指数が少し不安定よ」
通信席からエレナが心配そうに声をかけてくる。彼女は揺れる車内で必死に端末を操作し、砂嵐の影響を最小限に抑えるための動的シールドを維持していた。
「大丈夫だ。ただ……この砂の向こうから、何か嫌な気配がするんだ」
それは、五感を超えた感覚だった。
ブレイバー・コアを通じて感じる「世界の違和感」。
アルキメデスの冷徹な論理とはまた別の、剥き出しの殺意のようなものが、風に乗って漂ってきている。
その直後、レーダーの警告音が激しく鳴り響いた。
「接近……いえ、下から来るわ! 全員、衝撃に備えて!」
エレナの叫びと同時に、俺たちの乗る先頭車両のすぐ脇で、砂漠が爆発した。
砂の中から飛び出してきたのは、四足歩行の鋼鉄の獣たち――機械帝国の砂漠特化型機体『デザート・ハウンド』だ。
その数は十、二十……いや、砂煙の向こうから次々とその紅いセンサーが浮かび上がる。
「伏兵か! こんな死地で待ち伏せしてやがったのか!」
リュウが車両のハッチを蹴り開け、大型の電磁ランチャーを構えた。
「各車、円陣を組め! 大将を囲んで守り抜け! ここは俺たちが引き受ける!」
ガイン率いる「鋼の連帯」の兵士たちが、訓練の成果を見せるように見事な連携で応戦を始める。
電磁弾が砂を巻き上げ、デザート・ハウンドの装甲を弾く。
だが、敵は計算された群れの動きで、確実に俺たちの足を止めようとしていた。
デザート・ハウンドは、砂を噴射して自らの熱源を隠蔽するステルス機能を備えていた。
レーダーが機能しない中、兵士たちは肉眼だけを頼りに、目にも止まらない速さで襲いかかる獣たちを迎え撃たなければならない。
「くそっ、キリがねえ! こいつら、俺たちの弾薬が尽きるのを待ってやがる!」
リュウの焦燥が伝わってくる。
車両の装甲はハウンドたちの鋭い爪によって削られ、少しずつ防衛網が綻び始めていた。
俺は、握りしめた拳を震わせた。
右腕はまだ痛む。
エレナからも「次の戦いまで変身は控えるべきだ」ときつく言われていた。
けれど、仲間の血が流れるのを黙って見ていることなんて、俺にはできなかった。
「……エレナ、すまない。やっぱり俺、座っているだけなんて無理だ」
「ハルト!? 待って、まだ調整が……!」
俺はエレナの制止を振り切り、走行する車両の屋根へと飛び出した。
吹き付ける熱風が全身を叩き、砂粒が肌を抉る。
俺は空を仰いだ。
砂嵐に覆われた灰色の空。
その向こうにあるはずの真理を求めて、胸のコアを強く叩く。
「……みんなの鼓動を、この熱に変える! チェンジ!、覚醒・ブレイバー!!」
立ち昇る光の柱が砂嵐を一時的に押し戻した。
現れたブレイバーの姿は、砂漠の過酷な環境に適応した新しい形態へと変化していた。
背中には熱を効率的に排出するための大型放熱フィンが展開され、装甲は摩擦抵抗を最小限に抑える特殊加工が施されている。
『ブレイバー・デザートモード』。
「熱源感知……ロックオン。一気に掃除する!」
俺は砂の上を滑るように加速した。
肉眼では捉えきれないハウンドたちの位置が、コアを通じて「情報の波」として脳内に流れ込んでくる。
俺は一振りのエネルギーブレードを抜き放ち、デザート・ハウンドの群れへと突っ込んだ。
一体、また一体。
機械の獣たちが、音もなく両断されていく。
砂漠の熱気を力に変え、俺の動きは加速していく。
リュウたちの援護射撃と俺の突撃が噛み合い、絶望的だった戦況が瞬く間に覆されていった。
「さすがだな、大将! 惚れ惚れするぜ!」
リュウの声に、俺は短く答えて次なる標的を捉えた。
だが、その|瞬間《しゅんかん」、コアがこれまでにない激しい警告を発した。
砂嵐の奥底から、圧倒的な「静寂」が近づいてくる。
それは、デザート・ハウンドのような量産機とは比較にならない、濃密で巨大な殺意の塊だった。
ドン、と地響きが鳴った。
砂煙を割って、一機の巨大な人型機体がゆっくりと歩を進めてきた。
漆黒の装甲は、周囲の光をすべて吸い込むように鈍く光っている。
背負った二振りの大太刀からは、触れるものすべてを腐食させるような禍々しい紫色の電光が漏れ出していた。
『……ほう。イレギュラーの力、確かにこの身で確認した』
外部スピーカーから響いたのは、機械的なノイズを孕みながらも、確かな「個」の意志を感じさせる、重厚な男の声だった。
「……何者だ。アルキメデスの新しい執行官か?」
俺はブレードを構え、その漆黒の機体を睨みつけた。これまでの敵――零式のような論理的な冷たさではない。
この男からは、熟練の武人が放つような、練り上げられた闘気が感じられた。
『名はクロム。アルキメデスの法を執行する者であり、同時に、この世界で「最強」を定義するために作られた刃だ』
クロムはゆっくりと大太刀を引き抜いた。
その動作一つで、周囲の砂嵐が物理的に切り裂かれ、不気味な真空状態が作り出される。
『少年。お前の持つコアは、まだ未完成だ。その不完全な輝き……私の「コレクション」に加えるに値する』
次の瞬間、クロムの姿が視界から完全に消えた。
「速い……!?」
背後に走る戦慄。
俺は反射的にブレードで受け流そうとしたが、一閃の衝撃が俺の全システムを震撼させた。
防ぎきれない。
俺の体は紙屑のように吹き飛ばされ、砂漠の斜面を転がった。
装甲の一部が砕け、火花が散る。
「ハルト!!」
エレナの悲鳴がリンクを通じて脳内に響く。
「……くっ、あああああ!」
俺は痛む体を無理やり起こした。
見上げれば、クロムが静かに、死神のようにこちらを見下ろしている。
エリア 5で戦った零式が「論理の怪物」だったとするなら、この男は「武の怪物」だ。
計算だけでは導き出せない、純粋な暴力の極致。
砂塵の向こうに見える《みえる》エリア 4の中継局は、まだ遥か彼方にある。
俺たちの初めての遠征は、かつてない強敵との遭遇によって、その真価を問われようとしていた。
「……まだだ。俺たちの鼓動は、こんなところで止まりはしない!」
俺は再び立ち上がり、クロムに向かって剣を構えた。砂嵐はさらに激しさを増し、世界の境界を覆い隠しいく。
(第 18話 に続く)




