【第16話】情報の凱歌
エリア 5に「本物の青空」が定着してから一週間が過ぎた。
聖堂を中心としたレジスタンスの拠点は、今や「ブレイバーズ」という一つの組織として機能していた。
ガイン率いる「鋼の連帯」のメンバーと、俺たちを支えてきた市民、そしてエレナやリュウ。
かつては疑念の目を向けていた者たちも、今は瓦礫の撤去や防衛システムの強化に汗を流している。
だが、この静寂は嵐の前の静けさに過ぎないことを、俺たちは痛いほど理解していた。
アルキメデスが、自らの管理領域に生じたこの「論理の空白」を放置するはずがないからだ。
「ハルト、調子はどう?」
地下の整備ドック。
コアの調整を行っていたエレナが、モニターから目を離さずに声をかけてきた。
俺は右腕を何度か握ったり開いたりしてみる。
「オーバー・リンク」による負荷は凄まじく、神経系には今も微細なノイズが走っている感覚がある。
「ああ、悪くない。みんなの鼓動を感じている間は、不思議と痛みも忘れていられたんだ」
「……あまり無理はしないで。オーバー・リンクは仲間全員の精神波形を同期させる。それは強力な武器になるけれど、受信体であるあなたの脳とコアには、通常の数倍のストレスがかかるの。次に同じことをすれば、本当に意識が戻らなくなるかもしれない」
エレナの言葉には、科学者としての冷静さと、一人の友人としての震えるような不安が混ざっていた。
俺は小さく頷き、彼女が提示した次なる作戦案に視線を落とした。
セカンドステージへの布石となる、反撃のロードマップ。
それは「守る戦い」から「奪還する戦い」への転換を意味していた。
「アルキメデスはこの世界のすべてをデータ化し、完璧な管理下に置こうとしている。その中枢となっているのが、各エリアにそびえ立つ『情報集積塔』よ。ここを物理的に、あるいは論理的に開放していかない限り、この青空を広げることはできない」
作戦会議のテーブルに、リュウがどっかと腰を下ろした。
彼の足はまだ完治していないが、その瞳にはかつてないほどの闘志が宿っている。
「つまり、ここエリア 5に引きこもって迎撃するんじゃなく、こっちから打って出るってことだな。大将、面白くなってきたじゃねえか」
ガインも腕を組みながら同意した。
「アルキメデスの計算を狂わせるには、奴の予想を超える速度で動く必要がある。幸い、エリア 5の空を見た他エリアの人間たちが、各地で小さな暴動を起こし始めている。今が攻め時だ」
最初の目標は、隣接するエリア 4との境界にある中継局の制圧に決まった。
そこを抑えれば、アルキメデスが独占している広域通信網の一部をジャックし、世界中の人々に「真実」を伝えることができる。
だが、出発を目前に控えた俺たちの前に、再びあの無機質な存在が立ちはだかった。
聖堂の通信回線が突如として乗っ取られ、全てのモニターにアルキメデスの象徴である幾何学模様が浮かび上がる。
そして、前回の戦いで撤退したはずの「零式」のホログラムが、冷徹な姿を現した。
「ブレイバー、およびその同調者たちへ告げる。君たちの行動は、全体最適化の観点から見て、もはや看過できない『致命的なバグ』に昇格した。これより、エリア 5を含む周辺区域に対し、物理的・情報的完全削除プロトコルを開始する」
零式の背後で、天を突くほどの巨大な兵器が起動する映像が流れる。
それは、衛星軌道上に位置するアルキメデスの最終演算ユニットから放たれる、情報の質量弾。
着弾すれば、その区域の物質はすべて「 0と 1」の塵へと分解される。
「猶予は 120分。それまでにブレイバー・コアを差し出し、全個体の意識をアルキメデスへ献上せよ。さもなくば、君たちが取り戻したその青空ごと、歴史から抹消する」
通信が途切れると同時に、拠点内はパニックに陥った。
無理もない。
神にも等しい演算能力を持つアルキメデスが、本気でこの場所を「削除」しようとしているのだ。
「……ハルト。どうする?」
リュウが俺を見た。
ガインも、市民たちも、絶望と期待が入り混じった目で俺を注視している。
俺は深く息を吸い込み、胸の中央で静かに、けれど強く拍動するコアに手を当てた。
「逃げない。……いや、逃げる場所なんてどこにもないんだ。アルキメデスが俺たちを『削除』しようとするなら、俺たちはその計算式そのものを書き換えてやる」
俺の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「エレナ、オーバー・リンクの準備を。ただし、今度は俺にエネルギーを集めるんじゃない。俺のコアを中継器にして、ブレイバーズ全員の意志を、アルキメデスの通信網に逆流させるんだ」
「逆流……!? そんなことをしたら、システム全体がパンクするわよ。最悪の場合、リンクしている全員の精神が焼き切れる可能性があるわ」
「それでも、信じたいんだ。一人の英雄の力じゃなくて、みんなが手を取り合った時に生まれる『計算不能な熱量』を。それが、アルキメデスが唯一持っていない武器だから」
エレナは俺の目を見つめ、やがて覚悟を決めたように強く頷いた。
「わかった。……死ぬ時は一緒よ、ハルト」
作業は迅速に行われた。
ガインたちは防衛ラインを死守し、エレナは聖堂の地下施設を巨大な送信アンテナへと作り変えていく。
リュウは負傷した兵士たちを鼓舞し、市民たちは祈るように手を取り合った。
120分のカウントダウンがゼロに近づく。
上空には、衛星軌道から降り注ぐ削除光線の余波か、不気味な赤い閃光が走り始めていた。
「システム・オールグリーン。オーバー・リンク、最終フェーズへ移行! ハルト、いって!」
俺はドックの中央で、再びブレイバーへと変身した。
「究極チェンジ!覚醒・ブレイバー!!」
俺の体から溢れ出す光の糸が、聖堂にいる人々の意識と繋がり、一本の巨大な光の柱となって空へと突き抜けていった。
「うおおおおおおおっ!」
俺の咆哮と共に、膨大な「人間の感情」がデータとなってアルキメデスのサーバーへと流れ込む。
悲しみ、怒り、喜び、愛、そして明日を信じる希望。
冷徹な論理で構成されたアルキメデスの世界に、定義不能な「色彩」が濁流となって押し寄せた。
『……警告。処理容量を……超過。論理……破綻。……エラー。エラー。エラー。……ありえない。このような……ノイズ……は……計算……外……』
空に浮かぶ零式のホログラムが激しく乱れ、やがてノイズと共に消失した。
同時に、衛星軌道から放たれようとしていた削除光線は、発射直前に制御を失い、宇宙の彼方へと霧散していった。
情報の凱歌が、エリア 5に鳴り響く。
俺たちは勝った。
アルキメデスという絶対的な神に、「敗北」の概念を突きつけたのだ。
変身が解け、崩れ落ちる俺を、リュウとエレナが受け止めてくれた。
「やったな、大将……。本当に、やりやがった……」
リュウの声が震えている。
エレナは涙を流しながら、俺の手を握りしめていた。
見上げれば、赤い閃光は消え、そこには深みを増した「青」が広がっていた。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
アルキメデスは沈黙しただけで、消滅したわけではない。
長いロードムービーの、これが始まりなのだ。
「……行こう。世界中の空を取り戻しに」
俺は痛む体を起こし、仲間の肩を借りて立ち上がった。
一人の青年の中にだけあった火種は、今や世界を焼き尽くすほどの、連環する鼓動となって燃え広がっている。
俺たちの英雄譚は、さらに加速する。
(第 17話 に続く)




