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10話 神々の悪戯

「俺、最強になってしまうのでは?」


水晶に映し出された小さな生物が、そんなことを呟いた。


「…………」


「…………」


「…………」


白く美しい神殿に、なんとも言えない沈黙が流れる。


やがて、大柄な男が耐えきれなくなったように吹き出した。


「ぶはははははは!! 最強! 最強だと!」


「ちょっと! 笑わないでよ!」


隣に座っていた青髪の女神が頬を膨らませる。


その手には、なぜか酒の入った杯が握られていた。


「だってまだE級だぞ!?」


「これから強くなるの!」


「レベル2!」


「これからなの!」


「相手は小魚!」


「うるさい!!」


水の女神は机を叩いた。


「うちの子をバカにしないで!」


水晶の中では、一匹の小さなポイズンミニルーパーが楽しそうに泳いでいる。


先ほど進化したばかり。


レベルも1に戻った。


それでも本人は、新しく手に入れた力に大喜びしていた。


「しかし……」


白い衣を纏った女神が、水晶を覗き込む。


「成長が早いですね」


「でしょ!?」


「褒めてはいません」


「なんでよ!」


「転生してから、まだそれほど経っていません。それなのに、すでに一度目の進化を終えています」


「うちの子優秀だから!」


「親みたいに言うな」


「私の加護持ってるんだから、うちの子でしょ!」


「そういうものなのか……?」


大柄な男――戦を司る神が首を傾げる。


水の女神は気にせず、嬉しそうに水晶を覗き込んでいた。


「最初なんて本当に弱かったのよ? 小さい魚に尻尾食べられてたんだから」


「見ていた」


「ザリガニにも殺されかけて」


「それも見ていた」


「手まで取れちゃって!」


「お主、その時笑っておっただろう」


「…………」


「笑っておったな」


「ちょっとだけ」


「こやつ……」


だって、と水の女神は杯を傾ける。


「短い手で必死に逃げてるの、かわいかったんだもん」


「本人は命懸けだったのですが」


「ちゃんと応援してたよ!」


「見守るだけで助けなかったではないか」


「神様だもん。そこまで干渉しちゃダメでしょ?」


「宴会芸の加護は与えたくせに」


「宴会芸は大事でしょ!」


「何に使うのですか……」


そんな神々の会話など知るはずもなく、水晶の中のポイズンミニルーパーは次の獲物を探して泳ぎ回っている。


「しかし――」


低い声が響いた。


今まで黙って水晶を見ていた男が、ゆっくりと立ち上がる。


黒紫の長い髪。


細い目。


その周囲には、薄紫色の霧のようなものが漂っていた。


「実に良い」


男は口元を吊り上げる。


「何が?」


水の女神が嫌そうに振り返った。


「決まっている。毒だ」


毒を司る神。


その目が楽しそうに細められる。


「《猛毒手》《猛毒棘》……さらに《毒散布》に《毒回復》か」


「…………」


「素晴らしい」


「…………」


「あの者、我の眷属として――」


「ダメ」


「まだ最後まで言っておらん」


「ダメ」


「せめて聞け」


「うちの子だからダメ!」


「毒を撒いておるぞ?」


「うちの子です」


「猛毒を生成しておる」


「うちの子です」


「水の女神のお主より、明らかに我との相性の方が――」


「う・ち・の・子・で・す!」


「面倒くさい女だな!?」


水の女神は水晶を抱きかかえるようにして、毒の神から遠ざけた。


「この子は私が先に見つけたんだから!」


「ならば我も加護を与えればよかろう」


「ダメ!」


「なぜだ!」


「私の加護が目立たなくなるから!」


「理由が幼い!」


戦神が横で大笑いしている。


「ぶはははは! 人気者ではないか、あのルーパー!」


「笑い事ではないわ!」


「というか」


生命の女神が口を挟む。


「水の女神」


「なに?」


「あなたは水を司る神でしたね」


「そうだけど?」


「彼は先ほど《毒散布》を獲得しました」


「うん」


「水中に毒を撒いています」


「…………」


「あなたの管轄では?」


「…………」


水の女神は杯を口元へ運んだ。


「まあ……ちょっとくらいなら大丈夫でしょ」


「軽い!」


「毒だって水に溶けるんだから、ほぼ水属性よ!」


「そんなわけあるか!」


毒の神が即座に突っ込む。


「毒を水属性にするな! 我の管轄だ!」


「うちの子が使ってるから水属性ですー」


「この女……!」


神殿に笑い声が響く。


その間にも、水晶の中では一つの命が奪われていた。


《猛毒手》。


ぺちん。


それだけで、小さな魚は数秒後に動かなくなった。


「……やはり強力ですね」


生命の女神の表情が少しだけ変わる。


「だろう?」


なぜか毒の神が誇らしそうに答える。


「お主の子ではないぞ」


「いずれ我の加護を――」


「だからダメ!!」


また二柱の神が言い争いを始める。


戦神は楽しそうに水晶を眺めていた。


「しかし面白い戦い方をする」


「戦い方?」


「攻撃力そのものは低い。速くもない。それを防御と毒で補っておる」


「そうなの! うちの子、頭いいでしょ?」


「格上だった甲殻種を毒で仕留めたのは悪くなかった」


「でしょ!?」


「まあ、我の者なら正面から叩き潰すがな!」


「脳筋」


「なんだと!?」


再び神殿が騒がしくなる。


「それにしても」


生命の女神が水晶へ目を戻す。


「《ポイズンミニルーパー》への希少進化ですか」


「ああ」


戦神も少し真面目な表情になる。


「条件自体は満たしている。《毒手》《毒棘》の獲得。そして毒による格上個体の討伐」


「問題はそこではありません」


「分かっておる」


生命の女神が頷く。


「早すぎます」


「…………」


少しだけ、神殿の空気が変わった。


「本来、ミニルーパーが最初の進化に到達するまでには、もう少し時間が必要です」


「でも、この子頑張ったもん」


「それだけでしょうか」


「どういう意味?」


「…………」


生命の女神は答えなかった。


代わりに、戦神が神殿の奥へ視線を向ける。


「まあ、今年の転生者は粒揃いだ」


水の女神の表情が少し変わった。


「……他の子たち?」


「ああ」


戦神が指を鳴らす。


すると、神殿に並んでいた水晶が一斉に光を放った。


最初の水晶。


そこに映っていたのは、人間だった。


純白の鎧。


腰には聖剣。


その周囲には何人もの兵士が跪いている。


「今代の勇者か」


「ええ。人間として転生した者ですね」


「随分と当たりを引いたものだ」


「本人もそう思っているでしょうね」


次の水晶。


巨大な翼が空を覆う。


真紅の鱗。


鋭い牙。


山のように巨大な身体。


ドラゴン。


まだ幼体であるにもかかわらず、周囲の魔物が逃げ出すほどの存在感を放っている。


「こっちは相変わらず反則じゃない?」


水の女神が不満そうに言う。


「ドラゴン転生なんてずるい!」


「転生先は運も含めての《悪戯》だ」


「うちの子なんて最初、攻撃力1だったのよ!?」


「知らん」


「素早さも1!」


「知らん」


「手もこんなに短い!」


「それは関係ないだろう」


水の女神は水晶の中の主人公を指差す。


短い手足で必死に泳いでいる。


「かわいいでしょ?」


「……まあ、それは認めよう」


「でしょ!」


そして、三つ目の水晶。


そこに映っていたのは――。


ぷるん。


青く半透明な身体。


ぷるん。


「……スライム?」


「ああ」


「弱そう」


「弱いぞ」


「うちの子より?」


「現時点では恐らくな」


「よっしゃ!!」


「何を喜んでいるのですか」


生命の女神が呆れた顔をする。


「下がいた!」


「競うところではないでしょう」


「だって、うちの子E級なんだもん!」


「そのスライムも生き残ればどうなるか分からんぞ」


戦神が笑う。


「最弱種が上位種を喰らい続け、化け物へ進化することもある」


「…………」


「そもそも、種族だけで最後まで決まるなら面白くない」


「それもそうね」


さらに水晶が光る。


魔法使いとして人間の街に生まれた者。


森の奥で生まれた小さな獣。


魔族として生を受けた者。


そして、ただのゴブリンとして目を覚ました者。


転生先に法則などない。


人間もいる。


魔物もいる。


勇者もいる。


最強種もいれば、最弱種もいる。


生まれ落ちた瞬間から圧倒的な力を持つ者もいれば、小魚から逃げるだけで精一杯の者もいる。


全ては――運。


「こうして見ると、ひどい格差ですね」


生命の女神が淡々と言う。


「それが面白いのではないか」


戦神は笑った。


「勇者がスライムに敗れるかもしれん」


「ドラゴンがゴブリンに足元をすくわれるかもしれん」


毒の神も続ける。


「そして――」


視線が、一匹の小さなポイズンミニルーパーへ向けられる。


「こんな小さな水棲魔物が、誰よりも上へ行くかもしれん」


「うちの子なら行ける!」


「急に自信満々だな」


「当然でしょ!」


神々が笑う。


水晶の向こうでは、何も知らない転生者たちが、それぞれの第二の人生を歩み始めている。


ある者は、自分が勇者に選ばれたことを喜んでいた。


ある者は、ドラゴンになった自分の力に酔っていた。


ある者は、スライムになったことに絶望していた。


そして、一匹の小さなポイズンミニルーパーは。


今日も川底を泳いでいる。


誰一人として知らない。


自分たちが、同じ世界へ転生させられた理由を。


「今年は何人、《選定》まで辿り着くでしょうね」


生命の女神が静かに呟いた。


「前回は何人だった?」


毒の神が尋ねる。


「五人です」


「ああ、五人だったか。六人だと思っておった」


「一人は直前に食われましたから」


「そうだった! あれは傑作だったな!」


戦神が笑う。


「あれだけ育っておきながら、最後があれとは!」


「本当に。何が起こるか分からないものです」


「…………」


水の女神だけが笑わなかった。


彼らが話しているのは、一つの命だ。


その者にも、転生する前の人生があった。


この世界で生き残るために戦った。


痛みを感じ。


恐怖を感じ。


強くなった。


そして、死んだ。


だが神々にとっては。


それすらも、面白い出来事の一つに過ぎない。


「今年は楽しめそうだ」


毒の神が笑う。


「特に、あの毒の子は良い」


「うちの子」


「まだ言うか」


「当然でしょ」


水の女神は主人公の映った水晶を抱きしめる。


「まあ、強くなってもらわねば困るからな」


戦神が何気なく言った。


「…………」


水の女神が顔を上げる。


「どういう意味?」


「どういう意味も何も」


戦神は当たり前のように答えた。


「今年もやるのだろう?」


一瞬。


神殿が静まり返る。


「当然だ」


神殿の奥から、それまで会話に加わっていなかった声が響いた。


コツ。


コツ。


ゆっくりと足音が近づいてくる。


だが、その姿は暗がりに隠れ、水晶の光ですら顔を映すことはなかった。


「せっかく我々が選び、第二の生を与えた者たちだ」


勇者。


ドラゴン。


スライム。


ゴブリン。


魔族。


そして。


小さなポイズンミニルーパー。


「生まれも、種族も、与えられた力も違う」


コツ。


「その者たちが、どのように生き」


コツ。


「どのように成長し」


コツ。


「どこまで辿り着くのか」


足音が止まる。


「そして――」


暗闇の中で、何者かが笑った。


「最後に誰が残るのか」


「…………」


水の女神は何も言わなかった。


ただ。


主人公の映った水晶を抱く腕に、少しだけ力を込めた。


「それを見るための《悪戯》だろう?」


誰も否定しない。


戦神は笑っている。


毒の神も楽しそうに水晶を眺めている。


生命の女神も、いつもと変わらない表情をしていた。


水の女神だけが。


「…………」


ほんの少しだけ、困ったような顔で自分の水晶を見る。


その中では。


『俺、最強になってしまうのでは?』


小さなポイズンミニルーパーが、楽しそうに泳いでいた。


「……うちの子、本当に強くなるもん」


戦神が笑う。


「そうだな」


強くなってもらわなければ困る。


せっかく始まったばかりなのだから。


水晶の中の彼は、まだ何も知らない。


勇者がいることも。


ドラゴンがいることも。


自分と同じように、最弱から這い上がろうとしているスライムがいることも。


《選定》が何なのかも。


なぜ神々が、自分たちを同じ世界へ送り込んだのかも。


そして。


いつか。


彼らの道が交わることも。


自分に与えられた二度目の人生そのものが。


神々にとっては。


ただの――。


《悪戯》に過ぎないことを。

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