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第六話 禁忌の森


王都の朝は、いつも通り騒がしかった。


商人の声。

馬車の音。

冒険者たちの足音。

ギルド職員の忙しない声。


その中で、レオン・ガルディアは王城へ向かって歩いていた。


隣にはセシリア・ノート。

少し後ろには、王都騎士団副団長のグレン・アシュフォードがいる。


レオンの顔は、いつも以上に険しかった。


セシリア「マスター。顔が怖いです」


レオン「元からだ」


グレン「今日は特に怖い」


レオン「呼び出された理由が嫌な予感しかしない」


セシリア「王命ですから」


レオン「だから嫌なんだ」


レオンは小さくため息をついた。


本来なら、今日はひだまり孤児院に寄る予定だった。


昨日救い出したエルと、治療院に運ばれた子どもたちの様子も気になる。

マーサ先生からは、食材を多めに持ってくるように言われていた。

トトには文字の練習を見てやると約束してしまった。


それなのに、朝一番で王城から呼び出しが来た。


王から直接、話があるという。


――ろくな話じゃない。


レオンは心の中でそう思った。


王城の謁見の間に入ると、玉座には国王エルドランが座っていた。


年齢は五十を少し越えた頃。

穏やかな顔をしているが、その目には王としての鋭さがある。


国王「来たか、レオン」


レオン「王命とあれば」


国王「ずいぶん不満そうだな」


レオン「顔に出ていましたか」


セシリア「出ています」


グレン「かなり出ている」


レオン「……失礼しました」


国王は小さく笑った。


国王「構わん。お前が王城より孤児院を気にしていることは知っている」


レオン「なら、早めに終わる話だと助かります」


国王「残念だが、少し面倒な話だ」


レオンは無言になった。


セシリアが隣で小さく息を吐く。


セシリア「マスター。露骨に嫌そうな顔をしないでください」


レオン「努力する」


国王「禁忌の森を知っているな」


その言葉で、謁見の間の空気が少し重くなった。


禁忌の森。


王都の北西に広がる、古い森。

昔から魔力が濃く、普通の獣も魔物化しやすい危険地帯として知られている。

古代魔法の残滓が残っているとも言われ、王国ではむやみに立ち入ることを禁じていた。


レオン「王都の隣にある、面倒な森ですね」


国王「その言い方は初めて聞いたな」


グレン「間違ってはいません」


セシリア「危険地帯であることは確かです」


国王は表情を引き締めた。


国王「その禁忌の森の外縁で、魔力異常が確認された。さらに、調査に向かった兵士二名が戻っていない」


グレン「兵士が?」


国王「ああ。街道側の見回りだった。森の奥までは入っていないはずだ」


セシリア「外縁で行方不明となると、かなり危険ですね」


国王「そこで、レオン。お前に調査を命じる」


レオン「嫌です」


謁見の間が静まり返った。


セシリア「マスター」


グレン「お前、王の前だぞ」


国王は目を丸くしたあと、肩を揺らして笑った。


国王「即答か」


レオン「禁忌の森は嫌いです」


国王「理由は?」


レオン「足場が悪い。魔力が濃い。虫が多い。服に蜘蛛の巣がつく」


セシリア「最後の理由が急に小さくなりましたね」


レオン「大事だ」


グレン「王命より蜘蛛の巣か」


レオン「蜘蛛の巣は顔にかかる」


国王「だが、行ってもらう」


レオン「ですよね」


レオンは深くため息をついた。


――断れるなら最初から呼ばれていない。


王命とはそういうものだ。


国王「お前を呼んだのは、強いからだけではない」


レオン「では?」


国王「森の外縁にいた兵士が、戻る前に伝令鳥で短い報告を送っている」


セシリア「報告?」


国王「ああ。『森の奥から、覇圧に似た気配あり』とな」


謁見の間に緊張が走った。


覇圧。


戦士のオーラ段階で言えば、第6段階ヘビークラス。


覇圧領域はあつりょういき


強いオーラを周囲に広げ、格下の敵を威圧する力。

弱い者なら、それだけで動けなくなる。


グレン「魔物が覇圧領域を?」


国王「分からん。だが、兵士たちはそれに近いものを感じたらしい」


セシリア「ただの魔物ではありませんね」


国王「魔王軍の残滓か、古代魔法か、あるいは変異した魔物か。見極められる者が少ない」


レオン「魔術師団は?」


国王「森の奥まで連れていくには危険すぎる」


グレン「騎士団も動かしますか?」


国王「大人数で入れば、森を刺激する。少数で行け」


セシリア「調査隊は?」


国王「レオン、グレン、セシリア。必要なら冒険者を一人つける」


レオン「バルドを連れていきます」


グレン「即決だな」


レオン「バルドは第7段階、鬼神解放きじんかいほうまで使えるし、森で荷物も運べる。しかも、新人をよく見て守れる。口は悪いが頼れる」


セシリア「褒めているのか、そうでないのか分かりにくいですね」


国王「よかろう。準備が整い次第、向かえ」


レオン「今日ですか」


国王「今日だ」


レオン「孤児院に寄る時間は」


セシリア「ありません」


レオン「……夕飯前には戻る」


グレン「禁忌の森を何だと思っている」


レオン「面倒な森」


国王「レオン」


王の声が、少しだけ重くなった。


国王「兵士が戻っていない。森の外に何かが出てくる前に、原因を見つけろ」


レオンは目を伏せた。


王の言葉の裏にあるものを、彼は理解していた。


もし禁忌の森の異常が広がれば、まず被害を受けるのは王都の外れだ。

貧しい者たちの住む区画。

孤児院に近い場所。

逃げる手段を持たない人々。


ひだまり孤児院も例外ではない。


レオン「……分かりました」


国王「頼む」


レオン「調査してきます」


国王「討伐が必要なら?」


レオン「必要なら、やります」


その声は静かだった。


だが、謁見の間にいた者たちは知っている。


レオン・ガルディア。


第9段階、武王クラス。


王威覚醒おういかくせいに到達した戦士。


ただの強者ではない。

王の器を持つ戦士。


彼が「やる」と言った時、それは決定に近い。


王城を出た後、レオンたちはギルドに戻り、バルドを呼び出した。


バルド「禁忌の森?」


レオン「ああ」


バルド「嫌だな」


レオン「俺も嫌だ」


セシリア「二人とも、子どものような反応をしないでください」


バルド「禁忌の森だぞ? 好き好んで行く奴はいねぇよ」


グレン「任務だ」


バルド「分かってる。行くさ」


バルドは大斧を肩に担いだ。


バルド「で、何が出ると思う?」


レオン「魔力異常。兵士二名行方不明。覇圧領域に似た気配」


バルド「第6段階相当か」


セシリア「少なくとも、それに近い圧を放つ何かがいる可能性があります」


バルド「面倒だな。虫系じゃねぇといいが」


レオン「言うな」


セシリア「マスター、虫が苦手なのですか?」


レオン「苦手ではない」


グレン「蜘蛛の巣が嫌いなだけか」


レオン「顔にかかるからな」


バルド「お前、本当に竜を倒した男か?」


レオン「竜は蜘蛛の巣を張らない」


バルド「そういう問題かよ」


準備はすぐに整った。


レオンは灰色の外套を羽織り、腰に剣を下げる。

セシリアは記録用の魔道具と封印札。

グレンは騎士剣と盾。

バルドは大斧と予備の縄。


四人は王都の北西門を出て、禁忌の森へ向かった。


森は、遠くから見ても異様だった。


木々が高く、枝が絡み合い、昼間だというのに森の奥は暗い。

空気は湿っており、近づくだけで肌にまとわりつくような魔力を感じる。


森の入口には、古い石碑が立っていた。


『許可なき者、立ち入るべからず』


レオン「親切な石碑だ」


バルド「帰るか?」


レオン「帰りたい」


セシリア「入りましょう」


グレン「任務だ」


レオン「分かっている」


レオンは一歩、森へ入った。


足元の枯れ葉が、湿った音を立てる。


森の中は静かだった。


鳥の声がない。

獣の気配も少ない。


代わりに、細い糸のような魔力が空気中を漂っていた。


セシリア「魔力濃度が高いですね」


グレン「普通の森ではないな」


バルド「嫌な静けさだ」


レオンは目を細めた。


オーラを体の奥で静かに巡らせる。


第1段階、纏気覚醒てんきかくせい


筋力、耐久力、反応速度を底上げする基本の力。

熟練した戦士なら、呼吸をするように使える。


さらに、感覚を広げる。


第2段階、戦気感応せんきかんのう


敵意、殺気、気配を感じ取る力。


レオン「……いるな」


グレン「何がだ」


レオン「森全体に、細い敵意が張っている」


セシリア「敵意?」


レオン「蜘蛛の巣のようにな」


バルド「やめろ。想像したくねぇ」


木の幹に白いものが付着している。


細い糸。


蜘蛛の糸だった。


レオン「……帰るか」


セシリア「帰りません」


バルド「おい、武王クラス」


レオン「顔にかかる前に焼き払いたい」


セシリア「森ごと焼くのはやめてください」


グレン「禁忌の森を焼いたら王都どころか国が騒ぐぞ」


レオン「分かっている」


――顔にかからないでくれ。


レオンは本気でそう思った。


進むにつれて、糸は増えていった。


枝と枝の間。

倒木の隙間。

地面の草の上。


普通の蜘蛛の巣ではない。


一本一本が太く、魔力を帯びている。

触れれば絡みつき、魔力を吸われる可能性もある。


セシリア「これは魔糸ですね」


バルド「斬れるか?」


セシリア「普通の刃では絡みつきます」


レオン「なら、普通に斬らなければいい」


レオンは剣を抜いた。


刃に灰色のオーラがまとわりつく。


第3段階、刃気纏装じんきてんそう


武器にオーラをまとわせ、威力を高める力。


レオンが軽く剣を振ると、目の前の魔糸が音もなく断ち切れた。


切られた糸は、力を失ったように地面へ落ちる。


バルド「便利だな」


レオン「お前もできるだろう」


バルド「俺のは雑なんだよ」


セシリア「自覚があるのですね」


バルド「一応な」


四人は慎重に進んだ。


やがて、森の奥からかすかな音が聞こえてきた。


かさり。


かさり。


木の葉が揺れる音ではない。


何かが、複数の脚で地面を動いている音だった。


バルド「来るぞ」


グレンは盾を構えた。


セシリアは封印札を手にする。


レオンは剣を低く構えた。


次の瞬間、木々の間から黒い影が飛び出した。


巨大な蜘蛛だった。


人間の胴ほどある体。

八本の脚は槍のように鋭い。

背中には紫色の魔紋が浮かび、口元から白い糸が垂れている。


一体ではない。


三体。


バルド「うわ、出た!」


レオン「言うな」


セシリア「魔紋蜘蛛です! 糸に魔力吸収効果があります!」


グレン「近づけるな!」


一体目の蜘蛛が、レオンへ向かって糸を吐いた。


白い糸が矢のように飛ぶ。


レオンは半歩だけ体をずらし、剣を振った。


刃気纏装をまとった剣が糸を斬る。


だが、斬れた糸が空中でばらけ、細い糸となってレオンの肩に絡みついた。


レオン「面倒だな」


――やっぱり蜘蛛は嫌いだ。


レオンは肩をひねり、絡んだ糸ごと外套を脱ぎ捨てた。


そのまま踏み込み、蜘蛛の前脚を斬り落とす。


蜘蛛が甲高い音を上げた。


グレン「右から来る!」


二体目が横から飛びかかる。


グレンが盾で受け止めた。


衝撃で地面が沈む。


グレン「重い!」


バルド「なら軽くしてやる!」


バルドの体から赤銅色のオーラが噴き出した。


第3段階、刃気纏装。


大斧にまとったオーラが、獣の牙のように荒々しく揺れる。


バルドが大斧を振るう。


斧が蜘蛛の脚を叩き折った。


バルド「硬ぇな!」


セシリア「関節を狙ってください! 胴体は魔力で硬化しています!」


バルド「了解!」


セシリアは封印札を投げた。


札が蜘蛛の背中に貼りつき、紫の魔紋が一瞬だけ鈍る。


セシリア「今です!」


レオン「助かる」


レオンは低く踏み込み、一体目の蜘蛛の懐へ入った。


蜘蛛の牙が迫る。


だが遅い。


レオンの剣が、下から斜めに走った。


鋭い一閃。


蜘蛛の巨体が崩れ落ちる。


バルド「相変わらず化け物だな!」


レオン「蜘蛛相手に褒められても嬉しくない」


セシリア「マスター、左!」


三体目が木の上から糸を吐いた。


糸はレオンではなく、セシリアを狙っていた。


セシリア「っ!」


避けきれない。


レオンが地面を蹴った。


次の瞬間、彼はセシリアの前に立っていた。


左手を前に出す。


灰色のオーラが盾のように広がった。


第5段階、護天気壁ごてんきへき


オーラで防壁を作り、自分や仲間を守る力。


糸がオーラの壁にぶつかり、ばちばちと音を立てた。


レオン「吸うのか」


セシリア「魔力だけでなく、オーラも削っています!」


レオン「なるほど。厄介だ」


レオンは護天気壁を消し、残った糸を剣で払う。


そして、木の上にいる蜘蛛を見上げた。


蜘蛛が再び糸を吐こうとする。


レオンは剣を横に構えた。


刃にまとったオーラを外へ流す。


第4段階、裂空闘気れっくうとうき


オーラを外へ放ち、斬撃波として飛ばす技。


レオン「落ちろ」


灰色の斬撃が空を裂いた。


木の枝ごと、蜘蛛の足場が切り落とされる。


巨大蜘蛛が地面へ落下した。


グレンが盾で押さえ込み、バルドが脚を叩き折る。


セシリアが封印札を追加で貼った。


セシリア「魔紋停止!」


レオンは剣を構え、最後の一撃を入れた。


蜘蛛は動かなくなった。


森に、再び静けさが戻る。


バルドは大斧を肩に担ぎ、荒く息を吐いた。


バルド「……でかい蜘蛛三体か。外縁でこれなら、奥はもっと嫌だな」


グレン「兵士二名が心配だ」


セシリア「糸の流れが奥へ続いています。巣があるかもしれません」


レオンは剣についた糸を振り払った。


その顔は、さらに険しくなっている。


レオン「進むぞ」


セシリア「腕は?」


レオン「少し痺れる程度だ」


セシリア「見せてください」


レオン「後でいい」


セシリア「今です」


レオン「……はい」


バルド「武王クラス、今日も副マスターに負ける」


グレン「平常運転だな」


レオンは無言で腕を差し出した。


セシリアは手早く状態を確認し、小瓶の薬を塗る。


セシリア「魔力吸収による軽い痺れです。無理をしないでください」


レオン「分かった」


セシリア「本当に?」


レオン「気をつける」


セシリア「少し進歩しました」


治療を終えると、四人はさらに奥へ進んだ。


蜘蛛の糸は、濃くなっていく。


木々の間には、白い幕のような巣が張られている。

ところどころに、鹿や小型魔物が糸に巻かれて吊るされていた。


バルド「趣味が悪い森だ」


グレン「静かに」


レオンは足を止めた。


前方に、大きな繭が二つ見えた。


人間の形をしている。


グレン「兵士か!」


グレンが駆け出そうとする。


レオン「待て」


グレン「だが!」


レオン「罠だ」


その瞬間、地面の下から糸が跳ね上がった。


もしグレンが一歩踏み出していれば、足を絡め取られていただろう。


グレンは息を呑む。


グレン「助かった」


レオン「戦気感応に引っかかった。殺気が薄すぎる。生き物というより、仕掛けだ」


セシリア「誘い餌ですね」


バルド「蜘蛛のくせに頭使いやがる」


レオン「糸を焼けるか?」


セシリア「森に燃え移らない範囲なら」


セシリアは小さな火の魔道具を取り出し、細く炎を出した。


白い糸がじゅう、と音を立てて縮む。


レオンとグレンは慎重に進み、繭を切り開いた。


中には、行方不明になっていた兵士二人がいた。


顔色は悪い。

だが、息はある。


グレン「生きている!」


セシリア「糸に魔力を吸われて衰弱しています。すぐ戻した方がいいです」


レオン「バルド」


バルド「任せろ」


バルドは兵士の一人を担ぎ上げた。

グレンがもう一人を支える。


その時、森の奥から低い音が響いた。


ぎちり。


ぎちり。


木々が軋む。


地面がわずかに震える。


セシリア「……大型反応」


バルド「まだいるのかよ」


森の奥の白い巣が、ゆっくり揺れた。


そこから現れたのは、先ほどの蜘蛛とは比べ物にならないほど巨大な怪物だった。


馬車ほどの胴体。

太い八本の脚。

黒い甲殻。

背中には紫色の魔紋が幾重にも浮かび、目のような赤い光がいくつも並んでいる。


さらに、その周囲の空気が重かった。


ただ立っているだけで、胸を押し潰されるような圧。


グレン「これが、報告にあった覇圧……!」


セシリア「魔物が覇圧領域に近いものを放っています!」


バルド「第6段階相当ってわけか」


大蜘蛛の魔力が森に広がる。


グレンの肩が重く沈む。

セシリアの呼吸がわずかに乱れる。

兵士二人は気を失ったまま震えた。


レオンは一歩前へ出た。


レオン「下がれ」


グレン「レオン」


レオン「ここからは俺が受ける」


大蜘蛛の圧がさらに強まる。


だが、レオンの足は止まらない。


彼の体から、灰色のオーラが静かに広がった。


第6段階、覇圧領域はあつりょういき


本来なら敵を威圧し、格下の戦意を折る力。


レオンの覇圧は荒々しくない。


静かだった。


だが、深い。


まるで巨大な山が目の前に現れたように、空気そのものが重さを変える。


大蜘蛛の放つ圧が、押し返された。


セシリア「……魔物の覇圧が、消されていく」


バルド「そりゃそうだ」


バルドは苦笑した。


バルド「こいつは第9段階、王威覚醒だぞ。格が違う」


レオンは剣を構えた。


レオン「兵士を連れて下がれ」


グレン「お前一人でやる気か?」


レオン「足止めだ」


バルド「嘘つけ。倒す気だろ」


レオン「必要ならな」


大蜘蛛が口を開いた。


大量の糸が放たれる。


レオンは前に出た。


剣を振る。


第4段階、裂空闘気。


灰色の斬撃波が糸をまとめて切り裂く。


だが、裂かれた糸が霧のように広がり、レオンの周囲に絡みつく。


レオン「学習しているな」


セシリア「糸が細分化しています! 近づくほど絡まれます!」


レオン「なら、近づく」


セシリア「そういう意味ではありません!」


レオンは走った。


一本、二本、三本。


糸が刃に絡む。

魔力を吸われる。

腕が重くなる。


それでも止まらない。


レオンは木を蹴り、空中へ跳んだ。


大蜘蛛の脚が槍のように突き出される。


レオンは体をひねってかわし、その脚の関節を斬る。


硬い。


刃が浅く入るだけだった。


レオン「硬いな」


大蜘蛛が体を回し、別の脚でなぎ払う。


レオンは剣で受けた。


衝撃で体が後ろへ飛ぶ。


地面を転がり、すぐに立ち上がる。


バルド「レオン!」


レオン「兵士を下げろ!」


セシリア「兵士を森の外へ!」


グレン「くっ……分かった!」


グレンとバルドは兵士を抱え、後退を始めた。


大蜘蛛はそれを狙って糸を吐こうとする。


レオンは地面を蹴り、真正面から突っ込んだ。


レオン「よそ見するな」


彼は剣を大蜘蛛の口元に叩き込んだ。


糸の発射が逸れ、木々を白く覆う。


大蜘蛛が怒ったように鳴いた。


耳障りな音が森に響く。


セシリア「マスター、背中の魔紋です! 中心部を壊せば弱体化します!」


レオン「分かった」


だが、背中に回るには脚が邪魔だった。


八本の脚が、まるで独立した槍のように襲ってくる。


一本目をかわす。

二本目を弾く。

三本目を斬る。

四本目が横から迫る。


レオンは低く沈み込み、脚の下をくぐった。


だが、その瞬間、地面に張られていた糸が足に絡みつく。


レオン「しまった」


大蜘蛛が牙を向ける。


セシリア「マスター!」


セシリアが封印札を投げた。


札は大蜘蛛の顔に貼りつき、わずかに動きを鈍らせる。


その一瞬で十分だった。


レオンは足に絡んだ糸を剣で切り、横へ跳ぶ。


牙が地面を砕いた。


レオン「助かった」


セシリア「油断しないでください!」


レオン「ああ」


レオンは息を整える。


強い。


ただ大きいだけではない。

糸で場を支配し、脚で距離を潰し、魔力で体を硬化している。


普通の冒険者なら、近づく前に終わる。


――だが、倒せない相手じゃない。


その時、兵士をグレンに預けたバルドが戻ってきた。


バルド「一人で格好つけるなよ」


レオン「下がれと言った」


バルド「聞こえなかった」


セシリア「絶対に聞こえていました」


バルドは大斧を構える。


赤銅色のオーラが、彼の全身から噴き上がった。


第7段階、鬼神解放きじんかいほう


肉体の限界を一時的に超える力。


バルドの筋肉が膨れ、足元の地面がひび割れる。


バルド「長くは持たねぇ。合わせろ」


レオン「ああ」


バルド「脚を止める。お前が背中を斬れ」


レオン「分かった」


セシリア「バルドさん、使用後の反動が大きいはずです!」


バルド「説教は帰ってから聞く!」


大蜘蛛が脚を振り下ろす。


バルドは真正面から受けた。


大斧の柄と蜘蛛の脚がぶつかる。


衝撃で空気が爆ぜた。


バルド「おおおおおっ!」


鬼神解放で強化された力が、大蜘蛛の脚を押し返す。


そして、関節へ大斧を叩き込んだ。


ばきん、と硬い音。


脚の一本が折れた。


大蜘蛛が大きく体勢を崩す。


レオンはその隙を逃さない。


彼の足元から、灰色のオーラが広がる。


第9段階、王威覚醒おういかくせい


恐怖、幻術、精神攻撃を退け、格下の攻撃を無意識に受け流す境地。


レオンの動きが変わった。


蜘蛛の脚が迫る前に、すでにそこにはいない。

糸が吐かれる前に、軌道から外れている。

まるで未来を読んでいるように、攻撃の隙間だけを歩く。


セシリア「……これが王威覚醒」


グレン「攻撃が当たらない」


レオンは大蜘蛛の側面へ回り込む。


大蜘蛛が焦ったように糸を吐く。


しかし、レオンの剣が揺れた。


第4段階、裂空闘気。


斬撃波が糸をまとめて払い、さらに背中の魔紋へ向かって飛ぶ。


紫の魔紋に亀裂が入った。


大蜘蛛が悲鳴を上げる。


バルド「今だ!」


レオンは折れた脚を踏み台にして跳び上がった。


狙いは背中。


紫色に光る魔紋の中心。


大蜘蛛が体を震わせ、背中から無数の糸を噴き上げた。


レオンの視界が白く染まる。


顔に糸がかかった。


森が静かになった気がした。


セシリア「あ」


バルド「あー……」


グレン「これは怒るな」


レオンの声が、低く落ちた。


レオン「顔に、かかったな」


大蜘蛛には、その意味は分からない。


だが、セシリアたちには分かった。


レオンが本気で嫌がっている。


レオンは糸を振り払い、空中で剣を構え直した。


刃に灰色のオーラが集まる。


刃気纏装。

裂空闘気。

覇圧領域。


それらが重なり、王威覚醒の静かな圧へ変わっていく。


レオン「灰断」


一閃。


剣が魔紋の中心を斬り裂いた。


紫の光が砕ける。


大蜘蛛の体から魔力が抜け、硬化していた甲殻に亀裂が走った。


レオンは着地と同時に踏み込み、もう一撃を叩き込む。


大蜘蛛の巨体が大きく揺れた。


それでも、まだ倒れない。


バルド「しぶてぇな!」


グレン「レオン、右脚が来る!」


レオンは振り返らない。


迫る脚を、背中越しに剣で弾く。


王威覚醒。


格下の攻撃を、無意識に受け流す境地。


大蜘蛛の脚は、レオンの体に届く前に軌道を変えられていた。


そして、最後に大蜘蛛の頭部へ向かって一直線に踏み込んだ。


レオン「終わりだ」


灰色の剣閃が走る。


大蜘蛛は大きく震え、やがて地面に崩れ落ちた。


森の奥に、重い音が響く。


静寂。


今度こそ、本当の静けさだった。


レオンは剣を下ろした。


肩で息をしている。

腕には糸の跡が残り、外套は汚れ、髪にも蜘蛛の糸がついていた。


バルドはその場に膝をついた。


鬼神解放の反動だった。


バルド「……くっそ、やっぱ第7はきついな」


セシリアがすぐに駆け寄る。


セシリア「バルドさん!」


バルド「死んでねぇよ。ちょっと全身が文句言ってるだけだ」


グレン「兵士二人は無事だ。森の外まで運ぶ」


レオン「ああ」


セシリア「魔力異常は?」


セシリアは魔道具を確認する。


セシリア「大蜘蛛が中心だったようです。魔力濃度が下がっています」


グレン「つまり、これで終わりか?」


レオン「森全体は分からない。だが、外縁の異常は収まるはずだ」


バルド「で、レオン」


レオン「なんだ」


バルド「顔、すげぇことになってるぞ」


レオン「言うな」


グレン「蜘蛛の糸まみれだな」


レオン「言うな」


セシリア「王への報告が先です」


レオン「その前に、蜘蛛の糸を落としたい」


セシリア「報告が先です」


レオン「顔にかかった」


セシリア「報告が先です」


レオン「……分かった」


バルド「武王クラス、蜘蛛の巣に敗北」


レオン「バルド」


バルド「冗談だ」


レオン「次はお前を森に置いていく」


バルド「悪かった」


四人は救助した兵士を連れて、禁忌の森を出た。


森の外に出ると、空は夕方に染まり始めていた。


王都の方角には、薄い煙が上がっている。

夕飯の支度の煙だ。


レオンはそれを見て、少しだけ目を細めた。


――間に合うか。


孤児院の夕飯には遅れるかもしれない。


トトにはまた文句を言われるだろう。

マーサ先生には、まず風呂に入れと言われるかもしれない。

エルには、蜘蛛の糸だらけの姿を見せたら怖がられるかもしれない。


レオン「……先に着替えるか」


セシリア「報告が先です」


レオン「そうだったな」


グレン「王も驚くだろうな。禁忌の森の大蜘蛛を討伐して、第一声が蜘蛛の巣を落としたいとは」


バルド「英雄らしくねぇな」


レオン「英雄じゃない」


レオンはそう言って、王都へ向かって歩き出した。


剣を振るい、魔物を倒し、兵士を救った。

第9段階、王威覚醒の力まで使った。


それでも彼が一番気にしていたのは、孤児院の夕飯と、顔についた蜘蛛の糸だった。


王都の空に、夕暮れの鐘が鳴る。


禁忌の森の戦いは終わった。


だが、レオン・ガルディアの一日は、まだ終わらない。


なぜなら、ひだまり孤児院ではきっと、トトがこう言って待っているからだ。


トト「レオン兄ちゃん、文字の練習から逃げたでしょ!」


その光景を想像して、レオンはほんの少しだけ笑った。



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