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第十一話 悪徳商人との面談

朝。


ひだまり孤児院の食堂には、いつものスープの匂いがあった。


ガルは朝の正拳突き五百回を終え、手を洗って席についている。


トトは十回の呼吸宿題を終えたあと、座って話を聞く十分の宿題に挑戦していた。


今日は七分で足が動いた。


昨日よりは、少し伸びた。


トト「微増?」


ガル「微増」


ユアン「でも成長」


ミリ「びぞう」


リリィ「猫は座れる」


猫「……」


猫は窓際で丸くなっている。


たしかに座っている。


だが、話は聞いていない。


マーサ「猫と比べるんじゃないよ」


トト「はい」


レオンは朝食を食べながら、少しだけ嫌そうな顔をしていた。


トトはすぐ気づいた。


「レオン兄ちゃん、今日怖い授業?」


レオン「違う」


ガル「王城?」


「違う」


ユアン「学院?」


「違う」


ミリ「すーぷ?」


「違う」


リリィ「猫?」


猫「……」


レオン「ギルドだ」


その一言で、セシリアが静かに微笑んだ。


「本日はギルドマスターとしての通常業務日です」


トト「通常業務?」


ガル「書類だな」


ユアン「会議もありそう」


マーサ「逃げるんじゃないよ」


レオン「逃げません」


リュシア「今、少し逃げる顔だったわよ」


フィリア「体調は問題ありません。書類から逃げる理由にはなりません」


レオン「……」


トト「ギルドの仕事って、魔物を倒すだけじゃないの?」


レオン「違う」


セシリア「依頼の確認、報酬の管理、冒険者の等級審査、苦情処理、危険区域の調査依頼、商会との取引確認、素材の流通調整、王城への報告などがあります」


トト「多い!」


ガル「聞くだけで疲れる」


ユアン「むしろ、魔物を倒す方が簡単そうですね」


レオン「簡単だ」


マーサ「書類も倒しな」


レオン「……はい」


朝食後。


レオンはギルドへ向かった。


今日はトトたちは留守番だ。


王城授業でも学院見学でもない。


普通の仕事の日。


ただし、レオンにとっては、魔族より面倒な敵が待っている日でもあった。


王都冒険者ギルド。


朝から騒がしい。


依頼掲示板の前には、冒険者たちが集まっている。


薬草採取。


護衛。


魔物討伐。


荷運び。


迷子の犬探し。


井戸の清掃。


古い倉庫のネズミ退治。


そして、なぜか。


『ひだまり孤児院の猫を探す依頼』


レオンは掲示板の前で止まった。


「これは何だ」


受付嬢が目を逸らした。


「昨日、猫が三時間ほど姿を消したと聞いた方が、心配して……」


レオン「猫は戻っている」


「了解です、取り下げておきます」


奥の机で、セシリアが書類を抱えて待っていた。


「レオン様。本日の決裁書類です」


どさり。


レオンは山を見た。


「多い」


セシリア「通常量です」


「嘘だ」


「昨日、王城に行かれていた分が少し足されています」


「通常ではない」


セシリア「では、通常より少し多い量です」


レオンは椅子に座った。


逃げない。


今日は逃げない。


マーサに言われたからではない。


いや、少しある。


かなりある。


ギルドの仕事は、剣で片づかない。


太刀でも斬れない。


斬ったら怒られる。


セシリア「まず、東門外の街道補修依頼」


レオン「承認」


「次に、低級冒険者向けの薬草採取区域変更」


「危険区域を外せ」


「承知しました」


「次」


「若手冒険者三名が、依頼報酬の前借りを希望しています」


「理由は」


「装備更新です。ただし、酒場の未払いもあります」


レオン「却下。装備費用はギルド貸与に切り替えろ。酒場の支払いには使わせるな」


セシリア「承知しました」


「次」


「南市場の商人から苦情です。冒険者が納品したワイルドボア肉の解体が雑だったと」


レオン「誰だ」


「新人です」


「料理場へ回せ。バルドに一日預ける」


セシリア「罰ですか?」


レオン「教育だ」


セシリア「承知しました」


受付の奥で、若い冒険者が震えた。


「バルド料理長の解体指導……」


「泣くなよ」


「泣くかもしれない」


ギルドの午前は、そうやって過ぎていった。


書類。


苦情。


依頼。


報告。


また書類。


魔物より数が多い。


昼前。


少しだけ休憩になった。


セシリアが茶を出す。


「お疲れ様です」


レオン「ああ」


「まだ半分です」


レオン「……」


セシリア「逃げないでください」


レオン「立っただけだ」


「扉の方へ」


レオンは座り直した。


その時、受付の方が少し騒がしくなった。


一人の冒険者が、息を切らせて駆け込んできた。


革鎧の若い男。


等級はD。


名前はカイル。


以前、ひだまり孤児院の工事資材運びにも参加したことがある冒険者だった。


カイル「ギルドマスター!」


レオンの目が変わる。


仕事の疲れた目から、すぐに現場の目へ。


「何があった」


カイル「南倉庫街で、妙な荷運びを見ました。子どもみたいな見習いが、重い箱を運ばされてて……」


セシリアの手が止まる。


受付の空気も変わった。


レオン「怪我は」


カイル「一人、足を引きずってました。でも商人が“見習いの仕事だ”って追い払ってきて」


「商会名は」


「ローデン商会です」


セシリアがすぐに記録をめくる。


「ローデン商会。表向きは教材、布、保存食、訓練用具の卸売り商会です。最近、学院周辺の取引を増やしています」


レオン「黒い噂は」


セシリア「過去に、見習いへの過重労働、粗悪品の納入、寄付金名目の不明瞭な取引があります。ただし、証拠不足で処分には至っていません」


カイル「それと、箱に古い印がありました」


レオン「印?」


カイルは紙に簡単な形を描いた。


割れた天秤のような印。


セシリアの表情がわずかに硬くなる。


「これは……摘発されたマルクス商会の下請け印に似ています」


レオン「生き残りか」


「可能性があります」


カイル「それだけじゃありません。ローデン商会の人間が、“ひだまり孤児院と学院の件は、今日ギルドマスターと話がつく”って言ってました」


レオンの周囲の空気が、静かに冷えた。


受付の冒険者たちが、少しだけ姿勢を正す。


セシリアが低い声で言う。


「本日午後、ローデン商会から面談予定が入っています」


レオン「内容は」


「学院関連物資の納入、およびひだまり孤児院への寄付提案、と記載されています」


レオン「……そうか」


カイルは小さく震えた。


「ギルドマスター?」


レオン「よく報告した」


カイル「は、はい」


「南倉庫街の場所を詳しく書け。グレンに送る。ギルドからも調査員を出す」


セシリア「承知しました」


レオンは立ち上がった。


「面談は予定通り行う」


セシリア「よろしいのですか」


「ああ。向こうから来るなら、聞く」


その声は静かだった。


静かすぎた。


受付嬢の一人が小声で言った。


「今日のギルドマスター、殺気訓練の日より怖くない?」


別の受付嬢が答える。


「静かな時の方が怖いです」


午後。


ギルドの応接室。


机を挟んで、レオンが座る。


隣にセシリア。


少し後ろに、ギルドの警備担当が二名。


表向きは通常の商談。


だが、扉の外にはベテラン冒険者が二人待機している。


ローデン商会の会長、バルザ・ローデンは、よく太った男だった。


指には宝石の指輪。


服は高価。


香水の匂いが強い。


笑顔は柔らかい。


だが、目が笑っていない。


バルザ「いやはや、レオン・ガルディア殿。お会いできて光栄です」


レオン「用件を」


バルザは少しだけ笑顔を固めた。


「さすが、お忙しい方だ。では、単刀直入に申し上げましょう。我がローデン商会は、今後の王立アルクレア学院との取引拡大を予定しております」


レオン「そうか」


「そこで、ぜひギルドにもご協力いただきたい」


「何を」


バルザは用意していた書類を出した。


「学院見学に参加された、ひだまり孤児院の皆様。大変評判になっております。孤児院の子どもたちが学院へ関心を持つ。美しい話です」


セシリアの目が細くなる。


レオンは無言。


バルザは続けた。


「そこで、当商会が教材、衣類、訓練用具、保存食を寄付いたします。もちろん、無料で」


レオン「条件は」


バルザ「いえいえ、条件など。ただ、寄付の事実を商会の広告に使わせていただければ」


「却下」


早かった。


バルザの笑顔が一瞬止まった。


「まだ最後まで」


「却下だ」


「レオン殿。これは孤児院にとっても利益があります。学院との縁も強まる。子どもたちに良い服、良い教材、良い食事を」


レオン「子どもを看板にするな」


応接室の空気が一段冷えた。


バルザは笑顔を保つ。


「看板とは、人聞きが悪い。善意の寄付です」


セシリア「書類には、寄付先の子どもたちの肖像使用許可、学院見学時の同行記録使用、推薦候補者名の一部開示が含まれています」


バルザ「それは広報上、必要な範囲で」


レオン「不要だ」


バルザの指が、机の上で軽く動いた。


「では、別の形にしましょう。ひだまり孤児院の子どもたちに、当商会で簡単な職業体験をしていただく。荷の整理、布の分類、帳簿の写し。もちろん、将来のためです」


セシリア「無償労働ですね」


バルザ「教育です」


レオン「足を引きずるまで箱を運ばせる教育か」


バルザの笑顔が消えた。


「何のことでしょう」


レオン「南倉庫街」


バルザ「見習いの話ですかな。商会の見習いは、働きながら学ぶものです」


レオン「怪我をした子どもを働かせるのか」


「子どもではありません。見習いです」


レオンの目が、静かにバルザを見た。


「子どもだ」


バルザは少しだけ身を引いた。


だが、すぐに笑顔を戻す。


「ギルドマスター殿は、孤児院に関わると感情的になると聞いていましたが」


セシリアの手が止まる。


警備担当の冒険者が一歩動きかけた。


レオンは動かなかった。


「続けろ」


バルザ「商売には現実があります。子どもたちにも、早く現実を教えた方がいい。働くとは痛みを伴うものです」


レオン「痛みで学ぶことはある」


バルザ「ならば」


「だが、食い物にされる痛みは別だ」


バルザの顔が歪む。


レオンは淡々と続ける。


「訓練の痛みは、帰るためにある。お前の痛みは、儲けるために他人へ押しつけているだけだ」


応接室が静まり返った。


バルザの額に汗が浮かぶ。


「証拠もなく、そのようなことを」


セシリア「証拠はこれから確認します」


バルザ「不当な調査ですな」


レオン「ギルドには、冒険者見習いおよび労働契約に関する通報調査権がある」


セシリア「王都条例第十七条にも該当します。特に未成年者の危険作業については、王城への報告義務があります」


バルザ「……」


レオン「グレンへ報告は出した。騎士団も動く」


バルザの顔色が変わった。


「騎士団まで?」


レオン「お前が来る前にな」


バルザは唇を噛んだ。


笑顔はもうない。


「レオン・ガルディア殿。あまり商会を敵に回さない方がいい。王都の流通は、剣では動きませんぞ」


レオン「知っている」


「ならば」


「だから、書類で潰す」


セシリアが静かに一枚の紙を出した。


「ローデン商会との新規取引審査を、一時停止します。学院関連物資の納入についても、品質調査終了まで推薦不可。ギルド登録商会としての信用評価も再審査となります」


バルザ「横暴だ!」


レオン「まだ面談中だ」


バルザ「何を」


レオンは少しだけ身を乗り出した。


殺気は出していない。


だが、バルザは椅子の背に押しつけられるように固まった。


「今ここで、見習いの名簿、契約書、作業記録、賃金台帳、医療記録を提出しろ」


バルザ「商会機密です」


「提出しろ」


「拒否する」


レオン「なら、拒否したと記録する」


セシリア「記録しました」


バルザ「待て!」


レオン「遅い」


その時、扉が叩かれた。


ギルド職員が入ってくる。


「ギルドマスター。王城騎士団より報告です。南倉庫街のローデン商会倉庫を確認。未成年見習い五名を保護。うち一名、足首を負傷。粗悪な保存食と、学院納入予定品の偽装表示も発見されました」


バルザの顔から血の気が引いた。


セシリアが静かに書き足す。


「事件化確定ですね」


レオン「そうだな」


バルザは立ち上がろうとした。


警備担当が動く。


だが、それより早く、扉が開いた。


グレンが入ってきた。


後ろには騎士二名。


グレン「バルザ・ローデン。未成年者への危険労働強要、契約偽装、納入品偽装の疑いで同行願う」


バルザ「私は商会長だぞ!」


グレン「ですので、丁重に同行願います」


バルザ「レオン! 貴様、ただで済むと思うな!」


その瞬間。


応接室の空気が止まった。


レオンは立ち上がらない。


声も荒げない。


ただ、目だけが変わった。


「子どもを使うな」


バルザの口が閉じた。


レオン「孤児院を使うな」


バルザは息を呑む。


「学院を使うな」


グレンでさえ、わずかに背筋を伸ばした。


レオン「次に、子どもを盾に商売をしたら」


そこで言葉が止まる。


セシリアが小さく咳払いした。


「レオン様。面談記録に残ります」


レオン「……法に従って処理する」


セシリア「よろしいです」


グレン「連れていけ」


騎士たちがバルザを連れていく。


応接室の扉が閉まる。


しばらく、誰も話さなかった。


セシリアが静かに紙を整える。


「お疲れ様でした」


レオン「疲れた」


「書類は増えます」


「……」


「事件報告書、商会信用停止通知、学院への注意喚起、王城への詳細報告、保護された見習いの一時支援手配」


レオン「魔族の方が楽だ」


グレン「同感しかけましたが、今の発言は危険です」


セシリア「記録しません」


レオン「助かる」


夕方。


ひだまり孤児院へ戻ったレオンは、いつもより疲れていた。


殺気訓練のあとよりも疲れている。


トトは玄関でそれを見て、すぐ聞いた。


「レオン兄ちゃん、今日魔物出た?」


レオン「商人が出た」


トト「商人?」


ガル「悪いやつか」


「ああ」


ユアン「事件ですか」


「事件だ」


マーサが台所から出てきた。


「まず手を洗って、座りな」


レオン「はい」


「顔が書類に負けた人の顔だよ」


レオン「商人にも負けかけました」


マーサ「負けてないだろ」


レオンは席に座った。


フィリアも後から戻り、保護された見習いたちの簡単な報告をした。


「五名とも命に関わる状態ではありません。一名は足首を痛めていますが、治療済みです。栄養状態は少し悪いですが、数日休めば回復します」


トト「子ども?」


フィリア「年は十二から十五です」


ガル「働かされてたのか」


レオン「ああ」


エル「孤児院を使おうとしたんですか?」


レオン「そうだ。寄付の名前で、子どもを広告に使おうとした」


食堂の空気が変わった。


トトの拳がぎゅっと握られる。


ガルの目が細くなる。


ユアンは眉を寄せる。


ミリはよく分かっていないが、怖い話だとは分かった。


リリィは猫を抱きしめる。


猫「……」


マーサの声は静かだった。


「その商人は?」


レオン「グレンが連れていった」


マーサ「ならいい」


その“ならいい”は、とても怖かった。


トト「レオン兄ちゃん、怒った?」


レオン「少し」


ガル「少しじゃないな」


ユアン「絶対に少しではない」


リュシア「レオンの“少し怒った”は、普通の人の“かなり怒った”よ」


セシリア「本日は、殺気を出さずに済みました」


トト「出さなかったんだ」


レオン「ああ」


ガル「えらいのか?」


マーサ「えらいよ。商談の席で殺気を出したら面倒だからね」


レオン「面倒でした」


セシリア「出していなくても、かなり面倒でした」


夕食のスープが並ぶ。


今日のスープは、根菜と鶏肉のスープだった。


温かく、やさしい匂いがする。


ミリ「すーぷ」


レオンは一口飲んだ。


少しだけ、肩の力が抜けた。


トトは壁の三十二番を見た。


怖い時ほど、息をして、助けを呼ぶ。


新しい約束は増やさない。


それはもう決まっている。


だから、トトは紙を持たなかった。


代わりに、今ある約束を見て言った。


「今日も、これ使った?」


レオン「どれだ」


「大事な力は、ひとりで抱えない。助けたい時ほど、自分の命も守る。怖い時ほど、息をして、助けを呼ぶ」


ユアン「三つ使ってますね」


ガル「あと、知らない場所では勝手に離れない、も必要そうだな。倉庫街とか」


エル「分からないまま、たくさんやらない。聞いてからやる、も」


マーサ「ほら、増やさなくても使えるだろう」


トト「ほんとだ」


レオンは壁を見た。


三十二個の約束。


多い。


本当に多い。


だが、今日はそのいくつもが必要だった。


子どもを守るために。


働かされていた見習いを助けるために。


商人を怒りで斬らないために。


法で処理するために。


セシリア「明日は、保護された見習いたちへの支援について相談があります」


レオン「分かった」


マーサ「必要なら、うちでスープくらい出すよ」


レオン「助かります」


トト「その子たち、ひだまりに来る?」


フィリア「一時的に来るかもしれません。ただ、まずは安全な宿舎で休んでもらいます」


ガル「怪我してるなら、動かない方がいい」


ユアン「どこから来たんだろう」


セシリア「調査中です」


エル「怖かったでしょうね」


レオン「ああ」


少し沈黙が落ちた。


けれど、暗く沈みきる前に、ミリがスプーンを持って言った。


「すーぷ、あったかい」


マーサ「そうだね」


それだけで、少し食堂の空気が戻った。


夜。


レオンは食堂で事件報告書を書いていた。


珍しく逃げていない。


セシリアが隣で確認する。


「文章が短すぎます」


レオン「事実は書いた」


「経緯が足りません」


「商人が来た。悪かった。捕まった」


「三行報告は禁止です」


レオン「……」


トトが後ろから覗こうとして、ガルに止められた。


「仕事中だろ」


トト「見学だけ」


ユアン「今日の見学は危険そう」


リリィ「猫なら紙の上に乗る」


猫「……」


猫は乗りたそうだった。


マーサが猫を抱き上げる。


「今日はやめときな。レオンが珍しく逃げてないんだから」


レオン「珍しくはありません」


全員がレオンを見た。


レオン「……少し珍しい」


セシリア「記録します」


レオン「しなくていい」


物置の方から、小さく鈴が鳴った。


ちりん。


昨日から、ときどき鳴る。


孤児院の霊は、今日も話を聞いているのかもしれない。


トトが鈴の方を見て言った。


「悪い商人の話、霊の子も怒ってるかな」


ガル「子どもが怖がる話だからな」


エル「心配してるのかも」


ミリ「すーぷいる?」


リリィ「霊、飲める?」


猫「……」


レオンは少しだけ物置の方を見た。


「必要なら、鳴らせ」


ちりん。


返事のように、鈴が一度だけ鳴った。


マーサは静かに笑った。


「この孤児院、いよいよ普通じゃないね」


レオン「普通です」


全員がレオンを見た。


レオン「……少しだけ普通ではない」


トト「少しじゃない」


ガル「少しじゃないな」


ユアン「グリフォンと霊がいる孤児院は、かなり珍しいです」


ミリ「すーぷある」


リリィ「猫もいる」


猫「……」


レオンは報告書に目を戻した。


ギルドの仕事は、魔物退治だけではない。


剣を振らずに守る日もある。


太刀を抜かずに怒る日もある。


悪徳商人と向き合い、書類で道を作る日もある。


それもまた、帰る道を作る仕事だった。


保護された見習いたちが、明日どこへ帰るのか。


まだ分からない。


だが、少なくとも今日。


彼らはローデン商会の倉庫から出られた。


それだけは、確かだった。


レオンは報告書の最後に、一文を書いた。


『子どもを利用した商取引について、今後ギルドは厳格に監視する』


セシリアがそれを見て、頷いた。


「よろしいです」


レオン「短くないか」


「必要十分です」


マーサがスープのおかわりを置いた。


「はいよ。書類を倒すなら、食べな」


レオン「ありがとうございます」


トトがにやりとする。


「今日はちゃんとおかわり言えた?」


レオン「言う前に来た」


マーサ「顔に出てたよ」


ガル「分かりやすい」


ユアン「昔より成長微増ですね」


レオン「勝手に評価するな」


食堂に笑いが広がった。


外ではアルトが静かに翼を畳んでいる。


窓際では猫が丸くなっている。


物置では、古い鈴が一度だけ鳴った。


ちりん。


ひだまり孤児院の夜は、今日も温かい。


けれど、その外には悪い大人もいる。


子どもを利用する者もいる。


善意のふりをした商売もある。


だから、レオンはギルドへ行く。


書類を読み、面談をし、怒りを抑え、法で潰す。


太刀を抜かない日も、守るための戦いはある。


明日も宿題がある。


明日もスープがある。


そして明日も、誰かが帰る道を探しているなら。


レオンはきっと、面倒くさそうな顔をしながら、その道を作る。


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