↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/71

第十話 レオンの過去


その日、レオンは朝から王城へ行っていた。


王城での授業ではない。


騎士団の殺気訓練でもない。


国王とグレン、それからリュシアたちとの打ち合わせだった。


学院のこと。


アリシア王女の聖力のこと。


ルカ王子の宿題のこと。


そして、最近騎士団内で広がり始めた「レオン殿の殺気訓練は騎士の魂を磨く」という妙な噂についての確認。


レオンは出かける前、ひだまり孤児院の玄関で短く言った。


レオン「昼過ぎには戻る」


マーサ「ちゃんと昼を食べるんだよ」


レオン「王城で食べます」


マーサ「陛下の前でも、食べたふりは通じないよ」


レオン「……はい」


トト「レオン兄ちゃん、殺気訓練する?」


レオン「今日はしない」


トト「よかった」


ガル「騎士団は残念がりそうだな」


ユアン「残念がるかな」


リリィ「猫は残念じゃない」


猫「……」


ミリ「すーぷまで帰る?」


レオン「ああ。帰る」


レオンはそう言って、王城へ向かった。


その背中が門の向こうに消える。


アルトが庭の端で一度だけ低く鳴いた。


ぐるる。


見送ったあと、トトはしばらく門の方を見ていた。


そして、ぽつりと言った。


トト「レオン兄ちゃんって、昔からあんな感じだったのかな」


ガル「どんな感じだよ」


トト「強くて、怖くて、スープ食べて、書類から逃げる感じ」


ユアン「最後は昔からか気になるね」


エル「子どもの頃のレオンさん……」


ミリ「小さいレオン兄ちゃん」


リリィ「猫くらい?」


猫「……」


ガル「猫くらいのレオン兄ちゃんは嫌だな」


トトの目が、きらりと光った。


「マーサ先生!」


マーサは台所で鍋を洗っていた。


「なんだい」


トト「レオン兄ちゃんの昔の話して!」


鍋を拭く手が、ぴたりと止まった。


マーサは振り返る。


「レオンの昔?」


トト「うん!」


ユアン「聞きたいです」


エル「私も、少し……」


ガル「本人が嫌がらないなら」


リリィ「猫も聞く」


猫「……」


ミリ「小さいレオン兄ちゃん」


マーサは少しだけ目を細めた。


怒っているわけではない。


懐かしいものを、遠くから見たような顔だった。


「本人がいたら、絶対に嫌がるだろうね」


トト「じゃあ、今がチャンス!」


ガル「言い方」


ユアン「でも事実」


マーサはため息をついた。


「全部は話さないよ。話していいことだけだ」


トト「やった!」


ガル「やったのか」


マーサ「それと、あの子の親の話はしない。そこは、レオンが自分で話すことだよ」


エル「はい」


ユアン「分かりました」


トトも少しだけ真面目な顔になる。


「分かった」


マーサは手を拭き、食堂の椅子に座った。


子どもたちはすぐに集まる。


トトは前のめり。


ガルは腕を組んでいるが、耳はしっかり向いている。


ユアンは記録用の紙を持とうとして、マーサに見られてそっと置いた。


エルは静かに座る。


ミリは小さな椅子に座り、リリィは猫を抱えた。


猫は逃げなかった。


つまり、少し興味があるらしい。


マーサ「レオンが小さい頃はね」


トト「うん!」


マーサ「今より、もっと無口だった」


食堂が静かになった。


ガル「今より?」


ユアン「今より無口って、会話が成立するんですか」


マーサ「成立しない日もあったよ」


トト「レオン兄ちゃん、今でも短いのに……」


マーサ「昔は、“ああ”と“別に”と“問題ない”で一日を終わらせる子だった」


ガル「今も近いな」


リリィ「成長微増?」


猫「……」


マーサ「でもね、無口なくせに、やることは派手だった」


トトの目が輝く。


「派手?」


マーサは懐かしそうに笑った。


「ある朝、台所の裏にイノシシが置いてあった」


全員が止まった。


トト「……イノシシ?」


マーサ「大きなイノシシ」


ガル「置いてあった?」


ユアン「誰が?」


マーサ「レオンが」


ミリ「いのしし」


リリィ「猫より大きい?」


マーサ「何十倍も大きいね」


猫「……」


猫は少しだけ丸くなった。


マーサは続ける。


「あの子、まだ十にもなってなかったと思うよ。朝、私が裏口を開けたら、血だらけのイノシシがどんと置いてある。で、その横に、レオンが立ってた」


トト「えええ!?」


マーサ「私が“これは何だい”って聞いたら、あの子はこう言ったんだ」


マーサは少し低い声を作った。


「食材」


ガル「言いそう」


ユアン「すごく言いそう」


トト「小さい頃から!?」


マーサ「私はね、まず怒ったよ」


エル「イノシシを狩ったからですか?」


マーサ「それもある。けど、一番は、その子自身が怪我をしていたからだ」


食堂の空気が少しだけ変わる。


マーサ「腕に切り傷。足に擦り傷。服は泥だらけ。顔にも血がついてた。本人は“問題ない”って言うんだよ」


ガル「今と同じだ」


ユアン「完全に同じですね」


トト「変わってない!」


マーサ「私は“問題あるよ!”って怒鳴ったね」


ミリ「マーサ先生強い」


マーサ「当たり前だよ。子どもが一人で森に入って、イノシシを狩って、血だらけで帰ってきたんだ。褒めるわけないだろう」


トト「でも、イノシシ狩れるのすごい……」


マーサ「すごいと危ないは、同時にあるんだよ」


エルは小さく頷いた。


「力と同じですね」


マーサ「そうだね」


マーサは少し遠くを見る。


「レオンは昔から強かった。体も強い。勘もいい。怖いもの知らず。痛くても黙る。できることが多かった」


トト「かっこいい」


マーサ「でもね、できる子ほど危ない」


ガル「調子に乗るから?」


マーサ「それもある。でもレオンの場合は少し違う。あの子は、調子に乗るんじゃなくて、自分を数に入れない」


トト「自分を数に入れない?」


ユアン「自分が怪我をしても、目的が果たせればいいと思う、ということですか」


マーサ「そうだよ」


マーサは静かに頷いた。


「あの子は、イノシシを狩ればみんなが食べられると思った。だから行った。自分が怪我するかどうかは、考えの外だった」


ガル「……」


トト「それ、今もたまにある」


リリィ「かなりある」


猫「……」


マーサ「あるね」


その言葉は、少し重かった。


レオンは今も、誰かのためなら自分を後回しにする。


聖力の話を聞いたばかりだから、子どもたちにも分かる。


レオンは昔から、そういう人だったのだ。


トト「マーサ先生、その時どうしたの?」


マーサ「まず傷を洗った」


ミリ「手洗い」


マーサ「手どころじゃないね。腕も足も顔も洗った。それから薬を塗って、包帯を巻いて、説教した」


ガル「長そう」


マーサ「長かったよ」


ユアン「どれくらいですか?」


マーサ「イノシシを解体する時間より長かった」


トト「こわっ」


マーサ「その間、レオンはずっと座ってた。反省してる顔でね」


ガル「本当に反省してたんですか」


マーサ「半分くらいは」


ユアン「残り半分は?」


マーサ「スープの匂いを気にしてた」


トト「レオン兄ちゃんだ!」


食堂に笑いが広がった。


マーサも笑った。


「結局、そのイノシシはちゃんと料理したよ。肉は固かったけどね」


ミリ「いのししすーぷ?」


マーサ「ああ。イノシシのスープ」


ミリ「食べたい」


レオンがいたら、すぐに調理計画を立てていたかもしれない。


マーサ「そのスープを食べた時、レオンが小さく言ったんだ」


トト「何て?」


マーサ「“次は、怪我を減らす”って」


ガル「やめるじゃなくて?」


マーサ「そう。やめるじゃなくて、怪我を減らす」


ユアン「レオンさんらしい」


エル「止まらないんですね」


マーサ「止まらなかったねぇ」


マーサはまた、少し遠い目をした。


「その次の月には、森で迷子になった子を背負って帰ってきた」


トト「また森!?」


マーサ「あの頃のレオンは、森に住んでるんじゃないかってくらい森にいたからね」


リリィ「野生レオン」


猫「……」


ガル「猫が少し負けた顔をした」


猫「……」


マーサ「迷子の子を背負って、泥だらけで帰ってきた。本人はまた“問題ない”って言ったけど、その日は熱を出した」


エル「無理をしたんですね」


マーサ「ああ。寒い雨の中、ずっと歩いたんだろうね」


トト「その時も怒った?」


マーサ「怒ったよ。でも、先に寝かせた」


マーサの声が少しだけ柔らかくなる。


「子どもを背負って帰ってきた子を、すぐには叱れないからね」


食堂が静かになる。


トトは少しだけ俯いた。


「レオン兄ちゃん、昔から帰る道を作ってたんだね」


マーサ「そうかもしれないね」


ガル「その頃から太刀を持ってたんですか?」


マーサ「いや。まだ持ってないよ。木の棒や短い刃物を持っていたことはあるけど、本格的な剣も太刀も、もっと後だね」


ユアン「じゃあ、昔は拳や罠も使ってたんですか」


マーサ「使ってたね。石も投げた。縄も使った。落とし穴も作った」


トト「落とし穴!?」


マーサ「それで自分も落ちた」


トト「ええ!?」


ガル「そこはトトっぽい」


トト「俺じゃない!」


マーサ「落とし穴から出てきた時も、“問題ない”って言ってたよ」


ユアン「やっぱり同じ」


ミリ「問題ある」


マーサ「そう。問題ある」


食堂にまた笑いが戻る。


マーサの話す幼いレオンは、今のレオンと違っているようで、驚くほど同じだった。


無口。


無茶。


怪我を隠す。


食材を持ってくる。


助けに行く。


問題ないと言う。


そして、マーサに怒られる。


トト「レオン兄ちゃん、子どもの頃からマーサ先生に怒られてたんだ」


マーサ「たくさん怒ったよ」


ガル「今も怒られてる」


マーサ「足りないくらいだね」


リリィ「レオン兄ちゃん、成長微増」


猫「……」


エルは静かに聞いていたが、ふと口を開いた。


「レオンさんは、怖くなかったんですか?」


マーサ「怖かったと思うよ」


エル「でも、怖いって言わなかった?」


マーサ「言わなかったね」


エルは壁を見る。


三十二、怖い時ほど、息をして、助けを呼ぶ。


もう新しい約束は増えない。


でも、その三十二番が、今の話に重なる。


エル「レオンさんにも、必要だったんですね」


マーサ「ああ。たぶん、あの子に一番必要だった」


トト「昔のレオン兄ちゃん、助け呼ばなかったの?」


マーサ「ほとんど呼ばなかった」


ガル「危ないですね」


マーサ「危ないよ」


ユアン「今の僕たちには呼べって言うのに」


マーサ「自分ができなかったことだから、言うんだろうね」


その言葉に、子どもたちは黙った。


レオンが「怖い時ほど助けを呼べ」と言う理由。


「痛いと言え」と言う理由。


「一人で抱えるな」と言う理由。


それは、レオン自身がそれをできなかったからかもしれない。


マーサ「レオンはね、昔から強かった。でも、最初から大人だったわけじゃない」


トト「うん」


マーサ「怪我もした。失敗もした。怒られた。熱も出した。落とし穴にも落ちた」


ガル「最後、やっぱり少し面白いですね」


マーサ「面白かったよ。泥だらけで無表情だったからね」


トト「見たかった!」


ユアン「記録に残ってないんですか」


マーサ「残しておけばよかったね」


セシリアがいれば、きっと悔しがっただろう。


ミリ「小さいレオン兄ちゃん、すーぷ好き?」


マーサ「好きだったよ。今より素直じゃなかったけどね」


リリィ「今も素直じゃない」


猫「……」


マーサ「昔は、スープをおかわりしたい時も言わないんだ。空の器をじっと見てる」


トト「怖い!」


ガル「言えばいいのに」


マーサ「そう言ったら、“必要なら”って言うんだよ」


ユアン「おかわりに必要性を求めている」


マーサ「だから私は勝手によそった」


エル「マーサ先生らしいです」


マーサ「子どもがおかわりを言えないなら、大人が見るしかないからね」


トトはぽつりと言った。


「マーサ先生がいたから、レオン兄ちゃん帰ってこれたんだね」


マーサは少し黙った。


そして、静かに笑った。


「どうだろうね。でも、スープくらいは出せたよ」


その時。


物置の方から、小さく鈴の音がした。


ちりん。


全員が振り返る。


昨日見つかった、孤児院の霊。


古い鈴を鳴らす、小さな白い影。


トト「霊の子も聞いてる?」


リリィ「たぶん」


ミリ「すーぷの話だから」


猫「……」


マーサは物置の方へ向かって言った。


「昔話を聞くなら、静かに聞きな」


ちりん。


返事のように、もう一度だけ鳴った。


トト「かわいい」


ガル「夜じゃないと怖くないな」


ユアン「昼の鈴は少し安心する」


エル「うん」


マーサはもう一つだけ、昔話をした。


「レオンが初めてまともに“ただいま”って言った日の話だ」


トト「初めて?」


マーサ「あの子はね、帰ってきても黙って入ってくる子だった。足音もしない。気づいたら台所の入口にいる」


ガル「怖い」


マーサ「怖いよ。何度も鍋を落としかけた」


ユアン「気配を消すのが昔から上手かったんですね」


マーサ「上手いというか、変な子だったんだよ」


マーサは懐かしそうに笑う。


「ある日、私は言ったんだ。“帰ってきたなら、ただいまくらい言いな”って」


トト「言いそう」


マーサ「レオンは少し考えて、“必要か”って聞いた」


ガル「おかわりと同じだ」


マーサ「私は“必要だよ。こっちは心配するんだから”って言った」


エル「それで?」


マーサ「次の日、あの子は玄関で止まって、小さな声で言った」


マーサは少しだけ声を落とした。


「ただいまって」


食堂が静かになる。


その言葉は、今のひだまりでは当たり前だ。


でも、昔のレオンにとっては、きっと簡単ではなかった。


マーサ「私は“おかえり”って言った。それだけだよ」


トト「それだけ?」


マーサ「それだけ。でも、それからレオンは帰ってきた時、少しずつ言うようになった」


ガル「今も言うな」


ユアン「必ずではないけど、言いますね」


ミリ「ただいま」


リリィ「おかえり」


猫「……」


マーサ「だから、レオンにとって“帰る”っていうのは、最初から簡単な言葉じゃなかったのかもしれないね」


誰もすぐには話さなかった。


レオンがよく言う。


帰れ。


戻れ。


帰る道を作る。


どこへ帰る。


それは、ただの決まり文句ではない。


小さな頃から、何度も失敗して、怪我をして、黙って、叱られて、スープを飲んで、やっと覚えた言葉なのだ。


その時。


玄関の外で足音がした。


全員がぴくっとする。


トトが立ち上がりかけて、止まった。


ガルも顔を上げる。


ユアンは合言葉を思い出す。


すると、外から低い声がした。


レオン「どこへ帰る?」


トトはぱっと顔を上げた。


「ひだまりへ帰る!」


玄関が開く。


レオンが戻ってきた。


少し疲れた顔をしている。


だが、昼食はちゃんと食べたのか、倒れそうではない。


マーサが立ち上がる。


「おかえり」


レオン「ああ。ただいま」


その言葉を聞いた瞬間、子どもたちは一斉にレオンを見た。


レオン「……なんだ」


トト「ただいま言った」


レオン「言うだろう」


ガル「昔は言わなかったらしいな」


レオンの動きが止まった。


ユアン「イノシシ」


レオンの眉が動く。


ミリ「いのししすーぷ」


リリィ「落とし穴」


猫「……」


レオンはゆっくりマーサを見た。


「マーサさん」


マーサ「話していいところだけ話したよ」


レオン「どこまでですか」


トト「イノシシを食材って言ったところ!」


ガル「落とし穴に自分で落ちたところ」


ユアン「空の器を見つめておかわりを待っていたところ」


ミリ「すーぷ」


リリィ「ただいま」


猫「……」


レオンはしばらく黙った。


そして、静かに言った。


「王城に戻る」


マーサ「逃げない」


レオン「……はい」


トトは笑いをこらえきれなかった。


ガルも少し口元を緩めた。


ユアンは記録したそうな顔をしている。


エルは優しく笑っている。


ミリは「いのししすーぷ」と呟き、リリィは猫に「小さいレオン兄ちゃん」と囁いた。


猫はレオンを見て、ゆっくり瞬きをした。


レオン「……」


マーサ「ちょうど昼のスープがあるよ。食べるだろ?」


レオン「……必要なら」


マーサの目が細くなる。


レオンはすぐに言い直した。


「食べます」


マーサ「よろしい」


食堂に笑いが広がった。


レオンは椅子に座る。


マーサがスープをよそう。


トトが前のめりになる。


「レオン兄ちゃん、イノシシってどうやって狩ったの?」


レオン「話さない」


ガル「罠ですか?」


レオン「話さない」


ユアン「落とし穴は自作ですか?」


レオン「話さない」


ミリ「いのししすーぷ、作れる?」


レオン「……作れる」


マーサ「そこは答えるんだね」


リリィ「猫も食べる?」


猫「……」


レオン「猫は薄味なら少し」


マーサ「作る気だね」


レオンは黙ってスープを飲んだ。


耳まで少し赤い。


トトはそれを見て、にやにやしている。


ガルも珍しく楽しそうだった。


エルは、今のレオンと幼いレオンを重ねて見ていた。


無口で。


不器用で。


無茶をして。


でも、誰かのために動いてしまう人。


今のレオン兄ちゃんは、最初から今のレオン兄ちゃんだったわけじゃない。


小さなレオンがいて。


怪我をしたレオンがいて。


怒られたレオンがいて。


スープを待つレオンがいて。


ただいまを覚えたレオンがいて。


その全部が積み重なって、今ここにいる。


トトは壁の三十二番を見た。


怖い時ほど、息をして、助けを呼ぶ。


今日は新しい約束は増やさない。


増やさないと決めた。


でも、約束の意味は増えていく。


レオンにも、昔それが必要だった。


だから今、トトたちに教えている。


トト「レオン兄ちゃん」


レオン「なんだ」


「今は、助け呼べる?」


レオンの手が止まった。


マーサもレオンを見る。


ガルも。


ユアンも。


エルも。


ミリも。


リリィも。


猫も。


少しの沈黙。


それから、レオンは短く答えた。


「努力している」


トト「そっか」


ガル「入口だな」


ユアン「みんな入口ですね」


エル「でも、入口に立てるのは大事です」


ミリ「入口すーぷ」


リリィ「猫は入口にいる」


猫「……」


レオン「勝手に段階を作るな」


食堂に、また笑いが戻った。


その日の夕方。


ひだまり孤児院の庭には、いつもの音が響いた。


ガルの正拳突き。


トトの呼吸。


ミリの声。


リリィと猫。


ユアンの記録。


エルの静かな魔力制御。


マーサのスープの匂い。


そして、レオンの短い指導の声。


昔の話を聞いたからといって、何かが急に変わるわけではない。


でも、子どもたちは少しだけ知った。


レオン兄ちゃんにも、子どもの頃があった。


失敗があった。


やんちゃがあった。


怒られた日があった。


帰ることを覚えた日があった。


夜。


物置の方から、小さな鈴が鳴った。


ちりん。


トト「霊の子も、昔話気に入ったかな」


ユアン「たぶん」


ガル「イノシシのところだろ」


ミリ「すーぷ」


リリィ「猫は落とし穴」


猫「……」


レオンは少しだけ物置の方を見た。


そして、小さく息を吐く。


「話しすぎだ」


マーサ「まだまだあるよ」


レオン「やめてください」


マーサ「今度は、レオンが初めて料理を焦がした話でもするかね」


トト「聞きたい!」


レオン「マーサさん」


マーサは楽しそうに笑った。


その笑い声の下で、ひだまり孤児院の夜はゆっくり深くなる。


新しい約束は増えない。


でも、昔話は増える。


思い出も増える。


帰る場所の意味も、少しずつ増えていく。


レオンはスープの器を見た。


空になっている。


マーサがそれに気づく。


「おかわりいるかい?」


レオンは少しだけ黙った。


昔なら、空の器を見つめていただけだった。


でも今は。


レオン「お願いします」


マーサは満足そうに頷いた。


「はいよ」


トトが小さく笑った。


ガルも。


ユアンも。


エルも。


ミリも。


リリィも。


猫も、たぶん。


小さなレオンは、少しずつ言葉を覚えた。


今のレオンも、まだ少しずつ覚えている。


助けを呼ぶこと。


無理を言うこと。


おかわりを頼むこと。


ただいまと言うこと。


それもまた、帰るための修行だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。