第五話 聖なる力の事
翌日。
王城の会議室には、いつもより重い空気があった。
机の上には、学院からの招待状。
アリシア王女の魔力測定記録。
昨日、聖力によって回復した小鳥の観察報告。
そして、レオンの聖力に関する聞き取り用の白紙。
白紙だけが、一番怖い顔をしていた。
レオンは椅子に座っている。
向かいには国王エルドラン。
隣にアリシアとルカ。
少し離れて、グレン、リュシア、フィリア。
そして、マーサが腕を組んで座っていた。
レオンにとって、一番強い席配置だった。
国王「では、始めよう」
リュシア「まず確認。昨日、アリシア王女が発現させた力は、魔力ではなく聖力。これは間違いないわね?」
レオン「ああ」
フィリア「治癒魔法の術式反応はありませんでした。魔力消費もごく微量。ですが、対象の小鳥は、翼の損傷と衰弱が一気に回復しています」
グレン「魔法では説明できない、と」
フィリア「はい」
アリシアは自分の手を見つめた。
昨日の温かさは、もう残っていない。
けれど、あの感覚は忘れられなかった。
何かを治した。
助けた。
でも、自分が何を使ったのか分からない。
それが、怖かった。
ルカ「姉上、大丈夫ですか?」
アリシア「ええ。怖いけれど、聞かなければいけないことだから」
レオンは静かに頷いた。
国王「では、レオン。聖力とは何だ」
レオンは少しだけ沈黙した。
その沈黙を、マーサが見逃さない。
マーサ「言葉を選ぶのはいいけど、隠すんじゃないよ」
レオン「分かっています」
レオンは息を吐き、話し始めた。
「聖力は、回復の力です。ただし、魔法の回復とは違います」
フィリアが頷く。
「治癒魔法は、魔力で肉体の自然治癒を促進します。骨をつなぐ、傷口を塞ぐ、血を止める。そういった働きです」
レオン「聖力は、もっと深い。肉体だけではなく、生命そのものへ触れる」
アリシア「生命そのもの……」
「傷、毒、呪い、魔力汚染、生命力の欠損。そういったものを、本来あるべき形へ戻そうとする力です」
リュシア「だから、回復力が桁違いなのね」
レオン「ああ」
フィリア「メリットを整理すると、通常の治癒魔法では難しい重傷、呪い、毒、生命力の低下にも対応できる可能性がある。しかも発動が成功すれば、回復速度も非常に速い」
グレン「戦場では、奇跡に等しい力ですね」
レオン「だから危険だ」
ルカ「危険……」
レオンはルカを見た。
「強すぎる回復は、人を集める」
国王の目が細くなる。
レオン「怪我人、病人、呪われた者、死にかけた者。救いを求める者が集まる。権力者も、軍も、敵も、その力を欲しがる」
リュシア「聖女が歴史上、何度も政治や戦争に巻き込まれた理由ね」
マーサの表情が少しだけ険しくなる。
レオンは続けた。
「そして、最大のデメリットは、自分の生命力を使うことです」
会議室が静まり返った。
アリシアの顔から血の気が引く。
ルカが椅子から立ち上がりかけた。
「生命力!?」
グレン「つまり、使えば使うほど……」
フィリア「使用者自身の命を削る、ということですか」
レオン「ああ」
リュシア「魔力消費が少ない理由は、それね。魔力ではなく、生命力を対価にしている」
国王は低い声で言った。
「それを、昨日アリシアは使ったのか」
レオン「ごく小さな発現です。小鳥一羽。今すぐ命に関わるほどではありません」
フィリア「ですが、無自覚に発動したのは危険です。感情に引っ張られて大きく使えば、本人の生命力が削られる」
アリシアは両手を握った。
「私が助けたいと思ったら、それだけで使ってしまうかもしれない……」
レオン「ああ」
ルカ「そんなの、危ないです! 姉上に使わせるべきではありません!」
アリシア「ルカ」
ルカは苦しそうに言った。
「だって、誰かを助けるたびに姉上の命が削られるなんて……!」
その言葉に、レオンは少しだけ目を伏せた。
国王も、拳を強く握っている。
マーサが静かに言った。
「だから、止まる練習が必要なんだね」
レオン「ああ」
マーサ「助けたいから使うんじゃない。使っていいか、まず見る」
レオン「そうです」
フィリア「回復対象の状態、使用者の体調、必要な聖力量、代替手段の有無。全てを確認してから判断しなければなりません」
リュシア「治癒魔法で足りるなら治癒魔法。薬で足りるなら薬。休めば治るなら休ませる。聖力は最後の手段ね」
レオン「そうだ」
アリシアはゆっくり頷いた。
「私は、簡単に使ってはいけないのですね」
レオン「ああ」
「でも、使い方を覚えなければ、いざという時に止められない」
レオン「その通りです」
アリシアは顔を上げた。
怖さはある。
けれど、逃げてはいない。
「教えてください。使う方法だけではなく、使わない方法も」
レオンは少しだけ目を細めた。
「分かりました」
ルカはまだ納得できない顔をしている。
「レオン殿。聖女は……なぜ今いないのですか」
その質問で、部屋の空気が変わった。
マーサが目を伏せる。
レオンはしばらく黙った。
そして、静かに答えた。
「死んだからだ」
アリシアが息を呑む。
ルカ「死んだ……」
レオン「最後の聖女は、人を回復しすぎた」
国王「……」
レオン「戦場だった。怪我人が多すぎた。毒に侵された者も、呪われた者も、死にかけた者もいた」
フィリアの手が膝の上で強く握られる。
「聖女は、止まらなかった」
レオンの声は、淡々としている。
けれど、そこには深い痛みがあった。
「一人治せば、次の一人が来る。次を治せば、また次が来る。助けを求める声が途切れなかった」
マーサ「……」
「聖女は、最後まで回復を続けた。自分の生命力を削って、削って、削って……そして死んだ」
誰もすぐには言葉を出せなかった。
アリシアは唇を震わせた。
「それが、聖女不在の理由……」
レオン「ああ」
ルカ「そんな……」
リュシア「聖女は、殺されたと言ってもいいわね」
グレン「敵に、ですか」
リュシア「敵だけではないわ。助けを求める者、止めなかった者、止められなかった状況。その全部が、聖女を殺した」
国王は重く息を吐いた。
「それは、王として聞き流せぬ話だ」
マーサはレオンを見た。
「レオン」
レオン「はい」
マーサ「言いな」
レオンは少しだけ目を伏せた。
マーサは知っている。
レオンの母が誰だったのかを。
ただ、レオンが聖力を使えることまでは知らなかった。
けれど、母のことは知っていた。
レオンは静かに言った。
「最後の聖女は、俺の母です」
アリシアが目を見開いた。
ルカも言葉を失う。
国王は深く目を閉じた。
グレンは姿勢を正す。
フィリアは小さく息を呑んだ。
リュシアは、珍しく何も言わなかった。
マーサだけが、静かにレオンを見ていた。
マーサ「レオンの母親が聖女だったことは、私は知っていたよ」
トトたちはここにはいない。
子どもたちにはまだ聞かせない話として、今日は王城で話すことになっていた。
マーサ「でも、あんたが聖力を使えることは知らなかった」
レオン「言えませんでした」
マーサ「なぜ」
レオンは少しだけ考える。
「母と同じものだと、認めたくなかった」
その答えに、マーサは何も言わなかった。
レオン「聖力は、母を殺した力でもある」
フィリア「力そのものが殺したのではありません」
レオン「分かっている」
「でも、そう感じていたのですね」
レオンは黙って頷いた。
アリシアは胸に手を当てた。
「レオン様は、その力を受け継いだのですか」
レオン「ああ。母から」
ルカ「では、レオン殿も使いすぎたら……」
レオン「死ぬ」
ルカの顔が青くなる。
レオンは淡々と言った。
「だから使わない。必要な時以外は」
マーサ「必要な時かどうか、一人で決めるんじゃないよ」
レオン「……はい」
リュシア「あなた、それが一番怪しいのよ」
フィリア「今後は、聖力使用に関する判断基準を作ります」
グレン「王城としても管理が必要です。アリシア殿下のためにも、レオン殿のためにも」
国王「そうだな」
国王はレオンを見る。
「レオン。父親のことは」
その瞬間、レオンの目がわずかに変わった。
空気が、少しだけ冷える。
だが、怒りではない。
扉を閉じるような静けさだった。
レオン「ここでは話しません」
国王は数秒、レオンを見た。
そして頷いた。
「分かった。今は聞かぬ」
マーサも、それ以上は何も言わなかった。
レオンが知っていることは分かる。
だが、話す時ではない。
それだけは、全員が感じ取った。
フィリアは話を戻すように、紙へ書き込み始めた。
「聖力の利点と危険性を整理します」
リュシア「まず利点」
フィリア「一つ、魔法の回復を超える高位回復。二つ、毒や呪い、魔力汚染への浄化。三つ、生命力低下への干渉。四つ、瀕死状態からの回復可能性」
グレン「戦場では、戦局を変える力です」
リュシア「だからこそ、絶対に広めてはいけないわ」
国王「学院の適性測定で知られる可能性は?」
リュシア「あるわ。特に神聖系測定を受ければ、反応が出るかもしれない」
レオン「アリシア王女は学院測定で聖力を出させない方がいい」
アリシア「でも、隠せるのでしょうか」
レオン「訓練する。魔力と聖力を分ける。測定時は魔力のみを流す」
リュシア「私も補助するわ」
フィリア「体調確認もします」
国王「学院には、魔力測定のみを行うよう通達する。神聖系測定は延期だ」
グレン「承知しました」
アリシアは静かに頷いた。
「私は、聖力を隠すのですか」
レオン「守るためです」
アリシア「誰を」
「あなたを。あなたの周りの人を。そして、助けを求めて集まってくる人たちを」
アリシアはその意味を理解した。
聖力を公にすれば、人は集まる。
救ってほしい人。
利用したい人。
奪いたい人。
その全部が。
ルカ「姉上を、そんな目に遭わせません」
レオン「そのためにも、お前は宿題をしろ」
ルカ「はい!」
国王が少しだけ苦笑する。
「そこへ戻るのか」
レオン「基礎は裏切りません」
マーサ「本当に、あんたの話は最後に靴ひもと宿題に戻るね」
レオン「大事です」
マーサ「否定はしないよ」
その日の夕方。
ひだまり孤児院では、王城で決まったことが子どもたちにも分かる言葉で説明された。
ただし、全部ではない。
レオンの母の詳しい最期。
父親のこと。
聖力を狙う者たちのこと。
それらは伏せられた。
トト「聖力って、すごく治せるけど、使う人が疲れる力?」
フィリア「かなり簡単に言うと、そうです」
ユアン「疲れるだけじゃなくて、命を削るんですよね」
食堂が少し静かになる。
レオン「ああ」
ガル「じゃあ、使っちゃだめだろ」
リュシア「普通はそう考えるわ。でも、使わなければ助からない命もある」
エル「難しい……」
マーサ「だから、一人で決めないんだよ」
ミリ「ひとりだめ」
リリィ「猫も一人だめ?」
猫「……」
トトは壁の二十八番を見た。
二十八、大事な力は、ひとりで抱えない。
「昨日の約束、もう役に立ってる」
ユアン「約束は増えすぎだけど、ちゃんと意味があるね」
ガル「増えすぎだけどな」
ミリ「いっぱい」
マーサはレオンを見る。
「それと、子どもたちには言っておくよ」
レオン「はい」
マーサ「レオンのお母さんは、聖女だった」
食堂が静かになった。
トト「レオン兄ちゃんのお母さん……」
エル「聖女様……」
リリィ「すごい人?」
マーサ「ああ。すごい人だったよ。優しくて、強くて、困ってる人を放っておけない人だった」
ガル「レオン兄ちゃんに似てるな」
レオン「……」
トト「似てる」
ユアン「かなり」
ミリ「似てる」
リリィ「猫もそう思う?」
猫「……」
猫はレオンを見て、目を細めた。
たぶん、肯定だった。
レオン「似ていない」
マーサ「似てるよ」
レオンは黙った。
その反応が、さらに似ていると言われる理由だった。
トトは少し考えてから聞いた。
「聖女様は、どこにいるの?」
マーサの表情が少しだけ柔らかくなる。
「もう、空の上だよ」
トトはそれ以上聞かなかった。
聞いてはいけない空気を、少しだけ分かるようになっていた。
エルは胸に手を当てた。
「人を助けすぎたんですか」
レオンは短く答えた。
「ああ」
エル「優しい力なのに、怖いですね」
レオン「力は全部そうだ」
ガル「使い方を間違えると危ない」
ユアン「使わなすぎても助けられない」
フィリア「だから、判断が必要です」
リュシア「そして、判断するためには知識が必要」
セシリア「記録も必要です」
トト「宿題も必要?」
レオン「ああ」
トト「やっぱりそこに戻る!」
食堂に少しだけ笑いが戻った。
レオンは壁を見た。
二十七、分からないまま、たくさんやらない。聞いてからやる。
二十八、大事な力は、ひとりで抱えない。
今日の話は、その二つに深く関わっていた。
聖力は強い。
でも、危ない。
使えば人を救える。
でも、自分の命を削る。
だから、知らないまま使ってはいけない。
一人で抱えてはいけない。
トトは紙を持ってきた。
「二十九番目、いると思う」
レオン「また増えるのか」
マーサ「今日は増える日だね」
ガル「何を書くんだ」
トトは少し悩んだ。
エルも一緒に考えた。
ユアンも言葉を整えた。
そして、三人で相談して書いた。
二十九、助けたい時ほど、自分の命も守る。
食堂が静かになった。
フィリアはゆっくり頷いた。
「とても大事です」
リュシア「聖力のための約束ね」
マーサ「レオンのための約束でもあるよ」
レオン「……」
トト「アリシア王女様にも」
エル「私たちにも」
ガル「俺たちにもだな」
ユアン「誰かを助けようとして、自分が倒れたら、帰れないから」
ミリ「帰る」
リリィ「猫も帰る」
猫「……」
レオンは二十九番を見た。
助けたい時ほど、自分の命も守る。
その言葉は、胸の奥にまっすぐ刺さった。
昔、母に必要だった言葉。
今のアリシアに必要な言葉。
そして、自分にも必要な言葉。
レオン「採用だ」
トト「やった」
マーサが壁に二十九番目を貼った。
二十九、助けたい時ほど、自分の命も守る。
その夜。
レオンは一人、ひだまり孤児院の庭に立っていた。
空には星が出ている。
四か月前よりも澄んだ空。
黒い膜はもうほとんど見えない。
けれど、胸の奥には別の重さが残っていた。
聖力。
母の力。
母を奪った力。
人を救う光。
命を削る光。
レオンは自分の手を見た。
この手で、何人かを救った。
そのたびに、自分の奥が少し削れた感覚を知っている。
だから使わなかった。
だから言わなかった。
けれど、もう一人では抱えられない。
食堂の壁に、そう書かれてしまった。
背後からマーサが来た。
「眠らないのかい」
レオン「少しだけ」
マーサ「お母さんのこと、思い出したかい」
「はい」
マーサは隣に立った。
「似てるよ。あんたは」
「似ていません」
「似てる」
レオンは反論しなかった。
マーサは夜空を見上げた。
「あの人も、人を助ける時に自分を後回しにした」
レオン「……」
「だから、あんたは同じことをしちゃいけない」
レオンは長く黙った。
そして、静かに答えた。
「はい」
マーサは少しだけ笑った。
「よし。じゃあ、寝な」
「はい」
ひだまり孤児院の壁には、新しい約束が増えた。
二十九、助けたい時ほど、自分の命も守る。
聖力は、奇跡ではない。
命を削る光だ。
それでも、正しく使えば誰かを帰せる。
だから、学ぶ。
止まる。
話す。
記録する。
そして、自分も帰る。
学院へ向かう前に、大きな秘密を一つ開いた。
だが、まだ開かれていない扉もある。
レオンの父のこと。
聖女が死んだ本当の背景。
聖力を狙う者たち。
その全てを、今はまだ話せない。
今夜はただ、ひだまりの灯りの下で眠る。
明日も、宿題がある。
明日も、スープがある。
そして、助けたい時ほど、自分の命も守る。
その約束を、忘れないために。




