第五十五話 帰る前の報告
翌朝。
王都は、まだ少しざわついていた。
東門の第二波は退けた。
若い魔族も、レオンが討った。
死者は出なかった。
だが、魔物の群れが二度も王都へ押し寄せた事実は、簡単には消えない。
王城では朝から会議が開かれていた。
出席者は、国王エルドラン。
王女アリシア。
王子ルカ。
騎士副団長グレン。
魔導士リュシア。
治癒師フィリア。
そして、王都冒険者ギルドマスター、レオン・ガルディア。
本当なら、今日はひだまり孤児院へ帰る道の安全確認をする予定だった。
しかし、その前に王城への正式報告が必要だった。
国王「まず、昨日の防衛戦について報告を聞こう」
グレン「はい」
グレンが資料を広げる。
「第二波の魔物は、およそ二百。主な種類はゴブリン、牙猪、狼型、黒羽鳥型、大型蜥蜴、角猿型。王都東門を中心に接近しました」
アリシア「市民の避難は完了。負傷者はいますが、死者は出ていません」
フィリア「冒険者、騎士ともに軽傷から中傷が中心です。重傷者も命に別状はありません」
国王は深く息を吐いた。
「死者なし。よく抑えた」
グレン「ギルド側の連携が大きかったです」
レオン「騎士団が門を支えた」
グレン「いえ、ギルドの初動が早かった」
レオン「騎士団の配置が崩れなかった」
二人はしばらく真顔で言い合った。
リュシアが呆れたように肩をすくめる。
「そこは素直に、両方よかったでいいでしょう」
アリシア「はい。騎士団もギルドも、どちらも王都を守りました」
ルカ「僕もそう思います!」
国王「うむ。では、そう記録しよう」
レオンは何も言わなかった。
ただ、少しだけ頷いた。
グレンは次の資料を出した。
「問題は、魔物の群れを押し出していた存在です」
室内の空気が少し重くなる。
国王「魔族だったのだな」
レオン「ああ」
グレン「レオン殿が森の奥で接敵。魔族は若い個体。単独行動の可能性が高いとのことです」
リュシア「魔力の痕跡を見る限り、黒玻璃とは別系統ね。ただし、魔物を強制的に押し出す術式を使っていた」
アリシア「目的は、王都侵攻だったのでしょうか」
レオン「本人は、自分の力を試したかったらしい」
ルカの表情が険しくなる。
「それだけで、王都に二百体もの魔物を……?」
レオン「ああ」
ルカは拳を握りしめた。
「許せません」
レオン「俺もだ」
その声は静かだった。
だが、昨日の森で魔族に向けられた怒りを知る者なら、その短い言葉に込められた重さが分かった。
国王は目を伏せ、しばらく黙った。
「若い魔族か。力を持ち、使い方を知らず、民を危険に晒した」
リュシア「才能に食われた、というやつね」
ルカが小さく反応した。
レオンが自分に言った言葉。
才能に食われるな。
昨日、それを自分の中で何度も反芻した。
そして今、その言葉が魔族にも向けられている。
ルカ「力を持つなら、約束も必要なのですね」
レオン「そうだ」
国王は頷いた。
「レオン。魔族の遺体は?」
レオン「王城の調査班へ引き渡した。魔法陣の残骸も一部回収している」
リュシア「私も後で解析に入るわ。黒玻璃と無関係か、完全にはまだ断定しない方がいい」
グレン「警戒は続けます」
国王「頼む」
そこまで話したところで、王城の武官の一人が資料を持って入ってきた。
中年の男で、王城武器庫の管理も任されている人物だった。
武官「陛下。昨日の戦闘記録について、一点確認したいことがございます」
国王「何だ」
武官は少しだけレオンを見た。
「レオン殿が魔族を討った武器についてです」
レオン「武器?」
武官「はい。報告書では“剣”と記載されておりますが、傷跡、魔力の断面、抜刀の軌跡を確認したところ、通常の王国式片手剣、両手剣、長剣のどれとも一致しませんでした」
グレンが眉をひそめる。
「どういうことだ」
武官「分類するなら、あれは剣ではありません」
ルカ「剣ではない?」
アリシア「では、何なのですか?」
武官は静かに言った。
「太刀です」
会議室が少し静かになった。
ルカ「たち……?」
アリシア「東方の武器に、そのようなものがあると聞いたことがあります」
リュシアは興味深そうにレオンを見る。
「そういえば、あなたの抜き方は王国剣術とは違うものね」
グレンも頷く。
「以前から違和感はありました。構えは剣士のものに見える。だが、斬撃の軌道が違う」
武官「剣は押し斬り、叩き斬り、受け、突きの要素が強い。しかしレオン殿の武器は、鞘から抜く瞬間に斬撃が完成しています。刃筋も、直線で押すのではなく、流れの中で断つ」
ルカは目を輝かせた。
「かっこいい……!」
グレン「殿下」
ルカ「すみません。でも、かっこいいです」
レオンは少し黙っていた。
そして、腰の武器に手を置く。
灰天太刀。
これまで多くの者が、それを剣と呼んできた。
レオン自身も、説明が面倒で否定してこなかった。
戦えればいい。
守れればいい。
帰せればいい。
そう思っていた。
だが、武官の言葉で、ふと昔の声が蘇る。
山奥の小屋。
剣神ヴァルドの低い声。
“それは剣じゃねぇ。太刀だ”
“剣みたいに振るな。道を抜け”
“刃を押すな。帰る道を開け”
レオンはゆっくり息を吐いた。
「師匠は、太刀と呼んでいた」
国王「剣神ヴァルドが?」
「ああ」
リュシア「やっぱり、あなた自身も分かっていたのね」
レオン「忘れていたわけではない。ただ、呼び名にこだわっていなかった」
武官「しかし、呼び名は技を示します」
レオンは武官を見る。
武官は頭を下げた。
「失礼ながら、レオン殿の本当の武器は剣ではありません。太刀です。あの武器は、王国剣術の延長ではなく、別の理で扱われています」
グレン「だから、我々の剣術記録では説明できなかったのか」
リュシア「瞬灰歩との相性も、剣より太刀の方が自然ね。間合いへ入って斬るのではなく、斬る道そのものへ移動している」
アリシア「斬る道……」
ルカ「帰る道を作るための太刀……」
レオンは灰天太刀の柄に触れた。
剣ではなく、太刀。
それは、単なる分類の違いではなかった。
自分が何を振るってきたのか。
何を師匠から渡されたのか。
それを、改めて言葉にされた気がした。
レオン「俺は、剣士ではないのかもしれないな」
グレン「いえ」
グレンは即座に言った。
「あなたは剣士です。ですが、ただの剣士ではない」
リュシア「太刀を持つ剣士、というところかしら」
武官「正式には、太刀使いと呼ぶべきかと」
ルカ「太刀使い……!」
アリシア「ルカ、顔に出ています」
ルカ「すみません。でも、やっぱりかっこいいです」
レオン「かっこよさで使うものではない」
ルカ「はい!」
国王は静かに笑った。
「灰剣のレオンと呼ばれてきたが、実は灰太刀だったか」
レオン「陛下」
国王「冗談だ」
セシリアがいれば、確実に記録していた。
レオンは少しだけそう思った。
そして、内心で彼女がこの場にいなくてよかったとも思った。
だが、その考えは甘かった。
会議室の隅で、王城書記官がすでに筆を走らせていた。
レオン「……」
リュシア「残念ね。記録は残るわ」
レオン「消せないか」
国王「王城公式記録だ。無理だな」
ルカ「灰太刀のレオン……」
グレン「殿下、本人が嫌がっています」
アリシア「でも、広まりそうですね」
レオン「広めるな」
国王は少し表情を改めた。
「冗談はさておき、これは重要な情報だ。ルカとアリシアの稽古にも関わる」
レオン「二人に太刀を教えるつもりはありません」
ルカ「えっ」
レオン「まず剣以前に立て」
ルカ「はい……」
アリシア「太刀は、まだ遠いということですね」
レオン「ああ。遠い」
武官「太刀は扱いを誤れば、自分を斬ります。ましてレオン殿の灰天太刀は、ただの武器ではない」
グレン「固有武器に近いものですか」
レオン「近いというより、そうだ」
会議室の空気が再び変わる。
ルカ「固有武器……」
リュシア「あなた、さらっと言うわね」
レオン「聞かれなかった」
グレン「またそれですか」
レオン「必要がなかった」
国王「いや、必要はあったと思うぞ」
レオンは黙った。
フィリアが静かに言う。
「レオン様は、重要なことほど説明を省く傾向があります」
アリシア「少し分かります」
ルカ「僕も分かります」
レオン「……」
リュシア「満場一致ね」
国王は小さく笑い、それから真剣な声に戻した。
「レオン。灰天太刀について、今後王城にも最低限の情報を共有してほしい。危険性ではなく、理解のためだ」
レオンは少し考えた。
そして頷く。
「分かった」
ルカ「僕もいつか、太刀を見せてもらえますか?」
レオン「ああ。見るだけなら」
ルカ「触るのは?」
レオン「駄目だ」
即答だった。
ルカ「はい!」
グレン「殿下、今の返事は少し嬉しそうです」
ルカ「見せてもらえるので!」
アリシアは微笑みながらも、レオンの太刀を静かに見ていた。
魔法とも剣とも違うもの。
帰る道を作るための刃。
それは、力をどう扱うかを学ぶ自分たちにとって、いつか大きな意味を持つのかもしれない。
報告会議が終わる頃、国王はレオンへ言った。
「ひだまり孤児院の帰還については、王城からも安全確認の人員を出す」
レオン「助かります」
「今日はまだ警戒を残す。明日、森と街道の確認が済めば、帰れるだろう」
レオン「ああ」
ルカ「僕も手伝えますか?」
レオン「王城で待機」
ルカ「はい……」
アリシア「私は結界確認の報告整理を手伝います」
リュシア「それならいいわ。無理に外へ出ないなら」
グレン「騎士団は東門と街道の巡回を増やします」
レオン「頼む」
国王は頷いた。
「レオン。昨日はよく戻った」
レオン「戻ると言ったので」
「それでもだ」
レオンは少しだけ目を伏せた。
そして、短く答える。
「はい」
王城を出た後。
レオンはそのままギルドへ向かった。
本来なら仮ひだまりへ戻って子どもたちの顔を見たいところだったが、第二波の後処理が残っている。
報酬。
負傷者。
素材。
修繕。
警戒依頼。
そして、魔族の件。
王都冒険者ギルドは、昨日にも増して忙しかった。
受付嬢「ギルドマスター、お待ちしていました」
レオン「書類か」
受付嬢「書類です」
レオン「……ああ」
受付嬢「ですが、その前に冒険者たちが集まっています」
ギルドの広間には、昨日第二波に参加した冒険者たちがいた。
古株。
若手。
弓使い。
魔法使い。
回復役。
斥候。
皆、疲れた顔をしている。
だが、誰も沈んではいない。
古株が代表して口を開いた。
「ギルマス。昨日は、死者なしだった」
レオン「ああ」
若い冒険者が一歩前へ出る。
「俺、怖かったです」
レオン「そうか」
「でも、声を出したら、隣の人が返事してくれました」
レオンは黙って聞いている。
「戻る場所を決めていたから、前に出すぎずに済みました」
古株が笑う。
「こいつ、昨日はちゃんと仲間を下げたんだ。なかなかだったぞ」
若い冒険者は少し照れた。
レオン「いい判断だ」
その一言で、若い冒険者の顔が明るくなった。
受付嬢も少し微笑んだ。
レオンは広間全体を見た。
「昨日、王都は守られた」
冒険者たちが静かになる。
「騎士団だけではない。ギルドだけでもない。全員が役割を守ったからだ」
誰も茶化さなかった。
レオンの言葉は短い。
だが、届く。
「二百の魔物が来た。奥には魔族がいた。それでも死者は出なかった」
古株が頷く。
「よくやった」
レオンは言った。
冒険者たちが一瞬、驚いた顔をした。
レオンが褒めた。
珍しい。
本当に珍しい。
受付嬢が小さく目を見開いている。
古株はにやりと笑った。
若い冒険者たちは、まるで勲章をもらったような顔をしている。
レオン「ただし、油断するな」
全員「はい!」
返事が揃った。
レオンは続ける。
「森の奥はまだ調査が必要だ。魔族が単独だったか、背後があるかは分からない。今日から警戒依頼を再編する」
受付嬢が資料を配る。
「東門巡回」
「森浅部の調査」
「街道安全確認」
「ひだまり孤児院周辺の確認」
その最後の依頼名で、何人かの冒険者が反応した。
古株「ひだまり、帰るんだろ?」
レオン「ああ。安全なら明日帰る」
若い冒険者「俺たち、周辺確認行きます!」
別の冒険者「俺も!」
レオン「無理はするな」
古株「分かってる。帰る道を確認するだけだ」
レオンは少しだけ頷いた。
「頼む」
ギルドの空気が少し温かくなった。
冒険者たちにとって、ひだまり孤児院はもうただの孤児院ではない。
ギルドマスターが守る場所。
子どもたちがいる場所。
王都にとって、小さくても大事な帰る場所。
その道を確認することに、誰も不満はなかった。
その後、レオンは執務室へ入った。
机の上には、やはり書類の山。
受付嬢「まず、討伐報酬の確認です」
レオン「ああ」
「次に、負傷者補償」
「ああ」
「東門修繕費」
「ああ」
「魔族討伐報告書」
「ああ」
「それと、王城から届いた追加書類です」
レオン「何だ」
受付嬢は紙を一枚見た。
「レオン様の武器分類についての照会です」
レオン「……」
受付嬢「剣ではなく、太刀であると」
レオン「もう来たのか」
受付嬢「王城書記官は仕事が早いですね」
古株が扉の隙間から顔を出した。
「何だって? ギルマスの武器、剣じゃなかったのか?」
レオン「仕事に戻れ」
古株「太刀ってやつか?」
レオン「戻れ」
若い冒険者まで覗く。
「太刀って何ですか!?」
受付嬢「東方系の片刃武器の一種です。抜刀と斬撃を一体化させる扱いが特徴とされています」
レオン「詳しいな」
受付嬢「照会書に書いてあります」
古株「灰剣じゃなくて灰太刀か?」
レオン「言うな」
若い冒険者「灰太刀のギルドマスター……!」
レオン「広めるな」
受付嬢「残念ながら、広まると思います」
レオン「……」
ギルドの広間から、すでに誰かの声が聞こえた。
「おい、ギルマスの武器、太刀らしいぞ!」
「太刀って何だ!?」
「強そう!」
「灰太刀だってよ!」
レオンは目を閉じた。
受付嬢は静かに言った。
「止めますか?」
レオン「……いや」
「よろしいのですか?」
レオンは腰の灰天太刀に触れた。
剣ではなく、太刀。
師匠がそう呼んだ武器。
帰る道を開く刃。
今さら名前を避けても仕方がない。
「間違いではない」
受付嬢は少しだけ微笑んだ。
「では、正式記録は“灰天太刀”で統一します」
レオン「ああ」
「二つ名は?」
レオン「不要だ」
受付嬢「すでに外で増えています」
レオン「消せ」
受付嬢「難しいかと」
レオンは深く息を吐いた。
その顔を見て、受付嬢はほんの少し笑った。
書類仕事は、夕方まで続いた。
だが今日は、以前ほど重くはなかった。
冒険者たちが動いている。
騎士団も動いている。
王城も手を貸している。
ひだまりの帰る道を、みんなで確認している。
レオンは一人で抱えていない。
夕方。
レオンがギルドを出る頃、古株が声をかけた。
「ギルマス」
レオン「なんだ」
「ひだまり周辺、第一確認は問題なしだ。結界も新しい。道も片づいてる」
レオン「ああ」
若い冒険者が続く。
「明日の朝、もう一度見に行きます。安全確認してから報告します」
レオン「頼む」
古株「帰れそうだな」
レオンは少しだけ遠くを見た。
仮ひだまり。
そこにいる子どもたち。
完成したひだまり孤児院。
二か月待った帰る場所。
「ああ」
レオンは短く答えた。
「帰る」
その言葉に、古株は笑った。
「じゃあ、道は俺たちで見といてやるよ。灰太刀のギルマス」
レオン「その呼び方はやめろ」
古株「考えとく」
「やめろ」
ギルドに笑いが起きた。
レオンはため息をつきながらも、歩き出した。
腰には灰天太刀。
剣ではなく、太刀。
それは、彼が斬るためだけに持つ武器ではない。
帰る道を作るための刃。
そして明日。
その刃で切り開いた道を通って、子どもたちはひだまりへ帰る。
レオンは仮ひだまりへ向かいながら、静かに空を見上げた。
空には、星が少しずつ戻っていた。
黒い膜は、もう薄い。
風は通っている。
帰る日は、近い。




