第五十話 許可と返事
昼前。
仮ひだまりの庭では、アルトが静かに翼を整えていた。
空は、昨日より少し明るい。
黒い膜はまだ薄く残っているが、庭の上を低く動く程度なら、もう問題ない。
リュシアもそう判断していた。
トトは、アルトの前に立っていた。
靴ひも確認済み。
手洗い済み。
走っていない。
飛びついていない。
そして今日は、レオンもいる。
トト「レオン兄ちゃん」
レオン「なんだ」
トト「昨日、俺、乗らなかった」
レオン「ああ」
トト「アルト先輩が乗っていいってしてくれたけど、乗らなかった」
レオン「ああ」
トト「だから……」
トトはちらりとアルトを見る。
アルトは、黄金色の目で静かにトトを見返していた。
トト「今日は、乗ってもいいですか」
庭が少しだけ静かになった。
全員が見ている。
レオンはアルトを見た。
「アルト」
アルト「……」
「お前はどう思う」
アルトは少しだけ首を下げた。
そして、ゆっくりと体を伏せた。
ぐるる。
トトの顔がぱっと明るくなる。
けれど、走らない。
ちゃんとその場に立っている。
レオン「アルトが認めた」
トト「……!」
レオン「そうか、なら許可を出す」
トト「ほんと!?」
レオン「ああ。ただし、条件がある」
トトはすぐに背筋を伸ばした。
「はい!」
レオン「一つ。大人がいる時だけ」
トト「はい!」
レオン「二つ。アルト本人が許可した時だけ」
トト「はい!」
レオン「三つ。庭の中だけ。しばらくは地上歩行か、低く浮く程度まで」
トト「はい!」
レオン「四つ。フィリアかリュシアが危ないと言ったら中止」
フィリア「大事です」
リュシア「私も厳しく見るわよ」
トト「はい!」
レオン「五つ。怖くなったらすぐ言う」
トト「はい!」
レオン「六つ。調子に乗らない」
トト「はい!」
マーサ「七つ。終わったらアルトに礼を言う」
トト「はい!」
ガル「条件多いな」
ユアン「でも全部大事」
エル「守れば乗れるんだね」
ミリ「アルト先輩」
リリィ「猫は乗らない」
猫「……」
レオンはトトを見た。
「守れるか」
トトは大きく頷いた。
「守る」
レオン「なら、乗れ」
トトの顔が、今にも爆発しそうなくらい明るくなった。
だが、やはり走らない。
ゆっくり歩く。
アルトのそばへ行き、深く頭を下げる。
トト「アルト先輩、よろしくお願いします」
アルトは静かに目を細めた。
レオンが支え、フィリアが補助紐を確認し、リュシアが空の魔力を確認する。
トトは、そっとアルトの背に乗った。
昨日より少しだけ慣れている。
けれど、まだ緊張している。
トト「……高い」
レオン「呼吸」
トト「はい」
吸う。
吐く。
エルが小さく笑った。
「上手」
アルトがゆっくり立ち上がる。
一歩。
二歩。
庭を歩く。
今日は昨日より少し長い。
トトはアルトの首元の革帯を握りすぎないよう、何度も自分の手を見る。
ガル「手、固まってるぞ」
トト「だって高い!」
ミリ「こわい、でも乗る」
リリィ「猫なら降りる」
猫「……」
アルトは庭をゆっくり一周した。
そして、最後にほんの少しだけ体を浮かせた。
地面から、子どもの膝くらいの高さ。
本当に少しだけ。
それでも、トトにとっては空だった。
トト「浮いた……!」
レオン「背を丸めるな」
トト「はい!」
フィリア「呼吸、乱れていません」
リュシア「魔力の流れも安定しているわ。アルトも無理していない」
マーサ「じゃあ、今日はそこまでだね」
トト「えっ、もう?」
レオン「そこまでだ」
トトは少し残念そうにした。
けれど、すぐに頷いた。
「はい」
アルトが静かに地面へ降りる。
レオンが支え、トトはゆっくり地面に降りた。
足が少し震えている。
でも、顔は輝いていた。
トト「乗れた……! ちょっと浮いた……!」
アルトがトトの頭を軽くつついた。
ぽふ。
トト「今のは、認めた?」
レオン「ああ」
マーサ「よかったね」
トトは深く頭を下げた。
「アルト先輩、ありがとうございました!」
アルト「……」
ぐるる。
その声は、どこか満足そうだった。
昼食後。
レオンは王城へ向かう準備をしていた。
午後は、アリシアとルカの実戦形式の訓練がある。
これまでの立つ、歩く、下がる、転ぶ、握る。
それらを、少しだけ実際の動きの中で使う日だ。
トト「実戦形式って、戦うの?」
レオン「戦う前に、見る訓練だ」
ガル「どういうこと?」
レオン「敵が来た時、すぐ剣を振るな。まず、守るものを見る。逃げ道を見る。味方の位置を見る。それから動く」
ユアン「考えること多いね」
レオン「ああ。だから訓練する」
エル「アリシア王女様もやるんだ……」
リュシア「今日は私も行くわ。魔法の動きも見るから」
フィリア「私も同行します。実戦形式なら怪我の確認が必要です」
マーサ「じゃあ、こっちは私とセシリアで見るよ」
レオン「頼む」
その言葉に、マーサは少しだけ笑った。
「最近、頼むって言えるようになったね」
レオン「……」
トト「レオン兄ちゃん、成長!」
ミリ「微増」
レオン「微増なのか」
リリィ「猫も成長」
猫「……」
王城へ行く前、レオンはもう一度トトに言った。
「俺がいない間、アルトに乗るな」
トト「分かってる!」
「大人がいても、今日は俺が戻るまで騎乗訓練なし」
トト「はい!」
「約束できるか」
トト「できる!」
アルトが横で低く鳴いた。
ぐるる。
トト「アルト先輩も分かってるって!」
リリィ「たぶん、トトが分かってるか確認してる」
トト「そっち!?」
レオンは少しだけ目を細めた。
「行ってくる」
トト「いってらっしゃい!」
エル「お気をつけて」
ガル「王子様たち、頑張って」
ユアン「実戦形式、無理しないでください」
ミリ「いってら」
リリィ「猫も見送る」
猫「……」
マーサ「どこへ帰る?」
レオン「仮ひだまりへ帰る」
マーサ「よし。行っておいで」
レオンはリュシア、フィリアと共に王城へ向かった。
午後。
王城訓練場。
そこには、いつもより多くの騎士たちが集まっていた。
もちろん、本物の戦場ではない。
刃を潰した木剣。
柔らかい訓練用の盾。
転んでも怪我をしにくい砂地。
リュシアの保護魔法。
フィリアの治療道具。
グレンの監督。
安全は何重にも整えられている。
だが、空気はいつもより真剣だった。
ルカ「実戦形式……!」
アリシア「少し緊張します」
レオン「緊張していい」
グレン「本日は、護衛と撤退の基礎訓練です。勝つことが目的ではありません」
レオン「目的は、守る相手を連れて帰ることだ」
ルカ「はい!」
アリシア「はい」
レオンは訓練場の中央に木剣を一本置いた。
「これは民間人だと思え」
ルカ「また木剣が人に……」
レオン「文句を言うな」
ルカ「はい」
アリシアは少しだけ笑ったが、すぐ真剣な顔に戻った。
最初の訓練。
二人で木剣を守りながら、指定された線まで下がる。
ただし、途中で騎士が一人、ゆっくり近づいてくる。
本気で攻撃はしない。
だが、進路をふさぐ。
ルカは反射的に前へ出ようとした。
レオン「止まれ」
ルカ「!」
レオン「一人で前に出るな。後ろを見ろ」
ルカが振り返る。
木剣。
アリシア。
退路。
自分は前に出すぎていた。
ルカ「すみません」
レオン「訓練だ。もう一度」
次はアリシアが声を出した。
アリシア「ルカ、少し右へ。私は木剣の後ろを見ます」
ルカ「はい!」
グレン「良い判断です」
レオン「声を出せ。黙って守るな」
ルカ「姉上、右を見ます!」
アリシア「私は後ろを確認します!」
騎士が近づく。
二人は木剣を挟むように動く。
無理に倒そうとしない。
道をふさがれたら、横へずれる。
逃げ道を探す。
三歩下がる。
止まる。
また周囲を見る。
レオン「いい」
ルカの顔が明るくなる。
だがすぐ、レオンが言う。
「油断するな」
ルカ「はい!」
次の訓練は、不意の声。
背後から、騎士が大きな声で叫ぶ。
「後ろだ!」
ルカは振り向きかける。
アリシアも少し肩が動く。
レオン「止まれ」
二人が止まる。
レオン「声だけで動くな。確認しろ」
アリシア「声が罠の場合もあるから」
レオン「ああ」
ルカ「ひだまりの九条と似ていますね」
レオン「声が聞こえても、すぐ門を開けない」
グレン「王城でも採用した方がよさそうです」
リュシア「本当にね」
三回目。
ルカは声に反応したが、すぐ周囲を見る。
アリシアは一歩下がり、木剣を守る位置を取った。
レオン「いい」
ルカ「できた……!」
アリシア「まだ少し怖いです」
レオン「怖いままでいい。確認して動け」
午後の実戦形式訓練は、派手ではなかった。
敵を倒す訓練ではない。
誰かを守って下がる。
声に惑わされない。
転んでも立つ。
木剣を手放さない。
必要なら木剣を置いてでも、人を引いて逃がす。
それを何度も繰り返した。
終わる頃、ルカは汗だくだった。
アリシアも肩で息をしている。
だが、二人の目は前よりずっと強くなっていた。
ルカ「勝つ訓練じゃないのに、すごく疲れました」
レオン「帰る訓練は疲れる」
アリシア「でも、必要ですね」
レオン「ああ」
グレンが静かに頷いた。
「今日の二人は、昨日よりも周りを見ていました」
ルカ「本当ですか?」
グレン「はい。ただし、まだ走り出しそうになります」
ルカ「気をつけます!」
アリシア「私は、声に反応しすぎるところがあります」
レオン「分かっているなら直せる」
リュシア「良い実戦訓練だったわ」
フィリア「怪我もなしです」
レオン「なら、今日は終わりだ」
ルカ「ありがとうございました!」
アリシア「ありがとうございました」
レオンは頷いた。
そして、ふと訓練場の端を見た。
騎士たちの一部も、今の訓練を真剣に見ていた。
派手な剣技ではない。
だが、守って帰るための動き。
それは騎士にも必要なものだった。
その頃。
仮ひだまりでは、別の意味で実戦形式が始まっていた。
かくれんぼである。
きっかけは、リリィだった。
リリィ「この家、隠れるところ多い」
トト「たしかに!」
ガル「いや、多すぎるだろ」
ユアン「屋敷が広いからね」
ミリ「かくれる」
エル「でも、勝手に遠くへ行ったら危ないよ」
その一言で、全員がマーサを見た。
マーサは腕を組んでいた。
「やるなら、ルールを決めるよ」
トト「やっていいの!?」
マーサ「ルールを守るならね」
セシリアも頷いた。
「屋敷に慣れる訓練にもなります。隠れる場所、戻る道、声を出すタイミングを覚えるのは大事です」
トト「かくれんぼも訓練!」
ガル「急にかっこよくなった」
ユアン「でも本当に大事かも」
エル「迷子にならない練習にもなるね」
ミリ「かくれすーぷ」
リリィ「猫も参加」
猫「……」
猫は最初から参加する気がなさそうだった。
マーサは指を立てた。
「まず、禁止場所」
子どもたちは真剣に聞く。
「地下訓練室は禁止。倉庫は禁止。厨房の火の近くは禁止。外へ出るのは禁止。アルトの場所へ隠れるのも禁止」
トト「アルト先輩の後ろ、隠れやすそうなのに」
マーサ「禁止」
トト「はい」
セシリア「次に、時間。十数えたら探す。見つからなくても、鐘を鳴らしたら全員出てくること」
ユアン「合図を決めるんだね」
エル「怖くなったら?」
マーサ「すぐ声を出す」
トト「助けたい時ほど、みんなを呼ぶ」
ガル「隠れてる時も呼ぶ」
リリィ「猫が先に見つけても?」
セシリア「猫は判定外です」
リリィ「猫、審判できない」
猫「……」
ミリ「鬼は?」
マーサ「最初はトト」
トト「俺!?」
ガル「一番走りそうだから?」
マーサ「走らない練習にもなるだろ」
トト「なるほど……!」
セシリア「走ったら鬼交代です」
トト「厳しい!」
かくれんぼが始まった。
トトは食堂の壁に向かって目を閉じる。
「いーち、にー、さーん……」
ガル、ユアン、エル、ミリ、リリィは一斉に動き出した。
ただし、走らない。
早歩き。
かなり速い早歩き。
マーサ「走らない!」
全員「はーい!」
ガルは廊下の曲がり角近く、カーテンの裏に隠れた。
ユアンは本棚の横、少し暗い隙間に入った。
エルは階段下の小さな空間に入ろうとして、少し迷い、やめた。
暗すぎたからだ。
代わりに、窓際の大きな椅子の後ろへ隠れる。
ミリは大きなクッションの後ろに丸くなった。
リリィは猫を抱いて隠れようとしたが、猫が普通に食堂へ戻っていった。
リリィ「猫、裏切り」
猫「……」
トト「じゅーう! もういいかい!」
ガル「もういいよ!」
ユアン「いいよ」
エル「いいよ」
ミリ「いい」
リリィ「猫がいないけどいい」
トトは振り返った。
まず、走りそうになった。
だが止まる。
「歩く!」
マーサ「よし」
トトは廊下を見る。
右。
左。
耳を澄ます。
「ガルは……たぶん、すぐ見えるところにいそう」
ガル「……」
カーテンが少し揺れた。
トト「いた!」
ガル「早っ!」
トト「カーテンが動いた!」
ガル「風だ!」
トトは本棚の前を通り過ぎた。
ユアンは息を止める。
トトは少し進む。
止まる。
戻る。
「ユアン、本の匂いしそう」
ユアン「匂いでは分からないでしょ」
トト「いた!」
ユアン「しまった」
ミリはクッションの後ろに完全に隠れていた。
小さいので見えない。
だが。
「すーぷ」
小さな声が聞こえた。
トト「ミリ!」
ミリ「ばれた」
リリィは猫を探しているうちに、隠れることを忘れていた。
トト「リリィ、何してるの?」
リリィ「猫がいない」
猫「……」
猫はマーサの足元で座っていた。
マーサ「猫は最初から隠れてないよ」
最後に残ったのはエルだった。
トトは食堂を見て、廊下を見て、階段を見る。
だが、エルは見つからない。
エルは窓際の大きな椅子の後ろで、静かに呼吸していた。
少しだけ緊張している。
見つからないのは嬉しい。
でも、少しだけ心細い。
その時、エルは自分で気づいた。
暗い場所に隠れなかった。
怖いと思ったから、場所を変えた。
それは逃げたのではない。
自分で安全を選んだのだ。
エル「……ここ」
小さく声を出した。
トトが振り向く。
「エル?」
エルは椅子の後ろから顔を出した。
「怖くなりそうだったから、声出した」
マーサがすぐに頷いた。
「いい判断だよ」
セシリアも穏やかに言った。
「自分で言えたのは、とても良いです」
トト「エル、すごい」
エルは少し照れた。
「隠れきれなかったけど」
ユアン「でも、安全を選んだ」
ガル「勝ち負けより大事だな」
ミリ「こわい時、言う」
リリィ「猫も言う?」
猫「……」
二回戦。
鬼はガル。
ガルは張り切っていた。
「俺はちゃんと探すぞ」
トト「俺より?」
ガル「俺よりじゃない。ちゃんとだ」
結果。
ガルは最初に猫を見つけた。
猫は判定外だった。
次にマーサを見つけた。
マーサも判定外だった。
ガル「難しいな!」
トト「俺の方が上手かった!」
ユアン「調子に乗らない」
三回戦。
鬼はエル。
エルはゆっくり数えた。
「いち、に、さん……」
エルが鬼になると、みんな少しだけ優しく隠れた。
だが、エルは思ったよりよく見ていた。
ミリの靴先。
リリィの猫のしっぽ。
ユアンの本棚の影。
ガルの肩。
そして、トト。
トトは大きな壺の後ろに隠れていた。
本人は完璧だと思っていた。
だが、靴ひもが見えていた。
エル「トト、靴ひも見えてる」
トト「十六条が裏目に出た!」
マーサが笑った。
「ちゃんと結んでる証拠だよ」
子どもたちは笑った。
広すぎる屋敷。
最初は少し落ち着かなかった仮ひだまり。
けれど、走らず歩き、隠れ、探し、呼び合ううちに、少しずつ場所を覚えていった。
危ない場所。
安心できる場所。
声が届く場所。
戻りやすい場所。
かくれんぼは、ただの遊びだった。
でも、確かに暮らしの練習でもあった。
夕方。
王城からレオンたちが戻ってきた。
玄関に入った瞬間、レオンは少し立ち止まった。
屋敷が妙に静かだった。
いつもなら、トトの声が聞こえる。
ミリの「すーぷ」が聞こえる。
リリィが猫に話しかけている。
今日は、静かすぎた。
レオンの手が、自然と剣の柄に近づく。
リュシアも気配を探る。
フィリアも少し身構える。
その時。
廊下の奥から、小さな声。
「しーっ」
レオン「……」
マーサが食堂から顔を出した。
「かくれんぼ中だよ」
レオン「……かくれんぼ」
マーサ「安全ルール付きのね」
リュシアが肩の力を抜く。
「なるほど」
フィリア「驚きました」
その瞬間、トトがカーテンの裏から飛び出しかけて、止まった。
「レオン兄ちゃん! 見つかった!?」
レオン「いや、見つける前に出てきた」
トト「しまった!」
ガルが本棚の横から出てくる。
「レオン兄ちゃん、今ちょっと剣に手かけたよな」
レオン「静かすぎた」
ユアン「危険確認としては正しいです」
エル「でも、遊びでした」
ミリ「かくれた」
リリィ「猫はずっと見えてた」
猫「……」
レオンはマーサを見る。
マーサは肩をすくめた。
「屋敷に慣れるにはちょうどいいだろ?」
セシリア「危険区域を除外し、時間制限と呼び出し合図を決めて実施しました」
レオン「ならいい」
トト「レオン兄ちゃんもやる?」
レオン「やらない」
ミリ「強そう」
リリィ「絶対見つからない?」
ガル「いや、レオン兄ちゃんはでかいから隠れられないだろ」
ユアン「でも気配消せそう」
リュシア「本気を出したら、大人げないわね」
マーサ「本気を出したら説教だよ」
レオン「やらないと言っている」
トトは少し考えた。
「じゃあ、レオン兄ちゃんは鬼!」
レオン「鬼?」
トト「俺たちが隠れるから、見つけて!」
マーサ「一回だけだよ」
レオン「……」
フィリア「軽い運動としては問題ありません」
リュシア「見たいわね」
レオン「……一回だけだ」
子どもたちは歓声を上げた。
ただし、走らない。
全員、早歩きで散っていく。
レオンは食堂の壁に向かって目を閉じた。
「一、二、三……」
声が低い。
妙に迫力がある。
トト「鬼が本物っぽい!」
ガル「静かにしろ!」
ユアン「声で位置がばれる!」
ミリ「しー」
リリィ「猫、こっち」
猫「……」
レオン「十」
振り返る。
屋敷は静かだった。
だが、レオンはすぐ歩き出した。
最初に見つかったのはガル。
理由は、呼吸が荒かったから。
次にユアン。
理由は、本を戻す位置が少しずれていたから。
ミリ。
理由は、クッションが丸く膨らんでいたから。
リリィ。
理由は、猫が普通に廊下を歩いていたから。
エルは少し長く隠れた。
だが、レオンは窓際の椅子の後ろで立ち止まった。
「エル」
エル「……はい」
「怖くないか」
「大丈夫です」
「なら、続けていい」
エルは少し驚いた。
見つけたのに、すぐには言わない。
レオンは少しだけ離れて、別の場所を探すふりをした。
エルは自分で十数えた後、椅子の後ろから出てきた。
「見つかりました」
レオン「ああ」
最後に残ったのはトトだった。
トトは大きな空の木箱の中に隠れていた。
ただし、蓋は閉めていない。
閉じ込められる危険があるからだ。
安全ルールを守っている。
レオンは木箱の前で止まった。
「トト」
返事がない。
「トト」
まだない。
「アルトに乗る許可を取り消す」
木箱の中から即座に声がした。
「います!」
全員が笑った。
トトは木箱から顔を出す。
「ずるい!」
レオン「返事をしない方が悪い」
マーサ「呼ばれたら返事。これも大事だね」
ユアン「かくれんぼでも必要」
エル「本当に隠れたままだと危ないもんね」
ミリ「返事」
リリィ「猫は返事しない」
猫「……」
トトは少し考えた。
「じゃあ、二十番目?」
レオン「また増えるのか」
ガル「でも大事だろ」
ユアン「遊びでも、呼ばれたら返事」
エル「怖くなったら出る」
ミリ「かくれすぎない」
リリィ「猫も……たぶん」
マーサ「いいんじゃないかい」
トトは紙を持ってきた。
そして、壁の十九番目の下に、少し曲がった字で書いた。
二十、遊びでも、呼ばれたら返事をする。
レオンはその文字を見た。
「悪くない」
トト「採用?」
レオン「ああ」
ミリ「二十」
リリィ「いっぱい」
猫「……」
その夜。
食堂では、王城の実戦形式訓練とかくれんぼの話が並んだ。
ルカが木剣の民間人を蹴りかけた話。
アリシアが声に惑わされず下がれた話。
トトが木箱で返事をしなかった話。
エルが怖くなる前に自分で出てきた話。
ガルが呼吸で見つかった話。
リリィの猫が全てを台無しにした話。
どれも訓練で。
どれも遊びで。
どれも帰るための練習だった。
レオンはスープを飲みながら、壁を見る。
二十、遊びでも、呼ばれたら返事をする。
帰る場所には、いろいろな約束が増えていく。
靴ひも。
合言葉。
荷物。
工事。
力。
一人で行く日。
そして、遊びの中の返事。
どれも小さい。
だが、小さいものが家を守る。
マーサが鍋を置いた。
「さあ、食べな。明日も忙しいよ」
トト「明日もアルト乗れる?」
レオン「条件を守ればな」
トト「守る!」
アルトが外で低く鳴いた。
ぐるる。
リリィ「アルト先輩も聞いてる」
ミリ「条件」
ガル「明日は俺も手入れ手伝うかな」
ユアン「順番を決めよう」
エル「私も少しだけ、近くで見たい」
フィリア「安全確認をしてからです」
リュシア「空の状態も見るわ」
セシリア「予定表に入れておきます」
トト「セシリア姉ちゃん、記録少なめじゃなかったの?」
セシリア「予定表は生活に必要です」
マーサ「そうだね」
レオン「必要ならいい」
食堂に笑いが広がった。
仮ひだまりの夜は、今日も賑やかだった。
王城では、王子と王女が守って帰る実戦を学んだ。
仮ひだまりでは、子どもたちが隠れて、探して、返事をすることを学んだ。
そしてトトは、アルトに認められた。
大人がいる時なら、乗ってもいい。
それは、小さな許可ではない。
信頼されたということだった。
トトはスープを飲みながら、庭の方を見る。
「アルト先輩」
外から、低い声が返る。
ぐるる。
トトは嬉しそうに笑った。
「明日もよろしくお願いします」
その声に、アルトがもう一度だけ鳴いた。
まるで、こう言っているようだった。
“条件を守るならな”
仮ひだまりの壁には、二十番目の約束が増えた。
二十、遊びでも、呼ばれたら返事をする。
帰る場所は、今日も少しだけ強くなった。




