第四十七話 五時間稽古と久しぶりのギルド
仮ひだまり生活が始まって、数日が経った。
レオンの豪邸――本人いわく普通の家――は、少しずつ孤児院らしくなっていた。
広すぎる食堂には、子どもたちの声が響く。
長すぎる廊下には、ユアンが作った地図が貼られている。
猫用の小部屋には、リリィが作った布の寝床が置かれた。
庭の屋根付き馬車置き場には、アルトが当然のように収まっている。
地下訓練室は、トトが毎日ちらちら見ている。
そして、壁には新しい札。
『仮ひだまり防護十八か条』
十八、力は帰る道を作るために使う。
その下に、ミリが小さく書き足した落書きがある。
『すーぷも力』
マーサはそれを見て、消さなかった。
レオンも何も言わなかった。
たぶん、間違っていないからだ。
その日の朝。
レオンはいつもより早く食堂に現れた。
黒い外套。
腰には剣。
表情はいつも通り静か。
けれど、少しだけ仕事の顔をしている。
トト「レオン兄ちゃん、今日はどこ行くの?」
レオン「王城だ」
ガル「また報告?」
レオン「稽古だ」
ユアン「王子様と王女様の?」
レオン「ああ」
エル「今日から?」
レオン「ああ」
トトの目が輝いた。
「剣の稽古!?」
レオン「剣だけじゃない」
トト「え?」
レオンはスープを一口飲んでから言った。
「一日五時間」
食堂が止まった。
トト「五時間!?」
ガル「長っ」
ユアン「本格的だね」
ミリ「ごじかん」
リリィ「猫は寝る時間」
猫「……」
フィリアが少し眉を上げる。
「五時間は、かなり負荷が高いですね」
レオン「休憩を挟む。剣だけなら一時間も振らせない」
リュシア「内容は?」
レオン「姿勢、呼吸、歩き方、走り方、転び方、受け身、木剣、護身、判断、撤退」
トト「撤退?」
レオン「逃げる練習だ」
ガル「王子様と王女様が?」
レオン「一番必要だ」
エル「逃げるのも稽古なんだ」
レオン「ああ。帰るための稽古だ」
十八番目の札を見て、エルは小さくうなずいた。
「帰る道を作るため」
レオン「ああ」
マーサは鍋を混ぜながら言った。
「五時間も教えるなら、あんたもちゃんと食べてから行きな」
レオン「食べています」
マーサ「少ない」
レオン「普通です」
マーサ「少ない」
レオンは少しだけ黙った。
そして、器を差し出した。
マーサ「よし」
トト「マーサ先生、強い」
ミリ「最強」
レオン「否定はしない」
朝食後。
レオンは王城へ向かった。
同行するのはリュシアとフィリア。
リュシアはアリシアの魔法面を見るため。
フィリアは健康管理のため。
セシリアは仮ひだまりに残ることになった。
理由は、屋敷での生活管理と、工事関係の連絡を受けるためだ。
そしてもう一つ。
マーサに言われたからである。
マーサ「セシリア、今日は記録より生活の手伝いをしな」
セシリア「はい」
セシリアは素直に頷いた。
以前なら、記録板を構えていたかもしれない。
けれど今日は、ペンを置いた。
代わりに、食器を片づける。
トト「セシリア姉ちゃん、記録しないの?」
セシリア「今日は少なめです」
ガル「珍しい」
ユアン「でも、手伝い助かる」
セシリア「記録しない日も、必要です」
ミリ「少なめ」
リリィ「猫も少なめ」
猫「……」
仮ひだまりの朝は、少し穏やかだった。
王城訓練場。
そこには、すでにアリシアとルカが待っていた。
二人とも稽古着姿。
豪華な王族の服ではなく、動きやすい布の訓練着。
足元はしっかりした靴。
靴ひもも、きちんと結ばれている。
ルカはレオンを見るなり、胸を張った。
「靴ひも、確認済みです!」
レオン「よし」
アリシア「私も確認しました」
レオン「ああ」
グレンは訓練場の端で腕を組んでいた。
「二人とも、今朝から三度確認していた」
ルカ「大事ですから!」
アリシア「基本です」
リュシアが小さく笑う。
「ひだまり式が王城にも広がっているわね」
フィリア「怪我の予防としては、とても良いことです」
レオンは二人の前に立った。
「今日から、学園へ行くまでの基礎稽古を始める」
ルカ「はい!」
アリシア「よろしくお願いいたします」
レオン「一日五時間だ」
ルカ「五時間!」
アリシア「本格的ですね」
レオン「無理はさせない。ただし、楽でもない」
ルカ「望むところです!」
グレン「殿下、最初から力みすぎないように」
レオン「まず、剣は持たない」
ルカ「えっ」
レオン「一時間目。立つ」
ルカ「立つ?」
アリシア「姿勢ですね」
レオン「ああ」
ルカは少しだけ拍子抜けした顔をした。
だが、レオンの目が本気だと分かると、すぐに背筋を伸ばした。
レオン「剣を振る前に、立て。立てない者は、踏ん張れない。踏ん張れない者は、守れない」
ルカ「はい!」
レオン「声を張りすぎるな。呼吸が乱れる」
ルカ「はい」
アリシアは静かに頷いた。
一時間目。
姿勢。
足の幅。
膝の緩め方。
肩の力。
視線。
呼吸。
レオンは説明が短い。
だが、実際に見せると分かりやすかった。
同じ立つでも、レオンが立つと空気が違う。
大地に根を張るように、揺れない。
ただ立っているだけで、前に壁ができたように感じる。
ルカ「すごい……」
レオン「見るな。やれ」
ルカ「はい!」
アリシアは慎重に真似る。
リュシアが横から見て、少しだけ補足する。
「アリシア、魔力を肩に集めすぎないで。胸ではなく、足元へ流すイメージ」
アリシア「はい」
フィリアは二人の顔色を見る。
「呼吸が浅くなったら、すぐ言ってください」
ルカ「はい!」
レオン「声」
ルカ「はい」
グレンは少し離れた場所で見守っていた。
騎士団の訓練とは違う。
派手な打ち込みもない。
掛け声も少ない。
けれど、基礎が細かい。
そして、厳しい。
二時間目。
歩き方。
三時間目。
走り方。
四時間目。
転び方と受け身。
ルカは四時間目で、何度も地面に転がった。
どすん。
「ぐっ」
レオン「痛いか」
ルカ「痛いです!」
レオン「覚えろ。痛みを知っていれば、避けられる」
ルカ「はい!」
アリシアも受け身を練習した。
最初は怖がっていたが、フィリアが近くで見守り、リュシアが魔力の流れを整えたことで、少しずつ体を預けられるようになった。
アリシア「転ぶ練習が、こんなに難しいとは思いませんでした」
レオン「転ぶ時、人は慌てる。慌てた時ほど怪我をする」
アリシア「はい」
レオン「慌てても、帰る動きを体に入れる」
ルカ「帰る動き……」
グレン「なるほど」
五時間目。
ようやく木剣を持った。
ルカの顔が明るくなる。
だが、レオンは木剣を持たせたまま、振らせなかった。
ルカ「振らないのですか?」
レオン「今日は握るだけだ」
ルカ「握るだけ……」
レオン「握りすぎるな。力を入れすぎると、いざという時に離せない」
アリシア「剣を離すことも、必要なのですか?」
レオン「ああ。剣を捨てた方が生き残れる時もある」
ルカは驚いた顔をした。
「剣士が剣を捨てるのですか?」
レオン「剣神がそう言っていた」
その一言で、ルカは黙った。
アリシアも。
グレンも。
剣神ヴァルド。
その名は、昨日聞いたばかりだ。
レオンは木剣を軽く持ち上げた。
「剣にしがみつくな。剣は道具だ。目的は勝つことではない。帰ることだ」
ルカは、ゆっくり頷いた。
「はい」
五時間の稽古が終わった時、ルカは地面に座り込んだ。
アリシアも息を整えている。
派手な剣技は一つも習っていない。
だが、二人とも汗だくだった。
ルカ「剣、ほとんど振ってないのに……」
アリシア「体が……重いです」
フィリア「今日はここまでです。無理をしてはいけません」
リュシア「初日としては十分よ」
グレン「かなり良い内容だった」
ルカ「明日も、お願いします!」
レオン「明日、俺は入れない」
ルカ「えっ」
レオン「久しぶりにギルドへ行く」
グレン「ギルドか」
レオン「ああ。溜まっているだろうからな」
リュシア「絶対溜まっているわね」
フィリア「書類も、人も」
グレンは小さく咳払いした。
「では、明日の稽古は私が見る」
ルカ「グレンが?」
グレン「不満か?」
ルカ「いえ! お願いします!」
アリシア「よろしくお願いします」
レオン「俺が入れない日はグレンに任せる。内容は今日の復習だ。派手なことはするな」
グレン「分かっている」
レオン「特にルカ殿下を走らせすぎるな」
ルカ「えっ」
グレン「そこは私も同意する」
リュシア「王城トトだものね」
レオン「……否定はしない」
ルカ「王城トト?」
グレン「気にしなくてよい」
その頃。
仮ひだまりでは、トトがアルトを見つめていた。
昨日よりも少し落ち着いている。
今日は乗らない。
レオンがいないからだ。
フィリアも王城にいる。
リュシアも。
マーサは台所にいる。
セシリアは食堂の片づけをしている。
トトはアルトの前に立って、真面目に頭を下げた。
「アルト先輩、昨日ありがとうございました」
アルト「……」
アルトは少しだけ目を細めた。
ガル「何してんだ?」
トト「お礼」
ユアン「大事だね」
エル「うん」
ミリ「ありがとう」
リリィ「猫も言う?」
猫「……」
アルトはトトの頭を軽くつついた。
トト「今のは、また乗せてくれるって意味?」
セシリア「都合よく解釈しすぎです」
トト「記録少なめの日じゃないの!?」
セシリア「これは注意です」
トト「注意だった!」
マーサが台所から顔を出す。
「トト、今日は乗らないよ」
トト「分かってる!」
「本当に?」
「本当!」
「じゃあ、何するんだい」
トトは胸を張った。
「アルト先輩の世話!」
アルトが少しだけ首を傾げた。
ガル「世話されるのか?」
ユアン「ブラッシングとか?」
リリィ「猫もブラッシング」
猫「……」
ミリ「ふわふわ」
セシリア「アルトの羽の手入れなら、監督付きで可能ですね」
マーサ「じゃあ、勝手に翼を引っ張らない。後ろに立たない。驚かせない。道具は大人が渡す」
トト「はい!」
こうして、トトはアルトの世話係見習いになった。
もちろん、第0段階である。
夕方。
レオンたちが王城から戻ると、トトはすぐ玄関へ来た。
走ってはいない。
かなり速い歩きではあったが、走ってはいない。
トト「レオン兄ちゃん! 今日アルト先輩の羽、ちょっとだけ手入れした!」
レオン「そうか」
トト「勝手に乗ってない!」
レオン「よし」
トト「王子様たちは?」
レオン「五時間稽古した」
ガル「本当に五時間やったんだ」
ユアン「何したの?」
レオン「立った。歩いた。走った。転んだ。握った」
トト「剣は!?」
レオン「握った」
トト「振ってないの!?」
レオン「ああ」
トト「それで五時間!?」
マーサがスープをよそいながら笑った。
「基礎ってのは、そういうもんだよ」
エル「アリシア王女様、大丈夫だった?」
リュシア「頑張っていたわ。魔力を足元に流すのが上手くなってきた」
フィリア「明日は筋肉痛かもしれませんが」
ミリ「きんにくつう」
リリィ「猫はない」
猫「……」
セシリアは少しだけ話を聞いていたが、今日は記録板を開かなかった。
代わりに、ミリの器にパンを置く。
ミリ「ありがと」
セシリア「どういたしまして」
トトが不思議そうに見る。
「セシリア姉ちゃん、ほんとに今日は記録少ないね」
セシリア「マーサ先生に言われましたから」
マーサ「たまには手を動かしなってね」
セシリア「はい。記録だけでは、家は回りません」
レオン「いいことだ」
セシリア「マスターも明日、ギルドで手を動かしてください」
レオン「……ああ」
リュシア「逃げられないわね」
翌日。
レオンは久しぶりに冒険者ギルドへ向かった。
王都冒険者ギルド。
大きな石造りの建物。
掲示板。
受付。
酒場兼休憩所。
依頼書。
冒険者たちの声。
剣の音。
革鎧の匂い。
薬草とインクと汗の匂い。
レオンが扉を開けた瞬間。
ギルド内が止まった。
受付嬢「……ギルドマスター?」
冒険者「ギルマスだ」
別の冒険者「生きてた」
若い冒険者「いや、死んではないだろ」
古株「久しぶりすぎる」
レオン「……久しぶりだ」
その一言で、ギルド内がざわついた。
「本物だ!」
「ギルマスが来たぞ!」
「書類が山になってるぞ!」
「逃がすな!」
レオンの目が少しだけ細くなる。
「逃げない」
受付嬢がにっこり笑った。
ただし、その笑顔はセシリアに少し似ていた。
「では、こちらへ」
レオン「……どれくらいある」
受付嬢「まず、確認書類が六十二件」
レオン「……」
「承認待ち依頼が三十一件」
「新人登録の面談が八名」
「苦情が四件」
「相談が十二件」
「あと、ギルドマスター宛の手紙が山です」
レオン「山か」
受付嬢「山です」
冒険者の一人が笑った。
「孤児院の雑用ばっかやってるからだぞ、ギルマス!」
レオン「孤児院は大事だ」
古株の冒険者が頷く。
「ああ、それは知ってる」
別の冒険者が言う。
「ひだまり、工事するんだってな」
レオン「ああ」
「手が必要なら言えよ」
「荷運びくらいならできるぞ」
「俺、屋根直せるぞ」
「俺は飯食うだけなら」
「お前は邪魔だ」
少しだけ笑いが起きた。
レオンはその声を聞いて、静かに言った。
「必要なら頼む」
ギルド内が一瞬静かになった。
レオンが人に頼む。
それは、昔なら少し珍しいことだった。
だが今は違う。
助けたい時ほど、みんなを呼ぶ。
それは子どもたちだけの約束ではない。
レオン自身にも必要な約束だった。
古株の冒険者がにやりと笑った。
「おう。呼べよ、ギルマス」
受付嬢も頷く。
「では、まず書類からお願いします」
レオン「……ああ」
レオンは執務室へ入った。
机の上には、本当に山があった。
書類の山。
依頼書の山。
手紙の山。
そして、その一番上に、セシリアの字で書かれた小さな紙が置いてあった。
『逃げないでください』
レオンはしばらくそれを見た。
そして、静かに呟いた。
「読まれている」
その頃。
王城では、グレンが二日目の稽古を見ていた。
ルカとアリシアは昨日の疲れを少し残していたが、しっかり立っていた。
グレン「今日は復習だ。派手な剣技はしない」
ルカ「はい!」
グレン「まず靴ひも」
ルカ「確認済みです!」
アリシア「私も」
グレン「次に姿勢」
ルカ「はい!」
グレンは昨日のレオンを思い出しながら、二人の立ち方を直した。
レオンほど短くはない。
騎士らしく、丁寧に説明する。
ルカには、その方が分かりやすい部分もあった。
アリシアも、安心して質問できる。
アリシア「グレン、副団長」
グレン「はい」
「レオン様の稽古は、少し怖いです。でも、不思議と安心もします」
グレン「分かります」
ルカ「僕もです! 怖いけど、ちゃんと帰れそうな感じがします」
グレンは少しだけ笑った。
「それが、あの人の剣なのでしょう」
剣神ヴァルドの弟子。
灰剣のレオン。
だが、今教えているのは、勝つためだけの剣ではない。
帰るための剣。
グレンは木剣を持ち上げた。
「では、今日も五時間。始めましょう」
ルカ「はい!」
アリシア「お願いします」
その日の夕方。
レオンがギルドから戻ってきた時、顔はいつも通りだった。
しかし、肩が少し重そうだった。
マーサがそれを見逃すはずがない。
「レオン」
レオン「はい」
「書類、多かったね?」
レオン「多かったです」
トト「どれくらい?」
レオン「山」
ミリ「山」
リリィ「紙山」
ガル「倒れた?」
レオン「一度」
ユアン「倒れたんだ」
リュシア「書類の山に負ける元Sランク」
フィリア「精神的疲労ですね」
セシリア「お疲れさまです」
今日は、記録ではなく、温かい茶を出した。
レオンは少し意外そうにそれを見る。
「ありがとう」
セシリア「どういたしまして」
トト「セシリア姉ちゃん、今日は優しい」
セシリア「いつも優しいです」
ガル「まあ、うん」
ユアン「たぶん」
セシリア「そこは即答してください」
食堂に笑いが広がった。
レオンは茶を飲み、壁の札を見る。
十八、力は帰る道を作るために使う。
今日一日。
王城ではルカとアリシアが立ち方を学んだ。
仮ひだまりではトトがアルトの世話をした。
ギルドでは冒険者たちが、必要なら手を貸すと言った。
帰る道は、一つではない。
王城にも。
仮ひだまりにも。
ギルドにも。
少しずつ、道が増えていく。
マーサがスープを置いた。
「食べな」
レオン「ああ」
トトが手を上げる。
「レオン兄ちゃん、明日は王城?」
レオン「ああ。午前は王城。午後はギルド。夕方は仮ひだまり」
ガル「忙しすぎないか?」
ユアン「五時間稽古は?」
レオン「明日は俺が入る」
フィリア「休憩も予定に入れてください」
リュシア「倒れたら、私たちが怒られるわ」
マーサ「あんたが怒られるんだよ」
レオン「……分かった」
トト「俺のアルト訓練は?」
レオン「明日の様子次第だ」
トト「未定は可能性!」
アルトが外で低く鳴いた。
ぐるる。
マーサ「まずは今日、早く寝ることだね」
トト「はい!」
ミリ「寝る」
リリィ「猫も」
猫「……」
夜。
仮ひだまりの灯りが静かに落ちていく。
レオンは一人、食堂に残っていた。
机の上には、王城の稽古予定。
ギルドの書類。
工事の進行表。
そして、子どもたちの生活予定。
どれも重要だった。
どれも放っておけない。
けれど、以前ほど一人で抱えようとは思わなかった。
王城にはグレンがいる。
仮ひだまりにはマーサがいる。
魔法にはリュシアがいる。
治療にはフィリアがいる。
生活にはセシリアがいる。
ギルドには冒険者たちがいる。
そして、子どもたちは少しずつ自分で立ち始めている。
レオンは小さく息を吐いた。
「五時間稽古か」
剣神ヴァルドの小屋での半年を思い出す。
立つ。
歩く。
走る。
転ぶ。
握る。
斬る。
斬られる。
帰る。
あの頃は、意味が分からなかった。
今なら少し分かる。
剣は、斬るためだけに持つな。
帰る道を作るために持て。
レオンは立ち上がり、壁の札を見た。
十八、力は帰る道を作るために使う。
その文字の下に、トトの小さな落書きが増えていた。
『アルトに乗る時も』
レオンはしばらくそれを見た。
そして、少しだけ笑った。
「間違ってはいないな」
外では、アルトが眠っている。
庭の向こうには、星がいくつか戻っていた。
まだ黒玻璃の影は残っている。
ひだまり孤児院は工事中。
学園へ向かう日も近づく。
ギルドの仕事も山ほどある。
けれど、道はある。
帰る道も。
進む道も。
守る道も。
そのすべてを、少しずつ作っていけばいい。
仮ひだまりの夜は、静かに更けていった。




