第四十六話 王様からの依頼
翌朝。
仮ひだまり――つまり、レオンの豪邸。
本人だけが「普通の家」と言い張るその屋敷の食堂には、いつも通りマーサのスープの匂いが漂っていた。
広い食堂。
長い机。
高い天井。
大きな窓。
ひだまり孤児院の食堂とは全然違う。
けれど、そこに子どもたちが座り、マーサが鍋を混ぜ、レオンが無言でスープを飲んでいると、不思議と少しだけ“いつもの朝”になっていた。
トト「仮ひだまり、二日目!」
ミリ「かりすーぷ」
リリィ「猫、まだ迷子になってない」
猫「……」
ガル「昨日は廊下で迷いかけてたけどな」
リリィ「猫じゃなくて私」
ユアン「なおさら危ない」
エルは自分の器を両手で持って、ゆっくり息を吐いた。
「でも、昨日より落ち着く」
フィリア「良いことです」
リュシア「場所が変わっても、同じ人がいるからね」
セシリア「仮ひだまり生活、二日目。全員大きな混乱なし。記録します」
レオン「記録するのか」
セシリア「当然です」
その時、門の方から馬車の音が聞こえた。
がらがら。
がらがら。
トトが反射的に立ち上がりかける。
だが、すぐ壁に貼られた紙を見る。
『仮ひだまり防護十七か条』
十七、工事中の孤児院には勝手に戻らない。
トト「……門に誰か来た!」
マーサ「よし。勝手に走らなかったね」
トト「走ってない!」
ガル「椅子から半分浮いてたけどな」
ユアン「でも止まった」
エル「えらい」
ミリ「微増」
セシリア「信用値、微増」
トト「また微増!」
門へ向かったのは、レオンとセシリア。
アルトも屋根付きの馬車置き場から顔を出した。
門の外にいたのは、昨日の大工の棟梁と、王城から派遣された結界師だった。
棟梁は、少し気まずそうな顔をしている。
レオン「どうした」
棟梁「旦那。ちょっと、話が変わりまして」
セシリア「工事関連の報告ですね。中へ」
棟梁「いや、その前に……」
レオン「どこへ帰る?」
棟梁「ひだまりへ帰る!」
もう慣れ始めていた。
食堂に戻ると、棟梁は帽子を脱いで深く頭を下げた。
棟梁「すみません。昨日の見積もり、甘かったです」
マーサ「甘かった?」
棟梁「はい。床と壁だけじゃありません。屋根裏に黒い根の細い残りが絡んでました。古い結界の下に潜ってましてね。あと井戸周りも、想定より深く補強が必要です」
リュシアが眉をひそめる。
「黒い根の残り?」
結界師が頷く。
「はい。今は活動していません。ただ、古い木材の中に黒玻璃の魔力痕が染みています。安全に剥がして、建材を入れ替え、結界を一から張り直す必要があります」
レオン「期間は」
棟梁は少しだけ言いにくそうにした。
「二か月、見てください」
食堂が止まった。
トト「……二か月?」
ガル「一週間から十日って言ってなかったか?」
ユアン「十日が二か月に増えた」
ミリ「ながい」
リリィ「猫、長期滞在」
猫「……」
エル「二か月……」
マーサは静かに息を吐いた。
「そうかい。二か月か」
レオン「費用は俺が出す」
マーサ「それは後で説教するとして」
レオン「……はい」
マーサ「安全に直せるんだね?」
棟梁「はい。二か月いただければ、床も壁も屋根も井戸も、全部きっちり直します。ついでに、子ども部屋の風通しも良くできる。台所も広げられる。煙突も新しくできます」
トト「台所、広くなるの!?」
ミリ「すーぷ増える?」
マーサ「鍋は増やさないよ」
リュシア「結界的にも、二か月あればかなり強くできるわ」
結界師「ひだまり孤児院そのものを、黒玻璃の干渉に強い建物にできます」
セシリア「工事期間、二か月に変更。仮ひだまり生活も二か月。記録します」
トト「二か月、ここに住むの!?」
レオン「ああ」
ガル「豪邸生活二か月」
レオン「普通の家だ」
全員「違う」
エルは少しだけ不安そうに屋敷の食堂を見た。
「二か月も、ここで大丈夫かな」
マーサはすぐに答えた。
「大丈夫にするんだよ」
エル「……大丈夫にする?」
マーサ「そう。場所が変わったなら、そこを少しずつ暮らせる場所にする。ご飯を食べて、寝て、叱って、笑って、少しずつね」
トト「じゃあ、仮ひだまり生活、本格開始?」
セシリア「その表現で記録します」
リュシア「二か月なら、エルの魔力訓練も落ち着いて進められるわね」
フィリア「生活リズムも整えましょう」
レオン「俺の家なのだが」
マーサ「二か月は仮ひだまりだよ」
レオン「……分かりました」
トト「レオン兄ちゃんの家、乗っ取られた!」
ミリ「仮ひだまり」
リリィ「猫も住民」
猫「……」
その日の午前中。
二か月の仮ひだまり生活が決まったことで、屋敷の中はさらに本格的な準備に入った。
使っていない客室の掃除。
子どもたちの荷物置き場。
学習部屋。
食堂の席順。
猫の寝床。
アルトの場所。
地下訓練室の使用制限。
そして、廊下で迷子にならないための簡易地図。
ユアンが紙に屋敷の見取り図を描き始めた。
ユアン「ここが食堂。ここが玄関。ここが僕たちの部屋。ここがエルたちの部屋」
トト「地下訓練室は?」
ユアン「ここ」
ガル「広すぎるな」
ミリ「地図いる」
リリィ「猫用もいる」
猫「……」
セシリア「屋敷内移動用地図、作成中。非常に有用です」
レオン「迷うほどではない」
全員「迷う」
レオン「……」
午後。
庭では、アルトが大きな体を伸ばしていた。
空の黒い膜はさらに薄くなり、短時間なら低空飛行もできる状態になっていた。
リュシアが水晶を確認する。
「庭の上なら問題ないわ」
フィリア「ただし、無理は禁物です」
アルト「……」
トトは少し離れた場所で、目を輝かせていた。
今日の彼は落ち着いている。
いや。
落ち着こうとしている。
両手を後ろで組み、足をそろえ、体を前に倒さないよう必死に耐えている。
ガル「すごく乗りたそう」
ユアン「顔に出てる」
ミリ「のりたい」
リリィ「猫も分かる」
猫「……」
トト「まだ何も言ってない!」
レオン「言う前から分かる」
トト「レオン兄ちゃん……」
レオン「なんだ」
トトは大きく息を吸った。
そして、壁に貼った十七か条の写しを見る。
十六、靴ひもをちゃんと結ぶ。
十七、工事中の孤児院には勝手に戻らない。
さらに十一条。
助けたい時ほど、みんなを呼ぶ。
トトは真面目な顔で言った。
「アルト先輩に、乗せてもらいたいです」
庭が静かになった。
マーサが眉を上げる。
セシリアが記録板を構える。
フィリアが健康確認の顔になる。
リュシアが少し楽しそうに水晶を持ち直す。
アルトはトトを見た。
レオン「勝手に乗らないと約束したな」
トト「した」
レオン「今日は自分から頼んだ」
トト「うん」
レオン「走って飛びつかない」
トト「うん」
レオン「靴ひもは」
トト「結んだ!」
レオン「アルト本人の許可は」
トトはアルトを見る。
「アルト先輩、乗せてください」
アルトはしばらくトトを見ていた。
黄金色の目。
大きな翼。
白銀の羽。
トトは緊張で少し肩を固くしている。
やがて、アルトは低く鳴いた。
ぐるる。
そして、ゆっくりと体を伏せた。
トトの目が大きくなる。
「……いいの?」
アルトはもう一度鳴いた。
ぐるる。
レオン「許可だ」
トト「やった……!」
マーサ「走らない」
トト「走らない!」
トトはゆっくり歩いた。
本当に、ゆっくり。
ガル「歩いてる」
ユアン「急いで歩いてない」
ミリ「成長」
リリィ「猫も見てる」
猫「……」
レオンがトトの横に立つ。
「まず鞍ではなく、背に座るだけだ」
トト「はい」
フィリア「落下防止の補助紐をつけます」
リュシア「浮く高さは子どもの背丈ほどまで。庭の中だけ」
セシリア「アルト騎乗訓練、第0段階。地上静止騎乗」
トト「第0段階!?」
レオン「まずは第0段階だ」
ガル「何でも第0段階からだな」
ユアン「でも大事」
トトはレオンに支えられながら、そっとアルトの背に乗った。
アルトの背は温かかった。
羽毛と筋肉の感触。
大きな呼吸。
自分よりずっと大きい生き物の上にいる感覚。
トトは一瞬、声を失った。
「……すごい」
エル「トト、大丈夫?」
トト「大丈夫。すごい。ちょっと怖い。でも、すごい」
レオン「怖いなら降りるか」
トト「降りない。でも、怖いって言う」
リュシア「良い判断ね」
マーサ「顔もちゃんとしてる」
セシリア「トトくん、恐怖を申告。成長記録です」
トト「俺、記録されてる!」
アルトがゆっくり立ち上がった。
トトの体が揺れる。
レオンが横で支える。
トト「おおお……!」
ミリ「高い」
リリィ「猫より高い」
猫「……」
ガル「猫基準なのか」
ユアン「でも分かる」
レオン「背を丸めるな。呼吸しろ」
トト「はい!」
トトは息を吸う。
吐く。
エルが小さく笑った。
「私の練習と同じ」
トト「ほんとだ!」
アルトが一歩進む。
ゆっくり。
庭を一歩。
二歩。
三歩。
トトは手綱ではなく、アルトの首元の革帯をそっと掴む。
「アルト先輩、歩いてる……俺、乗ってる……!」
ミリ「成功」
リリィ「地上任務」
ガル「まだ飛んでないぞ」
ユアン「でもすごい」
レオン「止まれ」
アルトが止まる。
レオン「降りる」
トト「えっ、もう?」
マーサ「最初は短く」
フィリア「体も心も慣らす必要があります」
トトは少し残念そうにしたが、すぐうなずいた。
「はい」
レオンに支えられて、トトは地面に降りた。
足が少し震えている。
でも、顔は輝いていた。
トト「乗れた……!」
アルトが軽くトトの髪をつついた。
トト「今のは褒めた?」
リリィ「たぶん、褒めた」
ミリ「成功つつき」
レオン「今日はここまでだ」
トト「明日は?」
レオン「明日は未定」
トト「未定って、可能性ある?」
セシリア「第0段階成功により、次回訓練検討可能」
レオン「勝手に進めるな」
マーサ「でも、ちゃんと頼んで、ちゃんと怖いと言って、ちゃんと降りた。今日は褒めていいんじゃないかい」
レオンはトトを見る。
トトは背筋を伸ばしている。
レオン「よくやった」
トトの顔が、ぱっと明るくなった。
「やった!」
エル「おめでとう」
ガル「よかったな」
ユアン「次はもっと落ち着けそうだね」
ミリ「アルト先輩」
リリィ「猫も乗る?」
猫「……」
猫は静かにリリィの腕の中へ隠れた。
ガル「乗らなそう」
その夕方。
王城へ工事の正式報告に行くことになった。
理由は二つ。
一つは、ひだまり孤児院の工事期間が二か月に延びたこと。
もう一つは、王城側の支援や警備体制を調整するため。
向かうのは、レオン、マーサ、セシリア、リュシア、フィリア。
トトたちは仮ひだまりで留守番。
ただし、トトはアルト騎乗成功を王子に報告したくて仕方がなかった。
トト「ルカ王子に言いたい!」
レオン「手紙で書け」
トト「今すぐ!?」
セシリア「後で確認してから送ります」
トト「確認される!」
マーサ「当然だよ。王城への手紙だからね」
エル「私もアリシア王女様に書いていい?」
フィリア「もちろんです」
リュシア「魔力練習のことも書けるわね」
エル「はい」
王城。
会議室では、国王エルドラン、アリシア、ルカ、グレンが待っていた。
ルカはレオンたちを見るなり立ち上がりかけた。
グレン「殿下」
ルカ「走らない!」
アリシア「まだ立っただけです」
ルカ「でも気持ちは走りました!」
グレン「気持ちも落ち着けてください」
セシリア「王城トト、健在」
レオン「記録するな」
国王「よく来た。報告を聞こう」
レオンが説明する。
床、壁、屋根、煙突、井戸。
黒い根の残滓。
古い結界の張り直し。
二か月の工期。
仮ひだまりとしてレオン邸を使用すること。
国王は真剣に聞いていた。
「二か月か」
グレン「長期になりますね」
マーサ「子どもたちには少し負担がかかります。でも、安全のためなら必要です」
リュシア「黒玻璃対策としては、むしろ良い機会です。建物全体を結界の器として作り直せます」
フィリア「湿気や煙突の問題も改善されます。健康面では大きな利点があります」
セシリア「仮ひだまり生活は現在安定。屋敷が広すぎる点を除けば、大きな問題はありません」
レオン「広すぎない」
マーサ「広すぎるよ」
国王は少し笑った。
「レオンの家は、私も見たことがある。あれを普通の家とは言わぬ」
レオン「陛下まで」
ルカ「僕も一度行ってみたいです!」
アリシア「ルカ」
ルカ「見学だけ!」
グレン「見学で済むか不安です」
国王「いずれ正式に訪ねるとしよう」
レオン「陛下」
国王「半分は冗談だ」
セシリア「半分は本気ですね」
国王「うむ!」
話が一段落したところで、ルカが我慢できずに口を開いた。
「トトは元気ですか?」
マーサ「元気だよ。今日、アルトに乗せてもらった」
ルカ「えええええっ!?」
ルカは立ち上がった。
今度は止まれなかった。
グレン「殿下」
ルカ「すみません! でも、アルト殿に!?」
アリシアも少し驚いた顔をした。
「トトさん、乗れたのですか?」
レオン「ああ。第0段階だ。地上で、短時間だけ」
ルカ「すごい……!」
マーサ「勝手に飛び乗ったんじゃないよ。ちゃんと頼んで、怖いって言って、降りる時も約束を守った」
アリシア「それは、とても大きな成長ですね」
ルカ「僕も乗りたい!」
グレン「殿下」
ルカ「言ってみただけです!」
セシリア「言ってみただけ、記録します」
ルカ「記録されるのですか!?」
国王は少し笑っていた。
「ルカ。乗りたい気持ちは分かるが、まずは学ぶべきことが多い」
ルカ「はい……」
その言葉に、アリシアも姿勢を正した。
国王「ちょうどよい。レオン、マーサ殿。今日、二人に話したいことがある」
レオン「はい」
国王はアリシアとルカを見る。
「アリシアも、ルカも、いずれ学園へ行く」
ルカ「十五歳になった時、ですよね」
国王「そうだ」
アリシア「私はもうすぐ、その年になります」
国王「学園では、王族としてだけでなく、一人の人間として学ぶことになる。魔法、歴史、剣、礼法、政治、戦術、人との関わり方。そして、自分の身を守る術」
ルカ「本格的に、ですね」
国王「ああ。本格的にだ」
レオンは静かに聞いていた。
グレンが続ける。
「学園には優れた教師がいます。しかし、王族である以上、入学前から最低限の基礎は固める必要があります」
アリシア「私は魔法と礼法だけでなく、護身術も学びたいです」
ルカ「僕は剣をもっと学びたいです!」
国王「そこで、相談だ」
国王はレオンを見た。
「レオン。可能な範囲で、二人に基礎を教えてやってほしい」
レオン「俺が、ですか」
ルカの目が輝く。
「レオン殿に教われるのですか!?」
アリシアも少し驚いた顔をする。
「よろしいのですか?」
レオン「俺は教えるのが得意ではありません」
セシリア「新人冒険者講習で、マスターの説明は短すぎる傾向があります」
リュシア「でも、要点は正確よ」
フィリア「安全面を守る意識も強いです」
マーサ「子どもに教える時は、案外ちゃんと見るよ」
レオン「案外」
マーサ「案外だよ」
グレン「剣については、レオン殿以上の適任は少ない」
ルカ「僕、ちゃんと頑張ります!」
アリシア「私も」
レオンは少し黙った。
「基礎だけなら」
ルカ「やった!」
グレン「殿下、落ち着いてください」
レオン「ただし、剣を振る前に走る。走る前に呼吸。呼吸の前に姿勢。姿勢の前に靴ひもだ」
ルカ「靴ひも!?」
セシリア「ひだまり十六条です」
アリシア「大事ですね」
マーサ「転んだら剣どころじゃないからね」
ルカは真剣にうなずいた。
「分かりました。靴ひもから学びます!」
国王「よい心がけだ」
グレン「本当に靴ひもから始まるのか……」
レオン「当然だ」
その時、グレンがふと思い出したように言った。
「そういえば、レオン殿」
レオン「なんだ」
「以前から気になっていたのだが、あなたの剣は誰に教わった?」
会議室の空気が少し変わった。
リュシアが目を細める。
セシリアのペンが止まる。
フィリアがレオンを見る。
マーサも、ほんの少しだけ静かになった。
レオン「昔の話だ」
セシリア「出ました」
リュシア「聞かれなかったから言わなかった案件ね」
レオン「……」
ルカ「レオン殿に剣の師匠がいたのですか!?」
アリシア「私も、初めて聞きます」
国王も興味深そうに身を乗り出した。
「レオンほどの剣を育てた人物か。名を聞いてもよいか」
レオンはしばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「ヴァルド・レイガン」
その名を聞いた瞬間、グレンの顔色が変わった。
「……まさか」
国王も目を細める。
「ヴァルド・レイガン……剣神ヴァルドか」
ルカ「剣神?」
アリシア「歴史書に名が残る、あの?」
グレン「かつて王国最強の剣士と呼ばれた男です。戦場で一度も敗れず、晩年はすべての称号を捨てて姿を消したと言われています」
リュシア「でも、彼は弟子を取らなかったはずよ」
セシリア「記録上もそうです。剣神ヴァルドは生前、『弟子はいない』と明言しています」
フィリア「では……」
全員の視線がレオンへ集まる。
レオンは少しだけ目を伏せた。
「正式な弟子ではない」
マーサ「レオン」
レオン「だが、剣はあの人に教わった」
会議室が静かになる。
レオンは続けた。
「山奥の小屋で、半年ほど」
ルカ「半年!?」
グレン「半年で、あの剣を……?」
レオン「死ぬほど斬られた」
フィリア「それは訓練ですか?」
レオン「訓練だ」
リュシア「本当に?」
マーサ「怪しいね」
レオン「朝起きたら素振り。飯前に素振り。飯後に走る。走った後に打ち込み。昼に斬られる。夕方にまた斬られる。夜に姿勢を叩き直される」
ルカの目が輝いている。
グレンは逆に顔をしかめている。
アリシアは静かに聞いている。
セシリアはすさまじい勢いで記録している。
フィリア「健康上、非常に問題があります」
レオン「昔の話だ」
リュシア「それで済ませないで」
国王「しかし、ヴァルドはなぜ弟子はいないと言ったのだ」
レオンは少し黙った。
「俺に、自分の名で剣を振らせたくなかったんだと思います」
国王「……」
レオン「剣神の弟子という名は、重い。あの人は、俺にそれを背負わせなかった」
グレン「だが、実際には教えていた」
レオン「ああ」
ルカ「じゃあ、レオン殿は剣神の弟子……」
レオン「名乗ったことはない」
セシリア「しかし事実です」
リュシア「なるほどね。だから、あなたの剣は綺麗すぎる時があるのね」
フィリア「綺麗すぎる?」
リュシア「無駄がない。怒っていても、最後の刃筋だけは冷えている。誰かが徹底的に叩き込んだ剣よ」
マーサ「その人は、もう亡くなっているのかい」
レオン「ああ」
会議室に、静かな沈黙が落ちる。
レオンの声は大きくなかった。
でも、そこには珍しく、昔を思い出す響きがあった。
「最後に言われた」
ルカ「何をですか」
レオンは少しだけ目を閉じた。
そして、低く言った。
「剣は、斬るためだけに持つな。帰る道を作るために持て」
その言葉に、誰もすぐには何も言えなかった。
アリシアが静かに言う。
「帰る道……」
ルカは拳を握った。
「僕も、それを学びたいです」
レオンはルカを見る。
ルカの目は真剣だった。
ただ強くなりたいだけではない。
守りたい。
帰りたい。
帰らせたい。
そういう目だった。
レオン「なら、まず靴ひもだ」
ルカ「はい!」
グレン「やはり靴ひもに戻るのか」
セシリア「剣神流、第0段階、靴ひも」
レオン「違う」
リュシア「でも、ヴァルド様も言いそうね」
マーサ「言いそうだね」
レオン「……言うかもしれない」
セシリア「認めました」
国王は静かに笑った。
「剣神の弟子に、我が子らが基礎を教わるか」
レオン「重く言わないでください」
国王「重いことだ」
レオン「……」
国王「だが、安心した」
レオン「なぜですか」
国王「そなたは、剣を力としてだけ教えぬだろう。帰る道を作る剣として教える」
レオンは答えなかった。
ただ、小さく頷いた。
その日の夜。
仮ひだまりに戻ると、トトはすぐに玄関まで走りかけた。
だが止まった。
トト「走ってない!」
マーサ「よし」
トト「王城どうだった!?」
セシリア「情報が多すぎます」
ガル「何かあったのか」
ユアン「顔がいつもと違う」
エル「レオン兄ちゃん、何か言われた?」
レオン「工事は二か月だ」
トト「それは聞いた!」
ミリ「長い」
リリィ「猫、住む」
レオン「それと、ルカ殿下とアリシア殿下が学園へ行く前に、少し教えることになった」
トト「レオン兄ちゃんが先生!?」
ガル「大丈夫か?」
レオン「何がだ」
ユアン「説明短そう」
エル「でも、大事なことは教えてくれると思う」
トト「俺も教わりたい!」
レオン「お前はまずアルト第0段階を続ける」
トト「はい!」
セシリア「それと」
レオン「セシリア」
セシリア「重要情報です」
リュシア「子どもたちにも、いつか知られることよ」
フィリア「言い方は選びましょう」
トト「何?」
セシリアは記録板を閉じた。
珍しく、記録ではなく普通に言った。
「レオン様には、剣の師匠がいました」
ガル「師匠?」
ユアン「レオン兄ちゃんの?」
トト「えっ!? レオン兄ちゃんにも先生いたの!?」
レオン「いる。昔はな」
エル「どんな人?」
レオンは少しだけ黙った。
「剣神と呼ばれた男だ」
食堂が静かになった。
ミリ「けんしん?」
リリィ「剣の神?」
猫「……」
ガル「すごそう」
ユアン「すごいどころじゃないと思う」
トト「その人、どこにいるの!?」
レオン「もう死んでいる」
トトの顔が少し変わった。
「……そっか」
レオン「ああ」
エル「悲しい?」
レオンは少し考えた。
「悲しいというより、残っている」
エル「残っている?」
レオン「言葉と、剣が」
トト「どんな言葉?」
レオンは食堂の窓の外を見た。
仮ひだまりの庭。
アルトが眠っている。
猫が丸くなっている。
子どもたちがここにいる。
遠くには、工事中のひだまり孤児院。
そして、その先にいつか帰る場所。
「剣は、斬るためだけに持つな」
レオンは言った。
「帰る道を作るために持て」
トトは黙った。
ガルも。
ユアンも。
エルも。
ミリも、リリィも、珍しく静かだった。
やがて、トトが小さく言った。
「レオン兄ちゃんの剣って、そういう剣なんだ」
レオン「そうありたいとは思っている」
マーサ「そうだね」
フィリア「とても、レオン様らしいです」
リュシア「あなたの師匠、良いことを言うわね」
セシリア「剣神ヴァルドの言葉、記録します」
レオン「それは……いい」
セシリア「珍しいですね」
レオン「残した方がいい」
マーサは静かに微笑んだ。
「じゃあ、仮ひだまりにも一つ増やすかい?」
トトが壁を見る。
『仮ひだまり防護十七か条』
トト「十八?」
レオン「増やすのか」
トト「だって、大事でしょ?」
エル「うん。大事」
ガル「剣だけじゃなくても使えそうだな」
ユアン「道を作るってことだよね」
ミリ「帰る道」
リリィ「猫の道」
猫「……」
マーサ「じゃあ、こうだね」
トトが紙を持ってくる。
少し曲がった字で、新しい約束を書いた。
十八、力は帰る道を作るために使う。
セシリアはそれを見て、静かに頷いた。
「採用です」
レオンは何も言わなかった。
ただ、その文字をしばらく見ていた。
二か月の仮ひだまり生活。
大工事。
アルト騎乗訓練。
王子と王女の学園準備。
剣神の弟子だった過去。
いろいろなことが、一度に動き始めていた。
けれど、その夜。
仮ひだまりの食堂には、いつものスープがあった。
トトはアルトに乗れた話を何度も繰り返した。
エルはアリシアへの手紙に、呼吸の練習と剣神の言葉を書いた。
ガルとユアンは、屋敷の地図に「迷いやすい廊下」と書き足した。
ミリは「かりすーぷ」と言いながら眠そうにしていた。
リリィは猫に「十八番目できたよ」と報告していた。
猫は何も答えなかった。
レオンは、壁の文字を見た。
十八、力は帰る道を作るために使う。
かつて剣神と呼ばれた男は、弟子はいないと言った。
けれど、確かに一人だけ教えた。
その弟子は今、剣だけでなく、家を直し、子どもを守り、帰る場所を作っている。
マーサがスープをよそいながら言った。
「レオン」
レオン「はい」
「二か月、長いよ」
レオン「ああ」
「でも、二か月あれば、子どもはけっこう育つ」
レオンはトトを見る。
今日、アルトに乗った少年。
エルを見る。
怖さを呼吸で落ち着ける少女。
壁の十八番目を見る。
そして静かに頷いた。
「ああ。そうだな」
外では、アルトが低く鳴いた。
ぐるる。
その声は、まるで言っているようだった。
“次は、もう少しだけ歩いてやる”
トトが窓の外へ顔を向ける。
「アルト先輩、明日もお願いします!」
レオン「明日は未定だ」
トト「未定は可能性!」
セシリア「前向き解釈、記録します」
マーサ「まず寝な」
トト「はい!」
仮ひだまりの夜は、少し賑やかだった。
孤児院は工事中。
帰る場所は、一度空になっている。
でも、帰る道は消えていない。
むしろ、少しずつ増えている。
靴ひもを結ぶ道。
助けたい時に呼ぶ道。
怖い時に呼吸する道。
アルトの背に乗る道。
学園へ向かう道。
剣を学ぶ道。
そして、いつかまた、強くなったひだまり孤児院へ帰る道。
そのすべてが、今。
仮ひだまりから伸び始めていた。




