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第四十三話 空が少し開く日


翌朝。


ひだまり孤児院の庭には、いつもより少し明るい光が差していた。


完全な青空ではない。


まだ、西の空には薄い黒い膜の名残がある。


だが、昨日までのような重さはない。


空気が、少し軽い。


風が、少し高いところまで抜けている。


アルトは庭の中央で、空を見上げていた。


白銀の翼をゆっくり広げる。


ばさり。


風が起きる。


トトの髪が揺れた。


トト「おお……!」


ガル「昨日より軽そうだな」


ユアン「空、ちょっと戻ってる?」


エル「黒い膜、薄くなったからかな」


ミリ「そら、あいた?」


リリィ「猫も見る」


猫「……」


猫はリリィの腕の中で、少しだけ目を細めた。


眩しいらしい。


レオン・ガルディアは、庭の端で空を見上げていた。


隣にはリュシア・アルヴェイン。


その手には菫色の水晶がある。


水晶の中では、昨日よりずっと澄んだ光が揺れていた。


リュシア「かなり薄くなっているわね」


レオン「飛べるか」


リュシア「短時間なら。高く飛ぶのはまだ避けた方がいいけれど、庭の上を軽く浮くくらいなら大丈夫」


トト「浮く!?」


フィリア「ただし、健康管理対象です」


アルトがフィリアを見る。


フィリア「アルトもです」


アルト「……」


アルトは少しだけ首をかしげた。


トト「アルト先輩、健康管理対象だって」


アルトはトトの髪を軽くつついた。


トト「なんで俺!?」


レオン「分かったと言っている」


セシリア「都合よく解釈している可能性があります」


ミリ「つつき返事」


リリィ「猫はつつかない」


猫「……」


マーサは食堂の入口から庭を見ていた。


手には布巾。


表情はいつも通り穏やかだが、少しだけ安心しているようにも見える。


マーサ「飛ぶなら、庭の中だけだよ」


トト「俺、見るだけ!」


マーサ「乗らない」


トト「乗らない!」


ガル「今は言われる前に言ったな」


ユアン「成長」


エル「えらい」


トト「信用、ちょっと戻った?」


セシリア「微増です」


トト「微増!」


レオンはアルトの首を軽く撫でた。


「少しだけだ」


アルトは低く鳴く。


ぐるる。


それから、白銀の翼を大きく広げた。


地面を蹴る。


だが、飛び上がりすぎない。


庭の上。


子どもたちの頭より少し高い場所を、ふわりと浮いた。


白銀の羽が朝の光を受けて輝く。


トト「飛んだ!」


ミリ「ふわ」


リリィ「猫、見て」


猫「……」


猫は、珍しく逃げなかった。


ただ、目だけを大きく開けてアルトを見ていた。


エル「きれい……」


ガル「やっぱりすげぇな、アルト」


ユアン「空が戻ってる感じがする」


レオンはその光景を見て、ほんの少しだけ目を細めた。


空を閉じられた。


地面から狙われた。


声を真似られた。


荷物を使われた。


知った顔まで使われた。


それでも、少しずつ取り戻している。


空も。


日常も。


子どもたちの笑い声も。


アルトは庭の上を一周だけ浮いてから、静かに地面へ降りた。


フィリアがすぐに近づく。


「息は乱れていませんか?」


アルト「……」


トト「フィリア姉ちゃん、アルト先輩に本気だ」


フィリア「当然です。大切な守り手ですから」


アルトは少しだけ胸を張った。


ミリ「守り手」


リリィ「アルト先輩」


トト「地上任務も空任務もできる!」


セシリア「ただし、勝手に乗らない」


トト「分かってる!」


その時、門の外から声がした。


「王城より届け物です!」


庭にいた全員が動きを止めた。


トトは反射的に一歩前へ出そうになり、止まった。


壁の札。


十三、知らない荷物は大人が見るまで開けない。


十四、知ってる人でも、いつもと違ったら大人に言う。


十五、勝っても油断しない。


トト「……マーサ先生。王城から荷物!」


マーサ「よし。中で待つんだよ」


トト「はい!」


ガル「本当に待てるようになったな」


トト「今、すごく見たい!」


ユアン「でも待ってる」


エル「えらい」


トト「えらいって言われた!」


セシリア「調子に乗らない」


トト「はい!」


門へ向かったのは、レオン、セシリア、リュシア、マーサ。


アルトも少し離れて見張っている。


門の外にいたのは、グレン・アシュフォードだった。


後ろには騎士が二名。


荷車には、大きな木箱がいくつも積まれている。


グレン「合言葉を確認するか?」


マーサ「当然だよ」


グレンは真面目な顔でうなずいた。


マーサ「どこへ帰る?」


グレン「ひだまりへ帰る」


レオン「グレンまで慣れてきたな」


グレン「必要な確認だ」


セシリア「良い傾向です」


グレン「王城でも、ルカ殿下が毎朝練習している」


リュシア「王城トトね」


グレン「否定できない」


セシリア「記録しますか?」


グレン「王城側の記録には残さなくてよい」


レオン「こちらにも残すな」


セシリア「検討します」


木箱の封印を、リュシアが水晶で確認する。


黒玻璃反応なし。


次にセシリアが書類と照合する。


王城印。


国王の署名。


福祉倉庫経由ではなく、王城直送。


さらに、グレン本人の確認。


マーサが箱の匂いを確認する。


「変な匂いはしないね」


レオン「マーサ先生も嗅ぐのか」


マーサ「ジーナほどじゃないけどね。古い油や変な薬草くらいは分かるよ」


リュシア「さすがね」


セシリア「マーサ先生の危機察知能力、記録対象です」


マーサ「私は記録しなくていいよ」


確認が終わると、ようやく箱が食堂へ運ばれた。


トトたちは、全員椅子に座って待っていた。


ただし、トトの体は前のめりである。


トト「もう開けていい!?」


マーサ「大人が開ける」


トト「はい!」


レオンが最初の箱を開ける。


中には、子ども用の新しい靴が並んでいた。


丈夫な革靴。


柔らかい中敷き。


雨の日でも滑りにくい底。


それぞれの名前が小さな札でつけられている。


トト「靴!?」


ガル「新品だ……」


ユアン「僕たちの名前がある」


エル「私のも……」


ミリ「くつ」


リリィ「猫のは?」


猫「……」


グレン「猫用は……すまない、用意がない」


リリィ「猫、残念」


猫は特に残念そうではなかった。


セシリアが手紙を開く。


「陛下より。『ジーナ殿の報酬の一部を、ひだまり孤児院の支援として届ける。まずは子どもたちの靴を新しくせよ。よく歩き、よく帰るために、足元は大事である』」


トト「王様……!」


ミリ「くつすーぷ?」


レオン「靴は飲まない」


リリィ「歩くすーぷ?」


セシリア「意味が崩壊しています」


グレンが咳払いした。


「ルカ殿下からも追記がある」


トト「王城トトから!?」


グレン「本人の前では言うな」


セシリア「記録上は定着しています」


レオン「定着させるな」


グレンは手紙を読む。


「『トトへ。僕も新しい靴を買ってもらいました。走る前に呼ぶ練習をしています。でも、走りたい気持ちは分かります。だから一緒にがんばりましょう。ルカ』」


トトの顔が明るくなった。


「王子様、分かってる!」


ガル「そこ分かり合うの危ないな」


ユアン「でも、呼ぶ練習してるならいい」


エル「一緒にがんばるんだね」


グレン「アリシア殿下からも」


エルが顔を上げる。


グレンは別の手紙を渡した。


エルは両手で受け取る。


そこには、丁寧な文字が並んでいた。


『エルさんへ。力は、急に分かるものではありません。私も王女として、まだ分からないことばかりです。怖いと思うこともあります。けれど、怖い時に一人で抱えないことを、私も練習します。エルさんも、どうか一緒に練習しましょう』


エルは何度もその文を読んだ。


胸元に、淡い金色の光が灯る。


けれど、すぐに呼吸した。


ゆっくり吸って。


ゆっくり吐く。


光は穏やかに落ち着いた。


フィリア「上手です」


リュシア「ええ。本当に上手」


エル「……一緒に練習する人が増えた」


トト「俺も!」


ガル「俺もだな」


ユアン「僕も」


ミリ「わたしも」


リリィ「猫も」


猫「……」


マーサ「じゃあ、みんなで練習だね」


その日の午前中。


ひだまり孤児院では、急に靴合わせ大会が始まった。


トトは新しい靴を履いて、食堂の中を歩き回る。


トト「軽い!」


マーサ「走らない」


トト「歩いてる!」


ガル「かなり速い歩きだな」


ユアン「急いで歩いてるだけ、は逃走の時にも言ってた」


トト「逃げてない!」


セシリア「要観察」


ミリは自分の靴をじっと見ていた。


「ぴったり」


リリィは猫に見せる。


「猫、見て」


猫「……」


リリィ「猫、認めた」


ガルは少し照れくさそうに靴紐を結んでいた。


「新品って、なんか落ち着かないな」


ユアン「でも歩きやすい」


エルは自分の靴を履いて、ゆっくり立ち上がった。


少し歩く。


一歩。


二歩。


三歩。


トト「エル、どう?」


エル「……歩きやすい」


トト「よかった!」


エル「うん」


エルは自分の足元を見た。


新しい靴。


王城から届いたもの。


ジーナの報酬で買われたもの。


帰るための足元。


歩くための準備。


エルは小さく言った。


「私、ちゃんと歩ける」


レオンはその言葉を聞いて、何も言わなかった。


ただ、静かにうなずいた。


昼前。


王城へ報告に戻るグレンを見送った後、レオンたちは食堂へ戻った。


すると、壁の札の前でトトが腕を組んでいた。


レオン「また増やす気か」


トト「まだ何もしてない!」


セシリア「その姿勢は、何かする前です」


トト「顔だけじゃなく姿勢でもバレる!」


マーサ「何を書くつもりだい」


トトは新しい靴を見下ろした。


「十六、靴ひもをちゃんと結ぶ」


食堂が静かになった。


レオン「……それは防護か?」


トト「転んだら危ないでしょ?」


ミリ「ころぶ」


リリィ「猫は靴ひもない」


ガル「まあ、実際大事だな」


ユアン「逃げる時じゃなくても転ぶし」


エル「歩いて帰るために大事」


フィリア「非常に重要です。怪我の予防になります」


リュシア「基本の結界ね」


セシリア「第0段階、靴ひも」


レオン「また第0段階が増えた」


マーサ「いいじゃないか。今回は本当に大事だよ」


こうして、ひだまり防護か条はまた増えた。


十六、靴ひもをちゃんと結ぶ。


トトが書いた。


ミリが小さな靴の絵を描いた。


リリィが猫の肉球印を押そうとして、やはりマーサに止められた。


リリィ「猫印、いつか」


マーサ「いつかね」


猫「……」


午後。


リュシアによるエルの魔力練習が行われた。


今日は食堂ではなく、庭。


空が少し開いたからだ。


庭の中央に小さな器を置く。


その中に水を張る。


エルは器の前に座る。


トトたちは少し離れて見ている。


アルトも庭の端で見守っていた。


リュシア「今日は、外の空気の中で練習しましょう」


エル「はい」


リュシア「怖い?」


エル「少し」


リュシア「よし」


エル「よし?」


リュシア「怖いと分かっているなら、無理をしないで済むもの」


エルは小さくうなずいた。


「はい」


リュシア「胸の中に水がある。器の中にも水がある。その二つを無理に繋げようとしない。ただ、同じように落ち着いていると思って」


エルは目を閉じた。


ゆっくり吸う。


ゆっくり吐く。


器の水面が揺れる。


金色の光が、水の上にふわりと浮かんだ。


今日は、昨日よりも少し形がはっきりしていた。


小さな輪。


優しい光。


攻撃でも、暴走でもない。


ただ、そこにあるだけの力。


ミリ「きれい」


トト「すごい……」


ガル「静かに」


トト「はい」


ユアン「でも本当にすごい」


リリィ「猫も見てる」


猫「……」


エルの光は、しばらく揺れた後、静かに消えた。


リュシア「できたわね」


エル「……はい」


フィリア「体調は?」


エル「大丈夫です」


フィリア「胸の苦しさは?」


エル「ないです」


レオン「怖さは」


エルは少し考えた。


「少しある。でも、さっきより小さい」


レオン「ああ。それでいい」


エルは少しだけ笑った。


「はい」


トトが手を上げる。


「俺も練習したい!」


リュシア「何の?」


トト「叫ぶ練習!」


マーサ「むやみに叫ばないって言っただろう」


トト「必要な時のために!」


ジーナがいれば笑っただろう。


だが、今は森にいる。


マーサは少し考えた。


「じゃあ、一回だけだよ」


トト「いいの!?」


セシリア「訓練としてなら有効です」


レオン「声を出す前に内容を決めろ」


トト「内容?」


レオン「誰を呼ぶのか。何が起きたのか。どこにいるのか」


トトは真剣な顔になった。


「分かった」


庭の端に立つ。


息を吸う。


そして、全力で叫んだ。


トト「レオン兄ちゃん! 門の外に知らない荷物! 俺は庭にいる!」


食堂の窓が少し震えた。


ミリ「声、大きい」


リリィ「猫、びっくり」


猫「……!」


猫は本当に少し跳ねた。


ガル「でも分かりやすい」


ユアン「誰を呼ぶか、何があるか、どこにいるか、全部入ってた」


エル「すごい」


トト「俺、できた?」


レオン「ああ。できた」


トトの顔がぱっと明るくなる。


「やった!」


マーサ「ただし、今の声を毎日やったら近所から苦情が来るよ」


トト「毎日はしない!」


セシリア「週一訓練なら検討可能です」


レオン「検討するな」


リュシア「でも、練習としては悪くないわ」


フィリア「危険時に叫べない子は多いですから」


マーサ「じゃあ、ほどほどにね」


トト「ほどほど叫び!」


ミリ「ほどほど」


リリィ「猫、ほどほど希望」


その日の夕方。


王城からもう一通、報告が届いた。


ラザルの遺体から、黒玻璃本体へ続く直接的な術式は発見されなかった。


黒玻璃紋はジーナの一撃で完全に砕かれていた。


だが、ラザルが残した黒い結晶片の中に、一つだけ奇妙な記録が残っていた。


それは名前ではない。


命令でもない。


ただ、短い言葉だった。


『双角は眠る。器はまだ遠い。灰剣は帰る場所に縛られる』


リュシアはその文を読み、眉をひそめた。


セシリア「双角……二本角の影のことと考えるべきでしょうか」


レオン「ああ」


フィリア「器は、エルのことでしょうか」


エルの肩が少し震えた。


トトがすぐに隣へ寄る。


「エル」


エルは胸に手を当てて、ゆっくり呼吸した。


「大丈夫」


だが、声は少しだけ小さい。


レオンは手紙を見た。


灰剣は帰る場所に縛られる。


それは、黒玻璃にとって弱点として見えているのだろう。


レオンがひだまりへ帰ること。


子どもたちを守ること。


約束を守ろうとすること。


それを、縛りだと考えている。


レオンは静かに手紙を置いた。


「違うな」


リュシア「ええ」


セシリア「記録しますか?」


レオン「ああ」


セシリアが少し驚く。


「よろしいのですか?」


レオン「記録しろ」


レオンは食堂を見渡した。


マーサ。トト。エル。ガル。ユアン。ミリ。リリィ。


猫。フィリア。リュシア。セシリア。庭のアルト。


そして、いないが確かに席があるジーナ。


「帰る場所は、縛りじゃない」


レオンの声は静かだった。


「足場だ」


エルが顔を上げる。


トトも。


マーサは少しだけ微笑んだ。


レオン「立つ場所があるから、前へ出られる」


リュシア「そうね」


フィリア「戻れる場所があるから、治せます」


セシリア「帰る場所は足場。記録しました」


トト「じゃあ、黒玻璃は間違えてる?」


レオン「ああ」


ガル「じゃあ教えてやるか?」


ユアン「どうやって?」


トトは拳を握った。


「帰って、食べて、守る!」


ミリ「すーぷ」


リリィ「猫も足場」


猫「……」


マーサ「猫は床に足をつけてるだけだよ」


リリィ「それも足場」


レオン「間違ってはいないな」


少しだけ笑いが起きた。


不安は消えない。


双角。


器。


灰剣。


黒玻璃の本体は、まだどこかで動いている。


だが、今日のひだまりは昨日より少し明るかった。


空が少し開いた。


靴が新しくなった。


エルは外で魔力を落ち着かせた。


トトは叫ぶ練習ができた。


アルトは少しだけ飛べた。


ジーナの椅子の話も出た。


一つずつ。


本当に少しずつ。


ひだまりは取り戻している。


夕飯。


マーサのスープが並ぶ。


トトは新しい靴を脱いで、きちんと揃えてから食堂へ入った。


セシリアがそれを見て、すぐ記録する。


セシリア「トトくん、新しい靴を脱いで揃える。成長記録です」


トト「やった!」


ガル「靴で成長記録」


ユアン「でも大事」


エル「十六条」


ミリ「くつひも」


リリィ「猫は裸足」


猫「……」


レオンはスープを一口飲んだ。


いつもの味。


少しだけ森の匂いを思い出す味。


ジーナはいない。


ラザルもいない。


だが、食卓は続いている。


そのことが、何より大事だった。


トト「レオン兄ちゃん」


レオン「なんだ」


トト「明日、アルト先輩もうちょっと飛べるかな」


レオン「リュシアとフィリアが許可したらな」


フィリア「体調次第です」


リュシア「空の膜次第でもあるわ」


トト「じゃあ、俺は見るだけ?」


レオン「ああ」


トト「乗る練習は?」


全員がトトを見る。


トト「聞いただけ!」


セシリア「確認します。勝手に乗る気は?」


トト「ない!」


マーサ「本当に?」


トト「ほんと!!」


アルトが庭で低く鳴いた。


ぐるる。


リリィ「アルトも確認してる」


ミリ「ない?」


トト「ないってば!」


レオンは少しだけ考えた。


「地上で、鞍に座る練習ならいつか許可する」


トトの目が輝いた。


「いつか!?」


レオン「ああ。いつかだ」


トト「いつかって、明日?」


レオン「いつかだ」


ガル「遠いな」


ユアン「でも可能性はある」


エル「よかったね」


トト「俺、十六条全部守る!」


セシリア「十六条全部守った場合、地上鞍座り練習の検討可能性あり、と記録します」


レオン「勝手に条件を作るな」


マーサ「でも、目標があるのは悪くないね」


フィリア「安全確認が前提です」


リュシア「アルト本人の許可も必要ね」


アルト「……」


庭のアルトは、少しだけ目を細めた。


許可する気があるのかないのか、分からない。


だが、トトはそれだけで嬉しそうだった。


夜。


子どもたちが寝静まった後。


レオンは庭に出た。


空を見上げる。


黒い膜は、さらに薄い。


星が一つ、見えた。


本当に小さな星。


だが、確かに見えた。


リュシアが隣に立つ。


「星が見えたわね」


レオン「ああ」


リュシア「空が戻り始めている」


レオン「完全ではない」


リュシア「ええ。でも、一つ見えた」


レオンは空を見上げたまま言った。


「黒玻璃は、帰る場所を縛りだと思っている」


リュシア「なら、思わせておけばいいわ」


レオン「いいのか」


リュシア「ええ。間違ったままなら、こちらの本当の強さを見誤る」


レオンは少しだけリュシアを見る。


リュシアは空の星を見上げたまま微笑んだ。


「帰る場所は弱点にも見える。けれど、それを守るために人は強くなる」


レオン「姉御も同じことを言いそうだ」


リュシア「もっと雑にね」


レオン「食って、殴って、帰れ、か」


リュシア「そうね」


二人は少しだけ笑った。


その笑いは小さい。


けれど、夜の庭には十分だった。


その頃。


遠く、黒玻璃の奥。


ラザルの死を知らせる赤黒い光が消えていた。


深い闇の中で、二本角の影が目を開ける。


まだ完全には目覚めていない。


だが、確かに動いた。


その背後で、誰かの声が響く。


「ラザルは折れた。メルザは縛られた」


闇が揺れる。


「だが、器は育つ。灰剣は足場を得る。ひだまりは強くなる」


二本角の影が、低く唸った。


声は静かに続く。


「ならば、こちらも目覚める時を早めよう」


赤黒い光が、ゆっくりと角を照らす。


黒玻璃の影は、まだ終わらない。


けれど。


ひだまりの空には、星が一つ戻っていた。


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