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第三十九話 姉御、お袋に会う


王城訓練場。


そこに立つジーナ・バルガは、まるで嵐のような女だった。


褐色に焼けた肌。


短く乱れた赤茶の髪。


獣皮の外套。


腰には短弓と山刀。


両腕には武闘家の籠手。


笑えば太陽のように豪快。


黙れば獣のように鋭い。


そして何より。


レオン・ガルディアの頭に、ためらいなく拳骨を落とせる女だった。


ごんっ。


つい先ほど、三度目の拳骨が入ったばかりである。


セシリア「記録します。マスター、姉御に三度目の拳骨を受ける」


レオン「記録するな」


ジーナ「書いとけ書いとけ。こいつは記録されねぇと反省しねぇ」


レオン「反省はしている」


ジーナ「顔がしてねぇ」


フィリア「非常に信頼できる判断です」


レオン「フィリアまで」


リュシア「私は少し感動しているわ。レオンをここまで自然に止める人がいるなんて」


グレン「王国騎士団に欲しい人材だな」


国王エルドランは、興味深そうにジーナを見ていた。


「ジーナ殿。まずは現場確認を頼みたい。北西地下道、旧排水門周辺。そして黒玻璃の使徒が残した痕跡だ」


ジーナ「おう。任せな」


レオン「俺も行く」


ジーナの拳が、また上がった。


レオンは一瞬黙った。


ジーナ「何か言ったか?」


レオン「……俺は王城で待機する」


セシリア「マスターが自ら引きました」


フィリア「良い傾向です」


リュシア「殴られる前に理解したのね」


ルカ「レオン殿が……負けてる……」


アリシア「負けているというより、止められているのですね」


国王「これは貴重だ」


グレン「非常に貴重です」


レオン「全員で見るな」


ジーナは豪快に笑った。


「はっはっは! 相変わらず、可愛げのねぇ弟分だな!」


ルカ「弟分……」


セシリア「記録します」


レオン「それもするな」


ジーナ「しとけ。こいつは昔、鹿の罠に引っかかって逆さ吊りになったこともある」


会議室ではないのに、訓練場全体が静かになった。


リュシア「何それ」


フィリア「詳しく聞きたいです」


セシリア「非常に重要な過去情報です」


グレン「レオン殿が鹿の罠に……?」


ルカ「見たい!」


アリシア「ルカ、そこは見たいと言うところではありません」


レオン「姉御」


ジーナ「なんだ」


レオン「今は黒玻璃の話だ」


ジーナ「逃げたな」


レオン「逃げていない」


ジーナ「昔から都合が悪い話になるとそういう顔をする」


リュシア「昔からなのね」


レオン「……」


セシリア「沈黙を記録します」


フィリア「私も記憶します」


レオン「味方がいない」


国王は咳払いした。


「では、ジーナ殿、現場へ向かってくれ。グレン、騎士を二名つけよ」


ジーナ「騎士はいらねぇ」


グレン「単独行動は危険だ」


ジーナ「危険なのは分かってる。だから一人の方が速い」


グレン「しかし――」


ジーナは砂を指でつまみ、鼻先に近づけた。


「北西地下道に残ってる黒い根は、まだ完全に死んでねぇ。大人数で踏み込めば、向こうに揺れが伝わる。足音、鎧の擦れる音、汗の匂い、鉄の匂い。全部、地面は覚える」


グレンが黙った。


ジーナは続ける。


「追跡ってのはな、目で見るだけじゃねぇ。土に聞く。風に聞く。獣に聞く。水に聞く。余計な人数がいると、声が混ざる」


ルカ「かっこいい……」


アリシア「本当に、現場の人ですね」


リュシア「理屈としては正しいわ。魔力痕も、人が増えるほど濁る」


セシリア「では、ジーナさん単独で先行。後方支援にグレン副団長と騎士団。魔力記録は私とリュシアさんで待機、という形でしょうか」


ジーナ「それでいい」


レオン「俺も後方に行く」


ジーナ「お前は休め」


レオン「地下道の構造は知っている」


ジーナ「地図で十分だ」


レオン「黒玻璃の痕跡は危険だ」


ジーナ「分かってる」


レオン「姉御」


ジーナはレオンの前へ一歩近づいた。


さっきまで豪快に笑っていた顔が、急に真面目になる。


「レオン」


レオン「……」


「お前、子どもを取り返して帰ってきたんだろ」


レオン「ああ」


「なら、今日はその子どもたちのそばにいろ」


レオンの目がわずかに揺れた。


ジーナ「追うのはあたしの仕事だ。守って帰すのは、お前がもうやった」


レオン「……」


ジーナ「役割を間違えんな」


その言葉に、レオンは反論しなかった。


リュシアが静かに見ていた。


セシリアも記録板を持つ手を止めていた。


フィリアは少しだけ安心したように息を吐いた。


ジーナはにっと笑う。


「それに、あとでお袋にも顔出す。手ぶらで行ったら怒られるからな。ついでに黒玻璃の尻尾を拾ってくる」


その言葉に、王城側の空気がまた止まった。


リュシア「お袋?」


セシリア「誰のことですか?」


フィリア「まさか」


ジーナ「マーサさんだよ」


フィリア「マーサ先生を、お袋と呼んでいたのですか?」


ジーナ「ああ。今でも呼んでる」


セシリア「知らなかった」


ジーナ「言ってねぇからな」


セシリア「マスターと同じ系統の回答ですね」


リュシア「似ているわね」


ジーナ「似てねぇよ。こいつよりあたしの方が素直だ」


レオン「それはない」


ジーナ「殴るぞ」


レオン「……」


ルカ「レオン殿がまた黙った」


国王「ジーナ殿は、マーサ殿とも縁があるのか」


ジーナは少しだけ懐かしそうに笑った。


「昔、あたしも腹減らして荒れてた時期があってな。マーサさんに飯食わせてもらった」


レオンがジーナを見る。


ジーナ「行き場がなかったわけじゃねぇ。でも、帰る場所ってもんが分からなかった。そん時、あの人が言ったんだ」


少しだけ、声が柔らかくなる。


「腹が減ってるなら食え。泣きたいなら泣け。喧嘩したいなら外でやれ。帰ってくるなら手を洗え、ってな」


レオン「……マーサ先生らしい」


ジーナ「ああ。だから、あたしにとってはお袋だ」


フィリア「素敵ですね」


セシリア「重要情報です。記録します」


ジーナ「おう、記録しとけ」


レオン「それは記録していいのか」


ジーナ「いい話だからな」


リュシア「自分で言うのね」


ジーナ「はっはっは!」


そしてジーナは、訓練場の端へ歩き出した。


グレン「馬を用意する」


ジーナ「いらねぇ。走る」


グレン「地下道まで距離がある」


ジーナ「だから走るんだろ」


ルカ「すごい!」


アリシア「本当に豪快な方ですね」


ジーナは振り向き、レオンへ言った。


「お前は孤児院へ戻れ。子どもたちに、知らねぇ姉御が来るって言っとけ」


レオン「知らないままの方が平和かもしれん」


ジーナ「殴るぞ」


レオン「分かった」


ジーナは笑いながら、王城訓練場を走り出した。


一歩目から速かった。


普通の人間の全力疾走ではない。


獣道を駆ける者の走り。


無駄がなく、地面を踏む音が軽い。


それでいて、力強い。


王城の騎士たちが思わず道を開ける。


ルカ「速い……!」


グレン「馬より速いのではないか?」


リュシア「短距離なら、そうかもしれないわね」


セシリア「王城防衛上、塀を越えられる人間が多すぎる問題を記録します」


国王「それは本当に記録せよ」


レオン「……姉御は味方です」


グレン「味方でよかった」


その頃。


ひだまり孤児院では、トトが食堂の床に座っていた。


正座である。


目の前にはマーサ。


横にはエル。


少し離れてガル、ユアン、ミリ、リリィ、猫。


庭にはアルト。


トト「説教、始まりますか」


マーサ「始まってるよ」


トト「もう!?」


ガル「姿勢だけで反省っぽいな」


ユアン「今日は逃げてない」


エル「トト、えらい」


トト「まだ怒られてる途中で褒められると、どうしたらいいか分からない」


マーサは腕を組んだ。


「トト」


トト「はい」


「助けたい気持ちは大事だよ」


「はい」


「でも、あんたが一人で飛び出したら、助ける人が二人に増える」


「はい……」


「エルを助けたかったなら、まず叫ぶ。全員を動かす。これは昨日も言われたね」


トト「はい」


マーサ「次は?」


トトは壁の札を見た。


十一、助けたい時ほど、みんなを呼ぶ。


トト「助けたい時ほど、みんなを呼ぶ」


マーサ「そう」


トト「俺、次は叫ぶ」


ガル「俺も聞こえたら走る」


マーサ「走る前に大人を呼ぶ」


ガル「はい」


ユアン「僕も」


リリィ「猫も」


猫「……」


ミリ「アルトも」


庭のアルトが低く鳴いた。


ぐるる。


トト「アルト先輩は絶対来てくれる」


マーサ「だからこそ、勝手に乗らない」


トト「はい!」


その時、門の外から足音が聞こえた。


一人ではない。


レオンたちが帰ってきた気配だった。


トトが反射的に立ち上がりかける。


マーサ「トト」


トト「はい、勝手に走らない!」


トトはその場でぴたりと止まった。


ガル「おお」


ユアン「成長」


エル「すごい」


トト「俺、今止まった!」


マーサ「そこで自慢しない」


トト「はい!」


門の外で、セシリアの声がした。


「どこへ帰る?」


すぐにレオンの声が返る。


「ひだまりへ帰る」


トトの表情が明るくなった。


「本物!」


門が開く。


レオン、セシリア、リュシア、フィリアが戻ってきた。


トトは駆け寄りたいのを我慢して、食堂の入口で待った。


レオンはそれを見て、少しだけ目を細める。


「走らなかったな」


トト「走らなかった!」


マーサ「説教中だからね」


レオン「そうか」


トト「レオン兄ちゃん、王様に言った?」


レオン「ああ。トトとエルは帰ってきたと伝えた」


エル「……王様、怒ってた?」


フィリア「黒玻璃に対して、強く怒っていました」


リュシア「あなたを責める人は、誰もいなかったわ」


エルは少しだけ安心したように息を吐いた。


セシリア「アリシア殿下も、力は罪ではないとおっしゃっていました」


エル「王女様が……」


トト「すごいね、エル」


エル「うん……」


その時、リュシアが少しだけ笑った。


「それと、新しい人が来るわ」


トトの目が輝く。


「新しい人?」


ガル「王城から?」


セシリア「正確には、王城に呼び出され、現在黒玻璃の痕跡を追跡中です」


ユアン「追跡?」


リリィ「レンジャー?」


レオン「ジーナ・バルガ。俺の姉御だ」


食堂が静かになった。


トト「……レオン兄ちゃんの、姉?」


レオン「血は繋がっていないがな」


ガル「姉御ってことか」


トト「姉御って何?」


マーサ「姉みたいに面倒を見て、時々拳骨を落とす人だよ」


トト「レオン兄ちゃんに拳骨?」


レオン「……ああ」


全員「えっ」


ミリ「つよい」


リリィ「レオン、殴られる?」


猫「……」


ガル「そんな人いるのかよ」


ユアン「すごい」


エル「怖い人?」


レオン「怖くはない」


リュシア「豪快ね」


フィリア「頼りになります」


セシリア「マスターを物理的に止められる、貴重な人材です」


トト「物理的に……」


ガル「つまり本当に殴るんだな」


レオン「そこだけ覚えるな」


マーサは鍋を混ぜながら、静かに笑っていた。


トトはそれに気づく。


「マーサ先生、知ってるの?」


マーサ「知ってるよ」


セシリア「聞かれなかったから言わなかった案件が、マーサ先生側からも発生しました」


リュシア「この家、隠し事が多いわね」


マーサ「隠してたわけじゃないよ。昔の話ってだけさ」


エル「ジーナさんは、マーサ先生のことも知ってるの?」


マーサは少しだけ遠くを見るような顔をした。


「あの子はね、昔から私をお袋って呼ぶんだよ」


食堂が、また静かになった。


トト「おふくろ?」


ミリ「おふくろ」


リリィ「お母さん?」


マーサ「そういう意味だね」


ガル「マーサ先生の子ども?」


マーサ「血は繋がってないよ」


ユアン「でも、お袋って呼ぶんだ」


マーサ「そう。あの子も、昔はずいぶん荒れててね。腹を空かせて、傷だらけで、森から出てきた」


レオンが黙って聞いている。


マーサ「強い子だったよ。強すぎて、自分が傷ついてることにも気づかないくらいにね」


トト「レオン兄ちゃんみたい」


レオン「……」


リュシア「似ているわね」


フィリア「似ています」


セシリア「記録します」


レオン「するな」


マーサは少し笑った。


「レオンとは違うよ。ジーナは怒るとすぐ殴る」


トト「やっぱり怖い!」


マーサ「でも、泣く子には飯を分ける。迷子は背負って帰る。悪いやつは殴り飛ばす」


ガル「めちゃくちゃ分かりやすい」


ユアン「いい人?」


マーサ「ああ。厄介で、頼りになる子だよ」


エル「マーサ先生にとっても、家族?」


マーサは少しだけ黙った。


そして、やわらかく言った。


「そうだね。家族みたいなものだけど……今になってはもう家族だね」


マーサは微笑んだ。


その頃。


北西地下道。


ジーナは、崩れた旧排水門の入口に立っていた。


グレンが少し離れた場所で待機している。


騎士たちはさらに後方。


宮廷魔導士も、魔力記録の準備をしていた。


ジーナは地面に片膝をつき、指先で土をなぞる。


「……なるほどな」


グレン「何か分かるか」


ジーナ「分かることだらけだ」


グレン「早いな」


ジーナ「ここを通ったのは、レオン、グリフォン、女の魔法使い。帰りに子ども二人。黒い根は地下水路から伸びてるが、本命は廃塔じゃねぇ」


グレン「何?」


ジーナは地面の匂いを嗅ぎ、顔をしかめた。


「廃塔は目立たせるための巣だ。匂いが濃すぎる。あえて残してる」


グレン「囮か」


ジーナ「ああ。ラザルって奴は、追わせたい場所と隠したい場所を分けてるね……」


グレン「隠したい場所は?」


ジーナはゆっくり立ち上がり、王都の方角を見た。


「王都の中だ」


グレンの表情が変わる。


「中?」


ジーナ「正確には、外と中の境目だな。古い物流路、下水、井戸道、廃倉庫。王都の外から入ってるように見せて、実際はずっと内側に根を残してやがる」


グレン「内側から揺らす、ということか」


ジーナ「たぶんな」


ジーナは指先についた黒い砂を見た。


「それと、この黒い根。魔力だけじゃねぇ。匂いが混ざってる」


グレン「匂い?」


ジーナ「ああ。人の生活の匂いだ。灰、油、古い布、薬草、焼いた麦。王都のどこかで、こいつを隠すために普通の暮らしの匂いをかぶせてる」


グレン「つまり、誰かが協力している?」


ジーナ「まだ決めつけるな。人か、場所か、道具か。そこは追ってからだ」


ジーナはにっと笑った。


「だが、尻尾はある」


グレン「追えるか」


ジーナ「追うために来た」


そう言うと、ジーナは地下道の壁に手を当てた。


そして、拳を軽く握る。


グレン「何を――」


どんっ。


ジーナが壁を殴った。


石壁が割れた。


だが、ただ壊したわけではない。


壁の奥に隠れていた細い黒い根だけが、ひび割れから露出する。


ジーナ「見つけた」


宮廷魔導士が息を呑む。


「魔力根……!」


ジーナ「封じろ。こいつはまだ生きてる」


グレン「すぐに」


宮廷魔導士が封印術をかける。


黒い根は赤黒く震えたが、やがて静かになった。


ジーナはそれを見て、低く言った。


「子どもを攫うような奴は、足跡も汚ねぇな」


その声には、いつもの豪快さはなかった。


怒っている。


静かではない。


熱い怒りだ。


けれど、ただ暴れる怒りでもない。


追う者の怒り。


獲物を逃がさない者の目。


グレンはその横顔を見て、思った。


確かに、この人材は必要だ。


王都に。


孤児院に。


そして、レオンに。


夕方前。


ひだまり孤児院の庭に、見慣れない足音が近づいてきた。


アルトが最初に反応した。


ぐるる。


警戒ではない。


知っている気配に対する、低い挨拶のような声。


トトは食堂の窓へ飛びつきそうになり、途中で止まった。


トト「走らない!」


ガル「偉い」


ユアン「窓には近いけど」


エル「でも止まった」


ミリ「成長」


リリィ「猫も見る」


猫はすでに椅子の下にいた。


レオンが立ち上がる。


マーサは鍋の火を弱めた。


門の外から、豪快な声が響いた。


「おーい! お袋! 帰ったぞ!」


食堂が完全に固まった。


トト「お袋って言った!」


ガル「本当に言った!」


ユアン「マーサ先生のこと?」


エル「すごい……」


ミリ「おふくろ」


リリィ「新しい呼び方」


マーサは目を閉じて、深くため息をついた。


けれど、その口元は少し笑っていた。


「まったく、声が大きいんだよ」


門が開く。


そこに立っていたのは、ジーナ・バルガだった。


肩に獣皮の外套。


腰に短弓と山刀。


背中に旅荷物。


片手には、黒い根の封印瓶をぶら下げている。


そして、顔には太陽みたいな笑み。


ジーナ「久しぶりだな、お袋!」


マーサ「久しぶりだね、ジーナ」


ジーナは大股で食堂へ入ってきた。


そして、何のためらいもなくマーサの前で膝を少し曲げ、頭を下げた。


「ただいま」


マーサの顔が、少しだけ母親のものになる。


「おかえり」


その一言で、ジーナの顔がほんの少しだけ柔らかくなった。


だが次の瞬間、いつもの豪快さに戻る。


「腹減った!」


マーサ「知ってるよ。あんたは昔から第一声がそれだ」


ジーナ「お袋の飯は別腹なんだよ!」


トトが目を輝かせている。


「すごい……レオン兄ちゃんより大きな声……」


ジーナ「おっ、こいつがトトか?」


トト「えっ、知ってるの!?」


ジーナ「王城で聞いた。勝手に飛び出して攫われたけど、友だちの手は離さなかった小僧だろ?」


トト「うっ」


マーサ「その通りだね」


トト「紹介の仕方!」


ジーナはトトの前にしゃがんだ。


目線を合わせる。


その目は鋭い。


けれど怖くはない。


「よく手ぇ離さなかったな」


トトの目が揺れる。


「……はい」


ジーナ「でも、次は一人で行くな」


トト「はい」


ジーナ「助けたい時ほど?」


トト「みんなを呼ぶ」


ジーナ「よし」


ジーナは大きな手で、トトの頭をわしゃわしゃ撫でた。


トト「わっ、強い!」


ジーナ「はっはっは! まだ軽く撫でてるだけだ!」


ガル「軽くでそれかよ」


ジーナ「お前はガルだな。顔が負けず嫌いだ」


ガル「えっ」


ジーナ「いい顔だ。だが突っ走るなよ」


ガル「……はい」


ユアンを見て。


「お前は周りを見る目がある」


ユアン「僕?」


エルを見て。


「お前がエルだな」


エルの体が少し緊張した。


ジーナはその前に、乱暴には近づかなかった。


少しだけ距離を置いて、膝をつく。


「怖かったな」


エル「……はい」


ジーナ「力が大きいってのは、腹が減るのと似てる」


エル「え?」


ジーナ「使い方を知らねぇと暴れる。だから飯の食い方を覚えるみたいに、力の流し方を覚えりゃいい」


エルはきょとんとした。


トト「分かるような、分からないような」


リュシア「でも、言っていることは間違っていないわ」


ジーナ「だろ?」


エルは少しだけ笑った。


「はい」


ジーナ「よし。笑えたなら上出来だ」


ミリが小さく手を上げた。


「ジーナ、つよい?」


ジーナ「強いぞ!」


ミリ「レオンより?」


食堂が凍った。


ジーナはにやりと笑う。


レオンは無言でスープの器を持った。


ジーナ「喧嘩の種類によるな」


トト「種類?」


ジーナ「剣ならレオン。森ならあたし。説教ならお袋」


マーサ「当然だね」


セシリア「非常に分かりやすい力関係です」


フィリア「説得力があります」


レオン「納得するな」


リリィ「猫は?」


ジーナは猫を見る。


猫は椅子の下からじっと見ている。


ジーナ「猫は……逃げ足なら一番だな」


リリィ「猫、勝った」


猫「……」


アルトが庭で低く鳴いた。


ジーナは庭へ目を向ける。


「おう、アルト。久しぶりだな」


アルトは静かに頭を下げた。


トト「アルト先輩とも知り合い!?」


ジーナ「ああ。昔、こいつに肉を盗られた」


アルト「……」


レオン「それは姉御がアルトの分まで食べようとしたからだ」


ジーナ「肉は早い者勝ちだろ」


レオン「違う」


リュシア「昔から食べ物で揉めていたの?」


ジーナ「主にあたしが勝ってた」


レオン「アルトが一番賢かった」


アルトが同意するように鳴いた。


ぐるる。


マーサが食卓に大きな器を置いた。


「ほら、食べな。話はそれからだよ」


ジーナ「待ってました!」


ジーナは椅子に座る。


だが、その瞬間、椅子がぎしりと鳴った。


トト「椅子、大丈夫?」


ジーナ「大丈夫だ!」


椅子「ぎしっ」


ジーナはスープを一口飲んだ。


次の瞬間。


豪快だった顔が、少しだけ静かになった。


「……やっぱり、変わらねぇな」


マーサ「味かい?」


ジーナ「ああ」


マーサ「少しは変わったよ」


ジーナ「いや、変わってねぇ」


ジーナは器を両手で持った。


「帰ってきた味だ」


食堂が静かになった。


トトが小さく言う。


「俺も、それ思った」


エルも頷く。


「私も」


ジーナは二人を見て、にっと笑った。


「なら、あんたらはもう大丈夫だ」


トト「どうして?」


ジーナ「帰ってきた味が分かる奴は、ちゃんと帰ってきた奴だからだ」


マーサは何も言わなかった。


ただ、ジーナの器にもう一杯スープをよそった。


「食べな」


ジーナ「おう、お袋」


その呼び方を聞いて、トトがまた目を輝かせる。


「いいなあ、お袋」


マーサ「トト」


トト「俺も呼んでいい?」


マーサ「駄目ではないけど、急にどうしたんだい」


トト「なんか強そう」


マーサ「呼び方で強くはならないよ」


ジーナ「でも、お袋は強ぇぞ」


トト「やっぱり!」


レオン「マーサ先生は別格だ」


マーサ「本人の前で言うんじゃないよ」


ジーナ「本当のことだろ」


その後、ジーナは現場で見つけたことを話した。


北西地下道の黒い根は、まだ完全には死んでいなかったこと。


廃塔は本命ではなく、目立つ囮の可能性があること。


黒い根には、王都の生活臭が混ざっていたこと。


そして、黒玻璃の痕跡が王都の外ではなく、内側にも残っている可能性があること。


食堂の空気が変わった。


レオン「王都の内側か」


ジーナ「ああ。あいつら、外から来てるように見せてるが、根は中にもある」


リュシア「ラザルの言った“内側から揺らす”と一致するわね」


セシリア「情報漏洩、内部協力者、あるいは王都内に隠された魔道具の可能性」


フィリア「孤児院にも、再度確認が必要ですね」


ジーナ「もう見た」


全員がジーナを見る。


レオン「いつ」


ジーナ「入ってくる時」


セシリア「早い」


ジーナ「門、井戸、庭、屋根、食堂の匂い。今のところ、変な根は入ってねぇ」


マーサ「さすがだね」


ジーナ「お袋の家に変なもん入れたら、あたしが先に殴る」


レオン「その前に俺が斬る」


ジーナ「お前は今日は休め」


レオン「……」


トト「レオン兄ちゃん、また止められてる」


ミリ「姉御、つよい」


リリィ「お袋、もっとつよい」


ガル「力関係が複雑だな」


ユアン「でも安心する」


エル「うん」


その夜。


ひだまり孤児院の食堂には、久しぶりに少し賑やかな空気が戻っていた。


ジーナはよく食べ、よく笑い、よく話した。


レオンの昔の失敗を話そうとして、レオンに止められた。


止められても少し話した。


セシリアは全部記録した。


フィリアはレオンの精神的負担が増えたと判断した。


リュシアは昔話をもっと聞きたがった。


トトはジーナを「姉御先生」と呼ぼうとして、却下された。


ジーナ「先生はやめろ。むず痒い」


トト「じゃあ、ジーナの姉御!」


ジーナ「それでいい!」


レオン「増えたな」


ミリ「ジーナの姉御」


リリィ「お袋の子」


マーサ「変な広がり方をしてるね」


ジーナ「いいじゃねぇか。家族が増えるのは悪くねぇ」


その言葉に、エルが少しだけ顔を上げた。


ジーナは気づいていた。


だが、あえて何も言わなかった。


ただ、エルの器に少しだけ肉を足した。


「食え。力がある奴は腹が減る」


エル「……はい」


トト「俺も力ある?」


ジーナ「お前は騒ぐ力がある」


トト「それ褒めてる?」


ジーナ「半分な」


ガル「半分か」


夜が深くなる。


子どもたちは少しずつ眠くなっていった。


ミリは机に突っ伏しそうになり、リリィに支えられた。


猫はすでに丸くなっている。


エルはトトの隣で、静かにスープを飲み終えた。


トトは壁の札を見た。


十、ぜったい帰る。

十一、助けたい時ほど、みんなを呼ぶ。


その下に、ミリが眠そうな字で小さく書き足していた。


『十二、帰ったら食べる』


セシリア「これは正式採用すべきでしょうか」


マーサ「今日は採用でいいよ」


レオン「また増えるのか」


ジーナ「いいじゃねぇか。帰って食う。大事なことだ」


トト「十二か条!」


ユアン「どんどん増える」


エル「でも、覚えやすい」


リリィ「食べる」


ミリ「すーぷ」


ジーナ「はっはっは! いい孤児院だな!」


マーサ「うるさいよ、ジーナ」


ジーナ「悪い悪い、お袋」


その呼び方に、マーサは呆れたように笑った。


けれど、否定はしなかった。


外では、アルトが庭で静かに翼をたたんでいる。


空の黒い膜は、まだ完全には消えていない。


王都の内側には、黒玻璃の根が残っているかもしれない。


ラザルはまだどこかで笑っている。


けれど、ひだまり孤児院には新しい足音が加わった。


豪快で、強くて、土と風を読む女。


マーサをお袋と呼び、レオンを弟分と呼び、黒玻璃の足跡を地の果てまで追う女。


ジーナ・バルガ。


その夜、ジーナは食堂の椅子にもたれながら言った。


「黒玻璃が内側から揺らすってんなら、こっちは内側から踏ん張ればいい」


レオン「どうやって」


ジーナはスープの器を掲げた。


「食って、寝て、怒って、笑って、帰る場所を強くする」


マーサ「雑だけど、間違ってないね」


リュシア「魔法理論より分かりやすいわ」


フィリア「健康にも良いです」


セシリア「記録します。ジーナ式防衛理論」


レオン「記録するのか」


セシリア「します」


ジーナは豪快に笑った。


「よし! 明日から追うぞ!」


レオン「俺も行く」


ジーナの拳がゆっくり上がった。


レオン「……相談する」


ジーナ「よし」


トトが小さく笑った。


「レオン兄ちゃん、成長」


ミリ「成長」


リリィ「要観察」


レオン「お前たちまで」


ジーナはまた笑った。


その笑い声は、夜の孤児院に大きく響いた。


黒玻璃の影がどれほど深くても。


ひだまりの灯りは、簡単には消えない。


そしてその灯りのそばには。


お袋と呼ばれる女がいて。


弟分を殴れる姉御がいて。


帰る場所を守ろうとする者たちがいた。


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