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第三十七話 力は罪じゃない


ひだまり孤児院の夜は、長かった。


トトとエルが帰ってきた。


それだけで、本当なら全員が安心して眠れるはずだった。


けれど、その夜は違った。


食堂には、いつもより遅くまで灯りが残っていた。


マーサのスープの匂い。


フィリアの薬草の匂い。


リュシアの星魔法の淡い光。


セシリアの記録板に走るペンの音。


そして、時々聞こえるトトの小さな寝息。


トトは食堂の隣の休憩部屋で眠っていた。


エルも、その隣で横になっている。


二人とも大きな怪我はなかった。


手首や足首に黒い紐の痕が残っている程度。


だが、心の疲れは深かった。


フィリア「熱はありません。脈も少し速いですが、危険な状態ではありません」


マーサ「よかった……」


フィリア「ただし、今日は絶対安静です。明日も無理はさせません」


レオン「分かった」


フィリアはレオンを見た。


「レオン様もです」


レオン「俺は問題ない」


フィリア「その言葉、信用していません」


レオン「……」


リュシア「第7段階の反動ではないわよ。この人の場合、そこは本当にない」


フィリア「分かっています。ですが、帰巣追印きそうついいんを使いました」


リュシア「ええ」


フィリア「それは、心の負担になります」


レオン「問題ない」


フィリア「問題ないと言う人ほど問題です」


セシリア「記録上、マスターは問題ないと言った時ほど要観察です」


レオン「記録が敵になるとはな」


マーサ「味方だから言ってるんだよ」


レオンは反論しなかった。


言い返す気力がないわけではない。


ただ、今は言い返すより、休憩部屋の扉の向こうを気にしていた。


トトとエル。


二人は帰ってきた。


だが、あの地下道で見たものは消えない。


黒い根。


第二号の欠片。


ラザル。


そして、エルの胸元から漏れた金色の魔力。


レオンは静かに言った。


「エルの魔力は、どうなっている」


リュシアは菫色の水晶を机の上に置いた。


水晶の中で、淡い金色の光が揺れている。


エルの魔力残滓だ。


リュシア「結論から言うと、異常な量よ」


セシリア「危険ですか?」


リュシア「量だけなら危険。だけど、性質は悪くない」


フィリア「悪くない?」


リュシア「ええ。澄んでいる。攻撃的でも、呪いでもない。むしろ、かなり純粋な生命魔力に近いわ」


マーサ「生命魔力……」


リュシア「普通なら、治癒や結界、成長促進、浄化に向く系統ね。ただ、量が多すぎる」


セシリア「本人が制御できなければ?」


リュシア「感情に反応して溢れる可能性がある。怖い、悲しい、助けたい、守りたい……そういう強い感情で」


レオンの目が少しだけ細くなる。


リュシア「だから黒玻璃は狙った。エルちゃんの魔力は、黒い結晶の動力として利用できる可能性がある」


マーサの手が強く握られた。


「子どもを、燃料みたいに見てるってことかい」


リュシア「……ええ」


食堂の空気が重くなる。


レオンの声は、さらに低くなった。


「次は逃がさない」


セシリア「マスター」


レオン「分かっている。一人では行かない」


セシリアは少しだけ目を丸くした。


レオン「先に言っておく」


リュシア「成長したわね」


レオン「褒めるな」


マーサ「褒められることだよ」


その時、休憩部屋の扉が小さく開いた。


全員が振り向く。


そこに立っていたのは、エルだった。


毛布を肩にかけ、顔色はまだ少し悪い。


エル「……ごめんなさい」


マーサがすぐに近づいた。


「起きちゃったのかい。まだ寝てなきゃ」


エル「聞こえたから……」


フィリア「無理に立ってはいけません」


フィリアが支えようとすると、エルは小さく首を振った。


「私、危ないの?」


誰もすぐには答えられなかった。


エルは自分の胸元を押さえた。


「私の中に、変な力があるから……黒玻璃が来たの?」


レオンはエルの前に膝をついた。


大きな体を低くして、目線を合わせる。


エルは泣きそうな顔で言った。


「私がいなかったら、トトもさらわれなかった?」


レオン「違う」


すぐに答えた。


迷いはなかった。


エル「でも……」


レオン「違う」


二度目の声は、もっとはっきりしていた。


エルの目が揺れる。


レオン「悪いのは、お前の力じゃない」


エル「……」


レオン「お前でもない」


エル「でも、狙われた」


レオン「ああ。だから守る」


エル「また来るかもしれない」


レオン「ああ。だから準備する」


エル「私が怖がったら、また光るかもしれない」


レオン「ああ。だから練習する」


エルは唇を震わせた。


「私、ここにいていいの?」


その言葉に、マーサの顔が変わった。


フィリアが息を呑む。


セシリアの手が止まる。


リュシアの目が細くなる。


レオンは静かに言った。


「エル」


エル「……はい」


レオン「ここは、どこだ」


エルは小さく答える。


「ひだまり孤児院」


レオン「お前の帰る場所は?」


エルの目から涙が落ちた。


「……ひだまり」


レオン「ああ」


レオンはエルの頭に手を置いた。


「だったら、いていいに決まっている」


エルは声を出さずに泣いた。


マーサがその小さな体を抱きしめる。


「当たり前だよ、この子は……!」


マーサの声も震えていた。


「力があろうがなかろうが、あんたはうちの子だよ」


エル「マーサ先生……」


フィリアも静かにうなずく。


「危ない力ではありません。今は分からないことが多いだけです」


リュシア「そうよ。力は、使い方を覚えれば守るものになる」


エル「守るもの……?」


リュシア「ええ。あなたの魔力は、壊すためだけのものじゃない。むしろ、守る力に近い」


レオン「力は罪じゃない」


エルはレオンを見た。


レオン「悪いのは、力を悪く使う奴だ」


エル「……うん」


その時、休憩部屋の奥から声がした。


トト「そうだよ……」


全員が振り向く。


トトが毛布を引きずりながら立っていた。


フィリア「トトくん、あなたも寝ていなさい」


トト「寝てたけど、エルがいなかったから……」


マーサ「まったく、この子たちは」


トトはふらふらしながらエルの隣へ来た。


そして言った。


「エルが悪いんじゃない」


エル「トト……」


トト「俺が勝手に走ったのは、俺が決めたことだし」


レオン「そこは後で説教だ」


トト「はい……」


トトは一瞬しゅんとしたが、すぐにエルを見た。


「でも、エルのせいじゃない」


エル「でも、トトも怖かったでしょ」


トト「怖かった」


エル「……」


トト「でも、エルを一人にする方がもっと嫌だった」


エルの涙がまたこぼれる。


トトは少しだけ笑った。


「あと、レオン兄ちゃん来るって分かってたし」


レオン「なぜ分かった」


トト「来るから」


レオン「理由になっていない」


トト「レオン兄ちゃんは来るもん」


ミリが休憩部屋から顔を出した。


いつの間にか起きていたらしい。


ミリ「来た」


リリィも続いて顔を出す。


リリィ「猫も知ってた」


猫「……」


ガルとユアンも後ろから覗いている。


マーサ「全員起きてるじゃないか」


ガル「声が聞こえたから」


ユアン「心配で」


セシリア「本日の就寝状況、全員失敗です」


トト「こんな時に記録!?」


セシリア「こんな時だからこそ記録します!」


レオンは子どもたちを見た。


全員、眠そうで、不安そうで、それでもそこにいる。


エルを一人にしないように。


トトを一人にしないように。


マーサはため息をついた。


「仕方ないね。全員、食堂へ座りな。温かいものを出すよ」


トト「スープ?」


マーサ「夜だから、薄めのスープだよ」


ミリ「夜すーぷ」


リリィ「安心味」


レオン「また味が増えたな」


こうして、深夜の食堂に、薄めのスープが並んだ。


本当なら寝る時間だ。


でも、今日は特別だった。


トトとエルは隣同士で座る。


エルの胸元の金色の光は、少しずつ弱くなっていた。


リュシアはそれを確認しながら言った。


リュシア「落ち着いているわね」


フィリア「スープ効果でしょうか」


マーサ「そうだといいね」


トト「第0段階、魔力にも効く?」


リュシア「効くかもしれないわ」


レオン「本当か」


リュシア「安心すると魔力が落ち着くのは本当よ」


トト「じゃあ、すーぷ第0段階、魔力安定!」


セシリア「記録……するべきでしょうか」


レオン「しなくていい」


ミリ「して」


セシリア「検討します」


エルはスープを両手で持った。


器の中の湯気が、少しだけ金色に揺れた。


エル「……また光った」


リュシア「怖くない?」


エル「少し」


リュシア「じゃあ、息をゆっくり吸って」


エルは言われた通りに息を吸う。


「吐いて」


吐く。


金色の揺れが落ち着く。


リュシア「そう。押さえ込むんじゃなくて、流すの」


エル「流す……」


リュシア「魔力は水みたいなものよ。止めようとすると溢れる。流れを作ると落ち着く」


トト「井戸みたい?」


リュシア「そうね。井戸も詰まると困るでしょう?」


トト「分かりやすい!」


エルはもう一度、ゆっくり息を吸った。


金色の光が、今度は器の周りで小さな輪になる。


ミリ「きれい」


リリィ「すーぷ、光ってる」


ガル「飲んで大丈夫なのか?」


フィリア「害はありません。むしろ温かそうです」


ユアン「魔力入りスープ?」


レオン「変な名前をつけるな」


トト「エルすーぷ?」


エル「やだ~」


トト「ごめん」


少しだけ笑いが起きた。


本当に少しだけ。


でも、確かに笑いだった。


その笑いに、エルの表情が少しやわらぐ。


レオンはそれを見て、静かに息を吐いた。


翌朝。


当然のように、ひだまり孤児院は寝不足だった。


ミリはスプーンを持ったまま、こくりこくりと舟をこいでいる。


リリィの猫も、いつもより深く眠っている。


ガルはあくびを隠しきれていない。


ユアンとエルはいつもより静か。


トトは、なぜか背筋だけ伸ばしていた。


トト「俺、今日説教される」


ガル「朝から覚悟してるな」


トト「逃げない」


ユアン「逃げたら二回目になる」


トト「それは嫌だ」


エルも小さく手を上げた。


「私も……」


マーサ「エルは説教じゃないよ」


エル「でも、洗濯物の時、一人になった」


セシリア「それは大人側の配置にも問題がありました」


レオン「ああ。守りが甘かった」


エル「でも……」


レオン「反省は大人もする」


エルは少し驚いた顔をした。


レオン「お前だけの失敗ではない」


マーサ「そうだよ。今回は、敵が悪い」


フィリア「それでも、次から不安を感じたらすぐ呼ぶ。それで十分です」


エル「……はい」


トト「俺は?」


マーサ「トトは、話が別だね」


トト「はい……」


食堂に少し緊張が走った。


トトは椅子に座り、背筋を伸ばす。


マーサは腕を組んだ。


「トト」


トト「はい」


マーサ「エルを助けようとしたことは、悪くない」


トトの目が揺れる。


マーサ「でも、勝手に飛び出したことは悪い」


トト「はい」


マーサ「大人を呼ぶ約束を、守れなかった」


トト「はい」


マーサ「そのせいで、あんたもさらわれた」


トト「はい……」


マーサの声は厳しかった。


だが、怒鳴らない。


トトは逃げずに聞いていた。


マーサ「でもね」


トトが顔を上げる。


マーサ「エルの手を離さなかったことは、よくやった」


トトの目に涙がたまる。


マーサ「だから、今日は二つ言うよ。勝手に走ったことは叱る。エルの手を離さなかったことは褒める」


トト「……はい」


レオンが続けた。


「次に同じことがあったら」


トト「大人を呼ぶ」


レオン「それでも目の前で誰かが消えそうなら?」


トトは答えられなかった。


難しかった。


正しい答えが分からない。


レオンは静かに言った。


「叫べ」


トト「叫ぶ?」


レオン「ああ。走る前に、全力で叫べ。俺を呼べ。マーサ先生を呼べ。リュシアを呼べ。アルトを呼べ」


アルトが庭で低く鳴いた。


ぐるる。


レオン「お前一人が手を伸ばす前に、全員を動かせ」


トト「……全員を」


レオン「ああ。それが、次の練習だ」


セシリア「新規項目として記録します」


トト「また増えるの?」


セシリア「必要です」


ミリが壁の札を見た。


「十一?」


レオン「増やしすぎるな」


リリィ「でも大事」


ユアン「書き方を短くすれば?」


エルが小さく言った。


「一人で助けに行かない」


食堂が静かになった。


トトはエルを見る。


エルはまだ少し震えている。


でも、ちゃんと言った。


「助けたい時ほど、みんなを呼ぶ」


マーサ「いいね」


セシリア「採用できます」


トトはうなずいた。


「俺、それ守る」


レオン「なら、十か条の下に追加だな」


ミリ「十一」


レオン「って……結局増えるのか」


セシリア「必要です」


こうして、壁の札に新しい一文が足された。


十一、助けたい時ほど、みんなを呼ぶ。


トトはその文字を何度も読んだ。


「助けたい時ほど、みんなを呼ぶ」


エルも隣で読んだ。


「みんなを呼ぶ」


ガル「俺も呼べよ」


トト「呼ぶ」


ユアン「僕も」


トト「呼ぶ」


リリィ「猫も」


トト「猫も……呼ぶ?」


猫「……」


ミリ「アルトも」


アルトが庭でまた鳴いた。


ぐるる。


トト「アルト先輩は絶対呼ぶ!」


レオン「まず大人を呼べ」


トト「はい!」


その日の昼前。


王城からグレンが来た。


いつもより険しい顔だった。


後ろには数名の騎士と、宮廷魔導士。


さらに、王城からの手紙を持っている。


グレン「レオン殿。陛下より」


セシリアが受け取り、開く。


そこには、国王エルドランの文字があった。


『トトとエルの帰還を聞いた。まずは安堵した。だが、黒玻璃の行いは王として許さぬ。孤児院への守りをさらに厚くする。アリシアとルカは見舞いに行きたいと騒いでいるが、今は止めている。父としても王としても、止めている。非常に大変である』


レオン「最後だけ少し違う話になっている」


グレン「陛下は本気で止めています。ルカ殿下はすでに『ひだまりへ帰る』と三回叫びました」


トト「王子様……」


ガル「やっぱり王城トトだ」


セシリア「否定できません」


グレンはエルの方を見た。


「エル。怖かったな」


エル「……はい」


グレン「君が悪いわけではない。王城も君を守る」


エル「王城も?」


グレン「ああ。王の命だ」


エルは少しだけ驚いた。


自分のために王城が動く。


それがまだ信じられないようだった。


リュシアがグレンに言った。


「エルちゃんの魔力については、扱いを慎重に。王城内でも知る人間は絞って」


グレン「承知している。陛下、私、宮廷魔導長、そして必要最低限の者だけだ」


セシリア「情報漏洩対策はこちらでも行います」


グレン「それと、ラザルが残した仮面の破片を回収したい」


レオン「地下道にある」


リュシア「私が位置を記録しているわ。黒玻璃の転移痕も残っているはず」


グレン「すぐ調査隊を出す」


レオン「俺も行く」


フィリア「今日は駄目です」


レオン「……」


フィリア「今日は駄目です」


リュシア「二回言われたわね」


セシリア「要観察対象です」


マーサ「今日は孤児院にいな」


レオン「……分かった」


トトが小声で言った。


「レオン兄ちゃんも説教されてる」


ミリ「一緒」


リリィ「要観察」


レオン「お前たちまで言うな」


昼食の時間。


王城から持ち込まれた防護札と、リュシアの星結界が孤児院の周囲に追加された。


アルトは庭の端で見張りを続けている。


空はまだ閉じられたまま。


だが、孤児院の周りの光は昨日より強くなっていた。


エルは食堂の隅で、リュシアと向かい合っていた。


小さな器に水が入っている。


リュシア「今日は、魔力を使う練習じゃないわ」


エル「違うの?」


リュシア「感じる練習。自分の中に水があると思って」


エル「水……」


リュシア「その水を無理に止めない。こぼさない。ただ、器の中にあると知る」


エルは目を閉じた。


胸元に淡い金色の光が灯る。


器の水面が、かすかに揺れた。


トトが横で見ていた。


トト「すごい」


リュシア「静かに」


トト「はい」


エルが息を吐く。


水面の揺れが落ち着いた。


リュシア「上手」


エル「……できた?」


リュシア「ええ。今のはとても大事」


エルは少しだけ笑った。


トト「エル、すごい!」


エル「大きい声出さないで」


トト「ごめん!」


レオンは離れた場所でそれを見ていた。


エルの力。


黒玻璃が狙った力。


だが今、その力は水面を少し揺らしただけだった。


怖いものではない。


そう思えるように、少しずつ練習していくしかない。


マーサが隣に立った。


「心配かい」


レオン「ああ」


マーサ「なら、見守りな」


レオン「それだけでいいのか」


マーサ「それだけじゃない。食べさせて、寝かせて、叱って、褒めて、また見守る」


レオン「難しいな」


マーサ「剣で済まないことだからね」


レオンは小さく息を吐いた。


「本当に、そうだな」


夕飯の時間。


ようやく、ひだまり孤児院に少しだけ日常が戻った。


トトはまだ少し元気がない。


エルもまだ不安そうだ。


でも、二人は同じテーブルでスープを飲んでいる。


ミリは二人の間に座りたがったが、リリィに止められた。


リリィ「二人、近く」


ミリ「近く」


ガル「今日はそっとしとけ」


ユアン「うん」


トトはスープを一口飲んだ。


「……やっぱり帰ってきた味」


エルも飲む。


「うん」


ミリ「帰るすーぷ」


リリィ「十か条味」


セシリア「味の分類が増えすぎています」


レオン「もう止められないな」


マーサ「いいじゃないか。今日は何味でも」


食堂に小さな笑いが広がる。


レオンはその笑いを聞いて、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。


その夜。


壁の札には、こう書かれていた。


十、ぜったい帰る。

十一、助けたい時ほど、みんなを呼ぶ。


トトはその前に立っていた。


隣にはエル。


トト「俺、十一守る」


エル「私も」


トト「次は一人で行かない」


エル「私も、一人で我慢しない」


トト「うん」


エル「怖かったら、言う」


トト「俺も言う」


二人は小さくうなずいた。


その後ろで、レオンが静かに見ていた。


トトが振り向く。


「レオン兄ちゃん」


レオン「なんだ」


トト「俺、まだ怒られる?」


レオン「ああ」


トト「明日?」


レオン「ああ」


トト「今日じゃないの?」


レオン「今日は寝ろ」


トトは少しだけほっとした。


「明日、逃げない」


レオン「逃がさない」


トト「怖っ」


エルが小さく笑った。


本当に小さな笑いだった。


でも、それで十分だった。


外では、アルトが庭で低く鳴いた。


ぐるる。


まるで、今日も見張っていると言っているようだった。


そして遠く。


西の廃塔では、ラザルが欠けた仮面を外していた。


半分ほど露わになった顔。


赤黒い片目。


床には、砕けた第二号の欠片の残骸がある。


ラザル「失敗ではない」


黒い結晶が震える。


ラザル「少女の魔力は目覚めた。灰剣の追跡魔法も見た。第七段階の維持も確認した」


彼は静かに笑った。


「得たものは多い」


奥の闇で、別の黒い影が動く。


第二号ではない。


もっと大きい。


もっと重い。


黒い角が、二本。


ラザル「まだ早い。だが、いずれ使う」


赤黒い光が、廃塔の奥を照らした。


「ひだまりは、思ったより強い。ならば、次は外からではなく――」


彼は、欠けた仮面を机に置いた。


「内側から揺らす」


黒玻璃の影は、まだ消えない。


けれど、ひだまり孤児院の灯りもまた、消えてはいなかった。


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