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第三十二話 空を閉じる黒い影


翌朝。


ひだまり孤児院の庭には、いつも通りアルトがいた。


白銀の翼をたたみ、庭の端で静かに座っている。


その前には、トトが掛けた木札。


『アルト先輩』


そして、その下に増えた小さな紙。


『かってに のらない』


レオン・ガルディアはそれを見て、今日も少しだけ眉間を押さえた。


レオン「……まだ増えていないな」


トト「増やしてない!」


セシリア「現時点では、です」


トト「信用が薄い!」


ガル「積み重ねだな」


ユアン「うん」


エル「昨日の分は少し戻った」


トト「少し!?」


ミリ「少し戻った」


リリィ「猫より少し」


トト「また猫基準!」


猫はリリィの腕の中で、庭のアルトをじっと見ていた。


以前よりは怯えていない。


だが、まだ近づかない。


猫なりに、距離を取っているらしい。


リリィ「猫、今日は逃げてない」


ガル「成長してるな」


トト「猫も成長してる……」


ミリ「みんな成長」


セシリア「良い傾向です」


朝食の食堂。


スープの匂いが満ちる中、レオン、セシリア、フィリア、リュシア、マーサ、子どもたちはいつもの席についていた。


ただし、今日は少しだけ空気が重い。


理由は、昨夜の王城会議で決まった内容があるからだ。


廃塔。


黒い結晶。


魔力の中継点。


そして、ひだまり孤児院の防護強化。


トトはスープを飲みながら、ちらちらと大人たちを見ていた。


トト「今日、何するの?」


レオン「孤児院の防護を確認する」


トト「防護?」


リュシア「簡単に言うと、変な魔力や悪いものが近づきにくくなるようにするの」


ミリ「ばりあ?」


リュシア「そうね。見えないバリアみたいなもの」


リリィ「猫も守る?」


リュシア「もちろん」


猫「……」


猫は少しだけ顔を上げた。


フィリア「防護だけでなく、体調にも注意します。魔力が乱れると、子どもは疲れやすくなることがあります」


ユアン「疲れやすく?」


エル「眠くなるとか?」


フィリア「そうです。頭が重い、気分が悪い、寒気がする。そういう時はすぐ言ってください」


ガル「俺は?」


フィリア「ガルくんも言ってください」


ガル「俺も子ども扱いか」


マーサ「子どもだよ」


ガル「はい」


セシリアは記録板を開いた。


セシリア「本日の予定です。午前中、リュシアさんが魔力防護の外枠を確認。フィリアさんが体調確認。私は既存の防護札と王城支援物資の照合。マスターは力仕事と警戒」


レオン「力仕事扱いか」


セシリア「適任です」


リュシア「私はレオンの警戒もお願いしたいわ。自分で何か見つけると、すぐ動きそうだから」


フィリア「同意します」


マーサ「同意だね」


トト「俺も!」


レオン「お前までか」


ミリ「レオン対策同盟」


リリィ「継続中」


セシリア「正式名称に近づいていますね」


レオン「近づけるな」


その時。


庭の方から、低い鳴き声が聞こえた。


ぐるる。


いつもの穏やかな声ではない。


少しだけ警戒を含んだ鳴き声だった。


レオンはすぐに顔を上げた。


リュシアも、スプーンを置く。


フィリアの表情が変わる。


トト「アルト先輩?」


全員が庭へ出た。


アルトは庭の中央で立ち上がっていた。


白銀の翼を少し広げ、空を見上げている。


その黄金の瞳は、何かを探していた。


空は晴れている。


雲も少ない。


だが。


何かがおかしかった。


トト「……空、普通じゃない?」


ユアン「普通に見える」


エル「でも、アルトが変」


ミリ「そら、重い?」


リリィ「猫、耳ぴん」


猫はリリィの腕の中で耳を立てていた。


レオンは空を見上げた。


目には見えない。


だが、肌にかすかな違和感がある。


風が少し鈍い。


空気が、薄い膜で覆われているような感覚。


リュシアはすぐに菫色の水晶を取り出した。


水晶の中で、星の光が揺れる。


リュシア「……嫌な感じね」


セシリア「何かありますか?」


リュシア「魔力の膜がある。かなり薄いけれど、空側に広がっているわ」


トト「空側?」


リュシア「地面じゃなくて、上の方。鳥や飛行魔獣が通る高さに、薄い網みたいなものが張られている」


ガル「網?」


ユアン「空に?」


エル「見えない網……」


ミリ「こわい」


レオンの目が冷える。


「空を閉じる気か」


リュシアは静かにうなずいた。


「おそらくね。まだ完全じゃない。でも、アルトみたいな大型の飛行魔獣には違和感が出るはず」


アルトは翼を一度広げた。


ばさり。


風が起きる。


しかし、いつものような軽さがない。


アルト自身もそれを感じたのか、低く鳴いた。


ぐるる。


トトの顔から笑みが消えた。


「アルト先輩、飛べないの?」


レオン「飛べないわけではない」


リュシア「でも、無理に飛ばせない方がいいわ。途中で膜に引っかかれば、バランスを崩す可能性がある」


フィリア「危険です。今日は飛行禁止です」


アルトがフィリアを見た。


フィリア「健康管理対象ですから」


アルトは少しだけ首をかしげた。


トト「アルト先輩、今日は飛ばない方がいいって」


アルトはトトを見る。


そして、トトの髪を軽くつついた。


トト「なんで俺!?」


レオン「分かったと言っている」


トト「ほんとに!?」


セシリア「都合よく解釈している可能性もあります」


リュシア「でも、アルトは賢いわ。危険なら無理には飛ばない」


レオンはアルトの首を撫でた。


「今日は待機だ」


アルトは低く鳴いた。


不満そうではある。


だが、レオンの言葉には従う。


その様子を見て、トトは小さく拳を握った。


「空を閉じるなんて、ずるい」


ガル「敵だからな」


ユアン「こっちが空から見たから?」


エル「見られたくないんだ」


リュシア「その可能性が高いわね」


セシリア「つまり、昨日の偵察は相手にとって有効だったということです」


レオン「ああ。だから対策してきた」


トト「じゃあ、アルト先輩がすごかったってこと?」


レオン「そうだな」


トトの顔が少しだけ明るくなる。


「アルト先輩、すごい!」


アルトは静かに胸を張ったように見えた。


ミリ「先輩、すごい」


リリィ「猫も……すごい?」


猫は何もしていない。


だが、リリィは猫を抱きしめた。


リリィ「猫もすごい」


ガル「それはそれでいいか」


空に薄い魔力の膜がある。


その事実は、すぐに王城へ知らせる必要があった。


セシリアは使いを飛ばす準備を始める。


リュシアは庭の中央に立ち、空へ向けて魔法陣を展開した。


菫色の星が、彼女の周りにいくつも浮かぶ。


トトたちは少し離れて見ていた。


リュシア「近づきすぎないでね。これは調査用だけれど、少し眩しいかもしれないわ」


トト「はい!」


ガル「魔法ってすげぇな」


ユアン「星が浮いてる」


エル「昼なのに」


ミリ「ほし」


リリィ「猫、見る?」


猫は少しだけ目を細めた。


リュシアが指を伸ばす。


星の光が、空へ向かって細く伸びていく。


光の糸が、見えない膜に触れた。


その瞬間。


ぱちり、と黒い火花が散った。


トト「うわっ!」


レオンが一歩前へ出る。


リュシア「大丈夫。反応しただけ」


フィリア「リュシアさん、影響は?」


リュシア「ないわ。ただ……」


リュシアの表情が少し険しくなる。


「これはただの飛行妨害じゃない。空を通る魔力を拾っている」


セシリア「拾っている?」


リュシア「飛んだものの魔力、位置、方向。そういう情報を集める網ね」


レオン「つまり、飛べば見られる」


リュシア「ええ。昨日の結晶と同じ。観測用の仕組みが混ざっている」


ガル「見えない網で見てるってことか」


ユアン「気持ち悪い」


エル「空なのに逃げ場がない」


トト「……アルト先輩、昨日見られてたの?」


リュシア「たぶんね」


トトはアルトを見た。


アルトは静かに空を睨んでいる。


その目は、怒っているようにも見えた。


トト「俺、手伝う」


レオン「何をだ」


トト「空は手伝えないけど、地面なら手伝える」


レオン「具体的には?」


トトは少し考えた。


そして言った。


「庭を片づける。小さい子を一人にしない。変な石を見つけたら触らない。アルト先輩に勝手に乗らない」


レオンは少しだけ黙った。


それから、静かにうなずいた。


「十分だ」


トト「ほんと?」


レオン「ああ。守りは、派手なことだけじゃない」


セシリア「良い理解です」


マーサ「じゃあ、今日も庭と門まわりを確認しようかね」


トト「やる!」


ガル「俺も」


ユアン「僕も」


エル「私も」


ミリ「門?」


リリィ「猫も見張り」


猫「……」


猫はあまり見張る気がなさそうだった。


それでも、リリィの中では見張り担当になったらしい。


午前中。


孤児院では、防護強化が始まった。


リュシアは庭の四隅に小さな魔法陣を描いた。


菫色の星型。


地面に描かれたそれは、光っては消え、光っては消える。


フィリアは子どもたちの体調を一人ずつ確認した。


セシリアは王城から届いた防護札と、既存の孤児院の札を照合する。


マーサは台所と食糧庫の確認。


レオンは門、塀、屋根、庭の木、井戸の周辺を見回った。


トトたちは、庭の掃除と門の周りの確認を担当した。


トト「黒い石を見つけても触らない!」


ガル「言われたな」


ユアン「見つけたら大人に言う」


エル「小さい子だけで門に近づかない」


ミリ「言う」


リリィ「猫も言う?」


猫「……」


リリィ「猫は鳴く」


トトは木の枝で地面をつつきながら、慎重に確認していた。


いつものトトなら、すぐ何かを拾ってしまう。


だが今日は違う。


手を後ろに回し、怪しいものを見つけても触らないようにしている。


ガル「お前、今日は本当に触らないな」


トト「触ったら怒られるから!」


ユアン「理由が正直」


エル「でも大事」


トト「あと、アルト先輩も見てるし」


庭の端で、アルトはじっとトトたちを見ていた。


本当に見守っているようだった。


トト「先輩に見られてると、ちゃんとしないとって思う」


ガル「レオンに見られてる時もそうしろよ」


トト「してる!」


ユアン「たぶん」


エル「たまに」


トト「たまに!?」


その頃、レオンは門の外側を確認していた。


リュシアが隣に立つ。


リュシア「空の膜、広がり方が妙だわ」


レオン「王都全体を覆っているのか」


リュシア「まだそこまでではない。でも、西の廃塔から、こちらへ薄く伸びている」


レオン「孤児院を探っている可能性は」


リュシア「ある」


リュシアは低い声で答えた。


いつもの余裕は消えている。


レオンも静かに目を細めた。


リュシア「ただ、今の段階では場所を絞れていないはず。昨日あなたたちがどこへ戻ったかまでは、完全には追えていないと思う」


レオン「完全ではない、か」


リュシア「ええ。だから今日の防護は大事よ」


レオン「ああ」


リュシアは少しだけレオンを見た。


「怒っている?」


レオン「分かるか」


リュシア「昔から、あなたは本当に怒ると静かになる」


レオン「そうだったか」


リュシア「ええ。とても怖かったわ」


レオン「悪かったな」


リュシア「謝らなくていいわ。怒る理由が、いつも誰かを守るためだったから」


レオンは答えなかった。


リュシアは門の向こうを見る。


「でも、今回は一人で怒らないで」


レオン「……」


リュシア「私もいる。フィリアさんも、セシリアさんも、マーサ先生も、騎士団も、王城も。アルトもいる」


レオン「分かっている」


リュシア「本当に?」


レオンは少しだけ息を吐いた。


「昨日、陛下にも言われた」


リュシア「なら、ちゃんと守りなさい」


レオン「何をだ」


リュシア「一人で背負わない約束」


レオンはリュシアを見た。


リュシアは真剣だった。


レオンは短くうなずいた。


「ああ」


リュシアは少しだけ笑った。


「よろしい」


セシリア「記録しました」


レオン「いつからいた」


二人が振り返ると、門の内側にセシリアが立っていた。


記録板を持っている。


セシリア「『一人で背負わない約束、再確認』。重要事項です」


レオン「記録するなと言う気にもならん」


リュシア「諦めたのね」


セシリア「良い傾向です」


昼過ぎ。


王城から使者が来た。


グレン・アシュフォードである。


本来なら騎士団副団長が自ら来る必要はない。


だが、今回の件は空の異常だ。


しかも、王城会議の翌日に発生した。


グレン「レオン殿」


レオン「来たか」


グレン「王城でも西側の空にわずかな魔力異常を確認した。宮廷魔導士たちも解析中だ」


リュシア「動きが早いわね」


グレン「陛下の命令だ。特に……」


グレンは少しだけ言いづらそうにした。


セシリア「特に?」


グレン「『アリシアとルカが空を見上げて不安そうにしている。早急に原因を調べよ』とのことだ」


セシリア「親バカ要素が含まれていますね」


グレン「含まれている」


レオン「陛下らしいな」


グレン「だが、王としての判断も早い。西街道の一部を一時的に制限し、廃塔周辺へ民間人が近づかないよう通達を出した」


レオン「助かる」


グレン「調査隊は明後日以降。少数で、魔導士同行。レオン殿の判断を仰ぐことになる」


レオン「分かった」


トトは少し離れた場所から、グレンを見ていた。


本当は話を聞きたい。


でも、今は大人の話。


勝手に近づかない。


トトは自分で決めた約束を守るため、足を止めていた。


グレンはそれに気づいた。


「トト」


トト「はい!」


グレン「今日は近づいてこないのだな」


トト「大人の話だから!」


グレン「立派だ」


トトの顔が明るくなる。


「立派!?」


グレン「ああ」


トト「俺、立派って言われた!」


ガル「調子に乗るぞ」


ユアン「もう乗ってる」


エル「顔」


レオン「調子に乗るな」


トト「はい!」


返事は早い。


しかし、顔はもう完全に浮かれていた。


グレンは少しだけ笑った。


「ルカ殿下にも見習わせたい」


レオン「ルカ殿下も似たような顔をするな」


グレン「する」


セシリア「王城トトですから」


グレン「その呼び名は、まだ使われているのか」


リュシア「可愛いじゃない」


レオン「定着させるな」


その後、グレンはアルトの様子も確認した。


騎士団として、グリフォンの状態を把握しておきたいらしい。


グレンが近づくと、アルトは鋭い目で彼を見た。


グレンは丁寧に一礼する。


グレン「王国騎士団副団長、グレン・アシュフォードだ」


トト「アルト先輩に挨拶してる」


ガル「ちゃんとしてるな」


ユアン「さすが騎士」


エル「アルトも聞いてる」


アルトはしばらくグレンを見つめた。


そして、静かに頭を下げた。


グレン「……礼を返された」


レオン「アルトは礼儀を知っている」


トト「俺より?」


セシリア「はい」


トト「即答!?」


ミリ「アルト、えらい」


リリィ「猫も礼儀」


猫は何もしていない。


だが、リリィの中では礼儀があるらしい。


夕方前。


防護強化は一通り終わった。


庭の四隅には、見えない魔力の柱が立っている。


門には新しい防護札。


井戸の近くには魔力感知の小石。


屋根裏にはリュシアの星結界。


食堂の入口には、マーサがいつものように手書きの札を貼った。


『手を洗ってから入ること』


トト「これも防護?」


マーサ「ああ。病気から守る防護だよ」


フィリア「非常に重要です」


リュシア「一番基本の結界ね」


セシリア「第0段階、手洗い」


レオン「また増えた」


ミリ「手洗いすーぷ」


リリィ「食べる前」


トト「じゃあ、孤児院防護七か条作ろう!」


全員がトトを見た。


トト「え、だめ?」


セシリア「内容によります」


マーサ「まずは聞かせてみな」


トトは胸を張った。


「一、勝手に外へ出ない!」


ガル「いいな」


「二、知らない石を触らない!」


ユアン「大事」


「三、怖かったら大人に言う!」


エル「うん」


「四、アルト先輩に勝手に乗らない!」


レオン「非常に大事だ」


「五、アルト先輩に変なものを食べさせない!」


フィリア「大事です」


「六、手を洗う!」


マーサ「いいね」


「七、スープを飲む!」


セシリア「最後はいつも通りですね」


ミリ「大事」


リリィ「第0段階」


リュシア「悪くないわ。最後までひだまりらしい」


レオンは少しだけ笑った。


「なら、書いておけ」


トト「ほんと!?」


レオン「ああ。ただし、勝手に王城へ送るな」


トト「送らない!」


ガル「前科あるからな」


トト「うっ」


ユアン「でも今なら大丈夫」


エル「たぶん」


トト「たぶん!?」


その日の夕飯。


ひだまり孤児院では、新しい札が食堂の壁に貼られた。


『ひだまり防護七か条』


一、かってに外へ出ない。

二、知らない石をさわらない。

三、こわかったら大人に言う。

四、アルト先輩にかってに乗らない。

五、アルト先輩に変なものを食べさせない。

六、手を洗う。

七、すーぷを飲む。


セシリアが文を整えた。


トトが字を書いた。


ミリがスープの絵を描いた。


リリィが猫の肉球を押そうとして、マーサに止められた。


リリィ「猫印」


マーサ「紙が破れるよ」


猫「……」


アルトの前にも、小さな写しが掛けられた。


アルトはそれをじっと見たあと、トトの髪を軽くつついた。


トト「今日何回目!?」


レオン「よくやったと言っている」


トト「ほんとかなあ!?」


食堂に笑い声が広がった。


空には、まだ見えない黒い膜がある。


西の廃塔には黒い結晶がある。


ラザルは、こちらの翼を封じようとしている。


けれど。


ひだまり孤児院には、新しい守りができた。


魔法の結界。


王城の支援。


騎士団の警戒。


アルトの目。


そして、子どもたち自身の約束。


トトはスープを飲みながら、壁の札を見た。


トト「レオン兄ちゃん」


レオン「なんだ」


トト「守るって、剣だけじゃないんだね」


レオンは少しだけ目を細めた。


「ああ」


トト「札とか、手洗いとか、約束とかも?」


レオン「ああ。全部、守ることだ」


トトは嬉しそうに笑った。


「じゃあ俺、今日ちょっと守った?」


レオン「ああ。守った」


トトはスプーンを握りしめた。


「やった」


ミリ「トト、守った」


リリィ「猫も」


ガル「猫は何を守ったんだよ」


リリィ「距離」


ユアン「たしかに」


エル「大事」


レオンはスープを飲んだ。


いつもの味がした。


その味に、少しだけ安心する。


リュシアはその横顔を見て、静かに言った。


「空を閉じられても、ここは閉じられないわね」


レオン「閉じさせない」


その声は低く、静かだった。


怒鳴らない。


だが、確かな怒りと決意があった。


リュシアは優しく笑った。


「なら、私も開ける手伝いをするわ。空も、道も」


フィリア「私は帰ってきた後の手当てを」


セシリア「私は記録と準備を」


マーサ「私はスープを」


トト「俺は七か条を守る!」


ガル「俺も」


ユアン「僕も」


エル「私も」


ミリ「守る」


リリィ「猫も」


猫「……」


庭のアルトが、低く鳴いた。


ぐるる。


それは、ひだまり孤児院全員の返事のようだった。


その夜。


西の廃塔では、黒い結晶の上に薄い黒膜が広がっていた。


空へ伸びる、見えない網。


ラザルは白い仮面の奥で目を細めた。


ラザル「翼は鈍った。だが、あの場所の光はまだ消えぬか」


黒い結晶が震える。


赤黒い光が脈打つ。


ラザル「ならば次は、地上を揺らす」


彼の背後。


暗闇の中で、何かが動いた。


獣のような影。


しかし、黒晶獣とは少し違う。


細い手足。


低い姿勢。


そして、額に小さな黒い角。


ラザル「まだ目覚めきってはいないか」


影は低く唸った。


ラザルは静かに笑う。


「よい。第二号の欠片としては十分だ」


赤黒い光が、廃塔の床を這う。


黒玻璃の影は、空だけでは終わらない。


次は、地上から。


静かに、ひだまりへ近づこうとしていた。


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