第二十六話 トト、また事件?
ひだまり孤児院の朝は、今日も騒がしかった。
昨日は王女と王子と、ついでに変装した国王まで来た。
そのせいで、子どもたちは朝からその話でいっぱいだった。
トト「王様のひげ、絶対変だったよね!」
ガル「変だった」
ユアン「すぐ分かった」
エル「王様の姿勢だった」
ミリ「親バカひげ」
リリィ「ひげ王」
セシリア「その呼び方は外で言わないでください」
レオン・ガルディアは食堂の端でスープを飲んでいた。
その横にはセシリア。
今日は、いつもより書類の束が多い。
かなり多い。
レオン「……多いな」
セシリア「昨日、王族対応で後回しにした分です」
レオン「俺のせいか?」
セシリア「半分は」
レオン「残り半分は?」
セシリア「王城とトトです」
トト「俺!?」
セシリア「王城すーぷ事件、王族訪問、その後処理。すべて書類になっています」
トト「すーぷで書類が増えるんだ……」
ガル「すげぇな」
ユアン「悪い意味で」
ミリ「すーぷ書類」
リリィ「紙のすーぷ」
レオン「飲めなさそうだな」
セシリア「飲まないでください」
朝食が終わる頃、レオンは少しだけ言いにくそうにマーサへ向いた。
レオン「マーサ先生」
マーサ「なんだい?」
レオン「今日から三日ほど、孤児院には来られない」
食堂が静かになった。
トトのスプーンが止まる。
ガルも顔を上げる。
ユアンとエルも、少しだけ不安そうにレオンを見た。
ミリは首をかしげる。
ミリ「三日?」
リリィ「長い」
トト「え、三日も!?」
レオン「ああ」
トト「なんで!?」
セシリア「ギルドの仕事です。黒玻璃の使徒、黒晶獣、旧石切り場、王城からの依頼、王族訓練、支援物資の管理。全部まとめて処理する必要があります」
ガル「全部聞くだけで疲れるな」
ユアン「三日で終わるの?」
セシリア「終わらせます」
レオン「終わるといいな」
セシリア「終わらせます」
レオン「……終わらせる」
ミナ「その間、レオンさんはギルドに泊まるんですか?」
レオン「一日目はギルド。二日目と三日目は、たぶん自宅に戻る」
トト「自宅?」
食堂の空気が、少し変わった。
トトが目を丸くする。
ガルも驚いた顔をした。
ユアン「レオン兄ちゃん、家あるの?」
レオン「ある」
トト「えっ、孤児院じゃないの!?」
レオン「ここは俺が育った場所だ。今の俺の家ではない」
ミリ「レオン、ここにいる」
リリィ「半分住んでる」
マーサ「しょっちゅう夕飯を食べに来るからね」
フィリア「健康管理的には、ここに来る方が把握しやすいです」
セシリア「ですが、マスターにも正式な自宅はあります」
トト「どんな家?」
レオン「普通だ」
セシリアが少しだけ目をそらした。
マーサも、何かを知っているように笑った。
トトはそれを見逃さなかった。
トト「今、セシリア姉ちゃん目そらした!」
セシリア「そらしていません」
ガル「そらしたな」
ユアン「そらした」
エル「うん」
トト「普通じゃないの!?」
レオン「普通だ」
セシリア「マスターの基準では普通です」
トト「絶対普通じゃない!」
レオンは立ち上がった。
「とにかく、三日ほど来られない。何かあればギルドへ連絡しろ」
マーサ「分かったよ。こっちは心配しなくていい」
フィリア「食事はちゃんと取ってください」
レオン「ああ」
セシリア「私が確認します」
フィリア「お願いします」
トト「レオン兄ちゃん、本当に三日来ないの?」
レオン「ああ」
トト「夜も?」
レオン「夜もだ」
トト「スープは?」
レオン「食べない」
ミリ「すーぷ、ない」
リリィ「レオン、すーぷ不足」
レオン「三日で不足するのか」
マーサ「するかもしれないね」
レオンは小さく笑った。
それから、子どもたちを一人ずつ見た。
レオン「いい子にしてろ」
トト「俺も?」
レオン「特にお前だ」
トト「特にって!言われた!」
レオン「勝手に王城へ物を送るな」
トト「送らないよ!」
レオン「勝手に王城へ行くな」
トト「行かない!」
レオン「勝手にギルドへ来るな」
トト「……」
レオン「トト」
トト「はい!」
セシリア「今、間がありました」
ガル「完全にあった」
ユアン「あった」
エル「うん」
トト「まだ何もしてない!」
レオン「その言葉は聞き飽きた」
そう言って、レオンとセシリアはギルドへ向かった。
トトは玄関の前で、二人の背中を見送った。
三日。
三日もレオンが来ない。
それは、トトにとってかなり長い時間だった。
昼。
トトは普通に過ごした。
勉強もした。
豆の数も数えた。
皿運びもした。
走るなと言われて、急いで歩いた。
夕方も、ちゃんと食堂でスープを飲んだ。
トト「うまい」
ミリ「すーぷ」
リリィ「今日は平和」
ガル「お前が静かだと逆に怖いな」
トト「俺だって静かな日くらいあるよ!」
ユアン「何か考えてる?」
トト「考えてない!」
エル「考えてる顔」
トト「顔で決めないで!」
その夜。
子どもたちが寝室へ向かった後、トトは布団の中で目を開けていた。
部屋は静かだった。
ガルはすぐ近くで寝息を立てている。
ユアンも眠っている。
エルとミリは別の部屋。
窓の外には、月明かりが薄く差し込んでいた。
トトは天井を見つめる。
レオンの家。
レオンの本当の家。
普通だと言っていた。
でも、セシリアは目をそらした。
ということは、普通ではない。
そして、レオンは三日、孤児院に来ない。
ギルドに行って、自宅に戻る。
それなら。
トトは布団の中で、ゆっくりと丸くなった。
――ちょっとだけなら。
そう思った。
何をするつもりなのか。
その時のトト自身にも、まだうまく言葉にはできなかった。
ただ、レオンがいない三日間を、ただ待っているだけは嫌だった。
次の朝。
レオンは早朝にギルドへ向かった。
孤児院には寄らなかった。
その代わり、マーサのところへギルドの使いが来て、こう伝えた。
『本日も予定通り、ギルド業務に専念します。心配しないように』
マーサ「心配するなって言われると、少し心配になるね」
フィリア「食事確認ができません」
セシリアはギルドにいるため不在。
レオンも不在。
つまり、トトを直接見張る人間が、少しだけ減っていた。
もちろん、マーサはいる。
ミナもいる。
フィリアもいる。
ガルもユアンもエルもいる。
だが、トトはこういう時だけ妙に静かに動ける。
朝食後。
トトは食堂の椅子を片づけた。
皿も運んだ。
ミリに水を持っていった。
リリィの猫に少しだけ魚の切れ端を見せて、猫を味方につけた。
そして、誰も見ていない隙に、玄関の影へ移動した。
トト「……よし」
その瞬間。
ユアンの声が後ろからした。
ユアン「どこ行くの?」
トト「うわっ!」
トトは飛び上がった。
ユアンは真顔だった。
エルも横にいた。
エル「だめな顔」
トト「また顔!?」
ユアン「レオン兄ちゃんを追うの?」
トト「……」
エル「やっぱり」
トトは少し黙った。
そして、小声で言った。
「見るだけ」
ユアン「危ない」
トト「ギルドまで! ギルドの前まで! そろっと見て、戻る!」
エル「戻らないと思う」
トト「戻る!」
ユアン「大人に言った?」
トト「……」
ユアン「言ってない」
トト「言ったら止められるもん!」
エル「だから言うんだよ」
トトは困った顔をした。
だが、目は本気だった。
「レオン兄ちゃんが、どんな仕事してるのか見たいんだ。ギルドマスターって言うけど、いつも孤児院でスープ飲んでるし、屋根直してるし、看板気にしてるし」
ユアン「それも仕事?」
トト「たぶん違う!」
エル「たぶん」
トト「ちゃんとしたレオン兄ちゃんも見たいんだよ!」
ユアンは少し悩んだ。
エルも少し悩んだ。
二人とも止めるべきだと分かっていた。
だが、トトの気持ちも少し分かった。
ユアン「……じゃあ、門の外まで」
トト「え」
ユアン「本当に行くなら、せめて誰かに言った方がいい」
トト「それじゃ止められる!」
エル「止められることは、しない方がいい」
トト「うっ」
その時、庭の方からマーサの声が聞こえた。
マーサ「トトー! 水汲み手伝いな!」
トトはびくっとした。
そして、反射的に言った。
トト「あとでー!」
マーサ「今だよ!」
トトはユアンとエルを見た。
二人は首を横に振った。
トトは一瞬だけ迷った。
そして。
小声で言った。
「ごめん!」
走った。
ユアン「トト!」
エル「行っちゃった」
トトは孤児院の門を抜け、路地へ出た。
走るなと言われている。
だから、急いで歩いた。
かなり速く。
ギルドまでの道は、覚えている。
何度もレオンについて行ったことがある。
王都の朝は人が多い。
商人。
荷馬車。
冒険者。
買い物客。
トトは人混みに紛れながら進んだ。
――見るだけ。
――ギルドの前まで。
――すぐ帰る。
何度も心の中で言った。
だが、ギルド本部の大きな建物が見えてくると、足は止まらなかった。
王都冒険者ギルド本部。
大きな扉。
依頼掲示板。
出入りする冒険者たち。
受付に並ぶ人々。
トトは建物の横の木箱の影に隠れた。
トト「……でかい」
いつもレオンが働いている場所。
いつもセシリアが怒っている場所。
ここに来ると、レオンはギルドマスターになる。
トトはそろりと中を覗いた。
中は、想像以上に騒がしかった。
冒険者たちの声。
受付職員の声。
武器がぶつかる音。
依頼書を貼る音。
その中央に、レオンがいた。
いつもの孤児院で見るレオンとは少し違った。
背筋がまっすぐで、顔は怖い。
いや、元から怖い。
でも、今はもっとギルドマスターらしい怖さだった。
レオン「その依頼はCランク以上に回せ。新人を入れるな」
受付職員「はい!」
レオン「南街道の護衛は二組に分けろ。片方に治癒師をつける」
職員「了解しました!」
レオン「この報酬は低すぎる。依頼主に上げるよう伝えろ」
別の職員「断られた場合は?」
レオン「受けない。冒険者を安く使う依頼は通すな」
トトは目を丸くした。
――すごい。
レオンが次々に指示を出している。
怒鳴ってはいない。
だが、みんなが動く。
冒険者たちも、レオンが通ると少し道を空ける。
怖がっている者もいる。
尊敬している者もいる。
その背中は大きかった。
孤児院でスープをおかわりしているレオンとは違う。
でも、同じレオンだった。
トト「……かっこいい」
その時、セシリアがギルドの奥から出てきた。
トトは慌てて木箱の陰に隠れた。
セシリア「マスター、午後の会議資料です」
レオン「多いな」
セシリア「三日分を詰め込んでいます」
レオン「やはり三日では終わらないか」
セシリア「終わらせます」
レオン「……終わらせる」
トトは息を止めていた。
セシリアは鋭い。
見つかれば終わりだ。
だが、ギルドは人が多く、セシリアも忙しそうだった。
トトには気づかない。
もちろん、レオンも気づかない。
トトは胸をなでおろした。
その後、トトはギルドの外でしばらく見学した。
レオンが新人冒険者に注意するところ。
レオンが古参冒険者と短く話すところ。
セシリアが書類の束を持って追いかけるところ。
レオンが少しだけ逃げようとして、すぐセシリアに捕まるところ。
トトは小さく笑った。
――やっぱりセシリア姉ちゃん強い。
昼頃になると、トトはお腹が空いた。
だが、戻るべきだった。
本当は、その時点で戻るべきだった。
けれど、トトは見てしまった。
夕方近く、レオンがギルドを出るところを。
今日は孤児院へは向かわない。
別の道へ進んでいく。
トトは思った。
――家に帰るんだ。
足が、勝手に動いた。
いや、勝手ではない。
自分で動かした。
トトは距離を取りながら、レオンの後をつけた。
レオンは気づかない。
理由はいくつかあった。
一つ。
王都の通りは人が多い。
二つ。
レオンは仕事のことを考えていた。
三つ。
まさかトトが孤児院を抜け出して、朝からついてきているとは思っていない。
そして四つ。
トトは、こういう時だけ妙に足音を消すのがうまかった。
レオンは王都の中心部から少し離れた、静かな区画へ入った。
貴族の屋敷が並ぶ区域。
高い塀。
広い道。
整えられた庭。
大きな門。
トトは少しずつ目を丸くしていった。
トト「……え」
レオンは、一つの大きな屋敷の前で止まった。
屋敷というより、もう小さな館だった。
黒い鉄の門。
広い庭。
石造りの立派な建物。
二階建て。
大きな窓。
手入れされた植え込み。
門には、小さな家名板があった。
『ガルディア邸』
トトは口を開けたまま固まった。
「……豪邸じゃん」
レオン兄ちゃんの家。
普通って言ってた。
全然普通じゃない。
トトの知っている普通の家ではない。
ひだまり孤児院よりずっと立派だった。
門が開き、レオンが中へ入っていく。
トトは慌てて塀の影に隠れた。
――どうしよう。
ここまで来てしまった。
帰らないといけない。
でも、もう暗くなってきている。
道も少し分からない。
それに。
トトはもう一度、屋敷を見た。
「……ちょっとだけ」
また、それだった。
ちょっとだけ。
その言葉は、トトにとって最も危険な言葉だった。
トトは門の隙間から、そっと中を覗いた。
庭の奥で、レオンが家の扉を開けて入っていく。
中から、柔らかい灯りが漏れた。
屋敷の中は静かだった。
孤児院みたいに騒がしくない。
子どもの声もしない。
スープの匂いもしない。
広いのに、どこか寂しそうだった。
トトは門の外でしばらく待った。
だが、空はどんどん暗くなっていく。
夜の王都は、昼と違う。
通りに人はいるが、子どもが一人で歩いていい時間ではない。
トトは不安になった。
門の横に、庭師用なのか、小さな通用扉があった。
完全には閉まっていない。
トトはそこから、そっと庭へ入ってしまった。
屋敷の庭は広かった。
石畳。
小さな噴水。
木々。
ベンチ。
トトは庭の端にある木の陰に座った。
「ちょっと休んでから帰ろう」
そう思った。
だが、朝から歩き、昼もまともに食べず、ずっと緊張していた。
体は疲れていた。
トトは木の根元で丸くなった。
「ちょっとだけ……」
目が閉じた。
その頃。
ひだまり孤児院では、夕飯の準備が始まっていた。
マーサが大鍋をかき混ぜる。
ミナが皿を並べる。
ガルが薪を運ぶ。
ユアンが水を持ってくる。
エルが小さな子たちの手を洗わせる。
ミリが椅子に座って待っている。
リリィが猫に話しかけている。
マーサ「トトは?」
ガル「さっきから見てない」
ユアンとエルが顔を見合わせた。
マーサはそれを見逃さなかった。
マーサ「ユアン、エル」
ユアン「……」
エル「……」
マーサ「知ってるね?」
ユアンは小さくうなずいた。
ユアン「朝、レオン兄ちゃんを追いかけようとしてた」
エル「止めたけど、行っちゃった」
食堂の空気が一瞬で変わった。
フィリアが立ち上がる。
ミナの顔が青くなる。
ガル「はぁ!? あいつ!」
マーサの表情が静かに変わった。
怒っている。
だが、それ以上に心配している顔だった。
マーサ「いつからいない?」
ユアン「朝……」
フィリア「朝から!?」
リリィ「長い」
ミリ「トト、いない」
マーサ「ガル、外を見てきな。ミナは近所を確認。フィリアはギルドへ連絡。ユアンとエルはここにいな」
ガル「分かった!」
フィリア「すぐ行きます!」
マーサ「リリィ、ミリから目を離さない」
リリィ「うん」
ミリ「トト、迷子?」
マーサは一瞬だけ目を閉じた。
そして言った。
「すぐ見つけるよ」
フィリアがギルドへ走った。
だが、レオンはもうギルドを出た後だった。
セシリアはまだギルドにいた。
フィリアから話を聞いた瞬間、セシリアの顔が冷えた。
セシリア「朝から……?」
フィリア「はい」
セシリア「マスターは?」
職員「先ほど、ご自宅へ戻られました」
セシリアは目を閉じた。
「……まさか」
フィリア「心当たりが?」
セシリア「トトが、マスターの自宅に興味を持っていました」
フィリア「まさか、ついていったと?」
セシリア「十分ありえます」
すぐに使いが飛ばされた。
マーサにも連絡が行く。
グレンにも念のため連絡が入る。
ガルは近所を走り回り、トトの名前を呼んだ。
ユアンとエルは食堂で不安そうに座っていた。
ミリは小さな声で言う。
ミリ「トト、すーぷない」
リリィ「お腹すく」
マーサは静かに立っていた。
その顔は怖かった。
だが、手は少しだけ震えていた。
一方、ガルディア邸。
レオンは執務室で書類を見ていた。
自宅の執務室。
大きな机。
本棚。
使われていない暖炉。
整った家具。
広い。
静かすぎるほど静かだった。
レオンは書類を置き、ふと窓の外を見た。
庭の端に、何かが見えた気がした。
小さな影。
レオンは眉をひそめた。
すぐに立ち上がる。
玄関を出て、庭へ向かう。
木の根元。
そこに、丸くなって眠っている子どもがいた。
トトだった。
レオンは一瞬、動きを止めた。
次の瞬間、顔色が変わった。
レオン「トト」
トトは眠っている。
少し寒そうに丸まっている。
レオンはすぐに外套を脱ぎ、トトにかけた。
トト「……ん」
トトが目を開ける。
ぼんやりとレオンを見る。
トト「……レオン兄ちゃん?」
レオン「何をしている」
声は低かった。
トトは一瞬で目を覚ました。
トト「え、あ、ここ……」
レオン「何をしている」
同じ言葉。
だが、今度はさらに重い。
トトは小さくなった。
「……見に来た」
レオン「何を」
トト「レオン兄ちゃんの仕事と、家」
レオンは何も言わなかった。
それが怖かった。
トトは慌てて続ける。
「ギルドの前で見てただけ! それで、帰ろうと思ったけど、レオン兄ちゃんが家に行くから、ちょっとだけ見ようと思って……それで、庭で休んで……」
レオン「朝からか」
トト「……はい」
レオン「昼は?」
トト「……食べてない」
レオンの目がさらに怖くなった。
トトは泣きそうになった。
その時、門の方から声がした。
セシリア「マスター!」
フィリア「トト!」
マーサ「トト!」
門から入ってきたのは、セシリア、フィリア、マーサ。
少し遅れてガル、ミナ、ユアン、エル、グレンまで来た。
ミリとリリィは孤児院で待機している。
トトは完全に固まった。
ガル「お前……!」
フィリア「怪我はありませんか!?」
セシリア「朝から尾行していたのですか?」
マーサは何も言わず、ゆっくり近づいてきた。
トトは一番怖い顔を見た。
マーサの顔だった。
トト「マーサ先生……」
マーサ「トト」
トト「はい……」
マーサ「無事かい」
トト「はい……」
マーサは一度、深く息を吐いた。
それから、トトをぎゅっと抱きしめた。
トトは目を丸くした。
怒られると思っていた。
いや、怒られるのは間違いない。
でも、先に抱きしめられた。
マーサの腕は少し震えていた。
マーサ「心配したんだよ」
トト「……ごめんなさい」
マーサ「朝からいないって聞いて、どれだけ心配したと思ってるんだい」
トト「ごめんなさい……」
マーサはトトを離した。
そして、しっかり目を見た。
「でも、心配と怒るのは別だよ」
トト「はい……」
マーサ「帰ったら説教だ」
トト「はい……」
レオンはその横で静かに立っていた。
セシリアが庭を見回す。
セシリア「ここまで一人でついてきたのですね」
ガル「ほんと、何やってんだよ!」
ユアン「ごめん。止められなかった」
エル「ごめんなさい」
マーサ「二人は悪くないよ。大人に言えたらよかったけどね」
ユアンとエルは小さくうなずいた。
フィリアはトトの手足を確認している。
フィリア「擦り傷なし。熱もありません。ただ、空腹と疲労があります」
レオン「昼を食べていない」
フィリア「トトくん」
トト「はい……」
フィリア「それは非常に問題です」
トト「第0段階、失敗しました……」
セシリア「自分で広めておいて失敗しないでください」
グレンはレオンの屋敷を見て、少しだけ目を細めた。
「ここに子どもが一人で来るには遠いな」
レオン「ああ」
マーサも、今さら周囲を見た。
そして、屋敷の大きさに少しだけ眉を上げた。
ガル「……レオン」
レオン「なんだ」
ガル「これ、家?」
レオン「ああ」
ガル「豪邸じゃねぇか」
トトが小さくうなずく。
「俺もそう思った」
セシリア「マスターの普通は、あまり信用しない方がいいです」
レオン「普通だろう」
全員「普通じゃない」
声がそろった。
レオンは少しだけ黙った。
だが、今は屋敷の話をしている場合ではない。
レオンはトトを見る。
「帰るぞ」
トト「はい……」
レオン「歩けるか」
トト「歩ける」
フィリア「空腹なので、馬車を使いましょう」
セシリア「手配済みです」
マーサ「さすがだね」
セシリア「トトがここにいる可能性を考えた時点で呼びました」
ガル「有能すぎる」
セシリア「積み重ねです」
帰りの馬車の中。
トトはマーサの隣に座らされた。
反対側にはレオン。
前にはセシリアとフィリア。
ガルたちは別の馬車。
つまり、逃げ場はなかった。
トト「……」
レオン「……」
マーサ「……」
セシリア「……」
フィリア「……」
トト「……あの」
マーサ「孤児院に着いてからだよ」
トト「はい……」
ひだまり孤児院に戻ると、ミリとリリィが玄関で待っていた。
ミリ「トト!」
リリィ「発見」
猫もいた。
ミリはトトに抱きついた。
「すーぷ、冷める」
トト「ごめん……」
リリィ「猫も心配した」
猫は何も言わない。
だが、トトは小さくうなずいた。
食堂には、温かいスープが用意されていた。
マーサはまず、トトを椅子に座らせた。
そして、スープを前に置いた。
マーサ「食べな」
トト「でも、説教は」
マーサ「食べてからだよ。腹が減ってたら、まともに怒られることもできないからね」
レオン「そこは食べるのか」
マーサ「当然だよ」
トトはスープを飲んだ。
温かかった。
朝から何も食べていない体に、ゆっくりしみていく。
トトの目に少し涙が浮かんだ。
トト「……うまい」
ミリ「第0段階、回復」
リリィ「すーぷ復帰」
セシリア「今回は笑い事ではありません」
食べ終わった後。
本当の説教が始まった。
マーサは静かに言った。
マーサ「トト。あんたが見たいと思った気持ちは分かるよ」
トト「……はい」
マーサ「レオンがどこで何をしてるか、知りたかったんだろう」
トト「はい」
マーサ「でも、黙って出ていくのは駄目だ」
トト「はい」
マーサ「朝から夜まで、誰にも居場所が分からなかった。もし途中で何かあったら、誰も助けに行けなかった」
トトはうつむいた。
レオンが続ける。
レオン「俺の後をつけるのも駄目だ」
トト「はい」
レオン「ギルドは危険な依頼人も来る。冒険者同士の揉め事もある。子どもが隠れて見ていい場所じゃない」
トト「はい……」
レオン「俺の家も同じだ。安全に見える場所でも、知らない道を一人で歩く時点で危ない」
トト「……はい」
セシリア「さらに、昼食を抜きました」
トト「はい……」
フィリア「第0段階を広めた本人が、失敗しています」
トト「はい……」
ガル「心配したぞ」
トト「ごめん」
ユアン「止められなくてごめん」
トト「ユアンは悪くない」
エル「次は言う」
トト「うん」
マーサは最後に言った。
「罰は三つ」
トトは背筋を伸ばした。
マーサ「一つ。明日は一日、私の手伝い」
トト「はい」
マーサ「二つ。セシリアに、外出する時の決まりを書いてもらって、それを三回読む」
セシリア「用意します」
トト「はい……」
マーサ「三つ。レオンに、ちゃんと聞きたいことを聞く」
トト「え?」
マーサ「見たいなら、ついていくんじゃなくて、聞きな。連れていける時は連れていく。駄目な時は理由を話す。それが約束だよ」
トトはゆっくり顔を上げた。
レオンを見る。
レオンは静かにうなずいた。
レオン「ギルドを見たいなら、今度、正式に連れていく」
トト「ほんと?」
レオン「ああ。ただし、約束を守れるならだ」
トト「守る!」
セシリア「まずは信頼回復からです」
トト「はい!」
フィリア「昼食を抜かないことも」
トト「はい!」
ミリ「すーぷ」
トト「飲む!」
リリィ「猫にも言う」
トト「猫にも?」
リリィ「行く前に」
トト「分かった!」
レオンは少しだけ息を吐いた。
怒った。
かなり怒った。
だが、トトが無事だった。
それだけで、少し力が抜けた。
トトはちらりとレオンを見た。
「レオン兄ちゃん」
レオン「なんだ」
トト「家、すごかった」
食堂が一瞬静かになった。
ガル「そこ言うか」
ユアン「豪邸だった?」
トト「豪邸だった」
ミリ「ごうてい」
リリィ「レオン城」
レオン「城ではない」
セシリア「普通でもありません」
マーサ「今度、その話も聞かせてもらおうかね」
レオン「……大した話ではない」
トトは小さく笑った。
「でも、ちょっと寂しそうだった」
レオンは黙った。
食堂の空気が、少しだけ静かになる。
トトは続けた。
「広いけど、すーぷの匂いしなかった」
マーサはレオンを見た。
フィリアも、少しだけ切なそうな顔をした。
レオンはスープの器を見つめた。
しばらく黙った後、静かに言う。
「だから、ここに来るんだろうな」
トトは目を丸くした。
レオンはすぐに言い直す。
「……夕飯のために」
マーサが笑った。
「そういうことにしておくよ」
食堂に、少しずつ笑いが戻った。
その夜。
トトは寝る前に、レオンからもう一度だけ言われた。
レオン「次に勝手についてきたら、ギルド見学はなしだ」
トト「はい」
レオン「俺の家にも入れない」
トト「はい」
レオン「スープのおかわりも減るかもしれない」
トト「それは重い!」
マーサ「重くないと効かないからね」
セシリア「良い罰です」
ミリ「すーぷ罰」
リリィ「こわい」
トトは真剣にうなずいた。
「もう勝手についていきません」
レオン「約束だ」
トト「約束」
トトはその夜、すぐに眠った。
朝から歩き回り、怒られ、泣きそうになり、スープを飲み、また怒られたからだ。
ひだまり孤児院の夜は静かだった。
レオンは食堂の窓際で、少しだけ外を見ていた。
セシリアが隣に来る。
セシリア「マスター」
レオン「なんだ」
セシリア「三日、孤児院に来ない予定でしたね」
レオン「……そうだったな」
セシリア「初日で来ましたね」
レオン「不可抗力だ」
セシリア「トトの事件ですからね」
レオン「そうだな」
セシリアは少しだけ笑った。
「明日は?」
レオン「朝はギルドに行く」
セシリア「夜は?」
レオンはしばらく黙った。
それから、小さく言った。
「……夕飯だけ寄る」
セシリア「三日来られないのでは?」
レオン「予定は変わる」
セシリア「記録しておきます」
レオン「するな」
セシリアは記録板を開いた。
レオンは止めなかった。
食堂の奥から、子どもたちの寝息が聞こえる。
スープの匂いは、もう薄れていた。
けれど、この家には確かに温かさが残っている。
レオンは静かに思った。
――やはり、豪邸よりこっちの方が落ち着く。
もちろん、口には出さなかった。
出せば、トトがまた事件にするからだ。




