第二十五話 王族、ひだまりに来る
トトの王城すーぷ事件から一夜明けた。
ひだまり孤児院の朝は、いつも通り騒がしかった。
いや。
今日は、騒がしいというより、全員が少し落ち着かなかった。
理由は、朝食の直後に届いた王城からの正式な手紙である。
セシリア・ノートが封を開き、内容を読み上げた。
セシリア「本日午後、第一王女アリシア殿下、第二王子ルカ殿下が、ひだまり孤児院を訪問されます」
食堂が固まった。
トトのスプーンが、ぽとりと落ちた。
ガル「……王女と王子が?」
ユアン「ここに?」
エル「孤児院に?」
ミリ「ひめ、くる?」
リリィ「王子もくる」
マーサ「へぇ」
レオン・ガルディアは、椅子に座ったまま目を閉じた。
レオン「……なぜだ」
セシリア「手紙によると、トトの謝罪文を受け取り、王女殿下が直接礼を伝えたいとのことです」
トト「えっ」
トトの顔が青くなった。
「俺、怒られる?」
セシリア「怒られに来るわけではありません」
トト「でも、王女様が直接来るって、すごくない!?」
ガル「すごいな」
ユアン「すごい」
エル「すごい」
ミリ「すーぷすごい」
リリィ「国家事件」
セシリア「国家事件ではありません」
フィリア・ローレンスは、急に立ち上がった。
フィリア「では、掃除をしましょう」
ミナ「はい!」
マーサ「そうだね。いつも通りでいいとは言っても、迎える準備はしないとね」
レオン「王女殿下と王子殿下が来るなら、警備は」
セシリア「グレン副団長と近衛が同行します」
レオン「陛下は?」
セシリア「手紙には記載されていません」
レオンは少しだけ嫌そうな顔をした。
「来そうだな」
ガル「王様?」
ユアン「来るの?」
レオン「あの親バカなら、来る」
マーサ「王様に向かって親バカって言うんじゃないよ」
セシリア「本人が認めています」
マーサ「ならいいか」
トトは両手で頭を抱えた。
トト「どうしよう! 王女様に何言えばいいの!?」
ガル「普通に謝ればいいだろ」
トト「もう謝罪文送った!」
ユアン「もう一回謝る?」
エル「ありがとうって言われたら?」
トト「どう返すの!?」
ミリ「すーぷ?」
リリィ「すーぷで返す」
トト「そうか、すーぷか!」
セシリア「そこで納得しないでください」
掃除が始まった。
ひだまり孤児院は、普段から汚いわけではない。
だが、子どもが多い。
騒がしい。
物も多い。
そして、トトがいる。
つまり、王族を迎えるには、いくつか問題があった。
まず、廊下に落ちていた木剣。
レオン「誰のだ」
トト「俺のじゃない!」
ガル「お前のだろ」
トト「俺のはもっと短い!」
ユアン「それもどうなの」
次に、食堂の隅に積まれていた謎の紙束。
セシリア「これは何ですか?」
トト「第0段階教本の続き」
セシリア「まだ書いていたのですか」
トト「正式版!」
セシリア「今はしまってください」
トト「王女様に見せるかも」
レオン「見せなくていい」
そして、問題の看板。
門の横に立つ『ひだまり孤児院』の看板は、相変わらず少しだけ傾いていた。
レオンがそれを見つめる。
フィリア「レオン様」
レオン「まだ何も言っていない」
フィリア「今、直そうと思いましたね?」
レオン「……少しだけ」
セシリア「駄目です」
マーサ「味だよ、味」
リリィ「猫も味って言ってる」
レオン「猫は言っていない」
しかし、今日は王族が来る。
レオンは看板を見た。
ほんの少しだけ傾いている。
本当に、ほんの少し。
だが、気になる。
レオン「少しだけ右に」
セシリア「駄目です」
フィリア「駄目です」
マーサ「駄目だね」
トト「ぴこん隊長、今日は我慢!」
レオン「……分かった」
王族を迎える前に、レオンが一番試されたのは、看板を直さない我慢だった。
昼過ぎ。
王城の馬車が、ひだまり孤児院の前に止まった。
白い馬車。
王家の紋章。
だが、派手すぎない。
周囲には、グレン・アシュフォードと数名の近衛騎士。
レオンは門の前に立ち、静かに頭を下げた。
セシリアも隣に立つ。
マーサとフィリア、子どもたちは玄関前に並んでいた。
トトだけ、やたら背筋が伸びている。
ガルが小声で言った。
ガル「硬すぎるぞ」
トト「だって王女様だよ!」
ユアン「息してる?」
トト「してる!」
エル「小声、大きい」
馬車の扉が開いた。
まず降りてきたのは、第一王女アリシア・エルドラン。
今日は王城での訓練着ではなく、動きやすい簡素な外出用の服を着ている。
それでも、立ち姿には品があった。
次に降りてきたのは、第二王子ルカ・エルドラン。
こちらは少しそわそわしていて、降りるなり孤児院の看板を見た。
ルカ「ここが、ひだまり孤児院……!」
アリシア「ルカ、落ち着いて」
ルカ「落ち着いています」
グレン「殿下、到着直後から走らないように」
ルカ「走っていません!」
レオンは一礼した。
レオン「ようこそ、ひだまり孤児院へ」
アリシア「本日は急な訪問を受け入れてくださり、ありがとうございます」
マーサ「ようこそおいでくださいました。立派な場所ではありませんが、温かいスープならありますよ」
アリシアは少し目を丸くし、それから笑った。
アリシア「楽しみにしていました」
ルカ「僕もです!」
トトががちがちに固まったまま、前に出た。
トト「ひ、ひだまり孤児院代表、トト・ミルクです!」
ガル「代表だったのか」
セシリア「代表ではありません」
トト「昨日は、勝手に第0段階教本を送ってしまい、申し訳ありませんでした!」
トトは勢いよく頭を下げた。
勢いがよすぎて、少し前につんのめった。
レオンが片手で襟をつかんで止める。
トト「うわっ」
レオン「頭を下げる時も、足元を見ろ」
アリシアは口元に手を当てた。
ルカは少し笑いかけ、アリシアに見られて姿勢を正した。
アリシア「トトさん」
トト「はい!」
アリシア「謝罪文、読みました。とても丁寧でした」
トト「セシリア姉ちゃんと、レオン兄ちゃんと、みんなに直してもらいました!」
アリシア「それでも、あなたが書いたのでしょう?」
トト「はい!」
アリシアは微笑んだ。
「『あさごはん』の札も、部屋に置いています」
トトの顔がぱっと明るくなった。
トト「ほんとですか!?」
アリシア「はい。朝食を忘れないように」
トト「やった……!」
ルカが横から身を乗り出す。
ルカ「僕の『ひるごはん』札もあります!」
トト「王子様も書いたんですよね!」
ルカ「ええ!」
トト「見たい!」
ルカ「僕も君の教本を全部見たい!」
セシリア「危険な交流が始まりましたね」
レオン「ああ」
マーサ「子ども同士だね」
グレン「殿下、王族としての距離感を」
ルカ「今は見学です!」
アリシア「ルカ、まずご挨拶」
ルカ「はい。第二王子ルカ・エルドランです。今日はよろしくお願いします!」
トト「トト・ミルクです! こちらこそよろしくお願いします!」
二人はなぜか固く握手した。
ミリがそれを見て、ぽつりと言った。
ミリ「すーぷ同盟」
リリィ「王城支部」
セシリア「支部を作らないでください」
一行は食堂へ案内された。
アリシアとルカは、食堂に入ると少し驚いた顔をした。
高価な家具はない。
壁も古い。
床板は少しきしむ。
だが、窓からは光が入り、食堂にはスープの匂いが満ちている。
子どもたちの絵が壁に貼られ、入口近くには『ひだまり孤児院』の小さな手書きの札がある。
アリシア「ここが……」
レオン「騒がしい場所です」
マーサ「それと、よく食べる場所です」
ルカ「いい匂いがします」
ミリ「すーぷ」
ルカ「これが本物のひだまりスープ……」
レオン「本物とは」
トト「王子様、まず第0段階!」
セシリア「トト」
トト「正式じゃないけど!」
アリシアは笑った。
アリシア「今日は、その第0段階を見学しに来ました」
レオン「見学するものではありません」
フィリア「でも、食事の大切さを学ぶことは良いことです」
セシリア「また認めるのですね」
昼食には少し早かったが、マーサは小さな器にスープをよそった。
王女と王子用に特別な器を出そうとしたが、アリシアは首を振った。
アリシア「皆さんと同じ器でお願いします」
マーサ「いいんですかい?」
アリシア「はい」
ルカ「僕も!」
マーサは少しだけ目を細めた。
「なら、熱いから気をつけな」
ルカ「はい!」
トト「王子様、ふーふーしてから!」
ルカ「分かっています!」
ミリ「ふーふー」
リリィ「猫もふーふー」
ガル「猫はしないだろ」
アリシアはスープを一口飲んだ。
目を少し見開く。
アリシア「おいしい……」
マーサ「口に合ってよかった」
アリシア「温かい味がします」
レオンは少しだけ目を細めた。
マーサのスープを、そう言った。
それだけで、この王女を見る目が少し変わった。
ルカもスープを飲み、ぱっと顔を明るくする。
ルカ「おいしいです! 王城のスープと違います!」
グレン「殿下」
ルカ「悪い意味じゃないです! なんというか……」
ミリ「すーぷ」
ルカ「そう、それです!」
セシリア「説明になっていません」
トトは胸を張った。
トト「これが第0段階!」
レオン「違う」
アリシア「でも、少し分かる気がします」
レオン「何がですか」
アリシア「腹が減っていると判断が鈍る。温かいものを食べると、少し落ち着く」
アリシアは器を見つめた。
「戦う前だけでなく、怖いことがあった後にも必要なのですね」
エルがそっと顔を上げた。
ユアンも、少しだけアリシアを見る。
二人は、怖いことの後のスープを知っている。
ミリも、熱を出した夜に飲んだスープを覚えている。
トトは、少しだけ得意げだった。
「だから、すーぷをのむ、は大事なんです!」
セシリア「結果的に正しいのが困ります」
昼食後、王女と王子は孤児院の中を少し見学した。
もちろん、近衛とグレンがつく。
レオンも同行。
セシリアは記録。
フィリアは健康面の説明。
マーサは案内。
トトは勝手に案内役を名乗った。
トト「こちらが食堂です!」
ガル「今いた場所だろ」
トト「案内っぽく言ったの!」
トトは廊下を進む。
「こっちは勉強する場所! こっちは寝室! こっちは食糧庫!」
ルカ「食糧庫!」
トト「第0段階の心臓部!」
レオン「言い方」
アリシア「食糧庫は大事ですね」
マーサ「はい。どれだけあっても足りないくらいです」
アリシアは真剣な顔で中を見た。
王城の広い倉庫とは違う。
小麦袋も、豆袋も、薬草の箱も、すべて数を数えながら大事に置かれている。
アリシア「支援物資は足りていますか?」
セシリア「以前よりは大きく改善されました。ただ、戦災孤児や避難民支援も含めると、安定確保にはまだ管理が必要です」
アリシア「記録を見てもよろしいですか?」
セシリア「はい」
トト「王女様、難しい話できるんだ……」
ガル「王女だからな」
ユアン「十四歳なのにすごい」
アリシアは振り返り、少しだけ笑った。
「私も、まだ勉強中です」
その言葉に、ミナが少し嬉しそうにした。
同じ年頃の少女が、自分も勉強中だと言った。
それは、ただ上から見られるよりずっと近く感じられた。
次に、庭へ出た。
門の横には、あの少し傾いた看板がある。
ルカがそれを見つけた。
ルカ「この看板、いいですね!」
トト「俺の『ひ』がある!」
ルカ「どれですか?」
トト「これ!」
ルカ「おお!」
アリシア「皆さんで書いたのですか?」
ミナ「はい。字も絵もみんなで」
ミリ「すーぷ」
リリィ「猫も」
アリシアは看板を見た。
太陽。
猫。
スープらしき丸。
そして、少し不揃いな文字。
アリシア「とても温かい看板ですね」
レオン「……ありがとうございます」
ルカ「少し傾いてますね」
レオンがぴくりと反応した。
セシリア「殿下」
フィリア「殿下」
マーサ「あ」
トト「言っちゃった!」
ルカ「え?」
レオンは看板を見た。
やはり、少し傾いている。
アリシア「ルカ」
ルカ「何かまずいことを?」
セシリア「マスターが直したがるので」
ルカ「直してはいけないのですか?」
トト「味だから!」
ミリ「味」
リリィ「猫も味」
ルカは少し考えた。
そして、うなずいた。
ルカ「なるほど。戦術的な傾きですね」
レオン「違います」
アリシア「でも、このままがよいと思います」
レオン「なぜですか」
アリシア「完璧ではないからこそ、ここで暮らしている人たちの手で作ったと分かります」
レオンは黙った。
マーサが静かに笑う。
「いいことを言うじゃないですか、殿下」
アリシア「ありがとうございます」
レオンはもう一度看板を見た。
少し傾いている。
だが、今日はなぜか、いつもほど気にならなかった。
その後、庭で子どもたちと少し遊ぶことになった。
戦闘訓練ではない。
鬼ごっこでもない。
王族に怪我をさせてはいけないため、セシリアが厳しく管理した結果、遊びはこうなった。
「止まる練習遊び」
トト「それ、訓練じゃん!」
セシリア「安全です」
ルカ「楽しそうです!」
ガル「王子、前向きだな」
遊び方は簡単だった。
歩く。
笛が鳴ったら止まる。
止まったら、周囲を見る。
足元、左右、後ろ。
王城でレオンが教えていた基礎訓練そのものだった。
ただし、子どもたちがやると妙に遊びになる。
トトが走りそうになる。
レオン「走るな」
トト「急いで歩いてる!」
ルカもつられて速くなる。
アリシア「ルカ」
ルカ「急いで歩いています!」
レオン「同じことを言うな」
ガル「王子とトト、似てるな」
ユアン「少し」
エル「うん」
ミリ「ふたりトト」
リリィ「王城トト」
セシリア「非常に危険な表現ですね」
笛が鳴る。
全員が止まる。
トトは少し前のめり。
ルカも少し前のめり。
アリシアはきれいに止まる。
ユアンは周囲を見る。
エルも見る。
ミリは止まったまま、なぜか空を見る。
リリィは猫を見ている。
レオン「ミリ、なぜ上を見た」
ミリ「鳥」
レオン「……それも周囲確認だな」
リリィ「猫確認」
セシリア「それは少し違います」
ルカは悔しそうに言った。
ルカ「もう一回お願いします!」
トト「俺も!」
レオン「二人とも、張り切りすぎるな」
アリシア「同じことを言われていますね」
ガル「やっぱり似てる」
遊びは予想以上に盛り上がった。
近衛騎士たちは最初、どう反応すればいいか分からなかった。
だが、途中から表情がやわらいでいた。
王女と王子が、孤児院の子どもたちと同じ庭で笑っている。
それは珍しい光景だった。
そして、その光景を遠くから見ている者がいた。
庭の外。
道の角。
大きな帽子をかぶり、簡素な外套を着た男。
妙に立派な姿勢。
妙に品のある立ち方。
妙に目立つ。
レオンはすぐに気づいた。
セシリアも気づいた。
グレンは頭を抱えた。
グレン「……陛下」
男はびくっとした。
トト「えっ?」
ルカ「父上!?」
アリシア「お父様……」
男は帽子を取った。
国王エルドランだった。
なぜか、偽の口ひげをつけている。
レオン「何をしているんですか」
国王「視察だ」
セシリア「変装して?」
国王「お忍び視察だ」
グレン「陛下、その口ひげは逆に目立ちます」
国王「そうか?」
トトは目を輝かせた。
トト「王様だ!」
ミリ「親バカ王」
セシリア「ミリ、それは」
国王「よい! 事実だ!」
レオン「認めるのが早い」
アリシアは額に手を当てた。
アリシア「お父様、今日は来ない約束でした」
国王「遠くから見るだけのつもりだった」
ルカ「めちゃくちゃ近いです」
国王「心配でな」
マーサが玄関から出てきた。
「まあまあ、王様まで来たんですかい」
国王「突然の訪問、失礼する」
マーサ「立っているのも何です。スープ、飲んでいきますか?」
グレン「マーサ殿、陛下にそのように」
国王「いただこう」
グレン「陛下」
国王「親バカ疲れに効くスープと聞いた」
レオン「本当に来た理由、それではないでしょうね」
国王は少しだけ目をそらした。
セシリア「半分くらいはそれですね」
こうして、予定外に国王までひだまり孤児院に入ることになった。
食堂の席は足りなくなり、椅子を追加した。
王女、王子、国王、近衛騎士、グレン。
孤児院の子どもたち。
そしてレオンたち。
食堂は、過去一番の混雑になった。
トトは興奮しすぎて、逆に静かになっていた。
ガル「お前、静かだな」
トト「王様と王女様と王子様がいる……」
ユアン「すごい」
エル「うん」
ミリ「すーぷ会議」
リリィ「王城支部、本部訪問」
セシリア「また妙な言葉が」
マーサは普通にスープを配っている。
まるで王族相手でも、近所の子ども相手でも同じように。
国王はスープを一口飲んだ。
そして、真剣な顔で言った。
国王「……効くな」
レオン「何にですか」
国王「親バカ疲れに」
セシリア「本当に効くのですか」
国王「心が落ち着く」
マーサ「それはよかった」
アリシアは静かに笑っていた。
ルカは二杯目を狙っている。
トトがそれを見た。
トト「王子様、おかわり?」
ルカ「したいです」
トト「おかわりは無理しない!」
ルカ「教本にありましたね!」
トト「でも、食べられるならする!」
セシリア「矛盾しています」
マーサ「ちゃんと食べられるならいいよ」
ルカ「では、お願いします!」
ミリ「第0段階、成功」
リリィ「王子、すーぷ覚醒」
レオン「王城にまで広がるな」
夕方。
王族たちは帰ることになった。
アリシアは門の前で、深く礼をした。
アリシア「今日はありがとうございました。ここに来られてよかったです」
マーサ「またいつでも、と気軽には言えませんが、必要ならいらっしゃい」
アリシア「はい」
ルカはトトと握手した。
ルカ「次は、僕の昼ごはん教本を見せます」
トト「俺も正式版を作る!」
セシリア「必ず大人に見せてからです」
トト・ルカ「「はい!」」
二人の返事が重なった。
レオンは嫌な予感がした。
アリシアはレオンへ向き直った。
アリシア「レオン殿」
レオン「はい」
アリシア「ここが、あなたの守りたい場所なのですね」
レオンは少しだけ黙った。
そして、うなずいた。
レオン「ああ」
アリシア「分かる気がします」
その言葉は、軽くなかった。
レオンは静かに頭を下げた。
国王は最後にマーサへ向き直った。
国王「マーサ殿」
マーサ「はい」
国王「親バカ疲れに効くスープ、また教えてほしい」
マーサ「普通の野菜スープですよ」
国王「それが難しいのだ」
マーサは笑った。
「なら、今度レシピを書いておきますよ」
国王「感謝する」
レオン「本当に頼むんですか」
国王「もちろんだ」
こうして、王族のひだまり孤児院訪問は終わった。
門の外に馬車が遠ざかっていく。
トトは大きく手を振った。
ルカも馬車の窓から手を振っていた。
アリシアは静かに微笑み、国王はなぜか少し涙ぐんでいた。
グレンは疲れた顔をしていた。
セシリアも疲れていた。
レオンはもっと疲れていた。
マーサだけが、いつも通りだった。
トト「レオン兄ちゃん!」
レオン「なんだ」
トト「俺、王子様と友だちになったかも!」
レオン「そうか」
トト「これって事件?」
レオンは少し考えた。
今日一日を思い返す。
王女が来た。
王子が来た。
国王が変装して来た。
スープを飲んだ。
トトとルカが握手した。
第0段階がまた少し広がった。
レオン「……事件だな」
トト「やった!」
セシリア「喜ばないでください」
フィリア「でも、誰も怪我をしませんでした」
マーサ「なら、いい事件だね」
レオンは門の横の看板を見た。
少し傾いたままの『ひだまり孤児院』。
王女は、それを温かい看板だと言った。
レオンはもう、直そうとは思わなかった。
少なくとも、今日は。
夕飯の時間。
食堂では、今日の出来事が何度も語られた。
トト「王様、ひげ変だったよね!」
ガル「変だったな」
ユアン「すぐ分かった」
エル「姿勢が王様だった」
ミリ「親バカひげ」
リリィ「ひげ王」
セシリア「不敬ですよ」
マーサ「ここだけの話にしておきな」
レオンはスープを飲んだ。
今日のスープは、少しだけ薄味だった。
だが、うまかった。
トト「レオン兄ちゃん、おかわりする?」
レオンは少しだけ考えて、器を差し出した。
レオン「ああ。する」
トト「第0段階、成功!」
ミリ「すーぷ覚醒」
リリィ「王族も覚醒」
セシリア「もう止まりませんね」
レオンはため息をついた。
けれど、悪くないため息だった。
ひだまり孤児院には、王族が来た日の騒ぎがまだ残っていた。
笑い声。
皿の音。
スープの匂い。
そして、トトが次の事件を起こしそうな顔。
レオンはそれを見て、静かに言った。
レオン「トト」
トト「なに?」
レオン「明日は何も送るな」
トト「……」
レオン「返事」
トト「はい」
セシリア「間がありましたね」
マーサ「明日も見張りが必要だね」
トト「信用がない!」
ガル「積み重ねだな」
食堂に、また笑い声が広がった。
黒玻璃の使徒の影は、まだ消えていない。
だが今日は、王族と孤児院とスープだけで十分すぎるほど大きな事件だった。




