第二十四話 トトと王城すーぷ事件
ひだまり孤児院の朝は、いつも通り騒がしかった。
だが、その日。
トト・ミルクは、いつもより静かだった。
食堂の端に座り、小さな紙を前にして、真剣な顔で何かを書いている。
スプーンは止まっている。
スープも減っていない。
それに気づいたマーサが、目を細めた。
マーサ「トト」
トト「……」
マーサ「トト」
トト「……」
マーサ「トト・ミルク!!!!!」
トト「はい!」
トトはびくっと背筋を伸ばした。
マーサ「何をしてるんだい?」
トト「大事な仕事!」
ガル「お前が大事な仕事って言う時、だいたい事件になるよな」
ユアン「なる」
エル「なると思う」
ミリ「じけん」
リリィ「猫もそう言ってる」
トト「まだ何もしてない!」
セシリアが記録板から顔を上げた。
セシリア「その言葉も、事件の前によく聞きます」
レオンはスープを飲みながら、トトの手元を見た。
紙には、大きくこう書かれていた。
『第0段階』
その下に、少し曲がった字で続く。
『あさごはんをたべる』
『ひるごはんをたべる』
『よるごはんをたべる』
『すーぷをのむ』
レオン「……何を書いている」
トト「教本!」
ガル「きょうほん?」
トト「王城に送るんだよ!」
食堂が静かになった。
セシリア「王城に?」
トト「うん!」
レオン「なぜだ」
トトは胸を張った。
「王女様に『あさごはん』の札が届いたでしょ? 王子様は『ひるごはん』を書いたでしょ? 王様は『よく食べ、よく生きよ』を書いたでしょ?」
レオン「ああ」
トト「つまり、王城では第0段階が始まってる!」
セシリア「始まっていません」
トト「でも始まりそうじゃん!」
セシリア「始めないでください」
トト「だから、ちゃんと教本を送ってあげようと思って!」
レオンは額に手を当てた。
――嫌な予感しかしない。
フィリアは、少しだけ感心したように紙を見た。
フィリア「でも、内容は悪くないですね。三食食べることは大事です」
セシリア「フィリアさん、そこで認めないでください」
マーサ「食べることはいいことだよ」
セシリア「マーサ先生まで」
トト「ほら!」
ガル「でも、王城に送るのは違うだろ」
ユアン「誰に送るの?」
トト「王女様!」
エル「どうやって?」
トトは止まった。
「……」
食堂が静かになる。
リリィ「考えてなかった」
ミリ「とまった」
ガル「やっぱりな」
トト「今から考える!」
レオン「送らなくていい」
トト「えー!」
レオン「王城に送る物は、勝手に出すものじゃない」
トト「でも、朝ごはん札は届いたよ!」
セシリア「前回は、私たちが王城へ行く用事がありました」
トト「じゃあ、次に行く時に!」
レオン「必要ならな」
トトは不満そうに頬を膨らませた。
だが、そこで引き下がるほど、トトはおとなしくない。
それを、食堂にいる全員が知っていた。
朝食後。
レオンはギルドへ行く準備をしていた。
セシリアも書類をまとめている。
今日は王城ではなく、ギルドで通常業務だ。
トトは表面上、おとなしく文字の練習をしていた。
表面上は。
レオン「トト」
トト「なに?」
レオン「余計なことをするな」
トト「してないよ」
レオン「する顔をしている」
トト「顔で怒られた!」
セシリア「前例がありますから」
トト「まだ紙しか書いてない!」
レオン「紙が事件になることもある」
トト「紙が!?」
ガル「お前の場合はなる」
ミナ「トト、王城に何か送るなら、ちゃんと大人に見せてからね」
トト「分かった!」
マーサ「本当に分かったのかい?」
トト「分かった!」
マーサ「じゃあ、今日の午前中は食糧庫の豆の数を数える手伝いだよ」
トト「えっ」
マーサ「暇だと余計なことをするからね」
トト「見抜かれてる!」
こうして、トトは午前中、食糧庫で豆袋の数を確認する係になった。
ユアンとエルも一緒だ。
ミナが記録を取り、マーサが監督する。
トト「一、二、三、四……」
ユアン「次、五」
トト「分かってる!」
エル「さっき、六を飛ばした」
トト「飛ばしてない! 六は心の中で数えた!」
ミナ「声に出して数えてね」
トト「はい……」
しばらくは真面目だった。
本当に真面目だった。
しかし、事件は、食糧庫の隅にあった古い木箱から始まった。
トトが木箱を見つけた。
箱には、古い焼き印が押されている。
ひだまり孤児院の簡単な太陽の印。
トト「これ、なに?」
マーサ「ああ、それは昔使っていた荷札箱だよ」
トト「にふだ?」
ミナ「荷物に付ける札のこと」
マーサ「昔、孤児院から治療院や近所に荷物を送る時に使っていたんだよ。今はほとんど使ってないけどね」
トトの目が輝いた。
マーサ「トト」
トト「な、なに?」
マーサ「その顔はやめな」
トト「顔は止められない!」
マーサ「なら手を止めな」
トト「はい!」
その時は、トトは素直に手を止めた。
その時は。
昼前、レオンとセシリアがギルドへ向かった後。
マーサは台所へ戻り、ミナは洗濯物を取り込みに行った。
フィリアはミリの体調確認。
ガルは庭で薪を整理。
リリィは猫とひなたぼっこ。
食糧庫には、トトとユアンとエルが残った。
トトは小声で言った。
トト「……今だ」
ユアン「何が?」
エル「だめな顔」
トト「だめじゃない! これは正式な活動!」
ユアン「正式?」
トト「ひだまり孤児院から王城へ、第0段階教本を送る!」
エル「大人に見せてからって言われてた」
トト「見せるよ! あとで!」
ユアン「あとで?」
エル「それはだめ」
トト「大丈夫! まず作るだけ!」
トトは古い荷札を一枚取り出した。
そこに、太陽の焼き印がある。
それを見て、トトはますます興奮した。
トト「見て! 公式っぽい!」
ユアン「ぽい、は危ない」
エル「セシリアが言ってた。ぽい、はいらないって」
トト「でも、王城に送るならちゃんとしてないと!」
ユアン「送るんだ……」
エル「やっぱり送るんだ……」
トトは食堂へ走った。
そして、自分の書いた紙を何枚も持って戻ってきた。
『第0段階教本』
『あさごはんをたべる』
『すーぷをのむ』
『おかわりはむりしない』
『おやつはべつばらではない』
最後の一枚には、こう書いてあった。
『レオン兄ちゃんもおかわりする』
ユアン「最後、必要?」
トト「重要!」
エル「王城の人、分かる?」
トト「分からないなら覚えてもらう!」
ユアン「危ない考え」
トトは紙をまとめ、荷札をつけ、紐で結んだ。
さらに、表に大きく書いた。
『王城へ』
ユアン「それで届くの?」
トト「届く!」
エル「住所、少ない」
トト「王城は大きいから分かる!」
ユアン「そういう問題かな」
ちょうどその時。
孤児院の前に、王城からの荷馬車が来ていた。
先日の支援物資の追加分として、修理用の釘と布を届けに来たのだ。
荷馬車の御者は、玄関でマーサと話していた。
その荷馬車の後ろには、王城へ戻す空箱が積まれている。
トトはそれを見た。
目が輝いた。
ユアン「トト」
エル「だめ」
トト「まだ何も」
ユアン「顔」
エル「顔で分かる」
トト「みんな顔で判断しすぎ!」
だが、トトは動いた。
小さな包みを持って、そっと荷馬車へ近づく。
ユアンとエルが慌てて追いかける。
ユアン「やめた方がいい」
エル「大人に言ってから」
トト「大丈夫! ちょっと乗せるだけ!」
トトは空箱の上に、自作の『第0段階教本』を置いた。
その時、御者が戻ってきた。
御者「あれ? これは?」
トトは固まった。
御者は包みを見る。
表には『王城へ』。
さらに、古いひだまり孤児院の荷札。
御者は納得したようにうなずいた。
御者「王城への返送品ですね。承りました」
トト「えっ」
ユアン「あっ」
エル「行っちゃう」
御者は包みを丁寧に箱の中へ入れた。
そして、荷馬車は王城へ向かって出発した。
トトは手を伸ばしたまま固まっていた。
ユアン「……送られた」
エル「本当に送られた」
トト「……」
ユアン「どうする?」
トトはゆっくり振り返った。
顔が青い。
トト「……今の、成功?」
エル「失敗だと思う」
ユアン「成功した失敗」
トト「どうしよう!」
昼過ぎ。
ギルドで書類仕事をしていたレオンのもとへ、王城から使者が来た。
セシリアが封書を受け取る。
レオンは嫌な予感がした。
セシリア「王城からです」
レオン「ああ」
セシリアが封を開ける。
目を通す。
少しだけ、動きが止まる。
レオン「何だ」
セシリア「……マスター」
レオン「何があった」
セシリア「王城に、ひだまり孤児院から『第0段階教本』なる文書が届いたそうです」
レオンは黙った。
セシリアも黙った。
使者は真面目な顔をしている。
使者「国王陛下が、大変興味を示されまして」
レオン「興味を示さないでほしい」
使者「第一王女殿下と第二王子殿下も拝読されました」
レオン「読まれたのか」
使者「はい」
セシリア「内容は?」
使者は紙を見た。
「『あさごはんをたべる』『すーぷをのむ』『おかわりはむりしない』『おやつはべつばらではない』などです」
レオンは額に手を当てた。
セシリア「トトですね」
レオン「ああ」
使者「それと、最後に」
レオン「まだあるのか」
使者「『レオン兄ちゃんもおかわりする』と」
セシリアが目を閉じた。
レオンは天井を見た。
使者「陛下が、『非常に良い教えだ』と仰せです」
レオン「陛下……」
使者「また、王子殿下が『自分も教本を作る』と」
セシリア「被害が広がっています」
レオン「すぐ孤児院に戻る」
セシリア「はい」
レオンとセシリアが孤児院へ戻ると、食堂ではすでに裁判が始まっていた。
中央に立つトト。
横にユアンとエル。
前にはマーサ。
フィリアは少し困った顔。
ミナは記録役。
ガルとリリィとミリは傍聴席。
猫もいる。
レオン「何をしている」
ガル「トト裁判」
リリィ「被告、トト」
ミリ「じけん」
トト「俺、まだ有罪じゃない!」
ユアン「送ったのは事実」
エル「王城へ」
トト「うっ」
マーサが腕を組む。
「トト」
トト「はい……」
マーサ「大人に見せてからって言われていたね」
トト「はい……」
マーサ「王城へ勝手に送ったね」
トト「……送るつもりは、ちょっとあったけど、あんなに早く行くとは思ってなくて」
セシリア「それを送ったと言います」
トト「はい……」
レオンは椅子に座った。
怒鳴らなかった。
静かに聞く。
トトはその静かさに、むしろ背筋を伸ばした。
レオン「なぜ送った」
トト「……王女様と王子様が、第0段階をちゃんとできるように」
レオン「それだけか」
トトは少し黙った。
そして、小さな声で言った。
トト「……俺も、王城に関わりたかった」
食堂が静かになった。
トトは下を向いた。
「レオン兄ちゃんは王城に行くし、セシリア姉ちゃんも行くし、王女様も王子様も訓練するし……俺だけ、ここで待ってるだけだから」
誰もすぐには言わなかった。
トトは続ける。
「俺も何か役に立ちたかった。字、うまくなってきたし。あさごはん札、王女様の部屋に置かれたって聞いて、うれしくて」
トトは紙を握りしめた。
「もっとできるかもって思った」
マーサの表情が少しやわらいだ。
フィリアも静かに目を伏せる。
レオンはトトを見た。
子どもは、待つことが苦手だ。
守られるだけでいるのも、苦手だ。
特にトトはそうだ。
何かしたい。
役に立ちたい。
それ自体は悪いことではない。
だが、勝手に動けば、誰かが困る。
レオン「トト」
トト「はい」
レオン「役に立ちたいと思ったことは、悪くない」
トトが顔を上げる。
レオン「だが、勝手に王城へ送るのは駄目だ」
トト「……はい」
レオン「王城に届くものは、孤児院の名前もつく。マーサ先生や、みんなの責任にもなる」
トト「……はい」
セシリア「今回は内容が平和でしたが、正式な荷物として扱われる可能性もありました」
トト「正式……」
ガル「お前の『すーぷをのむ』が正式文書になりかけたってことか」
トト「それは……ちょっとかっこいい」
セシリア「かっこよくありません」
マーサ「反省するところだよ」
トト「はい……」
レオン「次に何か送りたいなら、まず見せろ」
トト「うん」
レオン「字を書くのは続けていい」
トト「いいの?」
レオン「ああ。だが、勝手に送るな」
トト「分かった」
マーサ「それで罰だけど」
トトはびくっとした。
マーサ「今日の夕飯後、皿洗い。あと、明日、王城へ送る正式な謝罪文を書く」
トト「謝罪文!?」
セシリア「練習になりますね」
トト「難しそう……」
レオン「俺も見る」
トト「レオン兄ちゃんも?」
レオン「ああ」
フィリア「私も見ます」
ミナ「私も手伝うよ」
ユアン「僕も」
エル「私も」
ガル「じゃあ俺は横で笑う」
マーサ「ガルも手伝いな」
ガル「はい」
その時、王城から再び使者が来た。
食堂の空気が固まる。
トトは椅子の後ろに隠れた。
使者は少し息を切らしていた。
使者「レオン殿、セシリア殿。国王陛下より返書です」
レオン「早いな」
セシリア「嫌な予感がします」
使者は封書を渡した。
レオンが開く。
中を見る。
しばらく黙る。
セシリア「何と?」
レオン「……陛下が、『第0段階教本、実に良し。ただし王城で正式採用する前に、著者本人の意図を確認したい』と」
トト「ちょしゃ?」
セシリア「作者です」
トト「俺!?」
レオン「さらに、王女殿下が『あさごはん札の作者に礼を伝えてください』と」
トトの顔がぱっと明るくなる。
レオン「王子殿下は『自分も負けない教本を書く』と」
ガル「王子、対抗してきたぞ」
ユアン「昼ごはん教本?」
ミリ「ひるすーぷ」
レオン「そして最後に、陛下から」
レオンは少しだけ目を細めた。
「『親バカ疲れに効くスープの作り方があれば、後日教えてほしい』」
食堂が静かになった。
マーサが笑った。
マーサ「王様、気に入ったんだね」
セシリア「王城まで広がっています」
フィリア「健康的ではあります」
レオン「広がり方がおかしい」
トトは恐る恐る手を上げた。
トト「俺……怒られる?」
レオン「怒られる」
トト「やっぱり」
マーサ「でも、褒めるところもある」
トト「え?」
マーサ「字は上達しているよ」
ミナ「読みやすくなってた」
ユアン「内容も、食べることは大事だった」
エル「うん」
ガル「勝手に送ったのが駄目だっただけだな」
セシリア「だけ、ではありませんが、要点はそうです」
レオン「だから、次はちゃんと手順を踏め」
トト「手順……」
レオン「ああ。大人に見せる。直す。許可をもらう。それから送る」
トトは少し考えた。
そして、真面目にうなずいた。
トト「分かった。次は正式に送る」
セシリア「次がある前提なのですね」
レオン「あるだろうな」
マーサ「あるね」
フィリア「ありますね」
ガル「あるな」
ユアン「あると思う」
エル「ある」
ミリ「ある」
リリィ「猫もあるって」
セシリア「全員の意見が一致しましたね」
夕飯後。
トトは皿洗いをした。
袖をまくり、真剣な顔で皿を洗う。
ガルが横で布巾を持つ。
ユアンとエルは乾いた皿を棚に戻す。
ミリは椅子の上から見ている。
リリィと猫は監督している。
トト「俺、反省してる」
ガル「本当か?」
トト「本当」
ユアン「じゃあ、次は勝手に送らない?」
トト「送らない」
エル「大人に見せる?」
トト「見せる」
ミリ「すーぷ?」
トト「すーぷは飲む」
ガル「そこは変わらないんだな」
食堂の長机では、レオンとセシリアがトトの謝罪文の下書きを見ていた。
トトが書いた最初の文はこうだった。
『ごめんなさい。でもだいじです。』
セシリア「謝罪文としては短すぎます」
レオン「だが、気持ちは分かる」
セシリア「整えましょう」
マーサ「トトらしいね」
フィリア「素直ではあります」
結局、謝罪文はこうなった。
『王城のみなさまへ。
勝手に第0段階教本を送ってしまい、ごめんなさい。
朝ごはんやスープが大事だと思って書きました。
次からは、ちゃんと大人に見せてから送ります。
ひだまり孤児院 トト・ミルク』
トトはそれを見て、少しだけ照れた。
トト「俺の名前、王城に行くんだ」
レオン「ああ」
トト「今度はちゃんと?」
セシリア「はい。正式に」
トトは嬉しそうに笑った。
レオンはその顔を見て、小さく息を吐いた。
事件ではあった。
間違いなく事件だった。
だが、戦いではない。
血も流れていない。
誰も傷ついていない。
ただ、王城に『すーぷをのむ』が届いただけだ。
それでも十分、頭は痛い。
レオン「トト」
トト「なに?」
レオン「お前は本当に、事件を起こす才能がある」
トト「褒めてる?」
レオン「半分は」
トト「残り半分は?」
セシリア「注意です」
トト「やっぱり!」
食堂に笑い声が広がった。
その夜。
ひだまり孤児院では、新しい言葉が流行った。
『成功した失敗』
トトの王城すーぷ事件は、そう呼ばれることになった。
そして王城ではその頃。
第一王女アリシアの机の上に、『あさごはん』の札。
第二王子ルカの机の上に、『ひるごはん』の札。
国王エルドランの机の上に、『よく食べ、よく生きよ』の札。
そして、新たに届いた一枚。
『すーぷをのむ』
それを見た国王は、真剣な顔でうなずいたという。
「……深いな」
もちろん、まったく深くはなかった。
でも、少しだけ大事なことではあった。




