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第二十三話 親バカ王


王城から戻ったレオンとセシリアを、ひだまり孤児院の子どもたちは門の前で待っていた。


いつものことだった。


レオンが王城へ行くと、たいてい何かが増える。


仕事。

書類。

討伐依頼。

支援物資。

面倒事。


だから、子どもたちは今日も期待と不安の混ざった顔で待っていた。


一番前にいたトトが、真っ先に駆け寄る。


トト「レオン兄ちゃん! どうだった!?」


レオン「騎士団の指導をしてきた」


ガル「騎士団に?」


ユアン「先生した?」


ミリ「すーぷ先生?」


レオン「それはしていない」


リリィ「ぴこん先生?」


レオン「していない」


セシリア「正確には、黒晶獣対策の実戦指導です」


トト「かっこいい!」


エル「騎士さんたち、強くなった?」


レオン「少しは」


セシリア「一日でかなり意識は変わりました」


ミナ「すごいですね」


マーサ・ベルが玄関から顔を出した。


マーサ「立ち話はそこまでだよ。中に入りな。手を洗って、報告は食堂で聞くよ」


レオン「分かった」


トト「報告会だ!」


ガル「また何か増えたな」


セシリア「鋭いですね」


ガル「やっぱり増えたのか」


レオンは黙った。


それだけで、全員が察した。


食堂に入ると、すでに夕飯の準備が進んでいた。


大鍋からは、野菜と豆のスープの匂いがしている。


フィリアは健康管理表を持って待っていた。


フィリア「レオン様、訓練で無茶は?」


レオン「していない」


セシリア「騎士団員を何人も転ばせましたが、マスター自身は無茶していません」


フィリア「転ばせたのですか?」


レオン「訓練だ」


トト「騎士団、転んだの!?」


レオン「ああ」


トト「俺も見たかった!」


ガル「騎士団が転ぶところを見たがるなよ」


ユアン「でも、ちょっと見たい」


エル「うん」


ミリ「ころん」


リリィ「猫も転ぶ」


セシリア「猫は関係ありません」


食堂の長机を囲んで、全員が座った。


レオン。

セシリア。

フィリア。

マーサ。

トト。

ガル。

ミナ。

ユアン。

エル。

ミリ。

リリィ。

そして、なぜか猫。


猫はリリィの足元で当然のように座っていた。


レオン「猫も聞くのか」


リリィ「猫、王城に興味ある」


ガル「ほんとかよ」


セシリア「話を戻します」


セシリアは記録板を開いた。


セシリア「本日の王城訪問では、まず黒玻璃の使徒ラザルについて報告。その後、騎士団に黒晶獣対策の指導を行いました」


トト「第0段階、食事も教えた?」


レオン「少しだけ」


食堂が静かになった。


トト「教えたの!?」


セシリア「広まりかけています」


ガル「騎士団に?」


ミナ「王城で?」


ユアン「第0段階、食事……」


ミリ「すーぷ段階」


リリィ「国家機密」


セシリア「機密ではありません」


マーサは楽しそうに笑った。


マーサ「いいじゃないか。騎士だって腹が減ってたら戦えないよ」


レオン「そう言った」


フィリア「とても大事です」


トト「すーぷ先生、本当にやったんだ……」


レオン「その呼び名はやめろ」


セシリアは少しだけ咳払いした。


セシリア「そして、訓練後に第一王女アリシア殿下が現れました」


食堂が一瞬で静かになった。


トト「……王女?」


ガル「王様の娘?」


ユアン「本物?」


エル「お姫様?」


ミリ「ひめ?」


リリィ「猫姫?」


セシリア「猫姫ではありません」


トトは椅子から立ち上がりそうになった。


トト「レオン兄ちゃん、お姫様に会ったの!?」


レオン「ああ」


トト「お姫様って、どんな感じ!?」


レオン「靴が訓練向きではなかった」


食堂が静かになった。


ガル「最初の感想、それ?」


ミナ「普通は、きれいだったとか、上品だったとか……」


フィリア「ドレスは?」


レオン「動きにくそうだった」


ユアン「そこなんだ」


エル「でも大事かも」


リリィ「靴、大事」


ミリ「走れない」


セシリア「実際、マスターは殿下に『まず靴を変えてください』と言いました」


トト「お姫様に!?」


ガル「すげぇな」


マーサ「相変わらずだね」


フィリア「レオン様らしいです」


レオン「訓練するなら当然だ」


セシリア「その通りなのですが、王女殿下への第一助言としては珍しいです」


トト「で、お姫様は怒った?」


セシリア「笑っていました」


ガル「強い姫だな」


レオン「ああ。芯はある」


マーサ「何歳くらいなんだい?」


セシリア「アリシア殿下は十四歳です」


トト「十四!」


ガル「ミナ姉ちゃんより一つ下?」


ミナ「そうだね」


ユアン「王女なのに、剣を習うの?」


セシリア「本人は、生き残るための訓練を希望していました」


エル「生き残るため……」


レオン「守られるだけではいられない、と言っていた」


ミナは少しだけ真面目な顔になった。


ミナ「十四歳で、そんなことを考えているんですね」


マーサ「王女には王女の大変さがあるんだろうね」


トトはしばらく考えていた。


そして、ぱっと顔を上げる。


トト「じゃあ、お姫様も第0段階から?」


レオン「朝食を抜くなとは言った」


トト「やっぱり!」


ミリ「王女すーぷ」


リリィ「姫すーぷ」


セシリア「王女殿下に変な名前をつけないでください」


フィリアは少しだけ興味深そうに聞いていた。


フィリア「それで、レオン様は王女殿下の訓練を引き受けたのですか?」


レオン「陛下の許可があれば、と答えた」


セシリア「そして殿下は、陛下に話すと言っていました」


食堂の空気が変わった。


マーサ「つまり」


ガル「増えたな」


ユアン「仕事」


ミナ「また王城に行くんですね」


トト「お姫様の先生になるんだ!」


レオン「まだ決まっていない」


セシリア「ですが、ほぼ決まると思います」


レオン「なぜだ」


セシリア「陛下が王女殿下に甘いと聞いています」


フィリア「親バカ、ということですか?」


セシリア「かなり」


マーサ「王様も父親ってことだね」


レオンは少しだけ嫌そうな顔をした。


レオン「嫌な予感がする」


トト「レオン兄ちゃんの嫌な予感って、だいたい当たるよね」


ガル「ああ」


ユアン「当たる」


ミリ「当たる」


リリィ「猫もそう言ってる」


レオン「猫は言っていない」


その時、門の方から軽い鐘の音がした。


来客を知らせる音だ。


ミナが立ち上がる。


ミナ「見てきます」


少しして、ミナが封書を持って戻ってきた。


ミナ「王城からです」


食堂がまた静かになった。


レオン「早いな」


セシリア「早すぎます」


トト「もう来た!」


ガル「王様、動き早いな」


レオンは封書を受け取り、開いた。


中を読む。


眉間にしわが寄る。


セシリア「何と?」


レオン「明朝、王城へ来るように、と」


マーサ「王女の訓練の件かい?」


レオン「おそらく」


トト「決まりだ!」


レオン「まだ分からん」


セシリア「いえ、ほぼ決まりです」


フィリア「明日は私も?」


レオン「孤児院にいてくれ。子どもたちを頼む」


フィリア「分かりました」


トト「俺も行きたい!」


レオン「駄目だ」


トト「まだ理由言ってない!」


レオン「王城で騒ぐからだ」


トト「正しい!」


ガル「認めた」


ユアン「正直」


マーサ「明日はちゃんとセシリアを連れて行くんだよ」


レオン「ああ」


セシリア「もちろん同行します。前回のような単独王城訪問は許しません」


レオン「もうしない」


トト「王様よりマーサ先生の方が怖いもんね」


マーサ「聞こえてるよ」


トト「聞こえるように言った!」


マーサ「じゃあ、あとで皿洗いを手伝いな」


トト「しまった!」


その夜。


レオンは早めに寝るつもりだった。


明朝また王城へ行く。


王女アリシアの訓練の話をするためだ。


だが、寝る前にトトがやってきた。


手には小さな紙。


トト「レオン兄ちゃん」


レオン「なんだ」


トト「これ、お姫様に渡して」


レオン「何だ?」


紙には、大きくこう書かれていた。


『あさごはん』


レオンは黙った。


トト「第0段階、大事でしょ?」


レオン「……ああ」


トト「お姫様が朝ごはん忘れないように」


レオン「渡すかどうかは分からないぞ」


トト「じゃあ、見せるだけでもいい」


レオンは紙を受け取った。


トトの字は、少しずつうまくなっていた。


まだ曲がっている。


だが、読める。


レオン「分かった。持っていく」


トト「やった!」


トトは嬉しそうに走って戻ろうとした。


レオン「走るな」


トト「急いで歩く!」


レオン「それは走るという」


翌朝。


レオンとセシリアは、再び王城へ向かった。


門番は、二人を見るとすぐに頭を下げた。


門番「レオン殿、セシリア殿。お待ちしておりました」


レオン「ああ」


門番「本日も予定ありの訪問ですね」


レオン「……ああ」


セシリア「はい。今回も問題ありません」


門番「安心しました」


レオン「もう毎回確認されるのか」


セシリア「自業自得です」


王城の会議室に案内されると、国王エルドランが待っていた。


だが、昨日とは様子が違った。


机の上に書類はある。


地図もある。


しかし、国王の表情が、妙に明るい。


いや、明るすぎる。


レオンは足を止めた。


セシリアも眉をひそめる。


セシリア「……マスター」


レオン「ああ。嫌な予感がする」


国王「来たか、レオン!」


声が大きい。


いつもの威厳ある王の声ではない。


どこか、嬉しさを抑えきれていない声だった。


レオン「はい」


国王「アリシアから聞いたぞ」


レオン「王女殿下から?」


国王「ああ!」


国王は立ち上がった。


「靴を変えろと言ったそうだな!」


レオン「はい」


国王「朝食を抜くな、とも!」


レオン「はい」


国王はなぜか感動した顔をした。


国王「実に良い!」


レオン「……良いのですか?」


国王「良いに決まっている! あの子は最近、訓練だ勉学だと朝食を少なめにすることがあってな。私は心配していたのだ!」


セシリアが小声で言う。


セシリア「親バカですね」


レオン「かなりだな」


国王「聞こえているぞ」


セシリア「失礼しました」


国王「だが否定はせん!」


レオン「しないのですか」


国王「私は娘と息子を愛している!」


堂々と言い切った。


王としての威厳はある。


だが、その威厳の方向が少しおかしい。


国王「アリシアは賢い。美しい。勇気もある。だが、少し頑張りすぎるところがある」


レオン「そうですか」


国王「レオン。お前のように、無茶をする者の気配がある」


セシリア「それは危険ですね」


レオン「俺を例にするな」


国王「だからこそ、お前に頼みたい」


国王は真剣な顔になった。


「アリシアに、生き残るための訓練をつけてほしい」


レオン「王女殿下は十四歳と聞きました」


国王「ああ」


レオン「危険な訓練はできません」


国王「もちろんだ!」


国王は力強くうなずいた。


「危険なことは一切なしだ。怪我などもってのほか。転ばせるのもできれば避けてほしい。剣が当たるのも駄目だ。疲れすぎるのもよくない。水分補給はこまめに。日差しが強ければ休憩。朝食を食べたか確認。昼食も当然。夕方まで引っ張るな。夜は早く寝かせる」


レオンは黙った。


セシリアも黙った。


国王はさらに続ける。


「あと、アリシアは小さい頃から少し負けず嫌いでな。無理をして『大丈夫です』と言うかもしれん。その時は止めろ。絶対に止めろ。王命だ」


セシリア「……親バカですね」


国王「大がつくほどな!」


レオン「自覚があるのは立派です」


国王「父親とはそういうものだ!」


その時、会議室の扉が開いた。


入ってきたのは、昨日の王女アリシアだった。


今日はドレスではない。


動きやすい訓練着。

足元はしっかりした訓練靴。

髪も後ろでまとめている。


十四歳という年齢らしい幼さは残っているが、姿勢はまっすぐだった。


アリシア「お父様。声が廊下まで聞こえていました」


国王「アリシア!」


国王の顔が一瞬でやわらかくなった。


レオンは思わず見た。


昨日までの国王とは違う。


魔王軍の話をしていた王と、同じ人物とは思えないほど顔が緩んでいる。


国王「その靴、よく似合っているぞ!」


アリシア「靴を褒められたのは初めてです」


国王「実用性も美しさもある!」


アリシア「お父様」


国王「なんだ」


アリシア「落ち着いてください」


国王「落ち着いている」


セシリア「落ち着いていません」


国王「む」


アリシアはレオンへ向き直った。


アリシア「レオン殿。昨日の助言通り、靴を変えてきました」


レオン「良いと思います」


アリシア「朝食も食べました」


レオン「それも良いことです」


国王「何を食べた?」


アリシア「パンと卵とスープです」


国王「量は?」


アリシア「普通です」


国王「普通とは?」


アリシア「お父様」


国王「すまん」


レオンは少しだけ目を伏せた。


――王城に来ると、やはり疲れる。


その時、また扉が開いた。


今度は少年だった。


年齢は十三歳ほど。


黒みがかった金髪。

王女と同じ青い瞳。

訓練着を着ているが、どこか落ち着きがない。


腰には木剣。


少年は部屋に入るなり、レオンを見た。


少年「あなたが竜殺しのレオンですか!」


国王「おお、ルカ!」


セシリア「王子殿下ですね」


国王「そうだ! 我が息子、第二王子ルカ・エルドランだ!」


ルカ王子は胸を張った。


ルカ「姉上だけ訓練を受けるのはずるいです。僕も受けます!」


レオンは黙った。


セシリアも黙った。


アリシアは小さくため息をついた。


アリシア「ルカ、遊びではありません」


ルカ「分かっています! 黒晶獣に負けないための訓練でしょう?」


アリシア「生き残るための訓練です」


ルカ「なら、なおさら僕も必要です!」


国王は腕を組み、真剣な顔になった。


「レオン」


レオン「はい」


国王「アリシアを教えるなら、ルカも教えろ」


レオン「……」


やはり増えた。


レオンはそう思った。


セシリアが静かに記録板を開く。


セシリア「仕事が増えましたね」


レオン「言うな」


国王「ただし!」


国王は指を立てた。


「二人とも怪我をさせるな。疲れさせすぎるな。泣かせるな。怖がらせすぎるな。だが、甘すぎても駄目だ。危険は教えろ。しかし危険には晒すな。転ばせるなら柔らかい場所で。いや、できれば転ばせるな。だが転び方は教えろ。だが怪我はさせるな」


レオン「陛下」


国王「なんだ」


レオン「無理です」


アリシアが口元を押さえた。


ルカが目を丸くした。


セシリアは静かにうなずいた。


国王「無理か」


レオン「転び方を教えるには、転ぶ必要があります」


国王「……そうか」


レオン「疲れずに体力をつけることもできません」


国王「……そうか」


レオン「怖がらずに危険を学ぶこともできません」


国王「……そうか」


国王は目に見えてしょんぼりした。


レオンは少しだけ困った。


王がしょんぼりしている。


かなり珍しい光景だった。


アリシア「お父様。私は大丈夫です」


ルカ「僕も大丈夫です!」


国王「二人とも、父は心配なのだ」


アリシア「知っています」


ルカ「毎日分かります」


セシリア「毎日なのですね」


国王「毎日だ」


レオンは深く息を吐いた。


「分かりました。ただし、条件があります」


国王「言え」


レオン「訓練は基礎だけ。剣の打ち合いは最低限。最初は走る、止まる、転ぶ、避ける、見る。これだけです」


ルカ「えっ、必殺技は?」


レオン「教えない」


ルカ「竜殺しの技は?」


レオン「教えない」


ルカ「黒晶獣を一撃で倒すやつは?」


レオン「教えない」


ルカは明らかに残念そうな顔をした。


アリシアは少し笑っている。


アリシア「ルカ、まずは靴です」


ルカ「僕の靴は訓練用です!」


レオン「紐が緩い」


ルカ「えっ」


レオン「走る前に結び直してください」


ルカは自分の靴を見た。


たしかに片方の紐が少し緩んでいた。


ルカ「……そこからですか?」


アリシア「私は昨日、そこからでした」


レオン「そこからです」


国王「素晴らしい」


レオン「靴紐を見ただけです」


国王「命を守る第一歩だ」


セシリア「親バカですが、今のは正しいです」


国王「そうだろう!」


セシリア「褒めてはいません」


こうして、王女アリシア十四歳。


王子ルカ十三歳。


二人への生き残るための基礎訓練が、正式に始まることになった。


場所は王城の小訓練場。


大きな騎士団訓練場ではなく、王族用の小さな訓練場だ。


地面には柔らかめの砂が敷かれている。


周囲には警護の騎士。


少し離れたところにグレン。


セシリアは記録板を持っている。


そして、国王エルドランは観覧席にいた。


普通なら、王は政務で忙しいはずである。


だが、いた。


しっかりいた。


レオン「陛下、政務は?」


国王「今は休憩時間だ」


セシリア「長めの休憩ですね」


国王「必要な休憩だ」


アリシア「お父様、見ているとルカが張り切りすぎます」


ルカ「張り切っていません!」


レオン「もう張り切っている」


ルカ「えっ」


レオンは二人の前に立った。


アリシアは真剣な顔。


ルカはわくわくした顔。


レオン「まず走る」


ルカ「やっぱり!」


アリシア「どのくらいですか?」


レオン「短くていい。全力ではなく、止まれる速度で」


ルカ「速く走らなくていいんですか?」


レオン「止まれない速さは、危険だ」


ルカ「なるほど……」


レオン「走って、合図で止まる。止まったら周りを見る。足元、左右、後ろ」


アリシア「敵だけを見ない」


レオン「ああ」


ルカ「姉上、もう分かってる」


アリシア「昨日聞いたもの」


ルカ「ずるい」


セシリア「喧嘩しないでください」


レオン「始めるぞ」


二人は走った。


合図で止まる。


アリシアは少しふらついたが、足を踏ん張った。


ルカは勢いよく止まりすぎて、前につんのめった。


ルカ「うわっ!」


砂の上に手をつく。


国王が立ち上がりかけた。


国王「ルカ!」


レオン「陛下、座ってください」


国王「しかし」


レオン「転び方の練習です」


国王「……うむ」


ルカはすぐに立ち上がった。


ルカ「大丈夫です!」


レオン「手を見せろ」


ルカ「え?」


レオン「擦りむいていないか確認する」


ルカは手を見せた。


少し砂がついているだけだった。


レオン「問題ない。だが、今の転び方は手首を痛める」


ルカ「はい」


レオン「転ぶなら、力を逃がせ。全部手で止めるな」


ルカ「はい!」


アリシア「私も練習します」


国王「アリシアまで転ぶ必要は」


アリシア「お父様」


国王「……うむ」


レオン「転ぶ練習は、転ばないためにも必要だ」


アリシア「はい」


二人は何度も走り、止まり、周りを見た。


派手な技はない。


剣もほとんど使わない。


ルカは途中で不満そうになった。


ルカ「レオン殿」


レオン「なんだ」


ルカ「これは本当に強くなる訓練ですか?」


レオン「ああ」


ルカ「剣を振っていません」


レオン「剣を振る前に、生きている必要がある」


ルカは黙った。


アリシアが静かにうなずいた。


アリシア「私は、少し分かります」


ルカ「姉上?」


アリシア「怖くなった時、剣を振れるとは限らない。まず足が動くか、周りを見られるか。それが大事なのですね」


レオン「ああ」


ルカは少しだけ悔しそうにした。


それから、真面目に姿勢を正す。


ルカ「もう一回お願いします」


レオン「いい返事だ」


観覧席で、国王が小さく震えていた。


セシリア「陛下?」


国王「我が子たちが、なんと立派に……」


セシリア「まだ走って止まっただけです」


国王「そこが尊いのだ」


セシリア「大がつく親バカですね」


国王「何度でも言おう。そうだ」


訓練は、思ったより順調に進んだ。


アリシアは飲み込みが早い。


一度言われたことをすぐに直す。


ただし、少し頑張りすぎる。


ルカは最初こそ派手な技を求めたが、理解すると素直だった。


ただし、褒められるとすぐ調子に乗る。


レオン「アリシア殿下、無理に姿勢を保ちすぎです。力を抜いてください」


アリシア「はい」


レオン「ルカ殿下、今の止まり方は良かったです」


ルカ「本当ですか!」


レオン「ただし、その後に胸を張る必要はありません」


ルカ「はい……」


セシリア「対照的ですね」


グレン「二人とも素質はある」


国王「そうだろう!」


グレン「陛下、落ち着いてください」


昼前。


レオンは訓練を止めた。


ルカ「もう終わりですか?」


レオン「ああ」


ルカ「まだできます!」


レオン「できるところで止める」


ルカ「なぜですか?」


レオン「疲れ切るまでやると、次が嫌になる」


アリシア「続けるために、止めるのですね」


レオン「ああ」


国王が大きくうなずく。


国王「実に良い!」


セシリア「陛下が一番疲れていそうですね」


国王「心が忙しかった」


訓練後、王城の小さな休憩室で軽食が用意された。


パン。

果物。

温かいスープ。


レオンはスープを見て、少しだけ目を細めた。


アリシア「第0段階ですね」


レオン「……誰から」


アリシア「昨日、騎士たちが話していました」


ルカ「第0段階、食事! 僕も聞きました!」


セシリア「もう広まっています」


レオン「広めるなと言ったはずだ」


国王「よいではないか。食事は大事だ」


レオン「それはそうですが」


アリシア「それと、レオン殿」


レオン「はい」


アリシアは少しだけ笑い、懐から紙を出した。


そこには、少し曲がった字でこう書かれていた。


『あさごはん』


レオンは目を見開いた。


アリシア「門番から受け取りました。孤児院の子から、と」


レオン「……トト」


ルカ「これ、誰が書いたんですか?」


レオン「孤児院の子どもです」


アリシア「とても良い札です。明日から部屋に置きます」


レオン「本当に置くのですか」


アリシア「はい。忘れないように」


国王はその紙を見た。


そして、目に見えて感動した。


国王「素晴らしい……! 我が娘の朝食を心配してくれる子がいるとは!」


セシリア「そこまで感動しますか」


国王「する!」


ルカ「僕の分は?」


レオン「ない」


ルカ「ずるい!」


アリシア「ルカ、自分で書けばいいのでは?」


ルカ「なるほど!」


ルカはすぐに紙と筆を借りた。


そして、大きく書いた。


『ひるごはん』


レオン「なぜ昼食」


ルカ「朝は姉上。昼は僕です」


アリシア「では、夕食は?」


ルカ「父上?」


国王「書こう!」


セシリア「陛下まで」


国王は楽しそうに筆を取った。


そして、妙に達筆な字で書いた。


『よく食べ、よく生きよ』


レオン「急に重いですね」


国王「王として、父としての願いだ」


アリシアはその札を見て、少し笑った。


ルカも笑った。


セシリアは小さく息を吐く。


レオンは、王城の休憩室の机に並んだ三枚の札を見た。


『あさごはん』

『ひるごはん』

『よく食べ、よく生きよ』


――また変なものが増えたな。


そう思った。


だが、不思議と悪くはなかった。


その日の午後、レオンとセシリアは孤児院へ戻った。


門の前で、トトが待っていた。


トト「どうだった!?」


レオン「王女殿下は朝ごはん札を受け取った」


トト「ほんと!?」


レオン「ああ。部屋に置くそうだ」


トトは飛び上がった。


トト「俺の字が王城に!」


ガル「すげぇな」


ユアン「王女の部屋に?」


エル「すごい」


ミリ「あさごはん」


リリィ「国家札」


セシリア「国家札ではありません」


マーサが笑いながら出てきた。


マーサ「それで、王城の仕事は終わったのかい?」


レオンは黙った。


セシリアも黙った。


マーサ「増えたんだね」


レオン「ああ」


トト「何が?」


レオン「王女殿下だけでなく、王子殿下も教えることになった」


食堂前が静かになった。


トト「……王子?」


ガル「王様の息子?」


ユアン「何歳?」


セシリア「十三歳です」


トト「俺より五歳上!」


ミリ「おうじ」


リリィ「昼ごはん王子」


レオン「なぜそうなる」


セシリア「王子殿下は昼ごはん札を書きました」


トト「何それ! 俺も見たい!」


レオン「たぶん、今頃王城にある」


マーサ「王様は?」


セシリア「大がつく親バカでした」


マーサ「へぇ」


レオン「自分でも認めていた」


トト「王様、親バカなの!?」


ガル「なんか意外」


ユアン「王様もお父さん」


エル「うん」


ミナ「少し安心しますね」


マーサ「そうだね。偉い人でも、子どもが心配なのは同じだ」


レオンは食堂へ入った。


今日は、王城で剣を振ったわけではない。


走らせ、止まらせ、転ばせただけだ。


それでも、疲れていた。


主に精神的に。


フィリアが待っていた。


フィリア「レオン様、王城で無茶は?」


レオン「していない」


セシリア「今日は本当にしていません」


フィリア「では、疲労は?」


レオン「王の親バカで少し」


フィリア「精神疲労ですね」


トト「レオン兄ちゃん、王様に疲れたの?」


レオン「ああ」


ミリ「すーぷ、いる」


リリィ「親バカにはすーぷ」


セシリア「効能が増えていますね」


マーサは大鍋をかき混ぜながら笑った。


マーサ「じゃあ、今日は親バカ疲れに効くスープだね」


レオン「そんなものがあるのか」


マーサ「今から作るよ」


トト「すごい!」


ガル「なんでもスープにするな」


ユアン「でも効きそう」


エル「温かいから」


夕飯の食堂は、王城の話でいっぱいになった。


王女アリシア十四歳。

王子ルカ十三歳。

二人とも訓練を始めたこと。

王様が大親バカだったこと。

朝ごはん札が王女の部屋に置かれること。

王子が昼ごはん札を書いたこと。

王様がやたら重い札を書いたこと。


トトはずっと目を輝かせていた。


トト「俺、王城に字を残したんだ……」


ガル「『あさごはん』だけどな」


トト「すごいじゃん!」


ミリ「あさごはん、だいじ」


リリィ「第0段階、王城へ」


セシリア「本当に広がっていますね」


レオンはスープを飲んだ。


温かい。


たしかに、少し疲れが抜ける気がした。


マーサ「どうだい? 親バカ疲れに効くかい?」


レオン「ああ。効く」


トト「じゃあ、名前は?」


ミリ「親バカすーぷ」


リリィ「王様すーぷ」


ガル「それ王城に出せないだろ」


セシリア「出さないでください」


フィリア「でも、栄養はあります」


マーサ「じゃあ、ただの野菜スープだね」


レオン「それでいい」


食堂に笑いが広がった。


また仕事は増えた。


王女と王子の訓練。


黒玻璃の使徒の調査。


逃げたラザル。


まだ見えない一号と二号。


考えることは多い。


だが、今日もひだまり孤児院にはスープの匂いがあった。


トト「レオン兄ちゃん、次は俺も王城行ける?」


レオン「駄目だ」


トト「まだ何もしてない!」


レオン「王城で『第0段階』を広める顔をしている」


トト「顔で分かるの!?」


セシリア「分かります」


ガル「俺にも分かる」


ユアン「僕も」


ミリ「すーぷ顔」


リリィ「顔に書いてある」


トト「俺、そんなに分かりやすい!?」


レオンは小さく笑った。


「ああ」


トトは頬を膨らませた。


食堂に、また笑い声が広がる。


ひだまり孤児院では、王女と王子と親バカ王の話が、しばらく子どもたちの新しい遊びの種になった。


そしてレオンは思った。


――王城の方が、魔物より疲れる日がある。


それでも、スープはうまかった。


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