第二十一話 ひだまり孤児院の平常運転
黒角第三号との戦いから一夜明けた。
ひだまり孤児院の朝は、いつも通り騒がしかった。
いや。
いつもより少し騒がしかった。
理由は、食堂の中央にある。
トトが、木の棒を剣のように構えて立っていた。
トト「そしてレオン兄ちゃんは言ったんだ!」
ガル「また始まった」
ユアン「三回目」
エル「朝だけで?」
ミリ「すーぷ前に三回」
リリィ「猫も聞いた」
トトは構わず続ける。
トト「『そこをどけ』って! そしたら黒い壁が、ずばーん! ばきーん! どかーん!」
ミナ「効果音が増えてる」
ガル「さっきは、ばきーんまでだったぞ」
トト「強くなったんだよ!」
ユアン「話が?」
トト「そう!」
セシリア「事実が弱くなっています」
食堂の端で記録板を持っていたセシリア・ノートが、静かに言った。
トトはびくっと振り返る。
トト「セシリア姉ちゃん!」
セシリア「マスターは黒い結晶壁を三度斬撃で破壊しました。ずばーん、ばきーん、どかーん、ではありません」
トト「でも、その方がかっこいい!」
セシリア「正確さも大事です」
トト「じゃあ、正確にかっこよくする!」
セシリア「それなら許可します」
レオン・ガルディアは、食堂の椅子に座っていた。
目の前には温かいスープ。
横にはフィリア・ローレンス。
そして、少し離れたところにはマーサ・ベル。
つまり、逃げ道はなかった。
フィリア「レオン様、今日は休養日です」
レオン「ああ」
フィリア「剣を振るのは禁止です」
レオン「ああ」
フィリア「石を運ぶのも禁止です」
レオン「ああ」
フィリア「看板の傾きを直すのも禁止です」
レオン「……それもか」
セシリア「それもです」
マーサ「夜中にこっそり直そうとするからだよ」
レオン「少し右に寄っている」
ガル「まだ言ってる」
ミリ「看板、すーぷみたい」
リリィ「少し傾いてるのが味」
トト「そうだよ! 俺の『帰』の字も曲がってたけど役に立ったでしょ!」
レオンは懐から、小さな紙を取り出した。
昨日の戦いに持っていった、トトの書いた『帰』の札。
少し折れ目があるが、破れてはいない。
トトはそれを見ると胸を張った。
トト「それ、もう正式な魔道具じゃない?」
セシリア「魔力はありません」
トト「でも役に立った!」
セシリア「精神的効果はありました」
トト「つまり魔道具!」
セシリア「違います」
リリィ「帰還札」
ミリ「すーぷ札」
ユアン「すーぷは関係ある?」
ミリ「ある」
エル「あるんだ」
フィリア「心を支えるものは大事です。医学的にも」
セシリア「医学的に帰還札を認めないでください」
フィリア「では、健康補助札ということで」
セシリア「さらに怪しくなりました」
トトは目を輝かせた。
トト「健康補助札! かっこいい!」
ガル「絶対かっこよくない」
マーサ「じゃあ、今日の勉強は札作りにしようかね」
トト「やった!」
セシリア「ただし、文字の練習としてです。魔道具ではありません」
トト「分かった! 魔道具っぽい文字の練習!」
セシリア「ぽい、もいりません」
朝食後。
ひだまり孤児院では、謎の流行が始まった。
応援札作りである。
きっかけは、トトの『帰』の札だった。
それがレオンの役に立ったと聞いた子どもたちは、自分たちも札を作りたいと言い出したのだ。
食堂の長机には、小さな紙と筆が並べられた。
ミナが墨を用意し、セシリアが文字の見本を書く。
フィリアは姿勢が悪い子を注意し、マーサは台所から様子を見ている。
レオンは椅子に座らされている。
トト「じゃあ俺は、最強の札を作る!」
ガル「何て書くんだよ」
トト「『むそう』!」
セシリア「ひらがなですか?」
トト「漢字難しいから!」
ユアン「無双って、どう書くの?」
セシリア「無に、双です」
トト「無理!」
ガル「最強の札なのに即負けたな」
トト「じゃあ『つよい』にする!」
リリィ「弱そう」
ミリ「すーぷ」
トト「なんでみんな厳しいの!?」
エルは小さな紙に、丁寧に文字を書いていた。
『おかえり』
それを見たレオンは、少しだけ目を細めた。
レオン「上手いな」
エル「……ほんと?」
レオン「ああ。読みやすい」
エルは少し照れたように紙を胸元へ引き寄せた。
ユアンは悩みながら書いている。
『きをつけて』
少し字が震えていた。
レオン「いい言葉だ」
ユアン「戦う人に言うなら、これかなって」
レオン「ああ。大事だ」
ユアンは小さくうなずいた。
ミリは紙に大きな丸を描いた。
フィリア「ミリちゃん、これは?」
ミリ「すーぷ」
フィリア「やはり」
ミリ「レオン、これ見る。すーぷ思い出す。帰る」
トト「すごい! ちゃんと作戦になってる!」
セシリア「たしかに、目的は合っています」
リリィは猫の足跡を紙に押そうとしていた。
猫は、椅子の下で警戒している。
リリィ「猫、協力」
猫「……」
リリィ「一回だけ」
猫「……」
リリィ「魚」
猫が少しだけ顔を上げた。
ガル「交渉してる」
ミナ「魚で動いたね」
リリィは猫の前足をそっと持ち上げ、紙にぺたりと押した。
小さな足跡がついた。
リリィ「猫印」
ミリ「かわいい」
トト「これ、俺の札より強そう!」
セシリア「魔力はありません」
トト「でも猫の力がある!」
レオン「猫の力とは何だ」
リリィ「気まぐれ」
ガル「戦場で一番困る力だな」
バルド・ロックスが、昼前に孤児院へ顔を出した。
片腕には包帯。
昨日、ラザルとの戦いで受けた傷の手当てだ。
トトがすぐに反応した。
トト「バルドのおっちゃん!」
バルド「兄貴だ」
トト「怪我人兄貴!」
バルド「呼び名がひどくなってるぞ」
フィリアが立ち上がった。
フィリア「バルドさん。治療確認です」
バルド「いや、俺はちょっと顔を出しただけで」
フィリア「治療確認です」
バルド「……はい」
レオンはスープを飲みながら、それを見ていた。
バルド「おいレオン、助けろ」
レオン「俺も要観察中だ」
バルド「裏切り者」
フィリア「バルドさん、第7段階を反動込みで使いましたね」
バルド「一瞬だけだって」
フィリア「一瞬でも体には負担がかかります」
バルド「レオンなんて使い放題だぞ」
フィリア「レオン様は特異体質です」
バルド「ずるくねぇか?」
レオン「それは昨日も言っていたな」
バルド「何回でも言う」
トト「バルドのおっちゃんは第7使うと疲れるの?」
バルド「兄貴だ。疲れる。めちゃくちゃ疲れる」
ガル「レオンは?」
トト「疲れないんでしょ?」
レオン「ああ。第7の反動はない」
トト「ずるい!」
バルド「だろ?」
セシリア「そこで意気投合しないでください」
ミリ「レオン、すーぷ飲むともっと強い?」
フィリア「食事は大事です」
レオン「第7の話から、なぜスープに戻る」
リリィ「すーぷは全てに通じる」
マーサ「いいこと言うじゃないか」
セシリア「言っていますか?」
昼食前、トトは新しい遊びを思いついた。
その名も。
トト「黒角第三号ごっこ!」
レオン「やめろ」
ガル「絶対怒られるやつだ」
ユアン「危なそう」
ミリ「三号?」
リリィ「一号と二号どこ?」
トト「あっ」
食堂が静かになった。
セシリアが記録板を見た。
セシリア「そこは、まだ分かっていません」
トト「え、ほんとに一号と二号いるの?」
レオン「あの組織がそう名付けているなら、可能性はある」
トトの顔が少しだけ真面目になった。
「じゃあ、まだ危ないの?」
レオンはすぐには答えなかった。
ごまかすことはできる。
だが、子どもたちはもう、何も知らずに笑っていられるだけの場所にはいない。
それでも、全部を背負わせる必要もない。
レオン「危ないことはある」
トト「……うん」
レオン「だから、大人が準備する」
セシリア「防護魔道具も設置しました」
フィリア「治療体制も整えています」
マーサ「ご飯もある」
バルド「俺もいる」
グレン「騎士団も動いている」
ミナ「一人じゃないってことだね」
レオン「ああ」
トトは少し考えた。
そして、木の棒を置いた。
トト「じゃあ、黒角第三号ごっこはやめる」
ガル「珍しく早いな」
トト「だって、なんか今は違う気がした」
マーサ「いい判断だね」
トト「代わりに、レオン兄ちゃん帰還ごっこにする!」
レオン「それは何だ」
トト「俺がレオン兄ちゃん役で、帰ってきて、みんなに褒められる遊び!」
ガル「褒められたいだけじゃねぇか!」
トト「そう!」
ユアン「正直」
ミリ「えらい」
リリィ「帰還成功」
トトは堂々と玄関の方へ走った。
そして、外へ出て、すぐ戻ってくる。
トト「ただいま!」
ミリ「おかえり」
リリィ「えらい」
ガル「早い帰還だな」
ユアン「無事でよかった」
エル「おかえり」
トト「もっと褒めて!」
マーサ「手を洗ってきたら褒めるよ」
トト「まだ戦いは終わっていなかった!」
セシリア「手洗いは重要です」
フィリア「衛生管理です」
レオン「帰還ごっこでも手は洗うんだな」
昼食は、干し肉入りの豆スープだった。
王城から届いた支援物資のおかげで、いつもより具が多い。
トトは器の中を見て、感動した顔をした。
トト「肉が二つある!」
ガル「俺も二つ」
ユアン「すごい」
エル「今日は豪華」
ミリ「すーぷ覚醒」
リリィ「第二段階」
セシリア「スープに段階をつけないでください」
ミリ「第一段階、野菜」
リリィ「第二段階、肉」
トト「第三段階、おかわり!」
ガル「第四段階、満腹」
ユアン「第五段階、眠い」
ミナ「第六段階、お昼寝」
マーサ「第七段階、食べすぎて動けない」
バルド「それは危険だな」
レオン「第七に反動があるのか」
セシリア「スープ段階の話に乗らないでください」
フィリア「食べすぎには反動があります」
レオン「あるのか」
マーサ「あるよ」
トト「じゃあレオン兄ちゃんは、スープ第7使っても反動ない?」
レオン「知らん」
バルド「こいつなら反動なさそうだな」
フィリア「食べすぎは誰でも反動があります」
ミリ「こわい」
リリィ「すーぷにも限界」
セシリア「ようやく学びが出ましたね」
食後。
子どもたちは少し眠そうになっていた。
ユアンは机に頬をつけている。
エルは目をこすっている。
ミリは完全に半分寝ていた。
リリィの猫はもう寝ていた。
トトだけが、まだ元気だった。
トト「レオン兄ちゃん、昨日の話して!」
レオン「昨日の話?」
トト「無双の話!」
レオン「無双ではない」
バルド「いや、無双だった」
グレンは昼過ぎに報告のついでに孤児院へ寄っていた。
彼は真面目な顔でうなずく。
グレン「作戦上必要な単独行動だったが、結果だけ見れば無双と言っていい」
セシリア「記録上は、第三号の単独撃破です」
トト「ほら!」
レオン「……」
ミナ「少しだけ聞きたいです」
ガル「俺も」
ユアン「第三号って大きかった?」
エル「怖かった?」
ミリ「すーぷより?」
リリィ「比べるものが違う」
レオンは少し考えた。
戦いの話を、どこまで子どもたちにするべきか。
怖がらせる必要はない。
だが、レオンがどうして帰ってこられたのかは、伝えてもいい。
レオン「第三号は大きかった」
トト「どれくらい?」
レオン「馬車より大きい」
トト「でかっ!」
ガル「それを一人で?」
レオン「一人で倒したのは最後だけだ。最初はバルド、グレン、セシリアが止めてくれた」
セシリア「正確です」
バルド「俺の前脚止めも語っていいぞ」
グレン「私の盾も」
トト「じゃあ、みんなで止めて、レオン兄ちゃんが最後にずばーん?」
レオン「ずばーんではない」
セシリア「核を正確に破壊しました」
トト「つまり、ずばーん」
セシリア「違います」
ミリ「ぱきん?」
レオン「ああ。ぱきん、の方が近い」
トト「え、地味!」
バルド「地味じゃねぇぞ。あれが一番やばいんだ」
グレン「巨大な魔物の核を、最短で正確に砕いた」
ガル「それ、強すぎるだろ」
ユアン「でも、帰ってきた」
エル「うん」
トトは少し黙った。
それから、にっと笑う。
トト「やっぱり『帰』の札、最強だ!」
レオン「ああ。そうだな」
その日の午後は、洗濯の日になった。
戦いの翌日だろうが、黒幕が逃げていようが、日常は止まらない。
汚れた服は洗わなければならない。
毛布も干さなければならない。
食器も片づけなければならない。
世界の危機より、今日の洗濯である。
トト「レオン兄ちゃんも洗濯する?」
フィリア「しません」
レオン「俺は少しなら」
フィリア「しません」
マーサ「怪我人は干す場所を指示するだけだね」
セシリア「監督業務です」
レオン「また監督か」
リリィ「猫監督と同じ」
レオン「同じなのか」
猫は庭のひなたで寝ていた。
まったく監督していない。
それでも、リリィは言った。
リリィ「猫、心で見てる」
ガル「便利だな」
洗濯物を干していると、トトがシーツに絡まった。
トト「見えない!」
ガル「またかよ!」
ユアン「前も板で見えなかった」
ミナ「トト、止まって」
トト「止まってる!」
シーツがもぞもぞ動く。
その姿を見て、ミリが指差した。
ミリ「白い第三号」
リリィ「洗濯試験体」
セシリア「やめてください」
トト「俺は試験体じゃない!」
レオン「動くな。余計に絡まる」
トト「助けて!」
バルドが笑いながら近づく。
バルド「おら、出てこい」
トトはシーツから救出された。
髪がぼさぼさになっている。
ガル「無双どころか、シーツに負けたな」
トト「シーツは強い」
レオン「確かに、絡まると厄介だ」
セシリア「真面目に分析しないでください」
夕方。
ひだまり孤児院の庭には、洗濯物がたくさん並んでいた。
白いシーツ。
子どもたちの服。
毛布。
包帯。
風に揺れるそれらを見ながら、レオンは椅子に座っていた。
隣にはマーサがいる。
マーサ「今日は、いい日だったね」
レオン「ああ」
マーサ「戦った次の日に、ちゃんと日常がある。それは大事なことだよ」
レオンは庭を見る。
トトがガルと何か言い合っている。
ユアンとエルが洗濯ばさみを集めている。
ミリは眠そうにフィリアに抱えられている。
リリィは猫の横でしゃがんでいる。
ミナは畳んだ布を運んでいる。
セシリアは記録を整理している。
バルドは治療確認から逃げようとしてフィリアに捕まっている。
グレンは真面目に干し竿を直している。
いつもの、ひだまり孤児院だった。
レオン「ラザルは逃げた」
マーサ「そうだね」
レオン「また来るかもしれない」
マーサ「そうだろうね」
レオンは少しだけ黙った。
マーサは静かに続ける。
マーサ「でも、今日は今日だよ」
レオン「……ああ」
マーサ「明日の心配をするのは大人の仕事だ。でも、今日の夕飯を温かくするのも大人の仕事だ」
レオンはマーサを見た。
マーサは笑っていた。
レオン「難しいな」
マーサ「そうさ。剣で斬れないものばかりだからね」
レオンは小さく息を吐く。
剣で済むなら簡単だ。
問題は、剣じゃ済まない時だ。
彼自身が何度も口にしてきた言葉。
その意味を、また少し思い知る。
トト「レオン兄ちゃん!」
トトが庭の向こうから走ってきた。
レオン「走るな」
トト「走ってない! 急いで歩いてる!」
ガル「走ってるぞ!」
トトはレオンの前で止まった。
手には、今日作った札がある。
そこには、少し曲がった字でこう書かれていた。
『またかえる』
レオンはそれを見た。
トト「次の戦いの時用!」
レオン「気が早いな」
トト「でも、いるでしょ?」
レオンは札を受け取った。
少し曲がっている。
だが、ちゃんと読める。
レオン「ああ。いる」
トトは満足そうに笑った。
マーサも笑った。
夕飯の時間になると、食堂にはまたスープの匂いが満ちた。
今日は野菜と豆のスープ。
肉は少なめ。
だが、昨日よりもにぎやかだった。
トト「今日の事件は、シーツ第三号だね!」
セシリア「その名称はやめてください」
ガル「黒角より弱かったな」
トト「いや、あれは強敵だった」
ミリ「白い」
リリィ「ふわふわ」
ユアン「怖くはない」
エル「でも、見えなくなる」
バルド「じゃあ次は、トト対シーツ第二戦だな」
トト「勝つ!」
フィリア「洗濯物で遊ばないでください」
マーサ「そうだよ。遊ぶなら畳んでからだ」
レオン「畳んだ後も遊ぶな」
食堂に笑い声が広がる。
レオンはスープを飲んだ。
温かい。
具は多くない。
けれど、昨日の戦場で感じた黒い魔力とはまるで違う。
ここには、生きている匂いがある。
帰る場所の匂いがある。
トト「レオン兄ちゃん、おかわりする?」
レオンは少しだけ考えた。
そして、器を差し出した。
レオン「ああ。する」
食堂が一瞬静かになった。
フィリア「三日連続……」
セシリア「重要記録更新です」
バルド「こいつ、すーぷ第7段階に入ったな」
ミリ「すーぷ鬼神解放」
リリィ「反動なし」
ガル「やばい、最強だ」
レオン「スープで鬼神解放するな」
マーサは笑いながら、たっぷりとスープをよそった。
マーサ「いいことだよ。食べられる時に食べな」
レオンは器を受け取る。
周りでは子どもたちが笑っている。
敵はまだいる。
謎も残っている。
黒玻璃の使徒。
幹部ラザル。
一号と二号。
そして、まだ見えない黒幕。
考えることは多い。
だが、今は。
今だけは。
レオンは温かいスープを一口飲んだ。
トト「どう?」
レオン「うまい」
その一言で、食堂がまた明るくなる。
ひだまり孤児院の一日は、今日も騒がしく、くだらなく、温かく過ぎていく。
そしてレオンは思った。
――こういう日を守るためなら、何度でも剣を取る。
だが、その前に。
レオンはもう一口、スープを飲んだ。
今日の戦いは、シーツとおかわりだけで十分だった。




