第十八話 三つの守りと出発前夜
ひだまり孤児院の朝は、いつもより少しだけ忙しかった。
昨日、王城から届いた支援物資は、まだ食堂の隅や倉庫前に積まれている。
小麦袋。
豆。
干し肉。
毛布。
薬草。
薪。
修理用の木材と屋根板。
そして、今日一番の目玉は、布で包まれた三つの魔道具だった。
トト「これが防護魔道具?」
セシリア「はい。王城から正式に支給された簡易防護魔道具です」
ガル「思ったより小さいな」
ユアン「盾みたいなのかと思った」
エル「箱?」
ミリ「すーぷ入ってる?」
リリィ「猫、匂いしないって」
セシリア「食べ物ではありません」
三つの魔道具は、手のひらより少し大きい金属の杭のような形をしていた。
表面には細かい文字が刻まれ、中心には淡い青色の石がはめ込まれている。
セシリア「これは地面に設置して使います。起動すると、一定範囲に侵入警戒と簡易防壁を張ることができます」
トト「つまり、結界?」
セシリア「簡単に言えば、そうです」
ミリ「すーぷ結界?」
セシリア「違います」
リリィ「猫結界?」
セシリア「違います」
トト「ぴこん結界?」
レオン「違う」
レオンは食堂の椅子に座ったまま答えた。
右腕の包帯は昨日より軽くなっている。
だが、フィリアにより、まだ力仕事は禁止されていた。
フィリア「レオン様、今日は設置作業も禁止です」
レオン「設置場所を見るだけだ」
フィリア「見るだけなら座ったままでもできます」
レオン「庭までは出る」
フィリア「ゆっくりなら許可します」
セシリア「許可制になっていますね」
バルド「ギルドマスターなのにな」
レオン「言うな」
マーサは台所から顔を出した。
マーサ「怪我人は言われた通りにしな」
レオン「……はい」
トトが小声でガルに言う。
トト「やっぱりマーサ先生が一番強い」
ガル「第10段階、マーサ領域」
リリィ「不可侵」
セシリア「正式なオーラ段階に入れないでください」
防護魔道具は三つ。
一つ目は正門。
二つ目は裏口。
三つ目は食糧庫の近く。
レオンは最初、屋根裏にも一つ欲しいと言ったが、三基しかないため却下された。
トト「屋根裏って、俺が入るところ?」
レオン「入るな」
トト「まだ何も言ってない!」
セシリア「過去の実績です」
フィリア「屋根裏に入ると健康管理表に追加項目が増えます」
トト「何て書かれるの?」
フィリア「屋根裏侵入注意」
ガル「もう書かれてそうだな」
セシリア「近い項目はあります」
トト「あるの!?」
食堂に笑いが起きた。
けれど、笑っているだけでは終わらない。
旧石切り場の黒角試験体・第三号。
昨日、レオンたちはその姿を遠くから見た。
下層の闇の中でうごめく大型魔物。
黒い角。
赤い目。
岩のような背中。
第6段階、覇圧領域に似た重い圧。
あれを放置すれば、いずれ王都へ出てくるかもしれない。
そして、もし黒晶獣を作っている者たちが孤児院を狙っているなら、ここもまた危険なままだ。
だから今日、レオンたちは討伐前の準備をする。
まずは孤児院を守る。
それが最優先だった。
庭では、セシリアが魔道具を地面に置いた。
正門の内側。
子どもたちが遠巻きに見ている。
セシリア「トト、近づきすぎです」
トト「見たい!」
セシリア「起動前でも不用意に触らないでください」
トト「触らない!」
セシリア「手が伸びています」
トト「見るために!」
ガル「手で見るな」
ユアン「目で見た方がいい」
トト「分かってるよ!」
セシリアは小さくため息をつき、魔道具の中心に指を置いた。
青い石が淡く光る。
地面に刻まれた細い魔法文字が広がり、正門の周囲に透明な膜のようなものが一瞬だけ浮かび上がった。
ミリ「きれい」
エル「光った」
リリィ「猫、ちょっとびっくり」
門の上にいた猫は、確かに尻尾をぴんと立てていた。
セシリア「これで起動しました。強い攻撃を完全に防ぐものではありませんが、敵意を持つ者が近づくと反応します」
トト「敵が来たら光る?」
セシリア「はい。さらに、軽い魔物なら近づきにくくなります」
ガル「すげぇな」
ユアン「これで夜、少し安心?」
レオン「ああ」
ユアンは少しだけ安心したように息を吐いた。
エルも門を見つめていた。
あの子どもたちは、知っている。
大人が守ってくれない場所の怖さを。
夜の物音に怯えることを。
誰かが連れていきに来るかもしれない不安を。
だから、透明な魔道具の光は、ただの便利な道具ではなかった。
ここにいていい。
そう言われているような光だった。
フィリアはそれを見て、静かに微笑んだ。
フィリア「よかったですね」
レオン「ああ」
フィリア「でも、レオン様が無理をしなくていい理由にはなりません」
レオン「分かっている」
フィリア「本当に?」
レオン「本当に」
フィリア「今日三回目です」
レオン「数えているのか」
フィリア「健康管理です」
裏口と食糧庫にも魔道具を設置し終えると、孤児院全体の空気が少し変わった。
目に見えて大きな壁ができたわけではない。
だが、三つの魔道具が淡く光るだけで、子どもたちの顔には安心が戻っていた。
トト「これで魔物が来ても大丈夫?」
レオン「大丈夫に近づいた」
トト「完全じゃないの?」
レオン「完全な安全はない」
トトは少しだけ不満そうにした。
レオンはその頭に手を置く。
レオン「だから、準備する。見張る。みんなで守る」
トト「俺も?」
レオン「ああ。ただし、勝手に飛び出さないことも守ることだ」
トト「……それ、難しい」
ガル「自覚あるだけ進歩だな」
ユアン「飛び出さない練習?」
ミリ「すわる?」
リリィ「待つ修行」
セシリア「実際、とても大事です」
トト「待つ修行……地味!」
レオン「強くなる修行は、だいたい地味だ」
バルド「派手な技だけ覚えた奴は早死にするからな」
トト「じゃあ俺、待つ!」
マーサ「まず朝ごはんを待ちな」
トト「それは待てない!」
食堂に戻ると、今度は作戦会議が始まった。
机の上には、旧石切り場の地図が広げられている。
黒角試験体・第三号。
その名が書かれた紙片も、地図の横に置かれていた。
レオン、セシリア、バルド、グレン。
そしてフィリアも、治療担当として会議に参加している。
マーサは台所でスープを見ながら、時々こちらを見ていた。
子どもたちは最初、遠くで聞いていた。
だが、トトがじりじり近づき、ガルがついてきて、ユアンが気になって寄り、エルがその後ろに立ち、ミリとリリィも来た。
結果、全員が会議を聞いていた。
セシリア「子どもたちは食堂の反対側で待機してください」
トト「遠くから聞く!」
ガル「俺も」
ユアン「静かにする」
エル「聞くだけ」
ミリ「すーぷも聞く」
リリィ「猫も」
セシリア「猫は会議に参加しません」
リリィ「監督」
レオン「今日だけだ」
セシリア「マスターが許可しないでください」
バルド「まあ、猫監督は優秀だからな」
グレン「本当に何の会議なんだ」
レオンは地図を指した。
レオン「第三号は下層にいる。真正面から下りると、落石地帯と狭い道で挟まれる」
セシリア「誘い込む構造ですね。中型黒角獣がいた横穴も、こちらを下層へ追い込むための配置だった可能性があります」
グレン「騎士団の部隊を入れるには不利だ」
バルド「少数で行って、核だけ叩くのがいいな」
フィリア「核?」
セシリア「黒い角と背中の結晶です。おそらく、第三号は額の角が魔力を集め、背中の結晶が体を強化しています」
レオン「角を砕き、結晶を切り離す」
バルド「言うのは簡単だな」
グレン「問題は、そこまで近づけるかだ」
レオン「バルドが前脚を止める。グレンは盾で突進を逸らす。セシリアは封印札で角の魔力を落とす」
セシリア「マスターは?」
レオン「俺が結晶を斬る」
フィリア「傷は?」
レオン「治ってきている」
フィリア「完全ではありません」
レオン「だから長期戦にはしない」
フィリア「それはよい判断ですが、無茶をする口実にも聞こえます」
バルド「分かる」
グレン「同感だ」
セシリア「同感です」
レオン「味方が多いな」
フィリア「全員、レオン様の味方です」
フィリアは真面目な顔で言った。
「だから、止めるんです」
レオンは少しだけ黙った。
そして、うなずく。
レオン「ああ。分かった」
その言葉に、フィリアは少し驚いた顔をした。
セシリアも目を細める。
セシリア「素直ですね」
レオン「約束したからな」
トトが遠くから小さく拍手した。
トト「ぴこん隊長、えらい!」
レオン「その呼び名はやめろ」
ミリ「えらい」
リリィ「隊長、成長」
ガル「俺たちが育てた」
レオン「育てられた覚えはないよ」
マーサ「育てたのは私だよ」
レオン「それはそうです」
作戦会議は続いた。
セシリアが地形を説明する。
グレンが騎士団の配置を決める。
バルドが実際に動きやすい足場を確認する。
フィリアは怪我人の運搬経路と応急処置の場所を決める。
レオンは全体を見ながら、必要なところだけ短く指示を出す。
その様子を見て、トトはぽつりと言った。
トト「戦う前って、こんなに考えるんだ」
ガル「剣でドーンじゃないんだな」
ユアン「準備、大事」
エル「怖いけど、ちょっと安心する」
ミナ「ちゃんと考えてくれてるからね」
リリィ「猫も考えてる」
ミリ「すーぷも」
トト「すーぷも作戦会議するの!?」
マーサ「夕飯の献立は毎日作戦会議みたいなもんだよ」
レオン「確かに、人数が多いからな」
マーサ「好き嫌いもあるしね」
トト「俺、にんじん少なめ作戦がいい」
マーサ「却下」
トト「即決!」
ガル「作戦失敗だな」
会議の途中、王都騎士団から使者が来た。
グレンが外へ出て、すぐに戻ってくる。
表情は少し固い。
レオン「何かあったか」
グレン「ああ。旧石切り場の周辺で、夜間に魔物が増えているらしい」
セシリア「増えている?」
グレン「小型の黒晶犬が、石切り場の外側まで出始めた」
バルド「まずいな」
レオン「第三号が動き出す前触れか」
グレン「偵察隊は一時撤退した。明日まで待つなら、こちらから仕掛ける必要がある」
食堂の空気が少し重くなった。
フィリア「出発は明日ですか?」
レオン「ああ」
マーサ「なら、今日はしっかり食べて寝るんだね」
レオン「そうする」
セシリア「本当に?」
レオン「本当に」
バルド「今日だけで何回言った?」
フィリア「四回目です」
レオン「数えるな」
その日の午後は、出発準備にあてられた。
セシリアは封印札を追加で作る。
細い筆で札に魔法文字を書き込み、一枚一枚確認していく。
トトはそれを見て、目を輝かせた。
トト「俺も書きたい!」
セシリア「これは危険なので駄目です」
トト「じゃあ練習用!」
セシリア「練習用なら紙を用意します」
トト「やった!」
トトが書いたのは、封印札ではなかった。
『ひ』
だった。
ガル「また『ひ』かよ」
トト「極めるんだよ!」
ユアン「じゃあ俺は『だ』」
エル「私は『り』」
ミリ「す」
リリィ「猫」
セシリア「何の札を作っているのですか」
トト「ひだまり札!」
セシリア「効果は?」
トト「貼ると、すーぷが食べたくなる!」
マーサ「それは危険な札だね」
バルド「俺には効くな」
レオン「俺にも効きそうだ」
フィリア「レオン様が食欲に前向き……記録します」
レオン「記録するな」
一方、バルドは庭で武器の確認をしていた。
大斧の刃を磨き、柄のひびを確かめる。
ガルが近くで見ている。
ガル「バルドのおっちゃん、その斧重くないの?」
バルド「兄貴だ。重いぞ」
ガル「よく振れるな」
バルド「飯食って、鍛えて、無理しすぎず、でも逃げすぎない」
ガル「それで強くなる?」
バルド「ああ。あと、仲間の話を聞くことだ」
ガル「意外とまともなこと言う」
バルド「意外とは余計だ」
ガルは少し考えてから、バルドを見た。
ガル「俺も、いつか守れるようになりたい」
バルドは一瞬だけ黙った。
それから、ガルの頭に大きな手を置く。
バルド「なら、まず膝を治せ。フィリアに怒られない範囲で鍛えろ」
ガル「そこからかよ」
バルド「そこからだ」
フィリアは薬箱を整理していた。
包帯。
消毒液。
栄養薬。
苦くない子ども用の薬。
大人用の苦い薬。
ミリが薬箱を覗き込む。
ミリ「苦くない?」
フィリア「ミリちゃん用は苦くないです」
ミリ「レオンは?」
フィリア「レオン様用は苦いです」
レオン「なぜだ」
フィリア「大人なので」
トト「大人って大変だな」
リリィ「苦い段階」
セシリア「また段階が増えましたね」
フィリア「レオン様が無茶をしたら、もっと苦い薬になります」
レオン「無茶はしない」
フィリア「五回目です」
レオン「……」
夕方が近づく頃、孤児院の庭では、ちょっとした見送り準備が始まっていた。
トトが言い出したのだ。
トト「明日、みんなで応援札を渡そう!」
ガル「応援札?」
トト「ひだまり札!」
ユアン「さっきの?」
エル「すーぷが食べたくなる札?」
トト「違う! 今度はちゃんと応援!」
ミナ「いいかも。みんなで一枚ずつ書こう」
セシリア「危険な魔法文字は書かないなら問題ありません」
リリィ「猫も書く?」
セシリア「足跡なら可です」
ミリ「すーぷ描く」
マーサ「じゃあ、夕飯前に少しだけね」
子どもたちは小さな紙に、それぞれ何かを書き始めた。
トトは大きく『かえってきて』と書こうとして、途中で詰まった。
トト「セシリア姉ちゃん、『て』ってどう書くんだっけ?」
セシリア「こうです」
トト「ありがとう!」
ガルは『まけるな』と書いた。
ユアンは少し迷って、『きをつけて』と書いた。
エルは小さく『おかえり』と書いた。
ミリは丸いスープの絵を描いた。
リリィは猫の足跡を紙に押そうとして、猫に逃げられた。
リリィ「猫、非協力」
ガル「そりゃ逃げるだろ」
ミナは全員の紙をまとめ、小さな紐で結んだ。
それを見て、レオンは少しだけ困った顔をした。
レオン「戦場に持っていくには、濡れるかもしれない」
トト「じゃあ濡れない袋に入れて!」
セシリア「あります」
トト「やった!」
フィリア「お守りですね」
レオン「お守りか」
マーサ「持っていきな。軽いだろう?」
レオンは小さな紙束を受け取った。
軽い。
だが、重い。
守るものの重さだった。
レオン「分かった。持っていく」
トト「絶対帰ってきてね」
レオン「ああ」
エル「おかえり、言うから」
ユアン「ミリも待ってる」
ミリ「すーぷも待つ」
リリィ「猫も、たぶん」
ガル「俺たちもな」
ミナ「無理しないでください」
レオンは全員を見る。
そして、静かにうなずいた。
レオン「帰ってくる」
その夜の夕飯は、いつもより少し豪華だった。
王城から届いた豆と干し肉を使ったスープ。
端パン。
焼き野菜。
少しだけ甘い果物の煮物。
トト「祭り!?」
マーサ「明日が大変だから、今日はしっかり食べるんだよ」
バルド「いいな。戦前飯だ」
セシリア「その言い方は物騒です」
グレン「だが、士気は大事だ」
フィリア「栄養も大事です」
ミリ「第0段階」
リリィ「すーぷ覚醒」
レオン「もう完全に定着したな」
トト「レオン兄ちゃんもおかわりする?」
レオン「ああ」
食堂が一瞬静かになった。
セシリア「自発的なおかわり、二日連続」
フィリア「重要記録です」
バルド「明日は雪でも降るか?」
マーサ「いいことだよ」
トト「ぴこん隊長が進化した!」
レオン「進化していない」
ガル「いや、してる」
ユアン「すーぷ覚醒」
エル「強くなった」
ミリ「おかわり」
リリィ「隊長、食べる」
レオンは静かに椀を差し出した。
レオン「……おかわりを頼む」
食堂に歓声が上がった。
マーサは笑いながら、たっぷりとスープをよそった。
その夜。
子どもたちが眠った後、レオンは庭に出た。
正門の防護魔道具が、淡く青い光を放っている。
門の横には、少し傾いた看板。
『ひだまり孤児院』
太陽。
猫。
スープ。
レオンは懐に入れた小さな紙束に触れた。
子どもたちの応援札。
剣より軽い。
盾より薄い。
だが、これ以上重いものはない。
背後から、セシリアが歩いてきた。
セシリア「眠らないのですか」
レオン「少しだけ外を見ていた」
セシリア「明日は大変です」
レオン「ああ」
セシリア「今回は、第三号を討伐します。ですが、黒幕を倒すわけではありません」
レオン「分かっている」
セシリア「焦らないでください」
レオン「焦っているように見えるか」
セシリア「少し」
レオンは黙った。
セシリアは夜の庭を見る。
セシリア「子どもたちが狙われた。孤児院が襲われた。怒るのは当然です」
レオン「……ああ」
セシリア「でも、怒りで動けば、相手の思うつぼです」
レオン「分かっている」
セシリア「では、明日は作戦通りに」
レオン「ああ。第7までで十分だ」
セシリアは少しだけ目を細めた。
セシリア「それ以上を使うつもりは?」
レオン「今はない」
セシリア「よろしい」
レオンは空を見上げた。
月が出ている。
明日は、旧石切り場の最深部へ向かう。
黒角試験体・第三号。
それがどれほどの魔物かは分からない。
だが、守るべき場所は決まっている。
戻る場所も決まっている。
レオン「セシリア」
セシリア「はい」
レオン「明日、俺が突っ込みそうになったら止めろ」
セシリア「もちろんです」
レオン「遠慮なく」
セシリア「遠慮したことがあると?」
レオンは少しだけ笑った。
レオン「ないな」
セシリア「はい」
二人はしばらく、静かな庭を見ていた。
食堂の奥からは、子どもたちの寝息が聞こえる。
風が看板を少し揺らした。
明日は戦いになる。
それでも、今夜のひだまり孤児院は温かかった。
レオンは小さく息を吐いた。
――必ず帰る。
その言葉を、声には出さなかった。
だが、胸の奥で強く結んだ。
ひだまり孤児院は、静かに明日の戦いを待っていた。




