表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

第一話 ギルドマスター、屋根を直す


ひだまり孤児院の屋根は、見事に落ちていた。


正確には、食堂の上にある屋根の一部が抜け、そこから屋根裏の古い木材が食堂の床へ崩れていた。


幸い、夕飯前だったため食堂に子どもたちはいなかった。

もし食事中だったら、けが人が出ていたかもしれない。


レオン・ガルディアは食堂の真ん中に立ち、天井に空いた穴を見上げた。


レオン「……これは、思ったより派手にいったな」


レオンは心の中で小さく息を吐く。


――けが人がいなくてよかった。


まず浮かんだのは、修理代でも、魔道具でも、ギルドの会議でもなかった。

子どもたちが無事だったこと。

それだけだった。


トト「だから言っただろ! 屋根が落ちたって!」


トト・ミルクが胸を張る。


八歳の少年は、泥だらけの靴を脱がされたあと、今は裸足で食堂の端に立っていた。

さっきまで大騒ぎしていたくせに、どこか誇らしげだ。


マーサ「威張ることじゃないよ、トト」


マーサ・ベル院長が、腰に手を当てて言った。


小柄な老婦人だが、その一言でトトの背筋は伸びた。


トト「だ、だって最初に見つけたの俺だし……」


マーサ「見つけたなら、まず大人を呼ぶ。屋根裏に勝手に入らない。何度言えば分かるんだい」


トト「でも、変なのあったし」


トトはそう言って、両手で抱えていた古びた金属の箱をちらりと見た。


その箱は、食堂のテーブルの上に置かれている。


大人の両手ほどの大きさ。

古い鉄のようにも、銀のようにも見える不思議な金属で作られていた。

表面には細かな魔法文字が刻まれており、その一部が時々、青白く瞬いている。


レオンは箱を一度だけ見た。


ただの古道具ではない。


――面倒なものを拾ったな。


そう思いながらも、レオンはすぐに視線を天井へ戻した。


だが、今すぐ爆発しそうな気配もない。


レオン「まず屋根だ」


トト「えー! 魔道具は?」


レオン「雨が降ったら、食堂が使えなくなる」


トト「魔道具の方がすごいかもしれないじゃん!」


レオン「すごい魔道具でも、雨漏りは止めてくれない」


トトは少し不満そうに頬を膨らませた。


トトは心の中で思う。


――レオン兄ちゃんって、たまにすごいものより普通のことを大事にするよな。


でも、そういうところが少しだけかっこよく見えた。


レオンは工具箱を床に置いた。


マーサ「レオン、直せそうかい?」


レオン「う~…ん、応急処置なら今日中にできるな。本格的な修理は、大工を呼んだ方がいいかもしれない」


マーサ「金は?」


レオン「まあ、俺が出す」


マーサ「はァ~……またかい」


マーサは深くため息をついた。


マーサ「ギルドマスター様の財布は、孤児院の修理箱じゃないんだよ」


レオン「俺の育った家だ。修理代くらい出させてくれ」


マーサ「そういうところが昔から変わらないね」


マーサは呆れたように言ったが、その声は少しだけ優しかった。


レオンは椅子をどかし、崩れた木材を確認する。


古い。

かなり傷んでいる。


何年も風雨を受け、内側から少しずつ腐っていたのだろう。

そこに何かの衝撃が加わって、一気に抜けた。


――もっと早く気づくべきだった。


レオンは胸の奥で、少しだけ自分を責めた。


ギルドの仕事に追われていた。

王都の問題に目を向けていた。

魔物の討伐、冒険者の管理、貴族からの依頼。


だが、自分が一番守りたい場所の屋根が傷んでいることに、気づけなかった。


レオン「トト」


レオンはトトをちょっとにらみつけた。


トト「なっ!なんだよ~?」


レオン「屋根裏で何をした」


トト「なっ、何もしてない!」


レオン「本当に?」


トト「ちょっと箱を引っ張っただけだ!」


マーサの目が細くなった。


トトはすぐに視線をそらした。


レオンは静かにうなずく。


レオン「そっかそっか……つまり、箱を引っ張ったんだな」


トト「ちょっ、ちょっとだけ!」


レオン「そのちょっとで屋根が落ちた」


トト「屋根が弱かったんだって!」


レオン「それはそうだな」


レオンがあっさり認めると、トトは目を丸くした。


トト「え、怒らないの?」


レオン「怒るのはマーサ先生の役目だ」


トト「レオン兄ちゃんは?」


レオン「俺は直す係だ」


トト「……かっこいい」


マーサ「褒めても説教は消えないよ」


マーサの声が飛び、トトは肩をびくりと震わせた。


レオンは口元を少しだけ緩める。


――こういう顔をしているうちは、大丈夫だ。


トトは叱られても、笑える。

腹を空かせて文句を言える。

誰かに助けを求めることができる。


それは、当たり前のようで、当たり前ではない。


戦場から流れてきた子どもたちの中には、泣き方さえ忘れた子もいた。


レオンは食堂の端に置かれていた古い梯子を持ち上げた。


マーサ「レオン、それは危ないよ」


レオン「俺が落ちると思うか?」


マーサ「屋根が落ちたんだ。あんたが落ちない保証はないだろう」


レオン「分かった。慎重にやる」


レオンは素直に答え、梯子を壁にかけた。


世界最強の元冒険者と呼ばれた男でも、マーサ先生の前では反論しない。

それが、ひだまり孤児院の決まりだった。


屋根裏に上がると、冷たい風が吹き込んできた。


抜けた屋根の隙間から、夕方の空が見える。

雲は厚い。

このままだと、夜には雨が降るかもしれない。


レオン「急いだ方がいいな」


レオンは屋根裏の梁を確認し、傷んだ板を外し始めた。


手つきは慣れている。


大きな手で釘を抜き、割れた板を外し、使える木材と使えない木材を分ける。

剣を振るう時とはまるで違う、静かで丁寧な動きだった。


下ではトトが、目を輝かせて見上げている。


トト「レオン兄ちゃん、冒険者って屋根も直せるの?」


レオン「直せた方が便利だ」


トト「竜を倒すより?」


レオン「屋根を直せない竜殺しは、雨の日に役に立たない」


トト「なるほど!」


トトは真剣な顔でうなずいた。


――俺もいつか、何でもできる冒険者になる。


トトはそう思った。


剣を振れるだけじゃなくて、屋根も直せて、料理もできて、みんなを助けられる冒険者。

トトにとっての最強は、魔物を倒す人ではなく、困った時に必ず来てくれる人だった。


マーサ「あまり変なことを教えないでおくれ」


レオン「大事なことだ」


マーサ「大事なのは、、、」


トトの方を向き


マーサ「屋根裏に勝手に入らないことだよ!!」


トト「はい……」


トトの声が小さくなった。


レオンは屋根裏で作業しながら、ふと金属の箱が置かれていた場所を見た。


そこには、埃をかぶった木箱や古い布、壊れた椅子の脚などが積まれていた。

おそらく、ずっと昔から物置代わりにされていたのだろう。


その一番奥に、箱が隠されていたらしい。


レオン「マーサ先生」


マーサ「なんだい?」


レオン「屋根裏に魔道具を置いた覚えは?」


マーサ「ないね。少なくとも、私が院長になってからは」


レオン「前の院長の頃か」


マーサ「かもしれないね」


マーサの声が、少しだけ低くなった。


レオンはそれ以上聞かなかった。


――マーサ先生が、今少しだけ言葉を濁した。


レオンは気づいていた。

だが、今は聞かない。


マーサが話さないなら、それには理由がある。

この孤児院には、古い傷がいくつもある。

無理にこじ開ければ、誰かが痛むこともある。


ひだまり孤児院は古い。


この建物ができたのは、レオンが生まれるよりもずっと前だ。


孤児院には、たくさんの子どもが来て、たくさんの子どもが出ていった。

中には、幸せになった者もいる。

冒険者になった者もいる。

どこかで静かに暮らしている者もいる。


そして、帰ってこなかった者もいる。


古い建物には、古い思い出が積もる。


埃のように。

雨染みのように。

誰にも気づかれないまま。


トト「レオン兄ちゃん!」


下からトトの声がした。


レオン「なんだ」


トト「お腹すいた!」


レオンは作業の手を止めた。


それから、天井の穴を見上げる。


まだ完全には直っていない。

だが、雨を防ぐだけなら何とかなる。


レオン「あと半刻」


トト「半刻ってどれくらい?」


レオン「夕飯がうまくなるくらいだ」


トト「それ、よく分かんない!」


レオン「じゃあ我慢しろ」


トトが頬を膨らませる。


その時、玄関の方から別の声が聞こえた。


セシリア「マスター、、、、」


冷静で、丁寧で、少しだけ怒っている声。


レオンは屋根裏から顔を出した。


食堂の入口に、セシリア・ノートが立っていた。


王都冒険者ギルドの副マスター。

銀縁の眼鏡をかけ、きっちり整えられた服を着た女性である。


その腕には、書類の束が抱えられていた。


レオン「セっ、セシリア!」


セシリア「会議中に突然姿を消したギルドマスターを追ってきました」


レオン「屋根が落ちてた」


セシリア「見れば分かります」


セシリアは食堂の惨状を見渡し、深く息を吐いた。


セシリア「けが人は?」


レオン「いない」


セシリア「それは何よりです」


その声には、本心からの安堵が混じっていた。


――本当に、無事でよかった。


セシリアは内心でそう思った。


レオンが孤児院を大切にしていることを、彼女は知っている。

もしここで誰かが怪我をしていたら、レオンはきっと表情を変えずに、自分を責め続ける。


そういう人だと、セシリアはもう分かっていた。


だが次の瞬間、セシリアは眼鏡を押し上げる。


セシリア「ですがマスター。北方魔獣の討伐会議はまだ終わっていません。王都防衛隊への返答も必要です。さらに、明日の依頼承認書が二十七件あります」


レオン「後でやる」


セシリア「マスターの後では、大体深夜になります」


レオン「今日は屋根が先だ」


セシリア「分かっています」


意外な返事に、レオンは少し眉を上げた。


レオン「分かっているのか」


セシリア「分かっています。私も、ここがマスターにとって大切な場所だということくらいは」


レオン「なら助かる」


セシリア「ただし」


セシリアは抱えていた書類を近くの机に置いた。


セシリア「夕飯後に、判を押していただきます」


レオン「……夕飯後か」


セシリア「逃がしません」


レオンは少しだけ目をそらした。


――魔王軍の将より、こっちの方が厄介かもしれない。


そう思ったが、口には出さなかった。


トトが不思議そうにセシリアを見る。


トト「お姉さん、怖いね」


レオン「トト、それは言わない方がいい」


セシリアはにこりと笑った。


セシリア「元気なお子さんですね」


トト「ほら怖い」


マーサ「トト!」


マーサが名前を呼ぶと、トトはすぐに口を閉じた。


セシリアはそれから、テーブルの上に置かれた金属の箱に気づいた。


セシリア「これは?」


レオン「屋根裏から出てきたんだ」


セシリア「魔道具ですか?」


レオン「う~ん、、たぶんな」


セシリアの表情が少し真面目になる。


彼女は書類仕事だけの人間ではない。

ギルド副マスターとして、危険物や依頼品の管理にも詳しい。


セシリア「触っても?」


レオン「待て」


レオンは屋根裏から降り、箱の前に立った。


青白い文字は、まだかすかに光っている。


近くで見ると、それは古い保護魔法の文様に似ていた。

攻撃用ではない。

封印でもない。


何かを保存するためのもの。


レオン「気をつけろ!危険な感じはしないが、どうなるか分からないからな」


セシリア「開けますか?」


マーサは黙って箱を見ていた。


トトはわくわくした顔で身を乗り出している。


レオンは少し考えたあと、首を横に振った。


レオン「まあ、夕飯の後だ」


トト「ええー!」


セシリア「マスター、本気ですか?」


レオン「腹が減ってる時に、まともな判断はできない」


セシリア「魔道具の確認より夕飯ですか」


レオン「子どもたちが待ってる」


レオンはそう言って、台所の方を見た。


鍋の中では、スープがちょうどいい具合に煮えているはずだった。


マーサ「そうだね。まずは夕飯だ」


セシリア「マーサ先生まで……」


セシリアは呆れたように言ったが、反論はしなかった。


――でも、たしかに。


セシリアは食堂に集まってくる子どもたちを見て思う。


この子たちにとっては、古い魔道具よりも、温かい夕飯の方が大事なのだろう。


そしてレオンは、それを誰よりも分かっている。


レオンは屋根の応急修理を終えると、すぐに台所へ戻った。


大鍋の蓋を開ける。

湯気がふわりと広がり、野菜と肉の匂いが食堂に満ちた。


トトの腹が、ぐう、と鳴った。


トト「……俺じゃない」


レオン「はっはっはっ!!今のは完全にお前だ」


レオンはそう言いながら、スープを一口味見する。


少し考え、塩をひとつまみ足した。


さらに、硬くなったパンを薄く切り、軽く焼く。

表面に少しだけ油を塗り、刻んだ香草を散らす。


ごつい見た目の男が、恐ろしく丁寧な手つきで夕飯を仕上げていく。


セシリアはその様子を見て、少しだけ目を細めた。


セシリア「……本当に手際がいいですね」


レオン「孤児院育ちだからな」


セシリア「ギルドの厨房より早いです」


レオン「褒めても書類は減らないか?」


セシリア「減りません」


レオン「そうか」


レオンは残念そうに言った。


やがて、子どもたちが食堂に集まってきた。


屋根が壊れたせいで少し騒がしかったが、湯気の立つスープが並ぶと、空気はすぐに明るくなった。


木の器に注がれた大鍋スープ。

焼き直したパン。

少しだけ甘く煮た果物。


豪華ではない。


だが、温かかった。


子どもたち「いただきます!」


子どもたちの声が揃う。


レオンは壁際に立って、それを見ていた。


子どもたちが食べる。

笑う。

熱いと言って息を吹きかける。

トトが慌てて舌を火傷し、マーサに叱られる。


それだけの光景を、レオンはしばらく黙って見ていた。


世界には魔王がいる。

国境では今日も兵が死んでいるかもしれない。

親を失う子どもは、明日もまた増えるかもしれない。


レオン一人で、そのすべてを止めることはできない。


――それでも、ここにいる子どもたちは守れる。


目の前の夕飯を温かくすることはできる。

雨漏りした屋根を直すことはできる。

泣きそうな子どもの頭を撫でることはできる。


なら、それをやる。


ただ、それだけだった。


マーサ「レオン」


マーサが声をかけた。


マーサ「食べないのかい?」


レオン「後でいい」


マーサ「作った人間が最後まで立ってるんじゃないよ。座りな」


レオン「……分かった」


レオンは素直に席についた。


その瞬間、トトが隣に座り、スープの器を抱えたまま小声で言った。


トト「ねえ、レオン兄ちゃん」


レオン「なんだ」


トト「夕飯の後、箱開けるよね?」


レオン「ああ」


トト「すごい宝だったら?」


レオン「孤児院の修理代にする」


トト「えー!」


レオン「危ない物だったら、ギルドで預かる」


トト「つまんない!」


レオン「呪われてたら?」


トトは少し考えた。


トト「う~ん……レオン兄ちゃんがなんとかする」


レオン「最初から俺任せか」


トト「だって最強だもん」


レオンはスープを口に運び、少しだけ笑った。


レオン「最強でも、屋根は落ちる」


トト「でも直せるでしょ?」


レオン「ああ」


レオンは静かに答えた。


レオン「直せるものは、直す」


夕飯が終わる頃、外では小さな雨が降り始めていた。


屋根の応急修理は間に合ったらしく、食堂に雨は落ちてこない。


子どもたちが片付けを始め、マーサが食器をまとめる。

セシリアは書類の束を守るように抱えたまま、レオンを見張っている。


そして、テーブルの上には古い金属の箱が置かれていた。


青白い文字が、さっきよりも少し強く光っている。


レオンは椅子に座り、箱の前に手を置いた。


レオン「開けるぞ」


トトが息を呑む。


マーサは静かに見つめる。

セシリアは万一に備えて、魔力封じの札を用意した。


レオンが箱の留め具に触れた瞬間、魔法文字がふっと明るくなった。


そして、箱の中から小さな声が聞こえた。


魔道具『……ひだまり孤児院の子どもたちへ』


それは、古い記録魔道具だった。


何十年も前に残された誰かの声。


食堂の空気が、一瞬で静まり返る。


トトも、マーサも、セシリアも、言葉を失った。


レオンだけが、箱を見つめたまま低くつぶやく。


レオン「……誰の声だ?」


魔道具は、かすかな光を揺らしながら、次の言葉を紡いだ。


記録魔道具『この箱を見つけた時、どうか約束を思い出してほしい』


約束。


その言葉に、マーサの表情がわずかに変わった。


レオンはそれを見逃さなかった。


――やっぱり、マーサ先生は何か知っている。


ただの屋根修理のはずだった。


ただの古い魔道具のはずだった。


けれど、ひだまり孤児院の屋根裏には、まだ誰も知らない過去が眠っていた。


レオンは静かに息を吐く。


レオン「……夕飯の後にして正解だったな」


トト「なんで?」


トトが小声で聞く。


レオンは金属の箱を見つめたまま答えた。


レオン「腹が減ったまま聞くには、少し重そうだ」


外では雨が降っている。


けれど、食堂の中は温かかった。


スープの匂いが残るその場所で、最強のギルドマスターは、孤児院の小さな事件に向き合い始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ