第十四話 古い地下水路
翌朝。
ひだまり孤児院の庭には、いつもより早くレオン・ガルディアの姿があった。
右腕にはまだ包帯が巻かれている。
肩の傷も完全には治っていない。
それでも、彼は庭の中央に立ち、静かに呼吸を整えていた。
その前には、トトがいる。
トト「……これ、本当に修行?」
レオン「ああ」
トト「立ってるだけじゃん」
レオン「立つのも修行だ」
トト「地味!」
レオン「派手な修行は、基礎ができてからだ」
トトは不満そうに頬を膨らませた。
だが、逃げようとはしなかった。
昨日の夜、レオンは約束した。
オーラの基礎だけ教える、と。
その約束を、トトは朝から楽しみにしていたのだ。
庭の端では、ガル、ユアン、エル、リリィ、ミリまで見ている。
ミナは洗濯物を干しながら、少し心配そうにこちらを見ていた。
フィリアは腕を組んで立っている。
フィリア「レオン様。無理はしないでくださいね」
レオン「教えるだけだ」
フィリア「教えるだけで傷が開く人もいます」
レオン「そんな人間はいない」
セシリア「マスターの場合はあり得ます」
いつの間にか、セシリアも庭にいた。
手には記録板。
レオン「なぜ記録している」
セシリア「トトの初回オーラ訓練記録です」
トト「俺の記録!?」
セシリア「はい。将来、問題児がどのように問題戦士へ成長するかを確認します」
トト「問題戦士って何!?」
バルド「いいじゃねぇか。強そうだぞ」
門の近くでは、バルド・ロックスが荷物をまとめていた。
今日、レオンたちは古い地下水路へ向かう。
昨日見つかった黒い紙片。
『子どもを返せ』という言葉。
マルクス商会の荷馬車。
黒い箱。
古い裏印。
それらを追えば、古い地下水路にたどり着く。
だが、その前に、レオンはトトとの約束を果たそうとしていた。
レオン「トト。オーラは、怒れば出るものじゃない」
トト「そうなの?」
レオン「ああ。怒りで一瞬だけ力が出ることはある。だが、それは危ない」
トト「じゃあ、どうするの?」
レオン「まず、自分の体を知る」
トト「体?」
レオン「足の裏が地面についている感覚。息を吸う時、胸が広がる感覚。腹に力が入る感覚。怖い時、体が固まる感覚」
トトは少しだけ黙った。
昨日、黒晶狼が窓へ飛びかかってきた時。
足が動かなかった。
怖くて、体が固まった。
その感覚は、まだ残っている。
レオン「それを知らないまま力だけ持てば、自分の力に振り回される」
トト「……昨日の俺、木の棒にも振り回されてた」
ガル「やっと認めたか」
トト「うるさい!」
レオン「だから、まず立つ。息をする。飯を食う」
ミリ「第0段階、すーぷ」
リリィ「すーぷは大事」
エル「すーぷ、強い」
レオン「……第0段階は正式にはない」
セシリア「ですが、孤児院内では定着しつつあります」
バルド「第0段階、食事。第1段階、纏気覚醒。分かりやすいじゃねぇか」
フィリア「栄養面から見れば、とても正しいです」
レオン「……もう好きにしてくれ」
トトは真剣な顔で、足を肩幅に開いた。
レオン「目を閉じるな。周りを見る」
トト「集中する時って、目を閉じるんじゃないの?」
レオン「戦場で目を閉じるな」
トト「たしかに!」
レオン「ゆっくり息を吸え。肩に力を入れるな。腹に力を集める」
トト「腹に……」
トトは言われた通りに息を吸った。
だが、力を入れすぎて顔が真っ赤になる。
トト「んんんんん!」
レオン「止めろ」
トト「ぷはっ!」
バルド「それはオーラじゃなくて我慢大会だな」
ガル「顔がトマトみたいだった」
トト「うるさい!」
レオン「力を出そうとするな。まず力を抜け」
トト「力を抜いたら強くならないじゃん」
レオン「余計な力が入っていると、必要な時に動けない」
トトは少しだけ考える。
昨日、怖くて体が固まった。
あれも、余計な力が入っていたのかもしれない。
トト「……もう一回やる」
レオン「ああ」
トトはもう一度立った。
息を吸う。
吐く。
足の裏を感じる。
腹に少しだけ力を入れる。
何かが光るわけではない。
体が急に強くなるわけでもない。
でも、さっきより少しだけ、地面にしっかり立てている気がした。
レオン「それでいい」
トト「え、これで?」
レオン「最初はそれでいい」
トト「俺、纏気覚醒できた?」
レオン「まだだ」
トト「ちぇ」
バルド「だが、昨日よりは立ち方がましだな」
トト「本当!?」
バルド「ああ。棒に振り回される前段階くらいだ」
トト「まだ振り回されるの!?」
セシリア「成長には段階があります」
レオン「焦るな」
トトは口を尖らせたが、少し嬉しそうだった。
その様子を見ていたフィリアが、そっと笑う。
フィリア「レオン様は、教えるのもお上手ですね」
レオン「そうか?」
セシリア「普段の説明よりは分かりやすいです」
レオン「普段は?」
セシリア「短すぎます」
バルド「斬れ、避けろ、死ぬな、だからな」
レオン「必要なことだ」
セシリア「必要ですが、説明ではありません」
その時、門の外から馬の足音が聞こえた。
グレン・アシュフォードが騎士団の馬に乗ってやって来る。
グレン「準備はできているか」
レオン「ああ」
グレンは庭の子どもたちを見て、少しだけ表情をやわらげる。
グレン「朝から訓練か」
トト「オーラの基礎!」
グレン「ほう」
トト「まだ纏気覚醒はできない!」
グレン「最初からできたら、こちらが困る」
トト「なんで?」
グレン「騎士団の新人が泣く」
トトは少しだけ得意そうな顔をした。
レオン「調子に乗るな」
トト「はい!」
マーサが玄関に立った。
マーサ「レオン」
レオン「なんだ」
マーサ「約束、忘れてないね?」
レオン「ああ。帰ってくる」
フィリア「無理をしない」
セシリア「単独行動しない」
グレン「勝手に突っ込まない」
バルド「俺を置いていかない」
レオン「……多いな」
マーサ「それだけ信用がないってことだよ」
レオンは何も言えなかった。
トトが一歩前に出る。
トト「レオン兄ちゃん」
レオン「なんだ」
トト「敵を見つけても、ちゃんと帰ってきてね」
レオン「ああ」
トト「それと……」
トトは少しだけ言葉に詰まった。
そして、小さな声で言った。
トト「子どもを返せってやつ、怖いから」
食堂にいた子どもたちの表情が少し沈む。
あの紙は、全員に直接見せたわけではない。
それでも、子どもたちは大人たちの空気で何かを感じ取っていた。
レオンはトトの頭に手を置いた。
レオン「返さない」
トト「うん」
レオン「誰も連れていかせない」
その声は静かだった。
だが、庭にいた全員が、その言葉を信じた。
レオンたちは、古い地下水路へ向かった。
王都南区。
古い石畳の道を進むと、商店の賑わいが少しずつ遠ざかっていく。
やがて、人気の少ない倉庫街へ入った。
湿った匂い。
古い木箱。
使われなくなった荷車。
壁に残る昔の水路標識。
セシリアが地図を確認する。
セシリア「入口はこの先です」
バルド「封鎖されてるんだよな?」
グレン「ああ。公式には二十年前から使われていない」
レオン「公式には、か」
グレン「非公式には、何者かが使っている可能性が高い」
セシリア「昨日の紙片の裏印と、黒い箱の目撃情報。すべてこの周辺に集中しています」
フィリアは今回、孤児院に残った。
治療師として、子どもたちの心と体を見守るためだ。
出発前、かなり不満そうにしていたが、マーサに「ここを頼むよ」と言われると、すぐに真面目な顔になった。
フィリアは騒がしい。
だが、任された役目は絶対に放り出さない。
それはレオンも分かっていた。
バルド「で、レオン。腕は?」
レオン「動く」
セシリア「質問の答えになっていません」
グレン「痛むのか?」
レオン「少しな」
バルド「無理すんなよ。今日は俺が前に出る」
レオン「相手による」
バルド「そういうところだぞ」
セシリア「同感です」
古い地下水路の入口は、倉庫の裏にあった。
錆びた鉄柵。
苔むした石壁。
封鎖用の鎖は古びている。
だが、鍵だけが新しかった。
セシリア「最近、取り替えられています」
グレン「王都管理局の鍵ではないな」
バルド「壊すか?」
レオン「静かに開けられるか?」
セシリア「できます」
セシリアは細い魔道具を取り出し、鍵穴に当てた。
小さく青い光が走る。
かちり、と音がした。
鍵が開く。
バルド「便利だな」
セシリア「悪用しないでください」
バルド「しねぇよ」
鉄柵をゆっくり開ける。
中から、湿った空気が流れてきた。
かすかに薬品の匂い。
獣の匂い。
そして、黒い結晶特有の嫌な魔力。
レオンは目を細めた。
第2段階、戦気感応。
彼の感覚が地下へ伸びる。
レオン「……いるな」
グレン「数は?」
レオン「小さい気配が複数。奥に、人間の気配もある」
セシリア「子どもは?」
レオン「今のところ分からない」
バルドの顔が険しくなる。
バルド「いたら助ける」
レオン「ああ」
四人は地下水路へ入った。
水路の中は薄暗かった。
壁には古い魔灯の跡があるが、ほとんど壊れている。
足元には浅い水が流れ、歩くたびに小さな音が響く。
セシリアが小型の魔灯を浮かべた。
淡い光が石壁を照らす。
バルド「嫌な場所だな」
グレン「見通しが悪い」
レオン「ああ。待ち伏せ向きだ」
その言葉の直後。
水路の横穴から、黒い影が飛び出した。
黒晶鼠。
旧水路跡で見たものと同じ種類。
しかし今回は、背中の結晶が大きい。
セシリア「右!」
バルドが大斧の柄で打ち払う。
黒晶鼠は壁に叩きつけられたが、すぐに起き上がる。
バルド「硬ぇな!」
レオン「結晶だ」
レオンの剣が走る。
第3段階、刃気纏装。
灰色のオーラをまとった刃が、黒晶鼠の背中の結晶だけを砕く。
黒晶鼠は力を失って倒れた。
だが、さらに奥から音がする。
かさかさ。
かりかり。
水を跳ねる音。
セシリア「複数来ます!」
横穴から、黒晶鼠が次々に現れた。
五体。
十体。
十五体。
バルド「多いな!」
グレン「後方を守る!」
グレンが盾を構え、後ろから回り込もうとした黒晶鼠を受け止める。
バルドは前へ出た。
大斧に赤銅色のオーラが宿る。
第3段階、刃気纏装。
バルド「まとめて散れ!」
大斧が横薙ぎに振るわれる。
三体の黒晶鼠がまとめて吹き飛び、背中の結晶が砕けた。
セシリアは封印札を水面に投げる。
セシリア「封鎖!」
札から青白い線が広がり、水路の一部を魔法陣のように覆う。
そこへ踏み込んだ黒晶鼠の動きが鈍る。
レオン「助かる」
レオンは一歩進み、剣を低く払った。
灰色の斬撃が水面を走る。
第4段階、裂空闘気。
水しぶきとともに、黒晶鼠の結晶がまとめて砕けた。
グレン「見事だ」
レオン「奥の気配が動いた。急ぐぞ」
バルド「おう!」
四人は黒晶鼠の群れを突破し、さらに奥へ進んだ。
やがて、水路は広い空間へ出た。
地下の貯水槽だった。
天井は高く、中央には古い水溜まりがある。
その周囲には、木箱が積まれていた。
黒い布で包まれた箱。
鉄の檻。
薬瓶。
魔法陣の描かれた床。
セシリアの顔が険しくなる。
セシリア「ここで作業していたようですね」
グレン「黒晶獣の加工場か」
バルド「胸くそ悪いな」
レオンは木箱の一つに近づき、布をめくった。
中には、削られた黒い結晶がいくつも入っていた。
形を整えられ、獣の体に埋め込みやすいよう加工されている。
セシリア「証拠として十分です」
グレン「騎士団を呼ぶ」
レオン「待て」
レオンは奥を見る。
貯水槽の向こう側。
石柱の陰に、人影があった。
黒い外套を着た男。
顔の半分を布で隠している。
男「さすが、王威覚醒の戦士。思ったより早い」
バルド「昨日逃げた奴か」
男「昨日は挨拶だけのつもりだった」
グレン「お前は何者だ」
男は小さく笑った。
男「名乗るほどの者ではない。ただ、回収係だ」
レオン「子どもを返せと書いたのはお前か」
男「伝言を置いただけだ」
レオンの目が静かに冷える。
レオン「誰の伝言だ」
男「子どもたちの所有者だ」
その瞬間。
空気が変わった。
バルドの顔から笑みが消える。
グレンが剣に手をかける。
セシリアの指が封印札に伸びる。
レオンは、ただ男を見ていた。
怒鳴らない。
斬りかからない。
だが、その場の空気が重くなる。
レオンの体から、静かなオーラが広がった。
覇圧領域。
男の肩がわずかに沈む。
男「……なるほど。これが武王クラス」
レオン「子どもに所有者はいない」
男「きれいごとだ」
レオン「もう一度言う」
レオンの声は低かった。
「子どもに、所有者はいない」
男は少しだけ黙った。
それから肩をすくめる。
男「では、返してもらうのは諦めるしかないか」
バルド「随分あっさりしてんな」
男「代わりはいくらでもいる」
バルド「てめぇ」
男が指を鳴らした。
貯水槽の奥で、鉄の檻が揺れる。
中にいた何かが、ゆっくり起き上がった。
それは狼でも猪でも鼠でもなかった。
人型に近い。
だが、人間ではない。
痩せた獣のような体。
長い腕。
背中に埋め込まれた大きな黒い結晶。
顔には鉄の仮面のようなものがつけられている。
セシリア「これは……」
グレン「人型の黒晶獣か」
男「失敗作だ。だが、足止めくらいにはなる」
レオン「人間か?」
男「元は、何だったかな」
その言葉で、レオンの瞳が完全に冷えた。
バルド「レオン」
レオン「分かっている」
男がもう一度指を鳴らす。
檻が開く。
人型の黒晶獣が飛び出した。
速い。
黒晶狼よりも速い。
一瞬でバルドの前に迫る。
バルド「っ!」
バルドは大斧で受ける。
衝撃。
バルドの体が後ろへ押された。
バルド「重ぇ!」
グレンが横から斬りかかる。
だが、人型黒晶獣は体をひねってかわし、長い腕でグレンの盾を叩いた。
盾が大きく揺れる。
グレン「力も速さもある!」
セシリア「背中の結晶が中心です! ただし、体内にも細かい結晶反応!」
レオン「殺すな」
バルド「分かってる!」
人型黒晶獣がレオンへ向かって突っ込む。
レオンは剣を構えた。
第2段階、戦気感応。
相手の動き、殺気、重心を読む。
だが、違和感があった。
殺気が薄い。
本能で暴れているのではない。
操られている。
レオン「やはり、意思がないか」
人型黒晶獣の腕が迫る。
レオンは半歩ずれ、腕を剣の腹で受け流す。
王威覚醒。
格下の攻撃を無意識に受け流す力。
だが、相手の力は強い。
レオンの傷ついた右腕に衝撃が響く。
フィリアに怒られるな、と一瞬だけ思った。
すぐに意識を戻す。
レオン「セシリア、止められるか」
セシリア「一瞬なら!」
セシリアが封印札を三枚同時に投げる。
札が人型黒晶獣の足元、腕、背中に貼りつく。
セシリア「停止!」
黒晶獣の動きが止まった。
ほんの一瞬。
レオンは踏み込む。
狙いは背中の結晶。
刃気纏装をまとった剣が、黒い結晶に食い込む。
だが、硬い。
レオン「深いな」
男「それは特別製だ」
男は後ろへ下がりながら笑った。
「その結晶は、禁忌の森から持ち出したものだ」
セシリア「禁忌の森……!」
レオン「大蜘蛛の魔紋と同じか」
男「よく分かったな」
バルド「しゃべってる暇があると思うなよ!」
バルドが男へ向かおうとする。
だが、足元から黒晶鼠が飛び出した。
バルド「邪魔だ!」
大斧が振られ、黒晶鼠が吹き飛ぶ。
その隙に、男はさらに奥の通路へ下がった。
グレン「逃がすな!」
レオン「グレン、男を追え! セシリア、援護!」
グレン「了解!」
セシリア「はい!」
グレンとセシリアが男を追う。
レオンとバルドは人型黒晶獣を止める。
人型黒晶獣が封印を破った。
咆哮。
それは獣の声のようで、どこか人の悲鳴にも聞こえた。
バルド「……嫌な声だ」
レオン「ああ」
人型黒晶獣が再び襲いかかる。
レオンは攻撃を受け流し、バルドが横から脚を狙う。
バルド「第7は使うなって顔してるな!」
レオン「使うな」
バルド「分かってる。昨日の反動がまだ残ってるしな!」
バルドは鬼神解放を使わない。
その代わり、基礎の力で戦う。
纏気覚醒で体を強化し、刃気纏装で大斧を強める。
荒々しいが、確実な動き。
人型黒晶獣の脚を止める。
レオンはその隙に背中へ回り込む。
だが、人型黒晶獣の体が不自然にねじれた。
背中を守るように、腕が伸びる。
レオン「操られているのに、防御反応はあるのか」
バルド「面倒だな!」
その時。
貯水槽の奥で爆発音がした。
セシリア「マスター!」
レオン「どうした!」
奥の通路から、煙が流れてくる。
グレンが戻ってきた。
肩に軽い傷を負っている。
グレン「逃げられた。通路を爆破された」
セシリアも続いて戻る。
手には、焦げた布の一部を握っていた。
セシリア「ですが、これを」
黒い外套の切れ端。
そこには、あの裏印とは別の刺繍があった。
赤い糸で縫われた、小さな角の紋章。
レオン「後で見る」
セシリア「はい」
人型黒晶獣が再び動く。
男が逃げたことで、制御が乱れているのか、動きがさらに荒くなっていた。
グレン「止めるぞ!」
バルド「ああ!」
セシリア「マスター、結晶の根元に制御核があります!」
レオン「見えるか」
セシリア「背中の結晶の下、少し左です!」
レオンは息を整えた。
傷は痛む。
右腕は重い。
だが、まだ動く。
彼は剣を構え直した。
レオン「バルド、グレン。三秒止めろ」
バルド「三秒か」
グレン「十分だ」
バルドとグレンが同時に前へ出る。
バルドが大斧で右腕を押さえる。
グレンが盾で左腕を受ける。
人型黒晶獣が暴れる。
二人の足が水路の床を削る。
バルド「一秒!」
グレン「二秒!」
セシリアが封印札を投げる。
セシリア「三秒!」
その瞬間、レオンが動いた。
彼の体から灰色のオーラが広がる。
王威覚醒。
攻撃の隙間を抜け、最短で背後へ回る。
剣に、静かな灰色の光が宿る。
レオン「灰断」
刃が背中の結晶の根元を斬った。
黒い光が弾ける。
人型黒晶獣が大きく震えた。
だが、レオンは止まらない。
剣の角度を変え、制御核だけを斬り離す。
黒い結晶が背中から外れ、床に落ちた。
人型黒晶獣の体から力が抜ける。
そのまま、崩れるように倒れた。
バルドが支える。
バルド「おい、生きてるか?」
セシリアがすぐに駆け寄る。
魔道具を当て、反応を見る。
セシリア「……生命反応はありません」
沈黙。
重い沈黙だった。
元が人間だったのか。
獣だったのか。
それすら、今は分からない。
だが、誰かがこれを作った。
誰かが、命を材料のように扱った。
レオンは剣を下ろす。
声は静かだった。
レオン「証拠を回収する」
バルド「ああ」
グレン「騎士団を呼ぶ。ここは完全に封鎖する」
セシリア「この場所の記録を取ります。黒い結晶、薬瓶、檻、魔法陣、すべて証拠になります」
レオンは人型黒晶獣の残骸を見た。
その胸元に、小さな布切れが残っていた。
古びた布。
子ども用の服の一部にも見える。
レオンはそっとそれを拾う。
バルド「レオン」
レオン「……分かっている」
怒りで動くな。
今は証拠を集める時だ。
剣で済むなら簡単だ。
問題は、剣じゃ済まない時だ。
レオンは布切れを握りしめた。
地下水路の奥で、黒い水が静かに流れていた。
その日の夕方。
レオンたちは孤児院へ戻った。
フィリアが玄関で待っていた。
フィリア「レオン様!」
レオン「ただいま」
フィリア「怪我は?」
レオン「増えていない」
セシリア「右腕に負担がかかっています」
レオン「増えてはいない」
フィリア「座ってください」
レオン「……はい」
トトが食堂から飛び出してくる。
トト「レオン兄ちゃん! どうだった!?」
レオンはすぐには答えなかった。
トトの目は、不安と期待が混ざっている。
ガルも、ユアンも、エルも、ミリも、リリィも見ている。
レオン「証拠は見つけた」
トト「悪いやつ、捕まえた?」
レオン「一人は逃げた」
トト「そっか……」
レオン「だが、近づいた」
トト「近づいた?」
レオン「ああ。もう隠れたままではいられない」
マーサが静かに言った。
マーサ「夕飯にしよう」
レオンはマーサを見る。
マーサ「怖い話は、温かいものを食べてからだよ」
レオンは小さくうなずいた。
食堂には、いつものようにスープの匂いが満ちていた。
地下水路の闇。
黒い結晶。
逃げた男。
赤い角の紋章。
まだ問題は終わっていない。
むしろ、ようやく敵の輪郭が見え始めただけだ。
それでも今は、子どもたちが食卓につく。
それが大事だった。
レオンは椅子に座る。
フィリアが包帯を確認しながら、少し怒った顔をしている。
トトは隣で、スプーンを握っていた。
トト「レオン兄ちゃん」
レオン「なんだ」
トト「俺、今日ちゃんと立つ練習した」
レオン「ああ」
トト「明日もやる」
レオン「続けろ」
トト「うん」
ミリ「第0段階、すーぷ」
リリィ「すーぷ」
エル「今日は強くなるすーぷ」
ユアン「それなら食べる」
ガル「俺も」
マーサ「全員、ちゃんと食べな」
食堂に小さな笑いが戻る。
レオンは温かいスープを口に運んだ。
そして、心の中で静かに誓った。
――あの地下にいたものを作った連中を、必ず見つける。
ただ倒すだけではない。
証拠を集め、逃げ道を塞ぎ、子どもたちに二度と手を伸ばせないようにする。
剣だけでは済まない。
だからこそ、やる。
その夜。
王都南区のさらに奥。
暗い部屋の中で、黒い外套の男が膝をついていた。
男「地下水路の拠点は失いました」
奥の椅子に座る人物は、顔を見せない。
ただ、指先で黒い結晶を弄んでいる。
???「構わない。あそこは試験場の一つにすぎない」
男「王威覚醒の戦士が動いています」
???「レオン・ガルディアか」
その声は、低く笑った。
???「ならば、ちょうどいい」
男「どういう意味ですか」
???「第9段階の器を持つ戦士。あれほどの素材は、そう簡単には見つからない」
男は顔を上げた。
???「子どもたちも、黒晶獣も、すべては実験だ」
黒い結晶が、指先で鈍く光る。
???「次は、武王の器を試す」
暗い部屋に、静かな笑い声が落ちた。




