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第十三話 黒い欠片の行方


ひだまり孤児院の朝は、いつもより少し静かだった。


昨日、黒晶獣が襲ってきた庭には、まだ戦いの跡が残っている。


崩れた外壁。

爪痕の残った地面。

砕けた門柱の石。

そして、セシリアが回収しきれなかった細かな黒い結晶の粉。


それでも、食堂からはスープの匂いがしていた。


マーサ「ほら、ぼんやりしてないで食べな」


トト「食べてるよ」


マーサ「スプーンが止まってる」


トト「考えてた」


ガル「珍しいな」


トト「俺だって考えるよ!」


ミナ「何を考えてたの?」


トトは少しだけ黙った。


そして、木のスプーンを握りしめる。


トト「オーラのこと」


食堂の空気が少し変わった。


昨日、トトは黒晶狼に狙われた。

窓の前まで魔物が迫り、フィリアの守護光がなければ危なかった。


その時、トトは動けなかった。


怖くて、足がすくんだ。


そして同時に、見てしまった。


レオンの背中を。


黒晶猪が放った重い圧を、レオンのオーラが押し返した瞬間を。


あれはただの力ではなかった。


怖さを消してくれる力だった。


ガル「オーラって、昨日レオンが使ってたやつか」


トト「うん」


ユアン「第……何段階って言ってた」


ミナ「纏気覚醒とか、戦気感応とか?」


トト「そう! それ!」


リリィ「第0段階、すーぷ」


ミリ「すーぷ!」


トト「それは昨日の冗談!」


マーサ「でも、腹が減ってたら何もできないよ」


フィリア「それは本当に大事です。栄養不足ではオーラどころか、普通の運動も危険です」


食堂の隅で、フィリア・ローレンスが健康管理表を書きながら言った。


彼女は昨日の襲撃後、そのまま孤児院に残っていた。


レオンの治療。

子どもたちの心の確認。

ミリの体調確認。

そして、全員の睡眠状態の記録。


忙しそうなのに、なぜかとても生き生きしている。


トト「じゃあ俺、いっぱい食べたら第1段階できる?」


フィリア「急には無理です」


トト「即答!」


マーサ「まずは毎日ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと勉強だね」


トト「勉強も?」


ガル「冒険者って大変だな」


ユアン「依頼書読めないと危ないって言ってた」


トト「ユアンまで……」


エル「トト、字、練習した方がいい」


トト「エルも!?」


リリィ「猫もそう言ってる」


トト「猫にも言われた!」


食堂に小さな笑いが起きる。


しかし、その笑いはすぐに静かになった。


玄関の扉が開いたからだ。


レオン・ガルディアが入ってきた。


右腕には包帯。

肩にも治療用の布が巻かれている。

顔色は悪くないが、いつものように万全ではない。


フィリアが即座に立ち上がった。


フィリア「レオン様」


レオン「大丈夫だ」


フィリア「まだ何も言っていません」


セシリア「大丈夫と言う時点で、大丈夫ではない可能性が高いですね」


レオンの後ろから、セシリア・ノートも入ってきた。


手には記録板。

目の下には少しだけ疲れが見える。


トト「レオン兄ちゃん!」


レオン「ああ」


マーサ「朝食は?」


レオン「ギルドで食べた」


セシリア「食べていません」


レオン「……食べる予定だった」


マーサ「座りな」


レオン「いや、今日は話があって」


マーサ「座りな」


レオン「……はい」


レオンは大人しく椅子に座った。


トトが小声でガルに言う。


トト「マーサ先生、覇圧領域使えるんじゃない?」


ガル「第6段階だな」


セシリア「マーサ先生の場合、段階ではなく年季です」


マーサ「聞こえてるよ」


セシリア「失礼しました」


レオンの前に、温かいスープが置かれた。


レオンは一口飲む。


少しだけ表情がやわらいだ。


フィリア「食事量、記録します」


レオン「記録しなくていい」


フィリア「必要です」


レオン「……分かった」


トト「レオン兄ちゃん、要観察だからね」


レオン「その言葉も忘れろ」


ミリ「ぴこん組」


レオン「それもだ」


みんな「「「ハハハハハ!」」」


食堂にまた笑いが戻る。


だが、レオンの目はすぐに真面目なものへ変わった。


セシリアも記録板を開く。


レオン「昨日の黒晶獣について話す」


食堂が静かになった。


子どもたちも、自然と背筋を伸ばす。


レオン「騎士団とギルドで、残骸を調べた。あれは自然に発生した魔物じゃない」


マーサ「やっぱりかい」


セシリア「黒い結晶は、魔物の体に後から埋め込まれたものです。結晶が魔力を流し、獣を凶暴化させていました」


ガル「誰かが作ったってことかよ」


レオン「ああその通りだ」


ユアンの顔が強ばる。


エルもスプーンを握る手に力を入れた。


第七倉庫。

逃げてきた子どもたち。

黒い結晶。


それらが、少しずつ繋がろうとしている。


フィリア「それで、出どころは分かったのですか?」


セシリア「完全には。ただ、欠片に加工痕がありました」


トト「加工痕?」


セシリア「誰かが削り、形を整え、魔物に埋め込みやすいようにしていた痕です」


トト「うわ……」


レオン「それと、結晶を包んでいた布が見つかった」


セシリアは小さな布片を机に置いた。


焦げて黒ずんでいるが、端に薄い刺繍が残っている。


それを見た瞬間、エルの顔が変わった。


エル「……それ」


レオン「見覚えがあるか」


エルは少し震えながらうなずいた。


エル「暗い倉庫で、見た。荷物に、ついてた」


ユアン「俺も見た」


レオンはユアンを見る。


ユアン「商会の人が、黒い箱を運んでた。その布で包んでた」


セシリア「……マルクス商会ですね」


食堂の空気が重くなる。


マルクス商会。


王都で食料や薬を扱う有力商会。

表向きは立派な商人。

だが、第七倉庫の事件で、子どもを荷物のように扱っていた疑いが濃くなっている。


そして今度は、黒い結晶。


レオン「まだ決めつけはしない」


ガル「でも、怪しいだろ」


レオン「ああ。怪しい」


セシリア「だからこそ、証拠が必要です」


フィリア「治療院の薬を粗悪品とすり替えようとした噂もあります。私の方でも確認します」


マーサ「フィリア、無理はしないんだよ」


フィリア「はい。無理はしません」


セシリア「レオン様のために無茶をする、という顔をしています」


フィリア「子どもたちのためでもあります!」


レオン「どちらでも、無茶はするな」


フィリア「はい!」


フィリアは嬉しそうに返事をした。


セシリア「今の返事も少し怪しいですね」


レオンはスープを飲み終え、椅子から立ち上がろうとした。


フィリア「まだ座っていてください」


レオン「調査に行く」


フィリア「昨日の今日で?」


セシリア「私も反対です」


レオン「時間を置けば、証拠が消える」


マーサ「それで傷を悪化させたら、子どもたちが心配するよ」


レオンは止まった。


トトが、じっとレオンを見ている。


エルも。

ユアンも。

ミリも。

ガルもミナもリリィも。


レオンは小さく息を吐いた。


レオン「……分かった。俺は表には出ない」


セシリア「本当ですか?」


レオン「指示は出す」


フィリア「動かないのですね?」


レオン「動かない」


フィリア「信じます」


セシリア「私は信じません」


レオン「なぜだ」


セシリア「積み重ねです」


その頃、王都冒険者ギルドでは、バルド・ロックスがすでに動いていた。


彼は南市場の倉庫街へ向かい、古い知り合いの荷運び人たちに話を聞いていた。


バルド「最近、黒い箱を運んだ奴はいないか?」


荷運び人「黒い箱?」


バルド「ああ。やたら重くて、布で包まれてるやつだ」


荷運び人は少し考えた。


荷運び人「……そういや、三日前に見たな」


バルド「どこで」


荷運び人「南市場の裏道だ。マルクス商会の荷馬車だったと思う」


バルド「中身は?」


荷運び人「知らねぇよ。聞いたら怒鳴られた。『触るな、これは薬材だ』ってな」


バルド「薬材ねぇ」


荷運び人「でもよ、変だったぜ」


バルド「何が」


荷運び人は声を落とした。


荷運び人「箱の中から、獣の唸り声がした」


バルドの目が細くなる。


荷運び人「俺は聞いてねぇことにした。ああいう商会の荷には、関わらない方が長生きできるからな」


バルド「賢いな」


荷運び人「で、お前は関わるのか?」


バルド「俺はあいにく、馬鹿なんでな」


バルドは大斧を肩に担ぎ直した。


「黒い箱」


「薬材」


「獣の唸り声」


かなり近い。


バルドはその情報を持って、ギルドへ戻ろうとした。


その時、路地の奥で何かが動いた。


小さな影。


鼠にしては大きい。


犬にしては低い。


バルド「……またか」


路地の影から現れたのは、黒い結晶を背中に生やした小型の獣だった。


黒晶鼠。


旧水路跡で見たものと同じ種類。


だが、今度は一体ではない。


三体。


バルド「俺一人の時に出るなよ」


黒晶鼠が一斉に飛びかかる。


バルドは大斧を抜かず、柄だけで一体目を打ち払った。


ばきん、と黒い結晶が割れる。


二体目が足元を狙う。


バルドは片足を上げ、踏みつける。


三体目が壁を蹴って背後へ回る。


バルド「甘ぇ」


彼の体から、赤銅色のオーラが立ち上る。


第2段階、戦気感応。


背後の殺気を感じ取り、振り向かずに大斧の柄を振る。


三体目の黒晶鼠が壁に叩きつけられた。


バルド「小物相手に鬼神解放なんぞ使ってられるか」


大斧の刃にオーラが宿る。


第3段階、刃気纏装。


軽く振るだけで、黒い結晶だけが砕けた。


黒晶鼠たちは力を失い、動かなくなる。


バルドはしゃがみ込み、欠片を拾った。


バルド「……こいつら、見張りか?」


その瞬間、路地の奥で人影が動いた。


バルド「おい」


人影はすぐに逃げ出した。


黒い外套。

顔は見えない。


バルド「逃がすかよ!」


バルドは地面を蹴った。


だが、その人影は細い路地に慣れているのか、驚くほど速かった。


曲がり角を抜け、屋台の間をすり抜ける。


バルド「ちっ、足が速ぇな!」


通行人が悲鳴を上げる。


バルドはぶつからないように速度を落とすしかなかった。


その隙に、人影は古い倉庫の裏へ消えた。


追いついた時には、もう姿はなかった。


残っていたのは、小さな紙片だけ。


バルドはそれを拾った。


そこには、奇妙な印が押されていた。


黒い円の中に、割れた角のような模様。


バルド「……なんだ、こりゃ」


その日の午後。


バルドはひだまり孤児院へ戻ってきた。


レオンは食堂の机に地図を広げていた。


セシリアも隣で記録を取っている。


フィリアはレオンが勝手に外へ出ないよう、少し離れた席から見張っていた。


バルド「戻ったぞ」


トト「バルドのおっちゃん!」


バルド「兄貴だ」


トト「おっちゃん!」


バルド「もういい」


レオン「何か分かったか」


バルド「ああ。黒い箱がマルクス商会の荷馬車で運ばれていた。中から獣の唸り声がしたらしい」


セシリア「やはり、魔物を運んでいた可能性がありますね」


バルド「それと、黒晶鼠に襲われた」


フィリア「怪我は?」


バルド「してねぇ」


フィリア「後で確認します」


バルド「俺もか」


レオン「お前も要観察だ」


バルド「お前に言われるのは納得いかねぇ」


セシリア「紙片は?」


バルドは机に紙片を置いた。


黒い円。

割れた角のような印。


セシリアの表情が変わった。


セシリア「これは……商会印ではありません」


レオン「知っているのか」


セシリア「古い禁制魔具の取引で使われる、裏印に似ています」


マーサ「裏印?」


セシリア「正式な商会名を使えない品を、闇取引で識別するための印です」


フィリア「つまり、マルクス商会だけではない?」


セシリア「はい。背後に別の組織がいる可能性があります」


トト「別の悪い奴?」


レオン「ああ」


トト「じゃあ、マルクス商会の人も悪い奴に使われてるの?」


レオンは少しだけ黙った。


トトの問いは単純だが、正しい。


悪事には、命令する者と、実行する者がいる。

金で動く者もいれば、脅されて動く者もいる。


すべてを同じように斬ればいいわけではない。


レオン「それも調べる」


トト「大変だね」


レオン「ああ」


トト「剣で済まない時ってやつ?」


レオンは少しだけ目を細めた。


トトは、レオンの口癖を覚えていた。


レオン「ああ。剣で済むなら簡単だ。問題は、剣じゃ済まない時だ」


フィリア「レオン様……」


セシリア「ここで惚れ直さないでください」


フィリア「無理です」


マーサ「忙しい子だね」


セシリアは地図の一点を指した。


セシリア「黒い箱が目撃された南市場裏道。第七倉庫。旧水路跡。昨日の襲撃地点」


地図の上に印がつけられていく。


それらを線で結ぶと、ある場所が浮かび上がった。


王都南区の古い地下水路入口。


セシリア「すべての中間に、ここがあります」


バルド「また水路か」


レオン「旧水路跡とは別か?」


セシリア「はい。こちらはさらに古い地下水路です。現在は封鎖されています」


フィリア「封鎖されている場所を、商会が使っている可能性が?」


セシリア「十分あります」


レオンは地図を見つめた。


古い地下水路。


黒い結晶。


魔物の加工。


そして、孤児院への襲撃。


レオン「明日、調べる」


フィリア「明日ですか?」


レオン「今日は動かない」


フィリア「本当に?」


レオン「ああ」


フィリア「約束です」


レオン「約束する」


トト「レオン兄ちゃん、俺も行く!」


レオン「駄目だ」


トト「まだ何も」


レオン「言った」


トト「言ったけど!」


レオン「地下水路は危険だ。黒晶獣がいる可能性もある」


トト「でも、俺もオーラの勉強したい!」


レオン「勉強ならここでできる」


トト「え?」


レオン「明日の朝、基礎だけ教える」


トトの目が輝いた。


トト「本当!?」


レオン「ああ。ただし、剣は持たない」


トト「じゃあ何するの?」


レオン「立つ。呼吸する。飯を食う」


トト「地味!」


バルド「第0段階、食事だな」


ミリ「すーぷ」


リリィ「すーぷ段階」


エル「強くなる?」


マーサ「ちゃんと食べた子は強くなるよ」


トト「じゃあ食べる!」


セシリア「分かりやすいですね」


フィリア「成長には栄養が必要です。私も協力します」


トト「ぴこんは?」


フィリア「必要なら」


トト「やっぱり!」


食堂に笑いが広がった。


しかし、机の上の地図には、重い現実が残っている。


古い地下水路。


そこに、黒い結晶の手がかりがある。


その夜。


子どもたちが眠った後、レオンは一人、食堂の窓際に立っていた。


月明かりが庭を照らしている。


崩れた外壁は、応急修理だけ済ませてある。

明日以降、本格的に直す必要がある。


レオンの右腕には、まだ包帯が巻かれていた。


フィリア「また起きていましたね」


背後から声がした。


レオンは振り返らない。


レオン「眠れなかった」


フィリア「痛みますか?」


レオン「少しな」


フィリアは隣に立ち、包帯を見る。


フィリア「黒い魔力はだいぶ抜けました。でも、明日は無理をしないでください」


レオン「努力する」


フィリア「その返事は信用しません」


レオン「セシリアみたいになってきたな」


フィリア「必要なら、なります」


レオンは少しだけ笑った。


フィリアは窓の外を見る。


フィリア「怖いですね」


レオン「黒い結晶か」


フィリア「それもあります。でも、それだけではありません」


レオン「何がだ」


フィリア「子どもたちが、怖いことに慣れてしまうことです」


レオンは黙った。


フィリア「エルちゃんも、ユアンくんも、ミリちゃんも、怖い目に遭っています。トトくんも昨日、本当に怖がっていました。でも、子どもはすぐ笑おうとします」


フィリアの声は静かだった。


「元気になったように見えても、本当は心の奥で震えていることがあります」


レオン「……分かっている」


フィリア「だから、守るだけじゃなくて、安心できる日常を続けることも必要です」


レオンは庭を見た。


壊れた外壁。

門。

洗濯物を干す竿。

トトが木の棒で描いた変な線。


守るとは、敵を倒すだけではない。


この庭に、明日も子どもたちが出られるようにすること。

食堂でスープを飲めるようにすること。

夜、眠れるようにすること。


それもまた、戦いだ。


レオン「フィリア」


フィリア「はい」


レオン「ここに来てくれて助かっている」


フィリアは一瞬で赤くなった。


フィリア「レ、レオン様が……そんな……夜に……二人きりで……」


レオン「治癒師としてだ」


フィリア「分かっています! でも嬉しいです!」


レオン「声が大きい。子どもが起きる」


フィリア「あっ、すみません」


二人は少しだけ黙った。


やがて、フィリアが小さく笑う。


フィリア「明日、気をつけてくださいね」


レオン「ああ」


フィリア「必ず帰ってきてください」


レオン「帰る」


フィリア「約束です」


レオン「約束する」


フィリアは安心したようにうなずいた。


その時。


庭の隅で、何かが小さく光った。


レオンの目が細くなる。


フィリア「今、何か……」


レオン「下がれ」


レオンは静かに窓を開け、庭へ出た。


月明かりの下、崩れた外壁の近くに、小さな黒い欠片が落ちていた。


昨日の戦闘で残ったものではない。


欠片の下に、紙が挟まれている。


レオンは慎重に拾い上げた。


そこには、短い文字が書かれていた。


『子どもを返せ』


フィリアが息を呑む。


レオンの表情が消えた。


怒鳴らない。

剣も抜かない。


ただ、静かに目が冷たくなる。


レオン「……そうか」


声が低く落ちる。


フィリアは知っていた。


これは、レオンが本気で怒る前の声だ。


レオンは紙を握りしめた。


黒い欠片が、月明かりの下で鈍く光る。


ひだまり孤児院のすぐそばまで、敵の手は届いていた。


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