第十一話 ひだまり健康大作戦
ひだまり孤児院に、朝から妙な緊張が走っていた。
原因は一つ。
食堂の壁に貼られた、一枚の紙である。
そこには、大きな文字でこう書かれていた。
『第一回 ひだまり健康大作戦』
トト「……なにこれ」
ガル「嫌な予感しかしねぇ」
ミナ「健康大作戦……?」
リリィ「作戦」
エル「戦うの?」
ユアン「誰と?」
ミリ「すーぷ?」
子どもたちが食堂の前で固まっていると、台所からフィリア・ローレンスが現れた。
白い治癒師服に、ひだまり孤児院用のエプロン。
手には小さな木の板と、羽ペン。
顔には朝から元気いっぱいの笑顔。
フィリア「皆さん、おはようございます!」
子どもたち「おはようございます……」
声が小さい。
フィリア「今日は、ひだまり孤児院のみんながもっと元気に過ごせるように、健康確認をします!」
トト「健康確認?」
フィリア「はい。身長、体重、体温、食事量、睡眠、手洗い、歯磨き、爪の長さを確認します」
トト「多い!」
ガル「逃げるか」
マーサ「逃げたら朝食抜きだよ」
ガル「やります」
決断が早かった。
トト「ガル、裏切ったな!」
ガル「飯には勝てねぇ」
リリィ「飯は強い」
マーサは腕を組みながら、食堂の入口に立っていた。
マーサ「フィリアがせっかく見てくれるんだ。みんな、ちゃんと受けな」
トト「でも、爪見るの怖い」
フィリア「切るだけですよ」
トト「それが怖い!」
ミナ「トト、子どもみたい」
トト「子どもだよ!」
ユアン「正しい」
エル「うん」
トト「正しいけど味方がいない!」
フィリアはにこにこしながら、木板を構えた。
フィリア「では、まずトトくんから」
トト「なんで俺から!?」
セシリア「代表だからです」
トト「いたの!?」
食堂の隅には、セシリア・ノートが当然のように立っていた。
手には書類板。
表情はいつも通り冷静。
セシリア「健康管理表の作成を手伝います」
トト「ギルドの人だよね!?」
セシリア「今日は孤児院の記録係です」
ガル「逃げ場がねぇ」
ミナ「ちゃんとやればすぐ終わるよ」
トト「そう言って終わった試しがない!」
フィリア「トトくん、こちらへ」
トトはゆっくり椅子に座った。
まるで魔王城に連れていかれる勇者のような顔だった。
フィリア「まず体温です」
トト「痛くない?」
フィリア「痛くありません」
トト「ほんと?」
フィリア「本当です」
トト「大人は本当って言う」
エル「それ、私の台詞」
トト「あ、ごめん」
フィリアは小さな魔道具をトトの額に近づけた。
ぴこん、と音が鳴る。
トト「うわっ!」
フィリア「平熱ですね」
トト「今ので寿命縮んだ」
セシリア「縮んでいません」
フィリア「次は手を見ます」
トト「手?」
フィリア「はい」
トトはおそるおそる手を出した。
フィリアはその手を見て、にこりと笑った。
フィリア「爪の間に泥がありますね」
トト「昨日の泥かも」
マーサ「昨日も今日も同じことを言ってるね」
トト「泥にも歴史があるから」
セシリア「洗い流してください」
フィリア「あとで爪を切ります」
トト「やっぱり!」
ガル「処刑宣告みたいな顔すんな」
トト「爪切りは敵だ」
リリィ「爪切り、ちょきんってする」
トト「その音が怖い!」
ミリ「ちょきん」
トト「ミリまで!」
次はガルの番だった。
ガルは腕を組み、平気そうな顔で座った。
ガル「俺は問題ない」
フィリア「では膝を見せてください」
ガル「なんでだよ」
フィリア「歩き方が少しだけかばっています」
ガル「……気のせいだ」
マーサ「ガル」
ガル「見せます」
やはり決断が早かった。
フィリアが膝を見ると、古い傷跡が少し赤くなっていた。
フィリア「無理に走りましたね?」
ガル「走ってねぇ」
ミナ「昨日、トトと追いかけっこしてた」
トト「俺のせい!?」
ガル「言うなよ!」
ミナ「健康確認だから」
フィリア「今日は走るの禁止です」
ガル「は?」
フィリア「禁止です」
ガル「……ちぇ」
トト「ガル、走れないの?」
ガル「お前、今ちょっと嬉しそうだな」
トト「全然!」
ガル「顔に出てる」
セシリア「トトは顔に出ます」
トト「みんな、俺の顔読みすぎ!」
次はリリィだった。
リリィは静かに椅子へ座った。
フィリア「リリィちゃん、最近眠れていますか?」
リリィ「猫と話してた」
フィリア「夜に?」
リリィ「うん」
フィリア「寝ましょう」
リリィ「猫も?」
フィリア「猫も、できれば」
リリィ「わかった。猫に言う」
フィリアは少しだけ困った顔をした。
セシリア「猫への健康指導も必要になりましたね」
フィリア「対象が増えました」
マーサ「この孤児院は、人間以外も増えるからね」
トト「前に変な鳥も来たよね」
ガル「あれはお前が拾ってきたんだろ」
トト「拾ったんじゃない。ついてきた」
セシリア「結果は同じです」
リリィは真剣な顔で言った。
リリィ「猫も手洗いする?」
フィリア「猫は……足を舐めますね」
トト「ずるい!」
マーサ「トトも舐める気かい?」
トト「やりません!」
健康確認は順調に進んだ。
エルは少し緊張していたが、フィリアが無理に触らないので、最後まで座っていられた。
ユアンはミリの状態を何度も確認していた。
ミリは体温を測る魔道具の音が気に入り、三回も測りたがった。
ミリ「ぴこん」
フィリア「もう測りましたよ」
ミリ「もう一回」
フィリア「熱はありません」
ミリ「ぴこん」
フィリア「……では、最後に一回だけ」
ミリ「やった」
セシリア「完全に遊びになっていますね」
フィリア「健康確認への恐怖がなくなるなら、少しは」
マーサ「いいじゃないか。泣くよりずっといい」
その時、玄関の扉が開いた。
レオン「ただいま」
全員が振り返った。
レオン・ガルディアが、食材の袋を両手に持って立っていた。
トト「レオン兄ちゃん!」
フィリア「レオン様!」
セシリア「マスター、ちょうどいいところに」
レオン「……何がだ」
食堂の壁には『第一回 ひだまり健康大作戦』。
机の上には健康管理表。
フィリアは魔道具を持っている。
セシリアは記録係。
マーサは逃げ道を塞ぐように立っている。
レオンは一瞬で状況を理解した。
レオン「俺は食材を置いたらギルドへ戻る」
セシリア「マスターも確認対象です」
レオン「俺は大人だ」
マーサ「大人ほど放っておくと無理をするんだよ」
フィリア「はい! 特にレオン様は無理をなさいます!」
レオン「していない」
セシリア「昨日、昼食を抜きました」
フィリア「えっ」
マーサ「なんだって?」
トト「レオン兄ちゃん、ご飯食べてないの!?」
ミリ「すーぷ、食べないの?」
レオン「忙しかった」
マーサ「座りな」
レオン「だが」
マーサ「座りな」
レオン「……はい」
レオンは食材の袋を置き、椅子に座った。
トトは目を輝かせている。
トト「レオン兄ちゃんも爪見るの?」
ガル「体温もだな」
リリィ「ぴこん」
ミリ「ぴこん!」
エル「レオンも、ぴこん?」
レオン「……ぴこんはしない」
フィリア「します」
レオン「するのか」
フィリアは真剣な顔で魔道具を構えた。
フィリア「レオン様、額を出してください」
レオン「必要か?」
フィリア「必要です」
レオンは諦めて、少し前かがみになる。
フィリアはそっと魔道具を近づけた。
ぴこん。
ミリ「ぴこん!」
リリィ「ぴこん」
トト「レオン兄ちゃん、ぴこんされた!」
ガル「竜殺しも、ぴこんには勝てねぇな」
セシリア「名言にしないでください」
フィリア「少し体温が高めですね」
レオン「歩いてきたからだ」
セシリア「睡眠不足です」
レオン「なぜ分かる」
セシリア「昨日の書類処理時間から逆算しました」
レオン「……」
フィリア「睡眠時間は?」
レオン「十分だ」
セシリア「四時間です」
マーサ「レオン」
レオン「……少し足りない」
フィリア「少しではありません!」
トト「俺より寝てない!」
ガル「子どもより悪い大人だな」
レオン「返す言葉がない」
フィリアは健康管理表に何かを書き込んだ。
レオン「何を書いた」
フィリア「要観察です」
レオン「俺が?」
セシリア「妥当です」
マーサ「妥当だね」
トト「ようかんさつ!」
ガル「レオン、要観察」
リリィ「観察する」
エル「見てればいい?」
ミリ「ぴこん?」
レオン「やめてくれ」
フィリア「次は食事量です。昨日の夕飯は?」
レオン「食べた」
セシリア「量は?」
レオン「普通だ」
マーサ「普通ってどれくらいだい?」
レオン「椀一杯」
マーサ「少ないね」
レオン「大人なら」
マーサ「この孤児院の大人なら少ない」
トト「俺でも二杯!」
ガル「俺も二杯」
リリィ「私は一杯と半分」
ミリ「すーぷいっぱい」
エル「……私も、昨日二杯」
ユアン「俺も」
レオンは子どもたちに負けた顔をした。
セシリア「マスター、敗北です」
レオン「何にだ」
バルド「飯の量だな」
レオン「いつ来た」
食堂の入口には、いつの間にかバルド・ロックスが立っていた。
手には大きな肉の包み。
バルド「差し入れだ」
マーサ「助かるよ」
バルド「で、何やってんだ?」
トト「健康大作戦!」
バルド「嫌な響きだな」
フィリア「バルドさんも確認します」
バルド「俺もか!?」
セシリア「当然です」
バルド「俺は健康だ」
レオン「さっき俺も同じことを言った」
バルド「負けたのか?」
レオン「負けた」
バルド「なら俺も駄目だな」
諦めが早かった。
バルドは大人しく椅子に座った。
フィリア「まず体温です」
ぴこん。
ミリ「ぴこん!」
バルド「なんだこの音、ちょっと楽しいな」
トト「でしょ!」
レオン「楽しくはない」
フィリア「バルドさんは体温正常です。ただし、飲酒量の確認が必要ですね」
バルド「なぜ分かる」
セシリア「見れば分かります」
マーサ「匂いでも分かるよ」
バルド「朝は飲んでねぇぞ!」
セシリア「朝は、という言い方が問題です」
フィリアは健康管理表に書いた。
バルド「おい、何を書いた」
フィリア「酒量注意です」
トト「しゅりょうちゅうい!」
ガル「かっこ悪いな」
バルド「うるせぇ」
レオン「バルド、要観察仲間だな」
バルド「やめろ。嫌な仲間だ」
トト「じゃあ、要観察組!」
ガル「レオンとバルドの要観察組」
リリィ「ぴこん組」
ミリ「ぴこん組!」
レオン「やめろ」
バルド「それは本当にやめろ」
しかし、子どもたちは気に入ってしまった。
トト「ぴこん組、結成!」
ミリ「ぴこん!」
リリィ「ぴこん」
ガル「隊長はレオンだな」
レオン「なぜ俺だ」
セシリア「ギルドマスターですから」
レオン「こういう時だけ使うな」
フィリア「では、ぴこん組の健康改善計画を作ります!」
レオン「作らなくていい」
フィリア「作ります!」
マーサ「いいじゃないか。大人の健康管理も必要だよ」
レオンは遠い目をした。
――魔王軍の将と戦う方が楽だったかもしれない。
少なくとも、魔王軍は体温を測ってこない。
昼前になる頃、健康確認はさらに広がった。
孤児院の子どもだけでなく、差し入れに来たパン屋のロナまで巻き込まれた。
ロナ「え、私も?」
フィリア「はい。働きすぎの可能性があります」
ロナ「パン屋は朝が早いからねぇ」
ぴこん。
ミリ「ぴこん!」
ロナ「あら、かわいい音」
トト「ロナさんも、ぴこん組?」
フィリア「ロナさんは軽い睡眠不足ですね」
ロナ「ばれたか」
マーサ「無理してると思ってたよ」
ロナ「マーサさんも受けた?」
マーサ「私は最後でいい」
セシリア「最後に逃げる人の言い方ですね」
マーサ「……受けるよ」
ぴこん。
ミリ「ぴこん!」
フィリア「マーサ先生は……少し疲労があります」
マーサ「年だね」
レオン「休んでくれ」
マーサ「あんたに言われたくないね」
レオン「それはそうだが」
フィリア「マーサ先生には、昼に少し休む時間が必要です」
マーサ「昼は忙しいんだよ」
ミナ「私が手伝います」
ガル「俺もやる」
トト「俺も!」
マーサ「トトは余計に仕事を増やさないかい?」
トト「増やさない……たぶん」
セシリア「たぶんは禁止です」
トト「増やしません!」
レオンはその様子を見ていた。
健康確認という名の騒ぎ。
最初はただのギャグのようだった。
だが、フィリアは確かに子どもたちを見ている。
大人の疲れにも気づいている。
マーサが無理をしていることも、ミナが頑張りすぎていることも、ガルが膝をかばっていることも、トトの爪が汚いことも。
最後の一つは、誰でも分かるかもしれない。
それでも。
爪が汚いことも。
最後の一つは、誰でも分かるかもしれない。
それでも。
――これは、必要な騒ぎか。
レオンはそう思った。
その時、トトが突然、立ち上がった。
トト「次はレオン兄ちゃんの運動検査をしよう!」
レオン「しない」
トト「なんで!」
レオン「必要ない」
ガル「剣振ってみればいいじゃん」
バルド「俺と軽く打ち合うか?」
フィリア「いいですね! レオン様の身体能力確認!」
セシリア「無理をさせない範囲なら」
マーサ「食堂の中ではやらないでおくれ」
レオン「やる流れになっているのか」
トト「庭! 庭でやろう!」
子どもたちは一斉に庭へ走り出した。
マーサ「走らない!」
子どもたち「はーい!」
返事はいいが、足は速い。
レオンは深くため息をついた。
庭に出ると、バルドが木剣を二本持ってきた。
バルド「軽くな」
レオン「本当に軽くな」
フィリア「レオン様、無理はしないでください!」
トト「レオン兄ちゃん、勝って!」
ガル「バルドのおっちゃんも頑張れ!」
バルド「おっちゃんじゃねぇ!」
ミリ「ぴこん組、がんばれ」
リリィ「ぴこん」
レオン「その名前はやめろ」
セシリア「記録します」
レオン「記録しなくていい」
レオンとバルドは向かい合った。
木剣とはいえ、二人が構えると空気が少し変わる。
子どもたちは息を呑む。
フィリアも真剣な顔で見守る。
バルド「いくぞ」
レオン「ああ」
次の瞬間、バルドが踏み込んだ。
大きな体からは想像できない速さ。
木剣が重い音を立てて振り下ろされる。
レオンは半歩ずれて受け流した。
ばしん、と音が鳴る。
トト「おお!」
ガル「すげぇ!」
バルドはすぐに横薙ぎに切り替える。
レオンは木剣で軽く弾き、手首の角度だけでバルドの剣筋を外した。
バルド「相変わらず嫌な受け方するな!」
レオン「軽くと言った」
バルド「軽くだよ!」
二人の動きは速かった。
だが、危なくはない。
子どもたちに見せるため、かなり抑えている。
それでも、トトたちには十分すごかった。
トト「俺もいつかあれやる!」
セシリア「まず文字の練習です」
トト「今その話!?」
エル「トト、木剣持ったら転びそう」
トト「転ばない!」
ガル「転ぶな」
リリィ「転ぶ未来、見える」
トト「見ないで!」
数合打ち合った後、レオンが一歩踏み込み、バルドの木剣を軽く跳ね上げた。
バルドの首元に木剣が止まる。
バルド「参った」
トト「レオン兄ちゃん勝った!」
ミリ「ぴこん組、勝った」
レオン「ぴこん組ではない」
フィリア「すごいです、レオン様!」
セシリア「動きは問題ありません。ただし、睡眠不足なので今日はここまでです」
レオン「分かった」
トト「えー、もっと見たい!」
マーサ「終わりだよ。昼飯の準備を手伝いな」
トト「はい!」
レオンは木剣を置いた。
その瞬間。
ぴこん。
フィリアがレオンの額に魔道具を当てていた。
レオン「……今、測ったな」
フィリア「運動後の体温確認です」
トト「ぴこん!」
ミリ「ぴこん!」
バルド「油断したな、レオン」
レオン「まさか戦闘後に測られるとは思わなかった」
フィリア「健康管理は隙を逃しません!」
セシリア「名言ですね」
レオン「名言にしないでくれ」
昼食の時間になると、ひだまり孤児院はいつもよりさらに賑やかだった。
フィリアが作った健康管理表は食堂の壁に貼られた。
そこには、子どもたちの名前と注意事項が書かれている。
トト:手洗い、爪、拾い物注意。
ガル:膝の古傷、走りすぎ注意。
リリィ:夜更かし猫会議注意。
エル:食事量、安心して眠る練習。
ユアン:食事量、妹の心配を一人で抱えない。
ミリ:熱、食事は少しずつ。
ミナ:頑張りすぎ注意。
マーサ:昼休憩。
レオン:睡眠不足、食事不足、要観察。
バルド:酒量注意、要観察。
トト「レオン兄ちゃん、要観察って書いてある!」
レオン「見なくていい」
ガル「バルドのおっちゃんも書いてある」
バルド「おっちゃんじゃねぇし、見るな」
リリィ「ぴこん組、壁にいる」
ミリ「ぴこん組!」
レオン「だからやめろ」
フィリア「大丈夫です。要観察は悪い意味だけではありません」
レオン「いい意味があるのか」
フィリア「私がしっかり見守ります!」
レオン「……そうか」
セシリア「絶望していますね」
レオン「ああ」
マーサ「でも助かるだろう?」
レオンは健康管理表を見た。
確かに、助かる。
子どもたちの体調が見える。
無理をしている者が分かる。
自分たちでは見逃していた小さな異変にも気づける。
フィリアは騒がしい。
レオンへの好意もまっすぐすぎる。
だが、彼女の存在は孤児院にとって必要だった。
レオン「……助かる」
フィリア「レオン様!」
レオン「治癒師としてだ」
フィリア「はい! まずは治癒師として!」
トト「まずは、だって」
セシリア「突っ込まないでください」
食堂に笑いが起きる。
その笑い声の中で、フィリアは子どもたちに手洗いの歌を教え始めた。
フィリア「手のひら、手の甲、指の間」
トト「歌にするの!?」
ミリ「てのひらー」
リリィ「ゆびのあいだー」
ガル「俺は歌わねぇぞ」
マーサ「ガル」
ガル「……手のひら、手の甲」
トト「歌った!」
ガル「うるせぇ!」
レオンは食堂の隅で、その光景を見ていた。
魔王軍。
禁忌の森。
黒い結晶。
偽依頼。
商会の闇。
外にはまだ、面倒な問題が山ほどある。
だが今、ひだまり孤児院では、子どもたちが手洗いの歌を歌っている。
それは少し変で、かなり騒がしくて、どうしようもなく平和だった。
レオンは小さく息を吐く。
レオン「……平和だな」
セシリア「はい。かなり騒がしいですが」
バルド「ぴこん組もできたしな」
レオン「それは忘れろ」
トト「隊長、スープおかわり!」
レオン「誰が隊長だ」
ミリ「ぴこん隊長」
リリィ「隊長」
レオンは天井を見上げた。
――魔王軍より日常の方が手強い。
そう思った。
けれど、悪くはなかった。
食堂には、温かいスープの匂いと、子どもたちの笑い声が満ちている。
ひだまり健康大作戦は、こうして大成功に終わった。
ただし。
レオンとバルドの「ぴこん組」という呼び名は、その後しばらく孤児院で使われ続けることになる。
レオンにとっては、禁忌の森の大蜘蛛よりも厄介な後遺症だった。




