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オヤジの回転 1

 その占いは、やけに具体的だった。駅前の雑踏の中、蛍光色のチラシを配っていた若い男が、俺にだけ少し身を乗り出して言った。


「あなた、そろそろ回り始めますよ」


 何が、とは聞かなかった。聞かなくてもわかる気がしたからだ。俺の人生は、ここ数年ずっと停滞していた。仕事は中途半端、家庭も冷え切っているわけではないが、どこか噛み合わない。何かが、ほんの少しズレている。その“ズレ”が、じわじわと広がっている感覚。


「……回るって、何がですか」


 それでも一応聞くと、男はにやりと笑った。


「全部です」


 気づけば、俺は案内されたビルの三階にいた。薄暗い廊下の突き当たり、小さなプレートに「回転鑑定」と書かれている。ノックをすると、すぐに扉が開いた。


「どうぞ」


 中にいたのは、年齢のわからない女だった。声も顔も、妙に印象に残らない。だが、部屋の中央に置かれた水晶玉だけは、やけに存在感があった。光っているわけではない。ただ、そこに“ある”ことが強く感じられる。


「お座りください」


 言われるまま椅子に座る。女は水晶玉に手を添えた。


「あなたは、回っていませんね」


 断言だった。


「普通は、少しずつ回っているんです。人生も、運も、人間関係も。だから均衡が取れる。でもあなたは――止まっている」


 図星だった。言葉にされると、妙に納得してしまう。


「止まっていると、どうなるんですか」

「偏ります」


 女は水晶玉を、ほんのわずかに回した。その瞬間、部屋の空気が微かにずれた気がした。


「同じ場所に力が溜まり続ける。やがて歪みになります」


 俺は喉を鳴らした。


「……じゃあ、どうすれば」


 女は、少しだけ微笑んだ。


「回せばいいんです」


 あまりにも単純な答えだった。


「人生の回転の角度を変えるだけで、運は変わります。やってみますか」


 一瞬だけ迷った。だが、その迷いはすぐに消えた。ここまで来て、引き返す理由もない。


「……はい」


 女の手が、水晶玉を包み込む。


「では、少しだけ角度をつけますね」


 ゆっくりと、水晶玉が回り始めた。その動きは、滑らかすぎた。摩擦がないような、意思だけで回っているような、不自然な回転。見ているうちに、視界の端がわずかに傾いた気がした。気のせいだと思おうとしたが、椅子の脚が床に触れる音が、ほんの一瞬遅れて聞こえた。


「……今、何を」

「調整です」


 女は平然と答えた。


「ほんの数度ですけどね。あなたの場合、それで十分でしょう」


 回転が止まる。同時に、部屋の空気も元に戻った――ように感じた。


「これで、少しずつ回り始めます」


 女は手を離した。


「ただし」


 そこで言葉を区切る。


「角度は固定されます」

「……固定?」

「はい。一度ついた回転は、基本的に止まりません。戻すこともできません」


 さらりと言われたその言葉が、なぜか耳に残った。


「まあ、大丈夫ですよ」


 女は軽く笑う。


「ほとんどの方は、良い方向に回りますから」


 その「ほとんど」という言葉に、ほんのわずかな引っかかりを覚えたが、口には出さなかった。代金を払い、部屋を出る。廊下を歩き、階段を降りる。外に出た瞬間、風が吹いた。看板が、カラカラと鳴る。その音が、なぜか円を描くように聞こえた。足元を見る。自分の影が、ほんの少しだけ、傾いていた。

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