ネギの回転 2
数日後の朝だった。コンビニで買ったコーヒーをすすりながら、何気なく新聞をめくっていた俺は、ある記事の見出しで手を止めた。
【深夜の繁華街で事故 焼き鳥店にトラック突入 店主死亡】
十五日未明、都内〇〇区の路地にある飲食店に大型トラックが突っ込み、店舗を大きく破壊した。この事故で店主の男性(年齢不詳)が死亡、運転手は軽傷を負った。警察によると、トラックはブレーキ痕を残さず直進しており、運転手は「店の前で急に視界が歪んだ」と供述している。現場は以前から「奇妙な店がある」と近隣で噂されていた場所で、詳しい原因を調査中。
コーヒーの味が急にわからなくなった。年齢不詳。奇妙な店。路地裏。間違いない。あの店だ。
「……は?」
思わず声が出た。昨日まで、いや、少なくとも俺が行った数日前までは、普通に営業していたはずだ。あの店主も、生きて、あの妙な笑みを浮かべていた。死亡?トラックが突っ込んで?頭の中で、あの回転するネギの光景が蘇る。ゆっくりと、しかし確実に回り続ける、あの異様な運動。気づけば、俺は立ち上がっていた。仕事のことなど考えもしなかった。スマホも置いたまま、財布だけをポケットに突っ込み、外へ出た。足は勝手にあの路地へ向かっていた。昼間の繁華街は、夜とはまるで別の顔をしている。だが、あの路地に入った瞬間、空気が少し重くなった気がした。そして――
店は、あった。暖簾が揺れている。あの色あせた布。かすれた店名。ガラス越しに、焼き場が見える。ネギが、回っている。
「……は?」
さっきと同じ言葉が口から漏れた。壊れていない。潰れていない。トラックの痕跡など、どこにもない。むしろ、あの日とまったく同じだ。俺は恐る恐る引き戸に手をかけた。引く。音もなく開く。
「いらっしゃい」
あの声だった。カウンターの奥、あの店主が、そこにいた。同じ痩せた体、同じ目の光、同じ乾いた声。
「……あんた」
俺は言葉を失った。
「新聞で見たんですけど」
「新聞?」
店主は首をかしげる。
「トラックが突っ込んで、死んだって……」
「ああ」
店主はあっさりと頷いた。
「死にましたよ」
心臓が一拍、遅れた。
「……は?」
「いやあ、びっくりしましたねえ。ああいうの、初めてでさあ」
まるで他人事のように言う。
「でも、店はやらないと」
意味がわからない。死んだのに、店をやる?目の前にいるのは誰だ?
「……あんた、誰なんですか」
絞り出すように聞いた。店主は少しだけ笑った。
「ネギ、食べます?」
答えになっていない。だが、俺は――頷いてしまった。しばらくして、ネギが出てきた。あの日と同じ。いや、それ以上に艶がある。表面が、どこか内側から押されているように、微かに脈打っている。一口、かじる。
「……うまい」
やはり、うまい。だが今回は、はっきりとわかった。味が、回っている。舌の上で、甘味が円を描くように動いている。前から後ろへ流れるのではなく、ぐるぐると、同じ場所を巡り続ける。飲み込んでも、消えない。喉の奥で、まだ回っている。
「でしょ」
店主が言った。
「回ってるでしょ」
俺は何も言えなかった。ふと、焼き場を見る。ネギが回っている。そして、その奥。見慣れないものが、一本。串に刺さっていた。それは、ネギよりも少し太くて、形が不揃いで――まるで、人の指のように見えた。




