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安宿(やすやど)  作者: ウィリアム輝夫
ノート 1
35/70

逃走線 2


 私は『逃走線』を用意しておけ、とは書いているが、だから、自堕落に生きろとか、周りに対する愚痴を言え、とかそういう風に捉える人がいたら、これはかなり違ってきてしまっている。逃走線ということは、生きる上でのテンションも高まってくると思うのだ。それは逃走者なのだから。そして、これは勘違いして欲しくはないのであるが、「逃走線というのは、不幸な者だけではなくて、幸せな者にも必要なのである」ということである。幸せとは、何かというと、物事が上手くいっている状態である。そういう時だからこそ、逃走線を用意しておかないといけない。保険を用意しておかないといけない。たとえば、この「文学愛好会」というサークルでを名声を得たとする。はい、嫉妬厨が現れます。小言幸兵衛が現れます。にわか文芸批評家が出てきます。そういう人たちはクリティカル(致命的)なことを言ってきます。そこに、どう逃げ道を考えつつ応じるのかということである。たとえば、私なら作品をすぐにバックアップしてこの糞サークルから逃げ出しますね。一秒でもそういった連中と交流をするのは無意味です。彼らは、死んでも意見を変えないでしょう。直に、100万円渡せば、話も変わってくると思うが、それができなかったら、相手するだけで無駄ですね。そもそも、自分のやっていることと反対意見なんて聞いててもテンションが下がるだけなのであって、どうして無駄なのかと言うと、そういう連中は、自分の言っていることが現実的にはどうなのか?ということを知りたいのですね。しかし、現実というのは、見方次第でどうにでもなるので、その人の真実と相手の真実が食い違う。なんてことは常にあります。同じものを違う角度で見るだけでも互いには違うことになるので、だから、お互いのギャップは埋まらないでしょう。埋まらなくても良いという噂さえあります。だが、たまには自分の方で全く変わってしまうのも良いですね(変容)。そもそも自分に対しての狭隘な物語性を取っ払うべきで、自分の新しい部分を開拓しなきゃいけないのである。自分糞喰らえと言うことになるだろう。余談になるが、私はこの小説を通して、糞の社会的地位の向上を考えている者である。私もこの小説なりエッセイなりを書いてゆくことで、かなり変容してゆくと思うのだ。皆さんも、是非とも変わって欲しい。大切なのは、固着した現在の状態が全て、と言うことではない、と言うことである。そこからどう正解を生み出すか。どこまで足掻けるか。何か知恵を生み出すかである。

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