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安宿(やすやど)  作者: ウィリアム輝夫
序論(私と言う呪いについて)
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 要は、スリッパがありそれで誰かを叩く私がいて、叩かれる誰かがいる、ということである。それは恐らく有名人であろう。というのも私が知らないからである。知らない人間を叩くほど私は無礼な人間でない。しかし、有名人ならいくらでも叩ける。バナナの叩き売りのように、多くの有名人が叩かれている。Xでも、何でも見てみるが良い。彼ら無名の徒は、誰かを叩くことによって溜飲を下げるのである。あるいは、パンとサーカスのようなものだ。そう言う意味では、百田さんも可哀想である。やっぱり、叩くのはサンプラザ中野君にしておこうか。いや、そう言うことではなくて、今回は、私と言うものについて書いてゆきたい。本当に無名の人物であり、そんな人間が小説を書くということだけで、大それたことなのである。本当にこの重責に、泣き出したいくらいであるが、どうせ誰も読まねえから、適当に書いておけ。という気持ちも物凄くある。人の悪口というのは無限に思いついては書けるものだ。何故なら、私の意見と反対のものを書いてゆけば良いのだから。しかし、多くの人は、なかなか私の根本まで遡らない。遡ったら、私だって意見をコロコロ変えているし、百田尚樹的なところをたくさん持っているからである。むしろ、百田尚樹よりも百田尚樹かもしれない。そういう部分は誰にでもある、ということを言っている。そして、私というものの不安定さに怯えているのが、無名の人間のほとんどである。無名というくらいだから、卑怯者である。だが、「だったら顔出せよ、コラア!」と言う手に乗ってはいけない。それを許してしまったら、「力だけが正義の世の中」になってしまうからである。無名ということは居心地が悪い。だが、その居心地の悪さこそ、民主主義なのだ。誰も民主主義の本質を言わない。無名主主義ということなのだ。名もなき多数派の支える社会なのである。それが証拠に、今からあんたらに有名になれ!と言っても犯罪でも犯さない限り有名にならないであろう。と言うのも多くの人々が凡人だからである。馬鹿とか間抜けと、変えても良い。何でも良いが、私は、少数者どもらには呼びかけない。私が一番憎んでいるのは、少数派である。特権的少数派よりも、私は、身体障害者などを憎む。あるいは、精神疾患者とかである。……もちろん、冗談だったけれども、本気にした?あんまり、こういうことを無名の人間が書いちゃダメだよね。ゴメンネ!

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