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安宿(やすやど)  作者: ウィリアム輝夫
安宿 (ノート5)
16/70

告白


 彼女は、すぐには口を開かなかった。私の言葉が、どこかに沈むのを待っているようだった。沈む場所があるのかどうかは分からないが、とにかく、時間だけが少しだけ引き延ばされる。


 私はその間を埋めるように、続けた。


「父親も、同じなんだ」


 言ってから、“同じ”という言葉が雑すぎる気がしたが、訂正はしない。


「いや、少し違うか」


 私は視線をテーブルから外して、宙のどこかを見る。


「母親は、外から形を決めてくる感じだった。でも、父親は、もっと曖昧で」


 曖昧、というより、輪郭が最初からない。


「いるのかいないのか、よく分からないまま、ずっとそこにいる」


 影に近いが、影ほどはっきりしていない。


「だから、逆に厄介だった」


 私は指先で、見えない線をなぞるような動きをする。


「何かを壊したいと思ったとき、対象がはっきりしていないと、うまくいかない」


 自分でも妙な説明だと思うが、言葉は止まらない。


「それで、父親のことを考えるようになった」


 考える、というより、浮かび上がらせる作業に近い。


「どういう顔だったか、どういう声だったか、何をしていたか」


 記憶を並べるが、どれも薄い。


「そうやって、少しずつ、形を作っていった」


 作る、という表現が適切なのかは分からない。だが、元からあったものを思い出すという感じではなかった。


「ある程度、輪郭ができたところで」


 私は、そこで一度言葉を切る。


「消したい、と思った」


 母親のときよりも、はっきりしていた。


「理由は、特にない。ただ、そこにあるから、という感じだ」


 彼女は、まだ黙っている。否定も肯定もない。


「で、これも同じなんだけど」


 私は軽く息を吐く。


「やったかどうか、分からない」


 言葉にすると、妙に軽くなる。


「記憶が抜けているのか、それとも最初から何もしていないのか」


 どちらでも、あまり変わらない気もする。


「ただ、一度、妙なことがあった」


 私は少しだけ身を引く。


「実家に行ったとき、父親がいなかった」


 “いなかった”という事実だけが、妙に鮮明だ。


「前からいなかったのか、その日だけいなかったのか、それも分からない」


 誰にも聞かなかったし、聞く気にもならなかった。


「母親は、何も言わなかった」


 その沈黙が、むしろ自然だった。


「だから、もしかしたら」


 私はゆっくりと彼女を見る。


「どこかで、やってるのかもしれない」


 繰り返しになるが、それ以外の言い方が思いつかない。


「あるいは、最初から、いなかったのかもしれない」


 それも、同じくらい現実味がある。


「順番の話で言えば」


 私は、少しだけ笑う。


「対象を作ってから、消そうとしてる」


 彼女の教えとは、また別の順序だ。


「どっちにしても」


 私は最後に、言葉を置くように言った。


「焦点は、合ってない」


 鏡の方は見なかった。見なくても、どうなっているか分かる気がしたからだ。


 彼女は、ようやく息を吸う。

 今度は、彼女の番なのかもしれない。

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