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安宿(やすやど)  作者: ウィリアム輝夫
安宿 (ノート5)
15/70

告白


 自分の声が、思っていたよりも低く、濁っていた。喉の奥に溜まっていたものが、そのまま音になったような感じだった。


 彼女は、何も言わずにこちらを見ている。頷きもしない。ただ、順番が来たことを受け入れている顔だった。


「さっきの、順番の話だけど」


 私はテーブルの木目を見た。規則的なようでいて、どこかで歪んでいる。


「たぶん、俺は最初から間違ってたんだと思う」


 言葉は、考えてから出ているのか、出てから考えているのか分からない。


「自分を見た記憶が、あまりない」


 鏡の中の顔を思い出そうとするが、どれも輪郭が曖昧だ。写真のように固定された像ではなく、いつも少しずつずれている。


「代わりに、母親の顔ばかり見ていた」


 “見ていた”というより、“見させられていた”のかもしれないが、区別はつかない。


「何をしても、あの人の基準で測られる。うまくいっても、失敗しても、結局は同じ顔をされる」


 私は指先でカップの縁をなぞった。冷えている。


「そのうち、自分がどういう状態なのか分からなくなった」


 彼女はまだ黙っている。途中で口を挟まないあたり、彼女の教えとやらは、意外と徹底しているのかもしれない。


「あるとき、鏡を見たことがある」


 言ってから、少しだけ可笑しくなる。さっきの話と、妙に重なる。


「でも、そこにいたのは、母親に似ている何かだった」


 似ている、というより、混ざっている感じだ。輪郭の一部が、侵食されている。


「それで、思ったんだ」


 私は一度、言葉を切る。喉の奥の引っかかりが、少しだけ強くなる。


「これは、たぶん、消さないといけない」


 “消す”という言い方が、やけにしっくりきた。


「最初は、ただの考えだった。よくあるやつだ。嫌いな相手がいなくなればいい、っていう」


 だが、その先があった。


「でも、だんだん具体的になってきた。時間とか、場所とか、方法とか」


 私は顔を上げる。彼女は、相変わらずこちらを見ている。


「ある夜、台所に立っていた」


 蛍光灯の光が、やけに白かったのを覚えている。


「包丁があって、あの人がいて」


 そこまで言って、私は少しだけ息を吸う。


「そのあとが、よく分からない」


 記憶が抜けているのか、最初から曖昧だったのか、判断がつかない。


「気がついたら、部屋に戻ってた。手は洗ってあった」


 水の冷たさだけが、妙に鮮明に残っている。


「次の日も、その次の日も、あの人は普通にいた」


 普通、というのがどういう状態なのか、いまいち定義できないが、とにかくそこにいた。


「だから、たぶん、何もしてない」


 そう言いながら、確信はない。


「でも、もしかしたら」


 私は、そこで少しだけ笑った。自分でも理由は分からない。


「どこかで、一回、やってるのかもしれない」


 彼女の表情は変わらない。驚きも、嫌悪も、見えない。ただ、聞いている。


「順番の話で言えば」


 私はゆっくりと言葉を選ぶ。


「俺は、自分を見る前に、消そうとした」


 それが間違いなのかどうかは、分からない。ただ、順番としては、彼女の言うものとは違う。


「それでも、まだ、焦点は合ってない」


 私は最後にもう一度、鏡を見た。そこにいるのは、相変わらず、どこにも定まらない目をした男だった。


 彼女は、何かを言おうとしている。

 話は、まだ終わっていない。

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