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【完結→黒幕との話を順次追加】断罪された伯爵令嬢、地獄で咲いた黒薔薇は王都を裁く  作者: なみゆき
第三章

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20/24

灰海を渡る黒薔薇ープロローグ

第三章となります。

 灰色の海は、どこまでも静かだった。


風は穏やかで、帆を大きく膨らませるほどの力はない。それでも船は、寄せては返す波に身を任せながら、ゆっくりと西へ向かっていた。


甲板へ立つエリスは、手摺にそっと手を添え、水平線の彼方を見つめていた。


王都を発って五日。


見慣れた大陸の海岸線はとうに姿を消し、視界を埋めるのは鈍く光る海原と、淡く霞んだ空だけだった。


潮風は冷たい。

だが、その冷たさはマスレイン峡谷の冬とは違う。


塩を含んだ風が頬を撫でるたび、どこか遠い異国の匂いを運んでくる。


「寒くありませんか。」


背後から穏やかな声がした。

振り返ると、セシリアが厚手の外套を抱えて立っていた。


「ありがとう。」

微笑みながら受け取ると、エリスは再び海へ目を向けた。


海を眺めるのは、これが初めてではない。

だが、こうして目的地だけを見つめながら船旅をするのは初めてだった。


王都での戦いは終わった。


レイノルズ家を陥れた者たちは裁かれ、黒薔薇商会も王都では確かな居場所を築き始めている。

それでも、すべてが終わったわけではなかった。


一冊の帳簿。

一枚の送金記録。

一つの紋章。


追えば追うほど、その痕跡は王都を離れ、西の海を越えた先へ続いていた。


リュゼール王国。

交易によって栄えた海洋国家。

そして、その玄関口である港町ヴェルナ。


外套を受け取ったエリスは、そのまま肩へ掛け、再び水平線を見つめた。甲板の木目は潮に湿り、足を置くたびにわずかに軋む。船は静かに進み続けていた。

遠くに見えるはずの陸地はまだ霞の向こうで、ただ空と海の境目だけが淡く滲んでいる。


「考え事か。」

隣へ来たアランが、海を見たまま言った。


「いいえ。」

エリスはそう答えてから、少しだけ間を置いた。

「少し、わくわくしているの。」


アランが小さく息をつく。

「敵地なんだが。」


「だからよ。」

エリスは笑った。

「知らない景色があって、知らない人がいて、その中に私たちの知らない真実がある。」

「少し怖いけれど……少しだけ、楽しみなの。」


アランは何も返さなかった。

ただ、しばらくのあいだ海を眺めていた。

その横顔は、止めても無駄だと知っている者のそれだった。


やがて船尾から、船員の声が飛んだ。

「見えます。ヴェルナです。」

その言葉に、甲板にいた者たちが一斉に船首へ集まる。

灰色の海の向こうで、朝靄を裂くように黒い影が浮かび上がってきた。

最初に見えたのは灯台だった。

白い石造りの塔が、切り立った岩壁の上にまっすぐ立っている。


その足元には幾本もの桟橋が海へ突き出し、大小さまざまな船が静かに並んでいた。

さらに視線を上げると、丘の斜面に沿って石造りの家々が折り重なるように建ち並び、その中心に高い時計塔が見える。

朝日を受けた赤茶色の屋根が幾重にも続き、その向こうには教会の尖塔も覗いていた。

港町ヴェルナ。

海とともに生き、海とともに栄えてきた街。


「きれい……。」

セシリアが思わず息を漏らした。


港には色鮮やかな旗がはためき、異国の船が幾隻も碇を下ろしている。市場には人が溢れ、荷役人の掛け声が潮風に乗って海まで届いていた。

活気に満ちた、美しい港町。そのはずだった。それなのに、エリスの胸の奥には、小さな棘が刺さるような違和感が残っていた。理由は分からない。景色は美しい。人々も笑っている。船も行き交っている。

それでも、この街には何かが足りなかった。


海鳥が一羽、帆柱の上を旋回し、大きく鳴いた。

その声を境に、港の喧騒がふっと耳へ戻ってくる。


「……どうした?」

アランが小さく尋ねる。


エリスはゆっくりと首を横へ振った。

「ううん。」

「ただ……。」

その言葉は最後まで続かなかった。


船はゆっくりと港へ近付き、ヴェルナの街並みが少しずつ大きくなっていく。

誰もが一度は訪れてみたいと思うような、美しい街だった。それでもエリスの胸の奥では、説明のできない違和感だけが、潮の満ち引きのように静かに広がり始めていた。

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