密やかな凱旋、そして日常への帰還
神の戦術陣が崩壊し、デルライラムの家の地下室に戻って来たが、隅の暗がりに現れた身体へとその場の情報が、一気に流れ込んできて、軽い眩暈を覚える。
部屋の中央では、デルライラムが、床へ伏し、悔恨の言葉と共に、腕を叩きつけているのが見えた。肉も潰れそうな程に、痛ましく鈍い音が響く。
「馬鹿ヤロウッ! 馬鹿ヤロウッ! まさか、本当に、地獄に呑まれちまったってのかッ! あれだけ死ぬなと祈った俺の想いを、無下にしやがってッ! 畜生、お前みてぇな若ぇもんが、老いぼれより先に逝くなんてよぉ……! 馬鹿、ヤロウが……」
デルライラムの後悔や怒り、悲しみと言った、抑えきれない感情の吐露を、隅で聞き。出るに出られない雰囲気を感じる。
やっべぇ!? 師匠、俺が死んだと思って、めちゃくちゃ後悔してるよ……。ど、どうする? 生きて帰ってきました、ってノコノコ出ていけそうな雰囲気じゃねぇっ!
その時、ジジがひとつため息を吐いて、背中から押して来た。バランスを崩し、そのまま松明の火の明かりの中へと飛び出る。その音と気配に気付いたデルライラムが、驚愕の眼差しでこちらを見つめる。
「お、おま、お前……。カイト、か?」
頭をかき、視線を逸らしながら、引き攣った笑顔を浮かべる。向けられた顔は、涙で濡れていた。
「え、ええと、そう、です。色々あったけど、生きて、帰ってきました……」
デルライラムは、硬直したまま動かない。
「は、ははは。……どうしたんですか? 師匠――」
急に膝に力が入り、体が起こされ、無言でこちらへ飛び掛かり、拳が繰り出される。
「うわあ!?」
それを咄嗟に躱し、もう片方の手が飛んでくるのを受け止めた。掌に痺れた様な感触が広がる。
「ま、待って――落ち着いてください、師匠! 俺は偽物とかじゃありませんよ! 証明する方法はないですけど!」
すると、突き出された手が震えているのが、掴んだ掌から伝わって来た。デルライラムは呟く様に、言葉を絞り出す。
「馬鹿ヤロウが……。偽物だなんて、思う訳ねぇ。だがぁ――」
俯いていた顔が、上げられ、濡れて光る瞳がこちらを射抜く。
「お前ぇ、俺が泣いているのを隅で見てやがったのかッ!? そうなのかッ!?」
ええ!? ど、どう答えれば――。
「趣味の悪いヤロウだなッ! 帰って来たのならッ! もちっと、早く出てこねぇかッ!」
「馬鹿ヤロウッ!」
そうして、デルライラムは俺の胸を叩き、しばらく震えた後に、強く抱きしめて来た。
「い、痛いし、苦しっ! し、師匠! 離してください――それに、俺たち男どうしですよっ!? あ、髭が当たって――くすぐったい!」
その言葉に、さらに腕に力が入り、締め上げられる。
「馬鹿ヤロウッ! なぁに、気味悪い事いってんだ。赤ん坊に毛が生えた様な歳のガキがよッ!」
デルライラムは俯いて、顔を隠していたが、まだ涙が止まっていない様だった。
「あ、それ、傷つきます! 種族差を利用したハラスメントですって!」
やがて、ゆっくりと腕は離され、真顔に戻ったデルライラムが、事の経緯を尋ねて来た。
「お前が、蠱惑の門を始めて、しばらく経ち、おかしな声が聞こえたと思って部屋を覗いたら、誰もいなかった。あえて聞くのも野暮かも知れねぇが、何があったんだ?」
神の戦術陣で起こった事を、かいつまんで話して行く。
「まさか、試練に敗れた者は、神に地獄へ引きずり込まれる、その話が、本当だったとはな――。誰も、生き残った者なんていやしねぇんだ。だから、姿形が消え失せたのを見て、後からそんな想像が成されたのさ。だが――」
そこで、肩に手が伸び強打される。
痛って! 人を叩く前に、自分の筋肉量について自覚してくださいよっ!
痛みに耐えて呻きながら、デルライラムを見つめる。
「お前は、生き残った――それが、指し示す事実は、ひとつ。……殺したんだな? グンダヴァム・イムイトを――?」
無言で頷きを返した。
それを認識したデルライラムは、大きなため息を吐いて、天を仰ぐような仕草を取った。
「まさかなぁ。多少の魔法の才はあれど、何でもねぇ、ただの人間のガキだと思ってた奴が、まさか、神殺しになりやがるとはな……」
そして、今度は、軽く腹部を殴りつけて来た。
「うっ」
呻きながら、前を見ると、嬉しそうな様子ではあるが、その口調は真剣になっていく。
「俺の弟子が、神殺したぁ。まったく、信じられねぇ! 大した奴だよ、お前は! ……お前は、若い。成果を誇りたくなる気持ちもあるだろう。だがな、カイトよ。その事実、べらべら他人に喋るんじゃねぇぜ? 大抵の奴ぁ、信じねぇだろうが、人の口には戸は立てられねぇ。いっぺん噂が出回ったらそれまでよ。あっという間に尾ひれがついて、目も当てられない事態を呼び込む。英雄なんて担ぎ上げられても、ろくなことはねぇ。いや、まだ英雄あつかいならマシってなもんよ。そうは思わない連中もいる」
ゆっくりと頷いた。デルライラムにもそんな経験があったのだろうか? 何処か、自分の事の様に、話された言葉には重みがあった。もちろん、あの時、ジジに言った様に、自分じしんも己が英雄であるなどと言う実感は全くないし、それを誇るつもりもなかったが。
「分かったんなら、この話はもういい。本題に入るぜ。お前、あの指輪は、どうした?」
う、やっぱり来たか、この質問。
「ええ、ええと、その、あの指輪は、神の肉体にとって劇毒だったので、倒すのに使って……。なくなりましたっ!」
今度は、先ほどよりも大袈裟に天が仰ぎ見られた。
「おいおい、試練はどうすんだよっ……。って、もう神は死んだんじゃ、試練も出来ねぇか。にしても、毒耐性の指輪が、劇毒になるたぁ、毒の神、唯一の弱点は自分が与えた能力から作られてたって事か。なんつう皮肉だよ……」
デルライラムは独り言らしき内容を、早口で喋り、突然だまった。
「そうだった! お前の毒耐性は、どうなったんだっ!? まだ試練を半分しか終わらせてねぇだろう?」
ああっ!? そういえば、そうだった!? 神を倒すのに必死で、すっかり忘れてたぁぁぁ!?
デルライラムは顎に手を添え、ぶつぶつと何かを呟き、片手で腰の袋を漁り始める。
「確か、ここに――もう、イムイトの牙なんて物騒なブツは使えねぇ。試すには……。お、あったな」
取り出されたそれを見つめる。
あれ? 小さな針?
「こいつぁな。ただその辺に生息してる毒性の生物の毒を集めただけの針だ。だが、ひとつの特徴がある。毒そのものの効果はほぼなく、体内に入った時の痛覚の刺激に偏ってんのさ。つまり、毒に完全耐性があれば、全く痛みを感じねぇ。……こいつで、今からお前を刺すぜ?」
ええ!? また、何か物騒な話に!? あ、でも、死んだりする訳じゃないのか。
覚悟を決めて、左腕を差し出した。デルライラムは息を呑み、そこへ針を刺す。
「あれ?」
皮膚をくすぐる様な感覚。だが、痛みは全く感じない。
「痛く、ありません」
場所を変えて、何度か続けて刺された。
「同じです。……痛みがない、これってつまり――」
デルライラムは驚いて、目を丸くした後に、破顔した。
「カイトッ! お前ぇ。完全耐性を手にしてるじゃねぇかっ! よくやった! よくやったぞ! ……そもそも、試練より遥かに難しい、神殺しを成し遂げて、耐性が得られないんじゃあ、割に合わねぇわな!」
そう言って、また何度も肩が叩かれる。
痛ってぇ! こっちの方が遥かに痛いです! 石の床なんで身体が縮みそう!?
「まあ、あの指輪の事は、いい。まだ取り外した宝石が残っているしな。それよりも、まず、完全耐性の取得の祝いが必要だなっ! こいつを取っときな!」
先ほどの針が投げ渡される。
ええ、お祝いにしては、何かしょぼくないですか……? と、思ったが、口には出さない。
いつになく上機嫌のデルライラムは、鼻歌を口ずさみながら、部屋のドアを開け放ち、松明を手に取り、こちらを向いた。
「さあ、帰るぜ。もう日が暮れて随分と経つ。アイシャの奴も心配してんだろ。事がすんだなら、この地下室にも用はねぇしな」
先行するデルライラムの後をついて歩くと、地下室は意外な程に広く、牢の様な、分厚い扉と鉄格子に区切られた部屋が、他にも幾つもあるのが見えた。しばらく歩いた後に、大きなテーブルの周りに、本棚の立ち並ぶ部屋があり、その中心に掘られた階段を登って行く。石造りの階段は、よく鳴り、二人分の足音がこだましていく。
円形の螺旋階段をしばらく登った後、天井に蓋をした様な扉が現れ、それがゆっくりと押し上げられた。
外は、もう真っ暗で、扉の内からは、まばゆい星明りが見えた。先に登ったデルライラムが、振り向き、松明を近くの壁にかけ、こちらへ手を伸ばす。それを掴み、薄暗い地下室から脱出する。暗く湿った死者の世界から、生者の明るい世界へ戻った様な、そんな心持ちとなった。
「あれ、ここって、あの畑と井戸の裏側ですか? もっと厳重に隠されているのかと……」
デルライラムは、地面の扉を閉め鍵をかけ、その上に、土や泥、落ち葉などを箒ではき集めながら、答えた。
「まあ、元々は、森の中にひっそりと隠されていたんだが、家を建てても、中に入り口があったんじゃ、来客の度に怪しまれんだろ? だから、最初から外に出しておいて、こうやって、入り口を偽装してんのさ」
鍵は、後でつけたのかな。そうじゃなかったら、何処で手に入れたんだろ?
ぼんやりとした疑問を持ちながら、家の前の広場へと向かうデルライラムに続くと、聞き慣れた声が聞こえた。
「ああっ! カイト! デム爺! そんな所にいたのっ!? さっきから、何回も呼んでたのに、ぜんっぜん! 反応がなくって、お家にいないのかと思っちゃったよっ!」
アイシャッ!!
別れたのは、朝だった、まだ一日も経っていない。だが、もう何十日と会っていなかった様な不思議な気持ちになり、感極まって、思わず駆け寄って抱きしめていた。
「おいおい、大胆だな、これだから若ぇのはよっ!」
「も、もう! どうしたの? カイト? えっち! ヘンタイ!」
抱き着かれながらも、咄嗟に胸を守ったアイシャはこちらを罵って来る。
「もう! そろそろ離してよっ! えっち!」
アイシャに突き飛ばされ、我に返る。
「もう! また一人で勝手に興奮してるのぉ? ヘンタイ! ……あれ? でも、カイトの服、ボロボロだねぇ。何かあったのかなっ? 実はねぇ。私も、いつまでも帰ってこないから、心配になって迎えに来たんだよっ」
その言葉にはっとなり、デルライラムへ視線を送るが、ばつが悪そうに、目を逸らす。
「ええと、い、いやぁ、し、師匠とさ! 魔法の修行してて、ちょっと激しくなってさっ! は、ははは」
頭の中で、ジジの声が響いた。
(隠し事は、感心せぬな)
分かってるよ……。家に帰ったらちゃんと話すって。
「ふぅん? あれ、そういえば、ジジちゃんは?」
デルライラムが怪訝そうな声を出す。
「ジジ? 誰だぁ、そいつぁ」
慌ててアイシャに耳打ちする。
「師匠にはさ、ジジの事、隠してるんだっ! あいつの事を、大精霊域からついて来た、悪いモノみたいに感じてるみたいでさっ。話をこじらせたくないだろ?」
デルライラムはこちらの様子を訝しんで見つめる。
「そうなのっ? ……ジジちゃんは、悪いモノなんかじゃないよねっ。ちょっと、変な所もあるけど」
アイシャは小声で、「分かった。隠しておいてあげるねっ」と呟いた。
「何だぁ? 内緒話は、終わりか? まあ、いい。カイト。明日も出来るだけ早くに来るんだぜ? そろそろ、仕上げの時も近ぇ」
「じゃあな」と手を振り去って行く、デルライラムが家に消えるまで見送り、アイシャに目配せし、帰路に着くと、ジジが身体から飛び出して来た。
「ふう。あの老翁、儂を疫病神あつかいじゃからなっ! 出るに出られぬのよ」
アイシャはジジが飛び出たのに、驚く様子も見せず楽しそうに笑った。
「そうなんだっ。でも、ジジちゃんも昨日から改心してくれたみたいだし、疫病神は酷いよねっ!」
うう、何か一人で気まずい気分に……。何も悪い事なんてしてないはずだが。
帰りは順調で、何事もなく家へ辿り着く。明るい光の漏れ出る家へ、ドアを開け、入った所で、ジジが背中をつついて来た。
「儂は、アイシャに隠し事なぞしとうない。無論、おんしもそうじゃろう? 刺激の強い話になるやも知れぬが、全て包み隠さず話そうぞ?」
アイシャは明るい顔で振り向き、今日の夕食について話し出す。
その明るい金の瞳を見つめ、それが曇る姿など見たくないと、強く想った。だが、隠したまま暮らす姿も想像できない。心の中の葛藤と向き合いながら、彼女の美しい笑顔を見つめて逡巡する――。
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