ニュータライズ・ゼロ・オース
神を切り裂いた剣は、音を立てながら粉々に砕け散り、その黒い破片が、眩い輝きを放ちながら、地表へ向けて降って行き、柄すらも手元には残らなかった。最強の金属であっても、巨大な毒性の塊を切断した負荷は、耐えられる上限を超えていたのだろうか。
神は、もはや、呻きを上げる力も残っていない様子で、その斜めに断たれた身体が、少しずつズレて、擦れ合う不気味な音を立てる。
やがて、その身体が揺れ、地面へ向けて落下していく。それは、山が崩れる様な壮大な光景だった。
「遂に――遂に、終わったのか――!」
だが、喜びも束の間、最後の力を振り絞った神が、信じられない反撃に出る。
頭の中で、ジジの悲鳴が響いた。
(カイトよ! 周囲を見よ! 彼奴の戦術陣が、縮み、我らを呑みこもうとしておる!)
何だとッ!?
周囲を見回すと、赤い空が、落ちて来る様に迫り。彼方の地平線が、まるで空間じたいが縮小されたかの如く、音を立てて急速に向かって来る。
この空間じたいが、閉じられ、中にあるモノ全てを押し潰そうとしているのが感じられた。
「どうするッ!? このままじゃ――」
この期に及んで、相打ち狙いかよッ! 悪の親玉としちゃ、妥当な選択だなッ!
ジジは、力を失った身体を押して、外に飛び出てきた。そして、落ちて行く神を指し示す。
「カイトよ! あの身体に、追いつくのじゃっ! 空間が歪曲し、縮んでも彼奴の周囲は最後に呑まれるはずじゃ!」
言われるままに、風の力で急加速し、眼下でたゆたう巨壁の残骸へと飛び出した。
「それに、追いつけば、儂に考えがある! もう力も残ってはおらぬが、最後の仕上げが待っておるようじゃ!」
背中に抱き着くジジに、何か作戦があるらしい。
「信じてるッ! だから、俺は――全力で追いつくだけだッ!」
身体を反転させて、落ちる神の肉体の内から、何かが飛び出して来る。それは、内臓の様な長い器官で、意志を持って動き出し、先端に針のついたサソリの尾の如き身体で、こちらを狙う。
「ただじゃ、近づけないらしいッ!」
往生際の悪さも、神クラスだな!
毒液をまき散らし、鋭い針がついた数十本の器官が、鞭の様にしなり、命を奪おうと襲い来る。一本、一本のスピードはそれ程ではないが、数が多すぎる。全て躱していては、いつまでも本体に、追いつけないだろう。
不味い事に、空間の圧縮に伴って、人々の願いの力も歪曲されたのか、周囲を満たしていた魔力が感じられなくなっていた。
「これじゃ、俺は、近づくために飛ぶのが精一杯だッ! だったら――」
イシ! ずっと隠れてたけど、お前の出番だッ!
イシをポケットから出し、その身体を巨大化させ、同時に、複数の棘を刃へと変換していく。
「お前のスピードなら、落ちながらでも薙ぎ払えるだろッ! 頼んだぜッ! 俺たちの通る道を開いてくれッ!」
今持てる半分ていどのマナを与え、イシを器官へ向けて飛ばす。高速で回転しながら刃を振るうイシが、腸の様な器官を裂き、その身体を宙へ舞い踊らせる。
器官の反撃が、イシを襲うが、その硬質の身体には、傷ひとつつかない。次々と首を刎ねられる様に、先端が宙を舞い、力を失って行く。
「今だッ! 一気に加速するぞッ!」
残った器官の間を縫うように、飛び、神の本体へ一気に近づく。そこで、ジジが口を開いた。
「うむ。このまま此奴の身体が、地表へ激突する時を待つのじゃ!」
視線を逸らし、確かめると、地面がどんどん近づいて来ていた。
「分かったッ! 激突で生まれる衝撃で、神の肉体を相殺するんだなッ!?」
ジジは、大仰に頷いて見せる。
「察しが良いのう。その通りじゃ、さすれば、空間の圧縮も止まり、陣じたいが破壊されよう!」
神がまだ生きていると言う事実に、背筋が寒くなるが、彼女の力は何度も見た、信頼できるモノだ。今回も大丈夫だろう。
上空へ目を向けると、赤い空が様相を変じ、宇宙の様な暗がりに変わりながら、こちらへ落ちて来る。
「今にも追いつかれそうだッ! 地表はまだかッ!?」
もうすぐ、あと少し、もう――来るッ!
「地表だッ! ジジッ! 頼むッ!」
だが、背後にいるはずのジジからは、返事がなかった。
「ジジッ!?」
揺さぶって見るが、反応はない、急いで振り返り、その身体を抱き止める。
「気絶してるッ!?」
これは――身体の傷のせいじゃないな。マナが、切れたんだ!
「クソッ! こんな土壇場で! どうすればいい――!?」
マナを、他者へマナを送る魔法なんてあるのか?
そこで、いつかの食卓での、アイシャとジジとのやり取りが、甦って来た。
「血の――固有精霊」
アイシャの生命力を利用して、ジジの身体を巻き戻した。
「出来るか分かんねぇッ! だが――」
もう、これしかない!
「ジジッ! 俺の血を受け取って、目を――覚ましてくれッ!」
身体の奥底から、赤い光が弾け出し、それがジジの身体へと入りこんで行く。だが、彼女はまだ目覚めない。それを見届けた後、急速にだるくなり、意識が少しずつ闇に呑まれて行く。消え入りそうな意識に走馬燈の様に、この世界で起きた様々な出来事が甦って来る。
ああ、短い間だったけど、色んな事があったな。初めて見た森で彷徨って、あの一つ目に追いかけられてアイシャに助けられ、それからのアイシャとの日常、黒服の連中との戦い、アイシャの過去の告白と、それに対する俺の決意、大精霊域でのジジとの初めての出会い、家までついて来たジジ、もう一人の自分との邂逅、師匠との魔法の修行の日々、あの墓所の連中。そして、得体の知れない黒い怪物。死門くぐりの試練に、この神との戦い、闇を覗き込んだ様な、恐ろしい体験で、その記憶が閉じられようとした時、心が否と叫んだ。
違うだろッ! 今、ここで、一番みえなきゃいけないのは、こんな記憶じゃないだろッ!
アイシャ――。
初めて彼女の顔を見て、命を救われた時の記憶、そして、彼女とのかけがえのない約束。
暗い眼前には、輝く太陽の様な笑顔が浮かび上がっていた――。
眠りに落ちかけた意識が、再び力強く覚醒していた。そして、ジジへ向けて、血の魔法を使う。これで、マナが戻るかなんて分からない。
でも――!
「頼むッ! 目を――覚ましてくれッ! お前しかいねえんだッ!」
赤い光が再び、ジジの身体へ取りこまれ、意識にもやがかかった様に、急激に眠くなる。そのまどろみの中で、誰かの力強い言葉が聞こえた。
「しかと承った!」
直後、大地を突き上げる破壊的な振動と、もはや、音とも思えない、雷雲に取りこまれた様な、轟き、そして、神の肉体を通じて、その死の力がせり上がって来る。
「させぬッ! 今ここで――全ての禍根を断つ!」
「ニュータライズ・ゼロ・オースッ!!」
暗い眼前に、まばゆい光が見えた。そして、地を割り、全てを呑みこもうとしていた、衝撃が、霧散していく。
気が付けば、身体は大地へ横たえられていて、青い空が見えた。その落下は、既に止まっている様だ。神の肉体は消え去り、その場には微笑むジジの姿が見えた。手が伸ばされ、それを掴み身体を起こす。
「ああ、やっと、やっと――終わったんだな……」
ジジは、満面の笑みを湛え、無言で頷く。
そこで、先ほど眠りかけていた時に、聞こえた。不思議な声が甦る。
「な、なあ。お前、さっき、物凄い横文字で叫んでなかったか?」
ジジは、赤面し、慌てた様子で、否定する。
「さ、さあ? 何の事じゃろうな? 儂は、聞いておらぬぞ?」
そうかなあ? 確かに――。
「ケヒヒヒッ!」
なッ!? 今の声は――!?
驚いて、振り返ると、もう一切れの肉片と化した神が、薄笑いを浮かべ、こちらを見ていた。
「ケヒヒヒッ! まだ、何も終わってなぞおらぬぞ! 我は、今より精神世界へ潜み、ヒトの叫びを集め、肉体を甦らせるッ!!」
何だとッ!?
「惜しいのう。その異能。我が物とすれば、最強の使徒の軍団が、編成できたであろうに。まあ良い。小虫よ、覚悟しておれ、いつか貴様の元に戻り、必ず生きたままはらわたを喰らってやろう」
ジジへ目配せするが、力なくうなだれる。もう、彼女にも抵抗する力は残っていない様だ。
だが、そこへ、珍客が姿を現す。
「卑劣な性根は、変わっていませんね、イムイト」
ジジはその姿を見て、驚愕の声を上げたが、それよりも神の動揺の方が、遥かに上回っていた。
「何じゃ? そなた、何故、儂の姿をしておる!?」
「き、貴様はッ! 何故ッ! 何故ここにいるッ!?」
謎の女性は、穏やかだが、心の内を凍りつかせる様な、冷たい声音で話す。
「奇しくも、あの日の再現となりましたね。……しかし、今回は逃がしはしませんよ」
神は恐れ慄き、恐慌をきたし、その場から逃げようと地面へ潜り始める。
だが、それよりも速く、一瞬で動いた女性が、神の肉片を掴んでいた。今にも握り潰しそうな力が込められているのが、見ただけで分かった。
「貴様ァッ! 馬鹿なァッ! ――そうか、先のおぞましい金属も、貴様の差し金かッ! 我を滅ぼそうと、一万年いじょうの時を、待ち続けていたのかッ!?」
もはや、女性は、何も答えない。ただ、その手が輝き始め、神が呻き、許しを請う。
「アアアアッ!? 待て、我と貴様の仲ではないかッ! のう? 考え直せッ! 頼む――!」
「許し――」
その途切れた言葉を最後に、イムイト神の肉片は、砂の様に崩れ去り、風に乗って消えて行った。
「何じゃ、今のは、一体。そなたは何者じゃ?」
ジジの問いかけに、女性がこちらを向き、話はじめる。
「ごめんなさい。貴女の姿を勝手に、真似た事も、私の名前を話せない事にも、理由があるのです。先に謝っておきます」
ジジから念話が送られてくる。
(此奴、信用できぬぞ。名も姿も明かさぬ者なぞ、何を企んでおるか分からぬ!)
でも、この人が、加護を与えてくれなきゃ、俺もお前も、とっくに死んでたんだぜ? 話だけでも聞いてみないか?
(ぐぬぬぬ)
ジジは頭の中で唸り、そのまま沈黙した。
「今回、宿縁の仇敵である、イムイトを滅ぼせたのは、全て、貴方のおかげです。改めてお礼を言いましょう。ありがとう」
そう言って、女性は、深々と頭を下げた。ジジの姿をしているせいか、淑やかで、礼儀正しい態度が、幾分、滑稽に映り、思わず笑いだしそうになって隣を見たが、ジジは相変わらず不機嫌そうに、女性を睨んでいた。
女性は、おもむろに両手を上げ、その指で七の数を取る。それにジジが噛みつく。
「何じゃ? 何のつもりじゃ、その指は?」
その剣幕に、気圧される様子も見せず、淡々と語り出す。
「貴方は今日、二度の死闘を経て、その力を酷使しました。……死にたくなければ、一週間は、力を使わず、安静にしてください」
ええ!? 俺の話だったのか!?
「で――でも、また危険な奴らが襲って来たら、どうすれば!?」
女性はゆっくりと首を振り、隣にいたジジに視線を送る。
「逃げて、仲間を頼ってください。それだけが、これから生き残るための手段と理解してください」
ジジは我慢ならなくなったのか、また噛みつく。
「その様な事――、何故、そなたに言われねばならぬ? カイトの身体の事、何を知っておると言うのじゃ!?」
女性は口元を覆い、優し気に笑った。
「ふふふっ。少なくとも、貴女の数倍は、深く知っていますよ」
「何じゃと!? 己、挑発のつもりか!?」
ジジは興奮して、まくしたてる。
「ふふふっ! 本当に、彼を愛しているのですね。誰よりも深く知っているのは、自分でいたいと……。本当に尊い感情ですわ。けれど、同時に危うくもあります。彼の命を再び救いたいのであれば、貴女は誰よりも冷静でいなければいけません。そんな幼児性にも似た感情を振り回していては、足をすくわれますよ」
「何じゃと!? 儂の――、何処が幼いと言うのじゃ!? そなたこそ、己が身の可愛さ故に、全てをカイトに押し付け、そして、今も正体を隠しておるのじゃろうてッ!」
うおおお、女の戦いが始まってしまった。どうすれば……。それに、どっちも同じ姿をしてるからシュールすぎる!
だが、意外にも、女性はそれ以上は追及せず、再びあの言葉を繰り返した。
「良いですね? 危険を避け、一人で無茶をせず、仲間を頼ってください。今の貴方に、何よりも必要な事ですよ」
そして、その姿が少しずつ、薄れて行く。
「彼の神は、滅びました。この戦術陣も、もうすぐ消え去るでしょう。努々、忘れなきよう。死を遠ざけるには、仲間を信じ、頼りなさい。四畝波海兎――」
え!? 俺の、本名!? この世界では、まだ、誰にも言ってないのに!?
女性は完全に消え、隣のジジはまた不満そうに唸った。
「よせ――なにがしとは何じゃ? カイトの名を間違えて、儂より深く知っておるなぞと宣うとは、笑止千万よ!」
勝ち誇ったジジの横顔を、申し訳ない気持ちで見つめる。
けど、何かちょっと可愛く思えるな。
ここで、空間に亀裂が入り始め、地震の様に、揺れ動き始める。
「おっと、もう、ここも消えるみたいだな!」
隣のジジへ手を伸ばすと、あちらから優しく握られた。
「その様じゃのう。はあ、大層、難儀な大仕事であったわ。じゃが、ようやっと生ある者の世界へ帰れる。それは、何物にも代えがたい喜びであろう?」
「そうだな! 帰ろう!」
戦術陣が消滅する瞬間、幾千、幾万もの人々の感謝の言葉が、こだました――。
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