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あの日の決意から進めたのだろうか?

 明るい笑顔で話すアイシャに、恐る恐る切り出す。


「あの、あのさ。君には、あんまり話したくなかったんだけど、黙っている事も出来ない! ……だから、聞いて欲しい」


 ただならぬ様子に、何かを察したのか、アイシャの表情がこわばる。それを見ただけで、身体の動きは鈍く、開きかけていた口が、重く閉ざされそうになる。


「それって、カイトの服が、ボロボロなのと関係があるんだよね?」


 黙ってゆっくりと頷く。

 朝方の黒い怪物との死闘、死門くぐりの試練、そして、神との戦いについて、ひとつひとつ話して行く。ジジは、改まった顔で、それに耳を傾けていた。


「でもさ、朝の奴はともかく。神との戦いは、師匠から奥義を教わるには、必須な事だったんだ。それだけは、理解して――」


 全てを言い終える事は出来なかった。言い訳がましく聞こえる。彼女の心を傷つけ、また重荷になってしまう、その事実は変わりはしない。あの時、あの日の決意から、一歩も進めていない事になる。それは、必死に戦い抜いた心には、受け入れがたい事実だった。


 アイシャは胸に手を当て、唇を真っ青にして、震えていた。


「そん、な。そんな、事が……」


 アイシャは一瞬、ジジを強く睨んだが、すぐに思い直した様に、首を振った。


「ううん。ジジちゃんは、悪くないよっ。皆、みんな、カイトを傷つけようとした敵が悪いっ! でも――」


 小さく呟かれた言葉と、その視線に、ジジはショックを受けている様だった。目を逸らし、申し訳なさそうに、俯く。


「どうして――!? カイトは、これ以上、傷つかないために、強くなろうとしてたんだよねっ!? なのに――なんで、そんな戦いに巻き込まれるのっ!?」


 大きな金の瞳からは、大粒の涙が溢れ、流れ落ちて行き、その場の時間が止まる。

 その問いに答える事の出来る者は、この場にはいなかった。


「ううっ。酷いよ――どうしてそんな事ばっかり」


 とめどなく溢れる涙は、俺の運命を嘆いているのだろうか。それは、彼女の優しさの証でもあった。その事実が、余計に心を重くする。

 しばらくして、矛先が変わり、こちらへ非難の言葉が浴びせられる。


「カイトのバカァッ! どうして、一人で戦ったりしたのっ!? もし、もしも、死んじゃったりしてたら、私との約束も、どうするつもりだったのっ!?」


 何も返せず、黙っている事しか出来なかった。


「ううっ。バカ、バカァ――」


 気が付けば、彼女の震える肩を、強く抱きしめていた。

 アイシャは、抵抗するが、引き離そうとする力は、弱い。


「バカ……」


 そして、俺の胸に、長い耳を当てた。


「でも、こうしてると、カイトの心臓の音が聞こえる……」


「まだ、ちゃんと生きてるって伝わって来る……!」


「カイトの身体は、私との約束をちゃんと覚えてる……。まだ、裏切ってなんかいない……!」


 落ち着いたのか、嗚咽は聞こえなくなっていた。


「偉いぞっ……心臓くん」


 俺の胸に手が当てられ、優しい言葉がかけられる。


「だから、この鼓動に免じて、今回は、許してあげるね……」


 その様子に安心して、意識していなかった密着を感じ始める。


「あっ! 今、早くなりだした! すっごくドキドキしてる……もう! また、えっちな事かんがえてるのっ!?」


 アイシャは指で俺の腕をつねる仕草をして見せた。


「ホントに、節操なしなんだからっ!」


 まだ無理をしているのが窺えるが、ひとまずは、落ち着いてくれた様だ。何度も確かめた決意と、それを原動力に進んできたはずの自分が、またここへ戻って来てしまった事を、不甲斐なく思い、心は師の言葉へと瞬間的に、飛翔していた。

 もし、奥義を継承できたなら、全ては変わり、今度こそ彼女を傷つけない強い自分になれるのか。その事実を一秒でも早く確かめたくて、心は明日へと逸って行くが、アイシャがそうさせてくれない。


「もう少しだけ、こうさせて……」


 腕の中で、アイシャが蕩ける様な声で、そう呟いた。心音が急激に早くなり、彼女の心の高まりと、ひとつになった気がした。


 そして、ゆっくりと身体を離した。


 この話は、もう終わりだろうか。安心したらもの凄く腹が減って来た。軽薄だと思われると心外だが、空腹は堪える。

 アイシャはこちらを上目遣いで見やり、甘える様な声を出す。


「でもぉ、心配だからぁ。……明日からカイトの修行に、私もついて行っちゃおうかなっ?」


 別について来られても困る事はないけど、家の仕事は大丈夫なのだろうか?

 その疑問を察したのか、駄々っ子の様な、調子で話はじめた。


「行くったら、行くんだからねっ! 絶対だよっ! それで、私がカイトを守るんだからっ!」


 その言葉に、強い信頼感を覚え、感動していると、ジジが申し訳なさそうに呟いた。


「話の途中で、すまぬが、儂は――」


 な、何だ!?


「腹が減ってしもうた! この漂う香り! これが、空腹を否が応でも意識させよるっ! も、もう堪らぬ!」


 アイシャは、吹きだし、楽しそうに笑って、夕食の準備を始めた。

 はあ、こいつ。天然なのか、計算ずくなのか、分かんねぇくらい、タイミングよく動いたな。ある意味、感心するぜ。


「ふふぅん。いい匂いの正体はねぇ、これだよっ!」


 食卓へ三人分の皿が並べられ、そこへ乗った料理を見つめる。


「今日は、シチューじゃなくて、ステーキだよっ! たっくさん! 味わって食べてねっ!」


 うおおお!? 肉は、あの一つ目のだろうけど、いい具合に焼けてて、鼻孔をくすぐるこの香りっ! すっげえ、美味そうだ!


「に、肉じゃあ! 肉じゃあっ! 酒を持ってまいれっ! 今宵は、酒池肉林の宴じゃあ!」


 匂いにあてられたのか、ジジがおかしな事を口走る。


「いや、俺、酒なんて飲めないからなっ」


 ジジは不思議そうにこちらを見つめる。


「何じゃとっ!? その歳でか!? ……ふむ、しかし、酒は良いぞ。飲めば、身体は熱く、思考は蕩け、快楽の渦へと呑まれて行く。まるで、行きずりの男との一晩の燃え上がる恋の様じゃっ!」


 あれ、なんかぐさっと来た、何でだ!?

 調子に乗って喚き出すジジの言葉が、癇に障った自分に驚く。


「なんてのっ! どうじゃ? 儂の身体が、他の男のモノになった事があるのかと思うて、嫉妬が燃え上がったかっ!? うむ、うむ。まっこと愛い奴じゃっ!」


 く、くそっ! こいつ、わざとあんな事を――!


「お、お前ぇっ! した事もない事を、やったみたいにっ! それに、はしたないぞっ!」


 大盛りの肉を前に、浮かれるジジは、大声で笑いながら、こちらを挑発し、まるで既に酔っているかの様だった。大層、機嫌よく、暴れ出しそうなジジのもとへ、アイシャが別の料理を持ってきて、釘を刺す。


「ジジちゃん……? お肉を前に、浮かれるのはいいけど、あんまり騒いでたら、ご飯たべさせてあげないよ? お行儀が悪いんだからっ!」


「はっ!?」


 その言葉に、ジジは硬直し、力なくうなだれる。


 おお、すげぇ効き目。


「しかしのう、カイト……? これだけは、言っておく」


 顔を赤くしたジジが、こちらへ流し目を送る。その真剣な瞳に、顔が熱くなるのを感じた。


「儂は、正真正銘、清らかな乙女じゃ。……今朝の続きは、いつでも良いぞ?」


 その言葉を聞きつけたアイシャが、慌てた様子で尋ねて来る。


「なに、何なの、その今朝の続きって!?」


「くふふふっ! 儂と、カイトだけの秘密よっ! 小娘には刺激が強すぎて、まだ早いわっ!」


「ああっ! ジジちゃんっ! また小娘って言ったっ! せっかく名前を呼んでくれる様になってたのにっ!」


「おおっ! それは、すまぬ事をした、しかし、ここは譲れぬのう。……それにのう、今宵、儂とカイトは、血の契りを交わし、真の家族となったのじゃあっ! どうじゃ、小娘よっ! 羨んで、血涙がちょちょぎれるじゃろうっ!?」


「もうっ! また小娘って!」


 ここで、怒りの形相のアイシャの視線が、こちらへ注がれる。

 うおおお!? すっげえ、プレッシャーを感じる……。黙ってやり過ごすのは無理みたいだ!


「カイトっ!? 何なのっ!? 血の契りって!? ――ま、まさか、えっちな事を――!?」


 ご、誤解だっ! 隣のジジを睨んだ後、慌てて弁解を始める。

 こいつの事だから、あの時の事を、大袈裟に話してるんだろう。


「今日の、神との戦いの過程で、マナが切れて気絶してたジジに、血の力を分け与える魔法を使ったんだっ! 多分、それの事だよっ! 何もやましい事はないと、断言できる!」


 い、いや、今朝の事は、言い訳できないけどさ……。


 アイシャは、しばらく考えこんだ様子で、おもむろに口を開く。


「えっ? カイト、いつの間にそんな魔法つかえる様になったの……? うん、でも、それなら、私とジジちゃんも、もう姉妹だよっ?」


「へ!?」


 素っ頓狂な声を上げるジジに構わず、アイシャが勝ち誇った様に、話す。


「だって、前に、私の固有精霊のラブちゃんに、ジジちゃんの身体を巻き戻してもらったでしょ? あれも、私の血の力を使ってるから、ジジちゃんの中に、私の血が混じった事になるよっ?」


「何じゃとっ!?」


 ジジは大袈裟に驚き、直後、うなだれて、食卓へ突っ伏す。それを事前に予測したアイシャが、素早く皿を動かした。


「ふふぅん。これからもよろしくねっ。ジジお姉ちゃんっ?」


「くふっ!?」


 アイシャの皮肉めいたトドメの一撃に、ジジが呻きを上げて痙攣する。


「そ、そなたが、妹とは……。不覚」


「あ、その反応、酷くなぁい? 私は、ジジちゃんが、お姉さんでも、不服はないけどなぁ?」


 これは、アイシャの勝ちだなぁ。器の大きさを見せつけちまった。


「お、己ぇ! では、そのちゃん付けを止めぬかぁっ! 姉の威厳を感じる呼称を用いるのじゃっ! ほれっ。ジジさまと呼べい!」


 ジジは負けを認めず、しつこく食い下がる。


「ええっ!? お姉ちゃんを、さま付けなんて、偉い人しかしないよっ? 私は、もっと素朴な姉妹がいいなぁ?」


 ここで、つい突っ込んでしまう。


「い、いや。お姉さまとかで、名前にさまはつけないんじゃないかな?」


 ジジがこちらを鋭く射抜く。


「……おんしは、儂と家族になりとうないのか?」


 はあ!? どんな文脈だよっ! それっ!


「はいはい、ジジちゃん。楽しいお遊戯は終わりっ! ご飯にしよっ!」


 余裕のアイシャにその場はまとめられ、不毛な論争は終了と相成った。いつもの儀式が終わり、食事が始まる。

 もう空腹で待ち切れなかった所へ、ジジがおかしな話を広げ始めたせいで、随分と時間が経ってしまったが、食事は滞りなく進み、俺たち『家族』の旺盛な食欲は満たされて行った。


 しばらくして、腹をさすりながら、くつろぐ。


「はあ、食った。食った。何か、今日の疲れが吹き飛んだみたいだ」


 同じく腹をさするジジが、満足そうに答える。


「うむ。真に美味であった。儂も、今日はちと堪えたからな。滋養の溢れる食事は、明日への活力となるじゃろう」


 台所へ行っていたアイシャが、手に怪しげな皿を持ち、戻って来た。その顔は満面の笑みを湛えている。


「ふむ? 何じゃ? その、蓋のされた皿は? 何が入っておる?」


 こ、これは――まさか――!


「ふふっ。とっておきのデザートだよっ!」


 アイシャは、ちらちらと俺とジジの顔を、交互に見やり、微笑む。


「先に手を挙げた人に、あげちゃおっかなぁ?」


「ほっ!」


 最後まで聞き終わるまでもなく、ジジが光速で右手を挙げた。それを確認して、心の中でほくそ笑む。


 く、くくく。まんまとかかったなぁ……。そいつは、お前の思ってる様な良いモノじゃないぜぇ?

 こちらが、最初から競う気もなかった事に気付かないジジが、勝ち誇った表情で、見つめて来た。


「くふふっ! どうやら、儂の余りの素早さに、応じる余裕もなかったと見える。……ほれっ。早うその馳走を捧げるのじゃあっ!」


 く、くくく。ダメだ、まだ笑うな、堪えろ……。


「はいっ! じゃあ、勝者は、ジジちゃんっ! とっても貴重な食材を使った料理だからぁ。たっぷり味わってねっ?」


 蓋が開け放たれ、それを目にしたジジの輝く瞳が、一変し、暗く淀み始める。


「な、な、何じゃぁ? これは……?」


 アイシャは勇んで答えた。

 今にも笑いだしそうなのを必死で堪える。ここで、笑ってしまったらジジの心証は、最悪になるだろう。一時的なモノとは言え、出来るだけ避けておきたい。勿論、大声で下品な馬鹿笑いを披露し、散々に煽り散らかして、ジジの怒りを誘い、それによって、目の前の虚無から救いだしてやる。そんな悪魔の皮を被った天使の様な作戦も取れなくはない。だが、ここは、初めてこれを目にするジジの反応を、余すところなく自然の姿のままで受け止めるべきだろう。それが、先達である俺が送れる最大のエールだった。


「キュクロプス一体につきぃ、ひとつしか取れない、超希少部位! それをじっくりぃ、丁寧にぃ、焼き上げた。その名も――!」


「ナマ目玉焼きぃっ! だよっ!」


 相変わらず悪戯心は、感じても、悪意はない、その純粋さが、逆に恐ろしい。他者へこれを食する事を望む、それが何を意味しているのかを、彼女はいまだに理解していないのだ。

 純粋な輝きと期待に包まれたアイシャの瞳と、暗く淀み、この世のあらゆる辛酸をなめ尽くしたかの様な、絶望に満ちたジジの瞳とが、対称を結ぶ。


 やがて、震えるジジが、消え入りそうな言葉を紡ぎ出した。


「これ――これを、儂に食えと……?」


 アイシャは曇りのない瞳で答える。


「うんっ! そうだよっ! とぉっても美味しいからぁ。ほっぺたが落ちちゃうかもねっ?」


 ただただ残酷な言葉が、震えるジジに突き刺さって行く。


「い、嫌じゃあっ! 嫌じゃあっ!」


 想像とは違って、良い物が現れれば、皆、喜び平和の内に幕は閉じられる。だが、悪い物が出たのでは、救われない。ジジの悲鳴は、アイシャの笑顔の前で、ただ虚しく響いた――。

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