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希望の価値

 貪られ、混じり合った怪物は、再びヒトの形を取ったが、その身長は三メートル程に伸び、天井ちかくで頭が揺れ、こちらを見下ろす。頭部の覆いは以前のままだが、胸から股までが一直線に裂け、そこに縦に割れて、横向きの歪で鋭い歯をそなえた巨大な口が出来上がる。その中心には、あの背後にいた一体の頭部が埋まり、上部で不気味に脈打つ心臓を守っているかの様だった。口からは得体の知れない体液が、糸を引いて垂れ下がり、床を汚して行く。


「デカさだけなら、この世界に来て初めてのサイズだな」


 人型でなければ、間違いなくあの神だろうが。

 巨体が揺れ、大きく踏み出された足が、床を踏みしめ、こちらへ右腕を振り抜いた。それを身体を捻って躱し、反撃を加えようとしたが、先端が背後に消えた右腕で、何かが光った気がした。


「何だ――!?」


 右手にはまたあの武器が握られていて、その刃が内側を向いて、腕が引き戻される。それと同時に、注意のそれた左手にも武器が握られ、こちらを挟み潰す様に、両腕が動いた。


「うわあ!」


 咄嗟に屈み込んで、挟撃を避けるが、しゃがんだ身体へ向けて、刃が振り下ろされる。それを後転しながら、躱し、勢いに乗って、立ち上がる身体へ向かって突進して来て、真ん中の口で噛みつこうとする。


「おせぇッ!」


 巨体の見え透いた突進を、後方へ飛び退いて躱そうとした所へ、口の中に埋まっていた一体が、腕を伸ばし、服の袖を掴んだ。驚異的なパワーで引き込まれそうになる。醜悪な縦に裂けた巨大な口から、腐敗臭にも似た匂いが漂う。


「クソッ! 汚ねぇモン近づけんじゃねぇッ!」


 指先に鋼を纏い、鋭く尖らせたそれで、服の端を裂き、巨体の股下へ滑り込んで、背後から臀部を蹴る。前方へ揺らいだ巨体は、大きく一歩を踏み出し、バランスを取り、すぐさま両腕の武器を構えながら、回転し始める。


「リーチも伸びたせいか、かなり躱しづらくなってるッ!」


 いや、待てッ! あいつがいねぇ!?


 回転に、巧妙に隠されていたが、口の中に埋まっていた一体は、消え、その跡にぽっかりと黒い穴が開いていた。


「どこへ――!?」


 その時、背後から腰背部を強打され、強烈な痛みと共に、前方へ吹き飛ばされる。


「うぐッ!」


 目の前には、武器を構えた太い右腕が待ち受けていた。それの狙いは――!


 左半身!? 真っ二つにするつもりかッ!?


「ハキスッ!」


 瞬間的に、左半身を分厚い鋼で覆って行く。そこへ、巨大な刃が突き出された。高い金属音と共に、火花が散り、周囲が明滅する。


 ダメだッ! この鋼だけじゃ耐えられねぇッ!

 表層の鋼が削り取られ、内部へ達しようとしていたが、身体を前進する刃から逃げる様に、捻り、そのまま右腕を巨体へ向けて、繰り出した。


「くらえッ!」


 衝突を止めたカウンターの威力に加えて、相手の力によって、回転した半身が、爆発的なパワーを生み出す。


 左半身への力が、右半身を弾ける様に、加速させてるッ!


 狙うは口の中に隠れたあの心臓だ。突き出した腕を直撃と同時に、強烈に引き、今持てる全ての技を重ねた一撃を加えた。


「ンンッ!? ンンンッ――」


 ゴムの塊を叩いた様な不気味な感触の後に、心臓は撓み、内側から膨らんで、揺れ動き始める。そして、一瞬あと、破裂音と共に、血が噴き出し、巨大な怪物の一体は、息絶えたかに見えた。


 だが――。


「クソッ! またかよッ!」


 後ろからもう一体が、飛びついて来て、視界を覆い隠す。


「やべぇッ!」


 もう、何が起きたのかは見えなかったが、背中に鋭い何かが二本、食い込んだのは痛みで分かった。


「ぐああああッ!」


 さっき、デイに受け止めさせた四本の内の、残った二本かッ!?

 ダメだ――このままじゃ身体を両断されて即死ッ!


 アムダイとの戦いを思い出せ――過剰なパワーを持った治癒魔法は、傷が出来る速さを上回り、回復し、攻撃を押し返す。もう、何も出来なくても、今すぐ死ぬ訳には行かねぇッ!


「マナが切れるまで回復し続けるッ!」


 それは、絶望的な抗いに過ぎなかった。回復しているだけで、何も反撃の手立てはない、状況が好転する望みもなく、ただ死が訪れるまで耐え続けるだけ……。


「それでも、それでも――このまま死ねないッ!」


 こちらの行動を面白がって、嘲笑っているのか。両目を覆い隠していた手がずらされ、目の前の光景が見え始める。心臓から血を流した巨体が近づき、その口に取りこまれ、鋭い歯が身体へ食い込んだ。


「うがあああッ!」


 身体へ食い込み、引き裂こうとする歯に治癒魔法の力で抵抗し、押し戻す。それに苛立ったのか、巨体は俺を挟んだまま突進を始め、直後、背中が裂けそうな激痛と共に、再びあの二本の刃が食い込んで来る。小さいもう一体は、巨体の肩に乗り、こちらを挑発する。


「うぐッ!」


 空間を震わす振動、何かを破砕する轟音、そして、飛び散る黒い膿。徐々に、全方位が暗がりに包まれて行く。それで状況が分かった。


 壁へ激突して、そのまま押し砕きながら、進んでるのか!?


 だったら――だったらッ!


「こうするだけだッ!!」


 稲妻を生めッ!


 目の前の巨体に、電撃を直接、流し込み、その生命力を削って行く。そして、背後の空間の毒素が爆ぜ、燃焼を始めたのを感じた。


「俺と、お前ら、どっちが先にくたばるかだッ!」


 大爆発が起き、巨体はもはや自分の意思では動けず、爆発の衝撃に押しやられながら、壁を砕き続ける。肩の一体は、揺れと電撃に耐えきれなかったのか、後ろへ落ち、爆発に呑まれた様だ。

 巨体がほぼ空間を埋めているため、こちらへは爆発の影響は届かない。そこへ、狂った様に、電撃を流し込み、同時に治癒魔法を使い続ける。


 こんな使い方したら、すぐマナが切れて終わりかもな……。


 だが、意外な事に、背後の壁は途切れ、何もない空間へ強烈な力で、吹き飛ばされた。


「うああああッ!」


 着地の瞬間、胴体を捻り、背中の刃が食い込むのを避ける。

 身体を起こし態勢を整えた所で、気付いた。辺りを明るく照らす、月明かりの様な優しい光に。


 背中に刺さった刃を取り払い、呆然とそこへ座っていると、慣れ親しんだ声が聞こえた。


(カイトか!? 儂の陣にまで到達したのじゃなっ!?)


 ジジッ!?


 目の前では、大爆発が空間を覆い始め、巨体がこちらへ向かって、刃を構えながら、飛び込んで来る。


「クソッ! こいつ――まだやる気だッ!」


 ジジは慌ただしく言葉を続ける。


(今、神が突然くるしみ出した。おんしが体内で何かやったのじゃな?)


 無茶かも知れねぇけど、内部でも爆発を起こした! それよりも、今、目の前に危険が迫ってるんだッ!


(そのままじゃっ! そのまま光の中へおれ! 今、満月の力を送るっ! 絶対に動いてはならんぞ!? 何があっても儂を信じよ!)


 身体の内側に春の陽光の様に、温かく穏やかな力が満ちて行く。同時に、マナが切れて、傷だらけだった身体が、治癒されていく。


「これが――お前の力なのか?」


 驚いている暇はなかった。目の前で、巨大な刃が、こちらの胴体を両断しようと迫り、その一撃が叩きつけられた!


 かに見えた。


 身体に叩きつけられたはずの斬撃は、何故かこちらを傷つけず、目の前の巨体の上半身が両断され、弾け飛び、背後の爆発へと巻き込まれて塵となる。残った下半身は、その場に血を吹きながら倒れたが、すぐにそれも飲みこまれ、あまりの轟音と眩しさに、両耳を塞ぎ、俯いた。


 しばらくして、閃光と轟音が止み、ゆっくりと目を開けると、敵の姿は消え去り、崩れ落ちて様相を一変させた部屋の様子が見えた。壁に埋まっていた部分には、神経か血管とおぼしき巨大な管が、お互いに捻じれあいながらつながり、その根元を辿ると、息をするのも忘れるほど、巨大で不気味な造形の物体が現れる。


「これ、これが――あの神の眼球の内側か」


 そこでまたジジの声が聞こえた。


(大事ないか? ふむ。おんしの気配をしっかりと感じるぞ。難は去った様じゃな)


 ありがとう。また、借りが出来ちまったな。何の力なのか分からないけど、この光の輪のおかげで助かった。


(うむ。……もう、悠長に話しておる余力もなさそうじゃ、儂も――)


 そこで、念話は途絶え、ジジからの声は聞こえなくなってしまう。周囲を覆っていた、光も消えて行く。


「どうしたんだッ!? おい、ジジ――」


 くそっ! 考えたくないが、ジジの身に何かが起きたらしい! 早く助けに行かないと! だが、どうすれば?


「ここから出るには、どうすればいいッ!?」


 巨大な眼球とその神経がつながる先とを、交互に見比べる。神経の元には、また黒い心臓の様な巨大な楕円形の球体があった。その大きさは、数十メートルにも及び、高層ビルの如く屹立する。


「くそっ! さっぱり分かんねぇ。弱点はここにあるはずだ! だけど、どっちを破壊すればいいのか――」


 そこで、周囲の空間から染みだす様に、不死者たちが這い出て来る。


「クソッ! 考えてる時間もねぇッ!」


 こちらへ襲い掛かろうと、群れを成す不死者たちが、一斉に動き出した。


「こんな数を一気に倒すのは無理だッ! なら――」


 腕で起こしていたあの技を、足で使う。思い切り持ち上げた足を、床へ叩きつける瞬間に、引き、その爆発的な力で空中へ飛び上がり、同時に生じた衝撃波で、群がる不死者たちを薙ぎ払う。


「どうする? アムダイの言葉、この体内で起きた現象、その二つから見て、この指輪が、神の肉体にとって、劇毒なのは分かった! だが、どっちを狙えばいい!?」


 左手に見える眼球か、右手に見える、巨大な球体か。


「弾は、一個しかねえんだッ! もし間違えれば、このまま――」


 いや、まだ手はある。感じる。マナが、戻ってる。さっきのジジの力のおかげか?


「マナがあるんなら、こうするしかねぇッ!」


 瞳を閉じ、右手の指輪の宝石へ大量のマナを送りこんで行き、それを空間ぜんたいへ届く程あふれさせる。


 そんな魔法が、あるかなど、知るはずもなかった。だが、本能が叫んだ。


 こいつの身体にとって、この指輪の宝石の力は、劇毒だ。だったら、弱点の方に、何らかの変化が現れるはず!


 そこで、まるで幻覚を見ているかの様に、周囲の光景が一変する。


「何だ? ここ――」


 青白く光る巨大な球体の中で、小さな黒い影が現れ、こちらへ問いかける。


「小虫よ。貴様は、何故、そこまで我を滅そうと足掻く? その勝利が、何をもたらすと言うのだ?」


 こいつ――は、神の、霊体?


 巨大な肉体に似つかわしくない、小さな霊体が、続けて語り掛けて来る。


「我と溶け合えば、どの様な力でも思うがままぞ。我が使徒となれ、さすれば、貴様には例外的に、自由に顕現する力を与えよう。それをもって、ヒトの中に紛れて暮らすが良い。あらゆるものは、貴様に傅き、その力にひれ伏すであろう。無論、国を持つ事も可能だろう。どうだ? 良い取引だとは思わぬか……?」


 なに、言ってんだこいつ――。


「どうした? 金、権力に、あらゆる欲望を叶えられる。そう、貴様のような若い男には、女は欠かせぬな。どの様な美女も、容易に手に出来よう」


 こちらが答えないのを不満に感じ始めたのか、神の態度が変わる。


「答えよッ! 躾けのなっておらぬ小虫が!」


 目を閉じ、神の言葉を反芻する。

 ああ、いいよな。確かに、自分の国を持って、そこで好き放題に豪遊して、あらゆるヒトは、俺にひれ伏し、誰も逆らう者はいない。

 巨乳の美女だって、よりどりみどりさ。どんな快楽も享受し尽くせる。夢みたいな話だ。


 だけどさ。


 だけど……。


「そんなものに、何の意味がある?」


 神は、不穏な声を上げる。


「何?」


 アイシャとの約束を、思い出す。

 そうだ、あの約束は、ヒトとしての俺が、交わした物だ。なのに、ヒトじゃなくなっちまったら、とんでもない裏切りじゃねぇか。


 答えなんて最初から決まってる。


「何度でも言ってやるよッ! そんなものに、何の意味があるッ!?」


「ヒトとして、誰かを好きになり、ヒトとして愛し、そして約束を交わしたッ! それは――何よりもかけがえのないモノで、俺の人生の希望そのものだッ!」


「それを失って、空虚に快楽を追及する生活なんて、死んでもゴメンだぜッ!」


「お前は、ヒトを分かってない! 希望の価値は――安っぽい快楽なんかじゃ、塗り替えられねぇッ! そして、何よりも――! このままの姿で、再び会うことこそが! 今の俺を突き動かす原動力で、それ以外のあらゆる選択は、裏切りに他ならねぇッ!」


「消えろッ! 俺は、俺の意志で、もう一度、希望を掴み取るッ!!」


 空間が揺らぎ、消え失せ、目の前に膿を流し、震える巨大な球体が見えた。


「血を流しているのは――」


 左右を交互に見て、確信する。


「眼じゃなくて、あっちの球の方だッ!」


 空中で、右腕からゆっくりと指輪を外し、それを握りしめる。


「すまねぇな。お前にも随分と世話になっちまったけど、もう、お別れの時みたいだ!」


 あ、師匠になんて言い訳しようか。まあ、きっと許してくれるだろ。


 そして、渾身の力を込め、巨大な球体の傷口へ向けて、指輪を投擲した――。

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