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異能『苦行の階段』

 煙を上げながら、立ち上がったアムダイの肉体は、修復されていて、傷がひとつも見当たらないが、驚いたのはそこではなかった。


「お前、そんなに筋肉質だったか!?」


 そうだ。アムダイの肉体は、隆起し、血管が浮き上がり、拍動する隆々たる筋肉に覆われた姿へと変貌していた。地球では、これほどの肉体の持ち主はボディビルダーくらいだろう。細かく亀裂が入って分かれた筋のひとつひとつが盛り上がり、見るからに堅く強靭な肉体を思わせる。


「シャアアア。この姿を取るのも本当に久しぶりですよ。誇りなさい、貴方は私の肉体を本気にさせた」


 どうなってる!? あの細身で身体を引きちぎる様なパワーを持っていたのなら、今はどれほどに――!?


 考える暇もなかった、目の前からアムダイの姿が消えているのに気付いたのが、もう少し遅かったら挽肉にされていただろう。

 上部に飛んでいたアムダイの肉体が落とした僅かな影、それが救いとなり、反射的に背後に飛び退いたが、右拳の突き立てられた地面は、大きく抉れ、剥片を周囲に飛ばす。


 不味い――!


「アーグロア!」


 魔法の名前を無意識に叫び、それで作りだした壁で飛礫を防ぐが、それも束の間、再び襲い来るアムダイが分厚い壁を易々とぶち破り、その右手に腹部を掴まれてしまう。


「ぐはっ」


 身体ごと持ち上げられ、指が腹の肉を破り、次々と出血していくだけでなく、内臓を締め上げられる凄まじい苦痛と、濁流が喉へと上がって行くのを感じた。


「あ、あがっ。ごほっ」


 痛みに呻いて、血を吐き出す様を悠々と眺めながら、瞳孔の見えない不気味な黒い瞳を怪しく光らせる。


「シャハハハ。実にイイ表情ですよ。どうです? これが、絶望の味だと思いませんか? 他では絶対に味わえない、どんな美酒にも勝るモノでしょう?」


 出血に朦朧とする意識を、腹部を締め上げる苦痛が無理やり覚醒させようとする。地獄の様な苦しみだったが、アムダイの吐いたその言葉は幾らか滑稽に思えた。


「はっ! お前の主を、初めて見た時と、比べたら、屁でもねえよ」


 発声と同時に吐き出された血が、アムダイの怒りの形相を赤く彩って行く。それと同時に、腹部を掴む手に更に力が加えられた。もう傷口は貫通し、指どうしがつながった様だ。


「ぐはあっ!」


 不味い……。何か、何か、手を、考え、ないと……。

 そうだ、あいつ、なんて、言ってた? 全ての、魔法を、行使する、力。

 すべて、全て?


 ああ、もう、ダメ、だ。目の、前が、暗く、なって、来て、幻覚が、見え、始めて。

 そこには、アイシャ、ジジ、デルライラムら、この世界で出会った信頼すべき人々の顔が見えた。


 アイ、シャ……?


「ヌアッ!? この光は……!?」


「ヌオオオ!? 馬鹿な!? 突き刺した指が押し戻されて行く!?」


 そうだ、彼女も、そんなに得意とは、言って、なかった、でも。


 覚醒する意識から両目を力強く見開く。


「この世界には! 治癒魔法がある!」


 完全に抜けたアムダイの指が、空を切り、今度は首へ向かって伸びるが、それを片手で掴んでへし折る。


「アア!? ウガァァァッ!?」


 あり得ない方向へ曲がった自らの腕を押さえ、アムダイは悲鳴を上げて後ろへ下がった。そこへ、逃げられない様に、背後に壁を作り出し、大きく踏み込んだ!


「忘れてたよ、パワーやスピードに頼りっきりじゃダメだ。それだけじゃダメだから門を叩いた!」


 大きく右腕を振りかぶり、渾身の力を込める。


「そうだ!」


 音速の拳は、アムダイの腹部を捉え、続いて、顎を打ち上げた。


「俺は魔法使いだッ!」

「アガアアアアッ!」


 上部へ突風の様に飛び、天井へぶつかる姿が見えた。そのまま落ちてくるかと思われたが、アムダイは今の一撃にも耐えた様で、薄気味悪い笑いが聞こえる。


 天井を両手で押し、移動したアムダイが、目の前の少し離れた位置に降り立つ。俯いた顔からは表情は読めない。


「ふふふ、まさか、こんな泥仕合になるとはねぇ。イイですよ貴方。実に私の好みだ。女性だったら求婚している所ですよぉ」


「実に! イイィィィッ!!」


 口から大量に出血していたアムダイの血が突然とまり、また身体から煙が上がり始める。

 今度は見てしまった。それの行われる様を余すところなく。


 アムダイの筋肉が、ひび割れるかと思える程の血管の隆起に覆われ、空気を吹き込んだ風船の様に、一段と大きく膨れ上がって行く。もはや、地球上の人間の域を遥かに超えていた。しばらく様子を窺っていると、完全に次の段階へと移行したのか、煙も消え、顔を上げこちらを睨み付けた。


「どうですッ!? この人智を越えた肉体ィィィはッ!? 絶望の象徴とも言えるでしょう!?」


 確かに筋肉だけなら完全に化け物だな。


「はっ! それが絶望だと? 笑わせる。山くらいデカくなってからほざきな!」


 今や、膨れ上がった顔面の筋肉と血管に覆われた口が、歪に笑いの形を取る。


「ィィィッ! よく言いますねぇ。その言葉、いつでも取り消せる様に、頭だけは残してあげますよッ!」


 外には本物の絶望が待っている。こんなモノはただの笑い話だ。


「おいおい、お前の主は生きたまま連れて来いって言ってなかったか!?」


 怒りに震えるアムダイの口の端から血液が一滴、地面へ向かって落ちて行った。それが、到達するか否か、その刹那、ふたつの影は、同時に動き出していた。


「ヌガアアアアッ!」

「うおおおおッ!」


 凄まじい速度で打ち合い、お互いの裂けた拳が、周囲に大量の血を振りまく。


 痛ってぇ! だけど、このパワーならまだ互角に打ち合える!


「どうした? 絶望ってのはその程度か?」


 挑発に乗ったアムダイが、更に力を籠めようと振りかぶり、動きが鈍った一瞬の隙を突き、右膝の内側へ強烈な廻し蹴りを加える。


「ウゴォォォッ!?」


 膝を折った瞬間を狙い、そのまま腹部を右足で突きあげる。そして、折れた身体に伴って近づいて来た、頭部へ向かって、左脚でハイキックを打ち込み、その勢いに乗って、首裏に足首を引っかけて、上部へ跳び上がり、回転しながら両手で頭を掴み、無防備な延髄へ向かって、膝を叩きこむ。


「あ、こいつ脳ないんだったっけ!? 効いてないか!?」


 だが、杞憂だった様で、アムダイの巨体は地面へと倒れ伏していた。


「おおお!? 上手くコンボ決まった! 格闘ゲームで見て、ずっと自分でもやってみたかったやつ!」


 そのまま倒れた身体の上に乗っていたが、不穏な気配を感じ、後ろに飛び退いた。


「ィィィィッ!」


 奇声を発し、跳ね上がる様に飛び起きたアムダイが、こちらへ向き直り、突進して来る。

 それを足元に生みだした岩の出っ張りで阻害し、その場に無様に転げさせる。


「はっ! 言ったろ! 俺は魔法使いだって! 油断大敵だぜ!」


 そして、立ち上がろうとする顔面へ向けてドロップキックを叩き込んだ。回転しながら飛んでいくアムダイは、また壁にぶつかるかと思われたが、唐突に空間を震わせる強烈な風が巻き起こり、その中心で悠々と浮かび上がる姿が見えた。


「何だと!?」


 先ほどまでの怒りは何処へ行ったのか、アムダイは余裕を見せた態度でこちらを見下す様に、話はじめる。


「シャハハハ、忘れていましたよぉ。わ・た・し・も。魔法使いでした。生前の全ての行いは死しても報われるモノですねぇ」


 こいつ!


「報われるだと!? お前は、多くの罪のない人たちの命を踏みにじって来ただけだろうが!」


 その言葉を薄笑いで受け流す。


「貴方に何が分かると言うのです? 罪がない? 愛だの、希望だのを、私の前でちらつかせる事じたいが罪だと知りなさいィィィッ!」


 完全に話が通じない。いや、最初からそうだったのかもしれないが。


「お前ぇ! 神にでもなったつもりか!? いや! 生前からそうだったのだとしたら、とんだ思い上がりヤロウだなっ!」


 両手を広げて、目を細め、何かを思い出している様子だ。


「シャハハハ、今は、主の使徒ですから、神の眷属とも言えますねぇ。し・か・し! そんな事は何ひとつ考慮に値しませぇんッ! 私という完璧な存在がこの世に生を受けた事、それこそが、神の御業だったのですッ! そして、崇高なる使命を果たすためのこの肉体と、魔法と、異能! 全てが揃った私を誰が止められよう!?」


 ダメだ、完全に狂ってやがる!


「どぉうせ、貴方には破れるはずもありませんからねぇ。この肉体の秘密を教えて差し上げましょう。私の肉体は、強い苦痛を受ける程、より強く、頑強になっていく。それまでの苦痛が、無意味になるほどにねッ! 分かりますか? 貴方がどれほど強く、私を打ちのめそうと、傷つける度に、より強くなるこの肉体は、いずれ貴方の力を越えるタフネスを手に入れると言う事ですよぉ!」


 そんな能力だったのか。べらべらと喋ってご苦労な事だな。


「私の自らの肉体を破壊し、相手に同じ破壊をもたらす能力はまさに、この肉体のために存在する様な異能ですが、貴方には通じないようですからねェェェッ! 全く忌々しい!」


 苦痛の共有じゃなかったのかよ。


「どうです? 私は完璧で、全ての存在への救いの神でもあり、苦痛をもたらす破壊の神でもある訳です。二つが備わって、まさに至高の存在ィィィッ! 貴方にも未来永劫きえることのない絶望を刻んで差し上げますよッ!」


 もういい、もう十分だ!


 無言で、自らの拳に強靭な鋼を纏って行く。


「シャハハハ、それが、答え。ですねぇ?」


「イイでしょう! 粉々に粉砕してくれるッ!」


 踏み出しながら、アーグロアを使い、宙に浮かんだアムダイへ向けて、石の槍を突き出す。それを風を操り悠々と躱し、こちらへ向けて水塊を発射する。


「シャアアア! この場で水魔法を使うと、主の力によって、変質し酸となるのですよ! 焼け爛れなさいィィィッ!」


 酸の弾って事か!? 分かってて、むざむざ喰らうかよっ!


 再び、地面から槍を突き出し、水塊を捉え、同時に、アムダイの視線を切る目隠しとする。その後ろで巨大な岩塊を作り出し、鋼を纏った右拳を全力で叩きつける。轟音と共に、弾けた飛礫が放射状に、背後の空間を埋め尽くして行き、聞き慣れた奇声が響く。


「ホギャアッ!」


 あれだけの数の飛礫が、砲弾の様に飛んだら流石に躱しきれないか?


 だが、その悲鳴はミスリードだった。全く無傷のアムダイが目の前に突進してくる。


「シャハハハ! 今の強度ならば、あの程度の飛礫など愛撫の様なモノですよ!」


 回転しながら、拳を振り回すアムダイの攻撃を防ぐため、次々と岩の壁を作り出していくが、砕きながら進行し、一向に止まる気配を見せない。


「シャアアア! 貴方、土の魔法ばかりですねぇ!? 他には使えないのですか!?」


 うるせっ! 一番なれてる魔法を撃つのが定石だろうが!


 水魔法は、変質して、酸となるのなら、自分にもダメージが及ぶ可能性がある。火や雷は毒素が燃えるから危険だと言われた。アイシャは何て言ってたっけ? 魔法の属性、他には――いや? 待てよ。こいつ、酸化した水は使うのに、火は使ってない? もしかして、毒が燃え上がる事を知っていて、それを恐れている?


 そうか!


 可燃性の毒素が起こす爆発が、どの程度の規模かは分からないが、こいつの肉体でも耐えられない様なダメージをもたらす可能性が高い!


 なら――!


 この球状の空間が、もっと広かったら、こんな戦術は取れないだろう、だが、この狭さなら遮断できる可能性があった、それに賭けるしかない!


 使ったことはないけど、願えば放てるはず! 魔法の名前を知らないし、締まらないけど!


「シャアアアッ!」


 眼前に迫り、両の拳を踊らせるアムダイの後方へイシを投げ飛ばす、そして、イシを通じて念じる。


 稲妻を生め!


 瞬間、轟音を立てる雷が、アムダイの後ろから直撃し、それに伴い、毒素が爆ぜ燃焼が始まる。


 対象を問わず襲い掛かるそれを大気の圧力じたいの操作で、限定的な真空の壁を生み出し、炎を遮断、次いで一面の岩の壁を築き上げ、爆発の衝撃を緩和する。


 凄まじい爆発が空間ぜんたいを揺るがすのを感じた。壁の向こうでは、アムダイの身体が燃えて今にも灰になろうとしているのだろうか? それとも爆発の威力で砕け散ったか。


 手前の壁が崩れ落ち、炎が消え、立ち昇る煙のみとなった所で、真空の壁を取り払う。すると向こう側の音が聞こえ出すが、そこには耳を疑う声が響き渡っていた。


「シャアアア。まさか、こんな自爆じみた方法を取って来るとはねぇ。お・ど・ろ・き・ましたよぉ。しかし、私の肉体はこの程度では滅びませんッ!」


 馬鹿な!? 今の爆発に耐えたのか!?


「フウ、今ので一気に二度は死にかけましたよ。その分、肉体の頑強度も二段階あがりましたが」


 煙がはれ、目にしたアムダイの姿は、異常なコブの様に膨れ上がった筋肉に包まれた肉体だった。それが鼓動のリズムに合わせ、痙攣する様に、脈動する。


「さて、今からお返しを差し上げなければ、もらうだけでは、無・作・法」


 この男の肉体に限界はないのか。もはや怪物も通り越した姿を凝視し、絶望にも似た感情が沸き起こるのを噛みしめた――。

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