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苦行者アムダイ

 黒い穴の中は、入ってみればそれなりに明るく、視界の確保に問題はなかったが、気道に絡みつく毒素の不快さは外と変わらなかった。

 穴の内側は空間を切り取った様な、球状の場で、床に当たる部分のみが、平地となっていて、大地と似た地面を形成している。周囲を覆う得体の知れない壁は、ドロドロとした粘性に思える不透明な緑で、近づくだけで鼻をつく臭気を放つ。


 その球状の空間の隅に、何者かの影が動いた。確認をする前に、精霊たちの様子を調べ、傷ついたイシにマナを送って再生に当たらせる。精霊たちの存在は切り札となり得る、相手が何であるにせよ、必要な時まで出来るだけ隠しておいた方が良い。透明化して小さくなった精霊たちをズボンのポケットに入れる。


「ようこそ、刑場へ。ここが貴方の旅の終着点ですよ」


 その流暢な人語に驚き、目を凝らして奥の空間を見据えると、そこには背は高いがほっそりとした人影が立っていた。徐々にその姿が明瞭になって行く。


「何だ。こいつ」


 背は高い、確かに、二メートルはあるだろう。だが、それだけだった。明らかに男性である肉体は細く、服も腰布いがいは纏っておらず、関節などは骨の形がそのまま浮き出した様で、脆く、簡単に砕けそうに見えた。

 その異様な出っ張りに思える関節を中心に、肉のほぼない身体を皮が包み、それが全身に続いていた。

 頭を見ると、首筋にかかる長めの金髪に、エルフらしき長い耳が見えた。顔は彫りが深く、張り出した額から細長い鼻筋が伸びる。こけた頬の下は歯の形がそのまま浮き出しそうな程やせていて、尖った顎先は、触れると刺さりそうだった。だが、最も不気味なのは、その瞳だ。黒く、瞳孔がどこにあるのか判然としない。


 何ていうか……。不気味ではあるけど、弱そう、だな。


「ふふふ、不躾で遠慮のない視線を感じますよぉ。実にイイ塩梅ですねぇ」


 男はそう言って、身をくねらせる。


 うへぇ。気持ち悪い。ヘンタイかよ!


 だが、にわかに目が鷹の様に鋭くなり、こちらを射抜く。


「ふふふ、貴方、今。私が貧相で弱そうだと思ったのでは?」


 心の中を見透かされた様で、その鋭い視線も相まって嫌な予感がし始める。


「イイのですよ。実際にその通りですからねぇ。ふふふ」


 男は、痙攣する様に、笑い、右手で顔を覆い、天井を仰ぎ見る。敵の眼前で大した余裕だった。


 弱そうだし、行動ひとつひとつが隙だらけに見える。……でも、この嫌な感じは……?


 しばらく笑い続けた後、男はこちらを見据え、やせこけた口をにやりとつり上がらせる。


「それでは、始めましょうか? それとも何か遺言がありますか。私も鬼ではありません、それくらいは聞いてあげますよ。……まあ、家族に伝えてくれと言う要望は聞けませんが!」


 そうしてまた笑い始める。いちいち笑ったり、話を引き延ばして、こちらが毒でまいるのを待っているのか? でも、聞いとかなきゃいけない事がある。


「楽しそうに笑ってるとこ悪いけど。……お前。エルフだよな? ヒトなのか? 俺、人殺しはしたくないんだけど」


 それを聞いた男は、細い目を精一杯まるくし、また盛大に笑った。


「ははは、これは、まさに黄金の精神の持ち主だ! ……しかし、心配には及びませんよぉ」


 男は大仰な身振りで、自らの頭部、そして、左胸を指して、こちらを見つめる。


「私の肉体は、数百年も前に既に滅んでいます。この身体は、使徒として復活した時に、我が主より賜ったモノ。すなわちヒトの枠からは外れています。肉体を動かす機能として、心臓や幾つかの臓器は存在しますが、頭蓋の中は空洞ですしねぇ。ふふふ、何なら頭を引き裂いて、お見せしましょうか? そうしても死ぬ事はありませんしねぇ」


 アンデッドって事か!? そ、それよりも――!


「脳がないのに、何で喋ったり、動いたり出来るんだ!?」


 大袈裟に腕を組み、思案する仕草を取る。


「さて、何故でしょう。考えた事もありませんね。……そもそも」


 男は、話ながら右手を顎に当て、それに力を加えて行く。すると、ぶちぶちと不快な肉が裂ける音と共に、体内が露わになる。


「うげ」


 だが、おかしなことに、その傷口から出血はあっても、中身に食道や気管らしきモノが存在しなかった。口から血を吐きながらもむせ返る様子もなく、男は淡々と答える。


「どうです? 声帯といったモノも見当たらないでしょう? この声がどこから発せられているのかさえも、私じしんにすら分からないのですよ。……我が主ならば何かをご存じかと思いますが」


 クソッ! 今の一連のやり取りで、一気に脅威度が上がった! 訳わかんねぇ化け物な上に、自分の喉を片手で引き裂けるくらいのパワーを持ってやがる! ……だけど、力が使い放題ならパワー勝負じゃ負けないぜ。


 気が付けば、男の首の傷は、既に元通りで、出血の痕だけが残されていた。


「さて、今のはただの質問ですか? それとも遺言ととっても? どちらにせよ、そろそろ時間の様です。私はアムダイ。生前は苦行者をやっていました。死後は、この肉体で復活しましたが、苦行とは無縁の存在になり果ててしまいましたから、鬱憤が溜まってましてね。ふふふ」


 苦行者と言うくだりで何かが頭の片隅に引っかかり、転げ落ちた。


「ああ! お前、もしかしてこの指輪を作った片割れか!」


 右手の指を見せつけながら叫ぶと、アムダイはわざとらしい驚いた顔をしてみせる。


「おお! 懐かしの我が青春! 今にも眼前に甦ろうと! ……その通りですよ、それはある男と共謀し、私が作った物です。……しかし、アレですねぇ。その指輪は主の口には合わないでしょうから……。貴方の指ごと引きちぎって、駄賃にでももらっておきましょうかねぇ」


 アムダイは楽しそうに笑いながら、一歩を踏み込んだ。


「へっ! お前に聞かせる遺言なんてないぜ! 何故なら勝つのは俺だと決まっているからなッ!」


 力を溜め、次の行動に備える。


「ははは、これは威勢がイイ。活きの良い獲物は好きですよぉ。その自信が絶望に塗り替わる瞬間をより楽しめますからねぇ」


 どうする? こっちから攻めるか? それとも――。


「ハグァッ!」


 何!?


 アムダイは、そのまま突進しそうな態勢を取っていたが、唐突に自らの右手で左前腕の肉を裂いた。不死者には似つかわしくない真っ赤な鮮血が飛び散り、それと共に、奇妙な悲鳴が響く。


「何だ? お前、なにやって――」


 いや、待て。目を凝らせ! あいつの左腕から何かが飛んでくる! ほぼ透明で不確かだけど、何かが見える!


 その得体の知れない何かは、俺の左前腕に取りつき、怪しげな光を放って消えた。


 その瞬間――!


「あぐっ!」


 鮮血の華が咲く瞬間を、擬音で例えるとどんな言葉が相応しいのだろうか。痛みが注意を引き、スローに映る視界の中で、左前腕の肉が剥げ、爆ぜる様に、内側から血が噴き出す。それに伴い激痛に変わり、右手で押さえて呻いていた。


「な、何だ!? 今のは!?」


 脈打ち溢れだす血液に呆然としながら、宙に放った問いかけに、答えが返る。


「ふふふ、どうです? 痛いでしょう? そうでしょう!? ふっ! ふふふ」


 酒に酔ったかの様に、饒舌に語り出す。


「苦痛の共有ッ! それこそがこの世の全ての命と繋がれる、究極のコミュニケーションッ! 私が苦行者を志したのもこの力に依る世界平和の実現のためッ!」


 なに、言ってんだ。こいつ……!


「愛だの希望だのくだらないィィィ! そぉんなモノはァァァ、個人の曖昧な願望に過ぎませェんッ! し・か・し! 苦痛! そう苦痛! これは、全ての生命に共通し、何者にも代えがたい純粋性を完備したモノッ! さあ、貴方も悶えなさい! その命を燃やして踊り狂うのですッ! そして私と溶け合おうッ!」


「シャアッ!」


 言い終わったアムダイは、狂った様に、また左前腕を引き裂いた。

 そして、先ほどと同じもやの様な透明の何かが高速で迫りくる!


 くそ! 今度は避けなきゃ!


 反射的に動いた足が地面を蹴り、隣の壁に向かって飛び上がるが、謎のもやは動きを追従して来る。


 くそ! ホーミングか!


「ぐあああっ!」


 まだ追いつかれてはいなかった。この激痛の原因は、接触した壁!?

 思わず振り向いて壁の様子を確かめるが、靴が溶けだして、足が焼け爛れているのが見えた。


「何だこの壁!?」


「うあああっ!」


 壁に驚いて動きが止まった所へ、あのもやが左前腕に取りつき、一段ふかい傷を作り出し、激痛に身悶えしながら地面へと落下する。


「あぐ」


 激突し、悲鳴を上げて伏せる俺の様子を見て、アムダイは心底おかしそうに笑った。


「しゃあッ! はあッ! イイですねぇ。実にイイッ! あまりの無様さに快感を通り越して達してしまいそうでしたよぉ! ああ! この身体にはそんな機能はないのでしたッ! 生前の肉体が惜しまれますねぇ! しゃはははっ!」


 ひとしきり哄笑を上げ、侮辱した後に、おもむろに左脚へ手をやり、肉を引きちぎる。


「ホグォッ!」


「これは、痛い! しかし、これでもうちょこまかと逃げられませんよッ!」


 何とか起き上がった俺に目がけて謎のもやが襲い来る。

 足は、まだ、動く。

 そして、正体不明だけど弾らしきモノも見えてる。ついでにホーミング機能つき。


 だったら――!


「え!?」


 馬鹿笑いを止めたアムダイの顔が凍り付き、姿を探そうと周囲を見回し始めた瞬間――!


「ここだッ!」


 一瞬で背後に回り、その薄っぺらでやせこけて張り出した背骨めがけて掌打を繰り出す。狙いは、追尾してくるあのもやだ!

 想像よりも重い感触だったが、真っ直ぐに吹き飛んだアムダイは、もやにぶつかりながら、正面の壁へと突っ込んで行った。その後、大きな悲鳴が上がる。


「ハグアファッ!」


 予想通り、アムダイの肉体に取りついたらしいもやは、こちらには届かなかった。


「見えてる以上は、そんな攻撃、簡単にはもらわないぞッ!」


 壁際で伏していたアムダイが、ゆっくりと立ち上がり、怒気のこもった笑いを上げて振り向く。頭から壁にぶつかったはずだが、奇妙な事に、影響を受けていない様だ。


「シャハハハァッ! まさか、アレが見えていたとは、普通の人間に知覚できる様な速度ではないはずですが……」


 驚きを隠せないアムダイの腹部が、引きちぎった脚と同じ様にえぐれていた。


 ああ、これでこいつの力が大体わかってきたな。

 苦痛を共有する能力だとご丁寧に話してくれたが、少し違うらしい。恐らくは、自分の身体の傷つけた部位と同じ傷を、他の場所にも作る能力! その対象は、他者げんていではなく、あの弾に当たれば自身も傷つける!


 つまり、避け続けて、弾に本体を当ててやれば、こちらは一切、傷つく事なく相手には二倍のダメージを与えられる。


 勝ち筋が見えて来たかと思われたが、怒りを露わにし始めたアムダイが、ゆっくりと低い声で語る。


「貴方を過小評価していた様ですね。その点についてはお詫びしましょう。しかし、私の能力の全貌が見えた、などと己惚れているのなら、それは全力で否定して差し上げましょうッ!」


「シャアッ!」


 奇声を上げて足を後方に放り出し、空中で海老ぞりになりながら自分の両胸を手で抉る。そして、思い切り反らした両足の爪先を地面に叩きつけ、最後に顔面からノーガード状態で落下する。


「五点同時発動ッ!?」


 まさかの攻撃に身構える暇もなく、五つ発生したホーミング弾が高速でこちらへ迫りつつある。


 どうする!?


 狙いはそれぞれの部位に分散しているから、同時に躱すにはどうしても大きな動きになるが、そうすれば、あの壁に激突する可能性が高い!


 いや、待てよ!?


 頭、両胸、両足の爪先、この五点なら、空いてる部位が大きい!


 そうだ――!


「ボディががら空きだッ!」


 覚悟を決めて、ただ真っ直ぐに突っ切る。全身を鋭い槍に見立て、砲弾の様に放たれた弾の中心を抜け、後ろへ回った。飛び越える瞬間、アムダイの驚愕の表情が見えた。


「今ならあいつには見えてない!」


 そして、壁際でイシを実体化させ、その身体を蹴って、反転する。


「くらえッ!」


 まだ屈み込んで動けないアムダイの臀部を、思い切り蹴り上げ、追尾する弾にぶつけた。


「アギャアッ!」


 奇妙な悲鳴と共に、回転しながら壁へ向かって飛ぶアムダイから大量の血の華が咲き、舞い踊る。どうやら全弾が身体の中心にヒットしたらしく、抉れた酷い傷が幾つも出来ていた。

 壁際に倒れ伏したアムダイは、渾身の奇策が破られたためか、痙攣しながらぶつぶつと何事かをつぶやいて起き上がって来ない。

 しばらくして、こちらへも聞こえる様な、不気味な笑い声と共に、ゆっくりと立ち上がったが、その変貌ぶりに驚愕する。


「何だと!? そ、その身体は一体!?」


 目を疑いたくなる光景に、相対する敵の底知れなさを見た――。

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