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輝く願いを集めて

 強く手を取り合った二つの影が、永劫とも思える暗く深い穴を落下していく。


 不思議だ。猛烈な速度で落ちているはずなのに、風も重力も感じない。本当に落ちているのか? 周囲の壁は赤黒く脈打ち、何かの生物の体内を思わせた。


 不気味な光景をしばらく眺めていると、にわかに眼下が明るくなり、小さな出口が近づいて来る。その狭い通り道に手を繋いだまま取りこまれて行く。隣にいるはずのジジは黙ったままだった。緊張しているのだろうか? 自分の方は突然の事態にまだ適応できていない様で、流れに身を任せていた。


 狭い血管の中を抜ける様な不快な圧迫感が、身体中を撫でまわし、しばらく後に一気に解放され、再び落下する。


 しかし、今度は距離が短く、すぐに地面へ到達していた。強烈な衝撃があるかと身構えたが、積もった砂の上に落ちた様に、柔らかな感触に迎えられる。もうもうと立ち昇る土煙を払い、咳き込みながら辺りの様子を窺おうとした時、繋いだ手がほどかれ、ジジが声をかけて来た。


「……遂にここまで来てしまったのう。出来れば避けたい運命じゃったが。……覚悟せよ、儂がどれほど言葉を尽くそうと、これより起こる事態を言い表す事なぞ出来ようはずもない!」


 一呼吸おいて言葉は続いた。


「待っておるのは途轍もなく強大な脅威じゃ」


 何か、違和感があるな……? いつものジジなら、こんな風に他人事みたいには話さないはずだ。

 そこで言葉が止まったので、再び周囲の状況の確認に注力する。土煙がはれて来たため、遠くまで見渡せる様になっていたが、夕暮れを思わせる暗さで、陰が多く。何があるのかはいまいち掴めない。空は赤く、遠くに黒い地平線が見えた。


「普通に息は出来ている気がするけど……。何か、喉や鼻に絡みつく様な不快感が……」


 正確には、気道に何かが影響を与えている……?


「ここは、毒の神の固有領域である戦術陣の中じゃ、空間ぜんたいに毒素が満ちておる。時が経つほどに不利になると心得よ」


 え? 今も毒を吸い込んでるって事か!? 慌てて隣のジジの顔を見るが、彼女はこちらの様子を気に留める素振りは見せない。


 うん? やっぱり何処かおかしいな。いや、今はそれよりも――!


 右手を顔に近づけ、指を確かめる。


「指輪、宝石は一つしか嵌ってないけど、まだ装備してるな!」


 ええと、俺が、入滅と苦悶の二つの試練を終わらせたから、毒耐性がベースでも五十パーセント付いていて、指輪の石と合わせて七十五パーセントくらいの耐性があるはず。


「でも、それがどの程度の効果を持ってるのかは、この場の毒の強さにもよるだろうし、分からないか……」


 ジジが疑問を察したのか、素早く答えてくれる。


「この場を満たしておるのは、遅効性の神経毒の類じゃのう。今のおんしなら、すぐさま死に至る事もあるまい」


 彼女は平気なのか? 精霊は種族ベースで完全耐性があるとかかなぁ。


 そんな何処か暢気な会話を繰り返していると、それを咎めるかの様に、大地が蠢いた。鳴動と共に、空も裂けそうな轟音が響き始める。


「何だ!? 立っていられないくらい、強烈な揺れだ……! それに、この音! まるで雷だ!」


 その場に、屈み込みながら、遠くへ向けた視界に、何か奇妙なモノが映った。


 え? 山……?


 赤い空と地平線のみが占めていたはずの視界に、突然、巨大な山脈が現れ始める。それは大地の鳴動と同調する様に、徐々に天高くそびえ立っていく。


 何だ!? さっきまでは、あんな巨大な影、なかったはずだろ!?


 山脈からは、不気味な木の根状の何かが伝い、長く蛇行し、少しずつ地面を押し割りながら伸び上がって行く。その先端は、近くまで届いている様だった。


 目を丸くしながらその様子を見守っていると、いつかアイシャに見せられた世界の背骨を思わせる、巨大な壁が屹立していた。もう彼方の地平線も遮られ、見えることはない。


「や、山が動いた……? そ、そんな事あるはず――!」


 その時、赤い空を覆う巨大な影の中央が、ゆっくりと押し開けられた。そこから現れた赤黒いそれを直視してしまう。


 いや、目が合っていた。


「うぐっ!」


 心臓が一拍か、二拍分か、外部から鷲掴みにされた様に、動きを止めた気がした。

 額からは冷や汗が流れ落ち、顎、首筋を伝って行く。


「目が……!? 目が合ってッ!?」


 再び動き始めた心臓は、今度はブレーキが壊れた様に、早鐘を打ちだす。


 赤黒く、巨大で濁った瞳は、その高慢で不躾な視線をこちらへ送り、凝視する。


 山だと思っていたモノは、それこそが毒の神の本体で、その異常な巨大さが、身体からあらゆる現実感を急速に奪って行く。


 それは――巨大な、絶望そのものだった。


 気が付けば、屈んだまま、身動きひとつ取れなくなっていた。身体は小刻みに震え、顎がカチカチと音を立て、自分が生きているのかも不確かになって行く。

 やがて、見つめるのに飽きたかの様に、巨大な瞳は閉じられ、下部に広がっていた袋状の膨らみから、何百という無数の赤黒い点が見え始める。それらが、周囲を慌ただしく見まわし再びこちらを捉えて固まる。


 そして、再び大地が鳴動を始め、巨大な木の根を思わせる何かが、空を覆い伸び上がる。


 不味い……。あれは、多分、あの像で見た触手だ。あれを、叩きつけるつもりなのか……!? そんな事になったら――! でも、身体が動かないんだ! さっきからピクリとも動かせない! まるで――。


 まるで、このまま終わるのを望んでいるみたいに――!


 これ、これが、絶望……?


「諦めてはならぬ!」


 その時、背後から力強い一喝が響き、背中に温かな手が当てられる。


「呑まれるな! 確かに、あれは強大じゃが、手がない訳ではない! 良いか? 今より儂の力を送る。それを持って立ち上がるのじゃ! 故あって、儂は共には戦えぬが、おんしに持てる全ての力を与えよう」


 いつも通りのその声に、励まされ、硬直していた身体はほぐれ、少しずつ、動きを取り戻していた。そして、先ほどからの違和感を言葉にする。


「お前、あいつの姿をしてるけど、あいつじゃないんだな? 今ので完全に気付いたよ」


 背後の気配は、驚いたのか、少しの間、返答に詰まっている様だったが、しばらくして雰囲気が一気に変わる。


「気付かれていたのですね。懸命に彼女を演じていたつもりでしたが」


 自分の身体に手を当て、ジジを想う。彼女なら――。


「あいつなら、どんなに傷ついていても、俺と一緒に戦うって言うはずだから」


 感嘆のため息が聞こえる。


「あの娘を信頼しているのですね。……さて、これ以上、悠長に話している時間もありません。私が貴方に与える加護、それは――『全ての魔法を行使する力』です。これを受け取れば、一時的にですが、貴方は願うだけで、あらゆる障壁を取り除き、魔法を扱えるでしょう。しかし、火の魔法や雷、高熱を発するモノは避けた方が良いでしょう。この場に満ちた毒素は可燃性です、たちまち空間の全てが焼き尽くされてしまいます。……そして、もう一つ。貴方の力の反動を肩代わりいたしましょう」


 そんな力が……!? こいつ、一体、何者なんだ!?

 振り上げられていた巨大な触手は、空気を震わせながらこちらへ向かって伸び始めている。


「さあ、悩む暇などありません、転生者よ! 今すぐに立ち上がりなさい! そして、自らの力で運命を掴み取りなさい!」


 転生者……? 俺って、この世界に転移しただけだと思ってたけど、死んでたのか!? いや、今は考えてる場合じゃねぇ!


 背中から温かく力強い流れを感じる。それは、瞬く間に身体中を満たし、内側から漏れ出す光が周囲を照らし始める。


「な、なあ! 全ての魔法を使えるのはいいけど、マナはどうするんだ!? 切れたらおしまいだろ!?」


 静かな、しかし、憐れむ様な声音が響く。


「心配いりませんよ。耳を澄ましてみなさい。この場には、彼の神に取りこまれた人々の絶望とは別の祈り、願いの力が満ちています。彼らは貴方が自分たちの仲間になる事を望んではいません。……本当に優しい人たち」


 声は慈しみの色を帯び、周囲に歌の様に広がって行く。そうすると何もなかった空間からまた違う誰かの声が聞こえ始める。


「勝って」

「お前は生きて帰れ!」

「私たちの様にはならないで……!」

「そのためなら俺たちの願いを――」

「お前のために捧げよう」

「祈りを――」


 周囲に白い光が浮かび、励ましの言葉が何重にも奏でられ、心を満たして行く。それと同時に、無限の魔力の奔流が渦巻くのを感じた。


「感じる。この場ぜんたいをマナと似た力が満たしてる!」


 もう一度、彼方にそびえる巨大な影を見据えた。


 分かんねぇ! こいつが何者かも! あの神に勝てるのかも!

 でも、やらなきゃ、もう二度とアイシャの顔は見られない!

 背後から小さく「どうか打ち勝って」と祈る様な言葉が紡がれた。


 ああ、俺、やるよ。


「何があっても、勝ってみせる!」


「行くぞ――!」


 弾ける様に動き出した瞬間に、元いた場所へ巨大な触手が叩きつけられた。その振動と轟音が周辺を満たし、足を取られそうになったが、懸命にバランスを取り、地面を蹴る。砕け散った大地の剥片が雨の様に、降り注ぐが、不思議な事に、その全てがスローに見える。


「どうなってる? だが、これなら躱すのは簡単だ!」


 落石の隙間を縫いながら、巨大な影の本体へと近づこうと試みる、だが、波打つ触手は意外なほど機敏で、間を通り抜けようとするだけで、左右から迫り、押し潰そうと襲い来る。


「クソッ! 触手の攻撃を避けてるだけで全然ちかづけないぞ!」


 圧死を避けるため空中に飛び上がった身体めがけて、触手が振り上げられる。


 不味い! このままだと直撃する――!


 イシ! デイ! いるんだろ! 力を貸してくれ!


 巨大化して盾の様な姿を取ったイシが、触手の直撃を受け止め、俺との間にクッションとして挟まったデイが骨を粉砕する衝撃を吸収する。そのまま吹き飛ばされて、後ろに戻されてしまったが、ダメージは受けずに済んだ。


「いいぞ! 二人の防御のコンビネーション、完璧じゃないか!」


 そこで、ひとつの戦術が閃いたが、とりあえずこの触手へダメージが通るかを確かめる必要があった。


「マナバースト・アーグロア!」


 呪文と共に、大地から巨大な槍状の隆起が伸び、近くにあった触手の表面を削ぐ。黒く不気味な膿の様な液体が周囲に飛び散るが、傷じたいは直ぐに修復されてしまった。


「こいつ! 超再生能力もちかよ! 今の土槍も小さな丘くらいはあったのにな!」


 本体もそうなのか!? だとしたら打つ手が……!


「やってみなきゃ分かんねぇ! とにかく本体にダメージを与えてみるしかない! そのためには――!」


 先ほど思いついた戦術を頭の中でなぞる。


「是が非でも、この触手ちたいを抜けて、近づくしかない!」


 思い出せ! 師匠が教えてくれた魔法は、敵を直接、攻撃するモノだったか!?


 違うだろ!


 今の俺なら出来るはずだ!


 地面に手を向け、あらゆる過程をショートカットして、ただ願う。


 この手に精霊銀を――!


 直後、右手に重く輝く、精霊銀の塊が握られていた。


「出来た! これなら――!」


 だけど、こいつを仕込むのを毒の神に見られたらアウトだ! なら――!


 考えている内にも、動きを止めた俺を狙って、触手が振り下ろされる。


「こうするしかない!」


 その超重量の致死の一撃を、イシとデイの力に加えてアーグロアの岩盤層の隆起で補助し、真正面から受け止める。


「信じてるぜ! イシ、デイ! お前たちの力だけが頼みだ!」


 凄まじい衝撃波が巻き起こり、轟音で瞬間的に聴力を奪われたが、肉体にダメージはなかった。しかし、余りにも強烈な一撃に、イシの身体に亀裂が入るのが見える。耐えられるのは後、数度と言った所だろうか?

 巨大な触手の真下、毒の神の無数の視線を遮れる死角! ここに巨大な精霊銀の鉱床を生み出す! もちろん、地面の浅い部分に隠して。

 一つ設置を終えて、次の場所へ目星を付けて、動き出す。


 宙に跳ねて、イレストの生んだ風に乗り、身体を自在に動かして行き、触手の動きをコントロールする。


「よし、いいぞ! 次はあそこだ!」


 地面へ降り立ち、再び触手の振り下ろしを誘い、それを真正面から受け止め、その隙に地中に精霊銀の鉱床を設置する。


「次だ!」


 全ては、思い通りに、上手く行っていると思えた。だが、毒の神はこちらの動きが気に入らなかった様だ。その場に不気味な低音が響き渡り、空間を震わせた。空気の振動が、身体ぜんたいを包みこんで行く。


「飽いた。我は、生きた供物を欲したが、斯様なつまらぬ遊戯なぞ望んではおらぬ。去ね」


 その言葉と共に、眼前にぽっかりと巨大な黒い穴が出来上がる。


「何だ!? これ――!」


 言葉を待つこともなく、急速にその中心へ身体が吸い込まれて行く。遠くではまたあの不気味な声が響いていた。


「ケヒヒヒッ! 小さくつまらぬモノは、同じくつまらぬモノと戯れるが良い。……我が第一の使徒よ。全てはそちに任せる。瀕死でも良い。生きたままの供物を捧げよ」


 黒い穴の中心で、何者かが答えた。


「お任せを、我が主。必ずや、この供物を捧げて見せましょう」


 成すすべもなく吸い込まれる穴の中に、何が待っているのだろうか――。

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