苦悶の門
決意を確かめ、深く頷いたデルライラムは、試練の詳細と、その必要性について語り始める。
「お前は、知らねえだろうが、昔……。つっても、千年ほど前だがな。はは、人間じゃ、余程の文献あさりでもなきゃ、知ってるはずもねぇか。……話が逸れたな。この森に、ひとりの男がいたのさ。そいつぁいわゆる苦行者でな、様々な苦行に臨み、神々に近づき、その対価として、より強い魔法の力を得ようとあがいていた」
静かな語り口だが、まるでその人物を知っているかの様だった。
「だが、ある日、転機が訪れる。古く荒廃した地下遺跡で苦行に臨んだ時、精神世界でとある神の残滓を見つけたのさ。……男は、狂喜し、その主の行方を探し、何度となく苦行に挑んだ。やがて、苦痛と苦悶の中に垣間みえるその世界で、目的の神とまみえた。それが、毒と祈りの神、グンダヴァム・イムイト」
ただの毒の神じゃないのか。デルライラムは、疑問を察したのか、直ぐに答えてくれた。
「ああ、祈りってのはなぁ。そりゃ怖ろしいモンよ。彼の神が吸い上げていた祈りたぁ、すなわち、毒に冒され死に臨む者の最後の叫びだ。……早く楽になりたい。苦しみから解放して欲しい。そんな暗い願いを糧に神格を取り戻した。それが、祈りの神たる所以よ。どこまでも邪悪で、救いはねぇ」
この世界に来た時、木の実に毒があるかと躊躇して、そんな事を考えたっけ。最後の時を待ち焦がれる死に方。心の中は、絶望でいっぱいになるだろうに、そこで芽生えたひと掬いの祈りさえも、邪神の糧になっているなんて、本当に救われないな。
「そして男は、酔狂な神に試練へ挑む資格を与えられたのさ。その試練の名を、後にヒトは『死門くぐり』と呼び畏れた。生きながら地獄へ落ちる様なモノだとな」
死門くぐり!?
「第一の門、『入滅の門』。さっき、お前が経験した気絶がそれよ」
え? もう試されていたのか!?
「おっと、勘違いするなよ。記録に残ってる限りじゃ、入滅の門は意識を失うだけで、死んだ者はひとりもいないとされている。それこそ、何千人もの人々が、それを体験したはずだがな」
そうなのか……。何処か安心した様な、もう終わった事なのにな。
「だが、それでも、毒に対する耐性をわずかにでも獲得できる。死の危険がないのなら経験しといて損はねぇとも言えるのさ」
毒耐性!? どういう事だろう。
「おっと、話が前後しちまったな。……男は、死門くぐりの試練を乗り越え、神から全ての毒物に対する耐性を賜った。毒の神が、自らの司る毒への完全耐性を与える。まさに寵愛の証よ」
試練を受けるのは、毒への完全耐性を得るためなのか。でも、硬化魔法の奥義と何が関係しているんだろう。
「男が神から受けた試練はひとつしかなかった。だが、ある指輪の存在によって、試練は歪められ、四つに分化した」
デルライラムは、おもむろに俺の右手に嵌った指輪を指した。
「お前が嵌めてるそれ。そいつが全ての鍵だ。存在が隠されて然るべき物だが、もし売ったなら、城を建てても釣りが来るくれぇの莫大な富を生むだろうよ。……まあ、その価値を正しく認識できるヒトになら、だが」
ええ!? そそそ、そんな高価な物なのか!? き、傷つけたりしてないよな!? 慌てて指輪を確かめるが、こんな薄明かりでは傷がついたかなど分かるはずもなかった。動揺でわずかに心拍が乱れるが、この話の本題はそこではないと、自らに言い聞かせる。
「男の噂を聞きつけた、ある錬金術師が、その血から生み出した四つの宝石、その指輪にはその全てが嵌められていて、自由に付け外しが出来る」
ここで、腰の袋を漁り、輝く小さな宝石を取り出してみせた。
「こいつは、さっき取り外した分だが、これがなかったからお前は、入滅の門をくぐったのさ。……どういう事か分かるか?」
顎に手を当て、考えるが、想像もつかなかった。
「つまりは、その指輪も身に着けた者に、毒への完全耐性を与えるって事よ。だが、それは四つの宝石すべてが嵌っている事が前提だ。ひとつ外せば、ひとつ分の耐性が失われる。それでも今の状態なら、毒蛇に噛まれようが、毒虫に刺されようが、何ともねぇだろうさ。お前は、既に入滅の門をくぐり、宝石ひとつ分の耐性を得ているからな、欠けた指輪と合わせて、毒への完全耐性を得ている」
何となく試練の概要が読めて来たぞ。
「話もどすぜ。そうして苦行者と錬金術師は共謀し、ある教団を立ち上げた。表向きは、苦行により神聖なる者に近づく事を謳ってはいるが、実際は指輪の効果を確かめるための人体実験の要員あつめよ」
人体実験だって!?
「この地下室は、その時の実験場のひとつであり、点在する拠点のひとつでもあった。そこに残されていた資料を見つけた時には、おったまげたぜ」
また過去を思い出しているのか、遠い目をしてしばらく中空を見つめていた。
「まあ、この森の拠点いがいがどうなったかは、定かじゃねぇがな。人間の国なんかじゃ、危険な宗教団体として目をつけられてたって話だしな。……ここは、例え大勢の人間が移動しても、大瘴域を通れば捜索の手も伸びず、ほぼ足はつかねぇからな」
大瘴域ってアイシャの言ってたやつか。そんなに危険な場所なんだろうか。
「さあ、苦行者の話はこの程度でいいだろ? 次は、何故お前に毒の完全耐性が必要かを教えてやる」
疑問は尽きないが、終わってしまった昔の話ばかりを聞いても仕方がないだろう。今は、未来の事を考えないといけない。
「俺の編み出した硬化魔法の奥義、そいつぁな。どうしたって体内に鉱物を取り込む事になっちまう。そうすると、どうなると思う?」
再び疑問を渦巻かせながら、松明の明かりに照らされた天井を見つめる。
「地中にある鉱物が全て無害な訳じゃねえ。中には、有害な毒素を持つ物もある。それを魔法の力で一時的にとは言え、取り込んじまうとな。冒されちまうのよ、肉体が、鉱毒にな。そして、使い続ければ、蓄積し、必ず死に至る。……それを無理やり無害化する唯一の方法が、毒の完全耐性だった」
話の内容に反して、何処か嬉しそうにしながら話つづけた。
「硬化魔法の次なる段階への素案は出来たが、実行する方法に全く目星がついていなかった。そんな時に、この廃墟を見つけてな、パズルのピースが丁度よく嵌って完全な図像を描いた。そんな気分になってな、嬉しくってよ、数日はまともに寝られなかったもんだ」
はは、師匠も大概と言うか、魔法の探究者って皆こんな感じなのかもな。俺も人の事いえないけど。
「まあ、今は、まだ、これ以上は、言えねぇ。……ここから先は、試練を乗り越えてからだ」
ごくりと生唾を飲み込む。忘れていた訳じゃないけど、緊張で手が震えて来たな。
「死門くぐりの試練、第二の門、その名は『苦悶の門』と言う。ここで死ぬ者は、一気に数を増し、全体の六十パーセントにも及ぶと記録されている。つまり、越えられるのは、四十パーセントだけだ。だが、ここを越えれば毒に半分の耐性がつき、例え冒されても簡単には死なない身体となる」
たったの四十パーセントだって!?
「これからの試練に共通するルール。いいか? 何があっても絶対に目を開けるな。全てが終わるまで瞑り続けろ。さもなくば、毒の神がお前を地獄へと引きずり込む。……経験者からの助言、と行きたかったが、何も言える事がねぇんだ。どんな苦痛も全ては幻覚だ。耐えろ、としかな……」
何があっても、目を開けてはいけない。全ては幻覚で本当に起こっている事じゃない?
「さあ、準備するぜ」
その言葉と共に、ノミの様な工具を持ち、俺の右手に嵌った指輪の宝石をまたひとつ取り外した。そこで、ひとつ疑問が生まれる。
「師匠。とんでもなく高価な物だと分かってて聞くんですけど、この指輪をずっとつけていれば毒の完全耐性が付くんですよね? それじゃダメなんですか?」
少しの間の後に、力なく首が振られる。
「言いたいことは分かるがな、指輪も完璧じゃねぇ。……もし、戦闘中に、宝石を破壊されたり、指を切り落とされでもしたらどうする? 他にも誤ってすっぽ抜けたりな。その場で、奥義は封じられ、下手すりゃ打つ手なしだぜ? ……それにな、この指輪を持って行くって事は、様々な危険を自ら引き寄せるって事だ。そいつには、それだけの力がある。権力者や盗賊、多くの欲深い者たち、そして、神や悪魔の眼すら引く可能性がある。命が幾つあっても足りねぇよ。……分かったか?」
あ、そうか。装備が外されたり、効力を失うと耐性も消えるんだな。それに、危険を引き寄せる呪いの指輪みたいな物って事か。確かにそんな物を装備し続けるのは、まともな精神じゃ不可能だな。
納得したのを見届けたのか、デルライラムは、また袋を漁り、あの禍々しい黒い石を取り出した。
「こいつぁイムイトの牙。あらゆる生物を一瞬で死に至らしめると言われる遺物よ。まあ、先端に触れさえしなけりゃ、どうという事はないんだが。普段は、こうやって、専用の鞘に納めてんのさ」
黒い石には、毒の力が宿っているのか。その見た目は禍々しくはあるが、ただの尖った石にも見えた。こんな強力なアイテムを幾つも持ってるなんて、師匠は、何者なんだろう……? あの口振りからすれば、師匠が持っていれば、上手く隠し通せると言う事なのだろうか?
「さあ、行くぜ。俺は、試練中は、部屋の外へ退避している。孤独な試練になるが、負けるんじゃねぇぞ!」
最後の激励の言葉と共に、再び俺の右手首に石の先端が突き刺された。激しい痛みと共に、呻きながらうずくまると、扉が軋む音が聞こえ、瞼を閉じても明るかった視界が、暗闇に呑まれ始める。孤独に暗闇に浸され、不安が溢れ出しそうになるのを、必死に抑えこむ。
絶対に、目を開けてはならない! 何が起きるか分からないけど、耐えるんだ!
やがて、暗闇の中で微かな音が響く。それは、ぺたり、ぺたりと裸足で石の床を歩く、足音の様だった。それが徐々に近づいて来る気配がする。
師匠……の訳ないよな。もう幻覚が始まっているのか。
足音は、目の前で止まり、何者かの生臭い呼気が顔面へ向けて吐き出された。そのあまりの悪臭ぶりに、思わず顔をしかめ、鼻をつまむ。
これが、幻覚!? まるで本当に匂いを嗅いだみたいだ。
真っ暗で何も分からないが、確かに目の前にある気配は、何度も荒い呼吸を繰り返す。それが更に近寄ってきて、鼻をつまんでいた俺の腕を握って、思い切り突き飛ばした。背中から床へ叩きつけられて、痛みに呻く。
「うぐっ!」
石の床に叩きつけられる感触に、鈍痛……。体勢が変わった感覚に、冷たく堅い床の手触り、全部リアルすぎる! 本当に幻なのか!? 先ほど握られた部分は脈打つ様に、疼いている。目を開けて確認すれば、赤い跡が残っているのではないだろうか。
再び足音が響き始め、倒れた頭の辺りに近づき、耳元で感じ始める。生臭い吐息も徐々に迫りくる。
そして、髪の毛を掴まれる不快感と共に、頭が引っ張られ、宙に浮いた。首筋が無理やり引かれた力に耐え、痛みを訴える。直後、急激な浮遊感を感じたと思ったら、頭は落下し、床へ側頭部が叩きつけられていた。鼓膜を介さず、頭蓋に直接ひびく衝突音、あまりの衝撃と痛みに悲鳴をあげる。
「うあぁっ!」
そこへ追い打ちをかける様に、上部から圧力がかかり、さらに激しく床へ押し付けられ、痛む側頭部には、熱さと脈打つ感覚を覚えた。思わず手を伸ばすと、指先に温かい液状の何かが絡みつく。
嘘だろ。血が、出てるのか!?
そのまま指先で傷らしきモノを探ると、ぬめりと共に、温かな皮膚の裂け目が手に触れた。熱く脈打つ傷口から、血液がどんどん溢れだして来る。
この出血も幻なのか!? 目を開けて、指先を確認したくなる衝動が沸き起こるが、ルールを思い出し、頭の中で何度も繰り返す。
目を開けてはならない、目を開けてはならない!
しばらく静かだった何者かの気配が、再び動き出し、値踏みする様に、倒れた身体の周りを歩き始める。その足音が鼻先を掠めた時、腐った様な酷い匂いがした。
足音は腹部の前方あたりで止まり、次いで腹に強烈な衝撃と鈍痛を覚える。
「うぼぉ!」
身体を丸くして、痛みに耐える。その時うごいた手が、何かざらざらとした不快な物体を擦った。それに触れた指先を鼻へ近づけると、また先ほど感じた強烈な腐臭がした。
「げほっ、げほっ」
腹を、蹴られたのか……? 起き上がって抵抗しなければ、更なる凶事が待ち受けているかもしれない。そんな考えが脳裏をよぎるが、ルールを呪文の様に、繰り返し続けた。
何度も、何度も、身体に打撃が加えられ、その度に、悲鳴をあげ、痛みに耐える。それを時間の感覚もなくなる程くりかえした頃、不気味な気配は消え、静寂が訪れていた。
「終わったのか……?」
だが、その考えが甘かった事がすぐに分かる。今度は、足先に身体へよじ登ろうとする何かの感触を覚えた。虫か何かだろうか。
何時おわるとも知れない試練を前に、身体は恐怖と苦痛に固まり、徐々に蝕まれつつあった――。
評価・ブックマーク・レビュー・感想などいただけると励みになります。




