天秤にふたつ、命と希望
陽光が射し込む明るい家に、温かな湯気が立ち昇り、トントンと小気味よい音が響く。台所に立つ少女は、何処か嬉しそうに、料理を続けていた。
「ふん、ふぅん。今日は久しぶりにお肉が手に入ったから、腕によりをかけてご飯つくらなきゃ!」
そこで、ふと手が止まり、長く尖った耳が揺れた。
「カイト、元気に修行してるかな? ……カイトの事を考えると、何だか変な気分になっちゃうよ。心配な事なんてないはずなのに、時々、すごく不安になる」
少女は振り向き、窓の外に広がる草原を見つめた。
「なんでだろ? 私が一緒にいられないからかな……」
そして胸に手を当て、刺し込む陽射しに細めた目を向ける。
「今日も、無事に帰って来てね」
少女の祈りは、草原に建つ小さな家からどこまでも、どこまでも青く広がる空へとのびやかに、しかし力強く、響いて行った。
※ ※ ※
薄暗く、鼻をつく不快な臭気が漂い、耳元では滴る水音が、何度も何度も弾け、打楽器の様に一定のリズムを持って打ち付けていた。瞼を開いてもなお暗い、その場所で徐々に意識が明瞭になり始める。弛緩していた指に力が入り、ぴくりと痙攣する。その時の指の動きに違和感を覚え、飛び起きた。
「何処だ!? ここは!」
力を込めて身体を起こすと、床は冷たく堅い石造りの様だった。伸びた指先がぬめりを帯びた溝に触れ、不快感から背筋が震える。
「石をはめ込んだ床……? 石と石の隙間がヌメヌメしてる」
気持ち悪いな……、指先に何かついたぞ。それにしても、何も思いだせない。何があったんだっけ……?
「そうだ! 指!」
痛む頭に添えた指に、何か硬いモノが嵌められているのを感じて、それを暗闇で凝視する。
「……指輪だ……」
微かに輝く宝石が三つ嵌った大きな指輪だが、少々、飾りには不向きに思えた。十字に並ぶ、装飾の一部分には何もない窪みがあり、暗闇の中でなおも暗く、無限に底が見えないあなぐらの様に見えた。
だんだんと目が慣れてきて、前方の空間が明らかになり始めると、そこには天井から床へと立ち並ぶ鉄格子と、頑丈そうな扉が見える。その部屋の構造は、牢獄を思わせた。足に力を込め、立ち上がろうと試みた時、先の見えない暗い空間から足音が響くのが聞こえる。徐々に、近づいて来る音と共に、赤と黄が混じり合った炎の色合いがちらつき、鉄格子の前に何者かが立つ。
「よう。目が覚めたみてぇだな」
それは片手に松明を持った、デルライラムだった。
「し、師匠……?」
そこで、急激に記憶が甦り、意識を失う前の凶事が脳裏に閃く。思わず叫びながら鉄格子に飛び掛かろうとしていたが、幸か不幸か、両足にはまともに力が入らなかった。
「貴方が――! 俺をこんな所へ!?」
松明に照らされ、明滅するデルライラムの唇がゆっくりと動く。だが、それは期待していた言葉ではなかった。
「そうだ」
動きの鈍い右手を無理やり振り上げ、床へ叩きつけた。鈍痛が痺れの様に、腕を伝って行く。
「そう熱くなるな。悪い様にはしねぇよ」
訳が分からない。どうして、師匠はこんな事を――!?
「今から説明してやる。……ただし、それはお前の同意を得られた場合だ。……扉を開けて入るぜ? 殴りかかってくれるなよ?」
持っていた松明を、扉の近くに掛けて、腰から鍵束を取り上げる。そして、次々と四つの鍵が差し込まれて行く様子が見えた。鍵が四つも!? そんなに厳重に封鎖していたのか!?
やがて、最後の鍵が開けられる音が響き、分厚い鉄板の様な扉が、軋みながら開かれた。顔を覗かせたデルライラムが、慎重な足取りで歩み寄り、その場に座り込んだ。
「待たせたな」
聞きたいことは、山ほどあった。しかし、その中の最も重要な部分を再びぶつける。
「貴方が、俺をこんな所へ! ……まだ、まだ! 俺を殺すつもりなんですか!?」
ゆっくりと頭を振り、その言葉を否定している様だ。
「最初から、お前の命を取るつもりなんてねぇよ」
信頼を寄せていた相手に裏切られたという思いが、暴走しそうになる。
「じゃあ、どうしてこんな所へ!? ここは、何処なんですか!?」
おもむろに右腕が伸び、俺の背後の空間を指した。
「ここはな……。俺の家の地下だ。まあ、ここが先にあって、その上に家を建てた、が正しいが……」
どういう事だ?
「一見すると地下牢の様にも見えるだろうが、お前の手足をよく見な。拘束するつもりなら、枷でもつけてるさ」
ハッとなって、自分の手足を見た。確かに動きが鈍くなっている以外には、手錠などは見られず、自由に動かせた。
「後ろ見てみな……。それで、大体の事は察するだろ」
デルライラムの普段と変わらない態度のせいだろうか? 徐々に猜疑心は薄まり、感じていた怒りもおさまり始めていた。
言葉に誘われるまま、後ろを振り向くと、そこには――。
「何だ、これは――」
目に入ったのは、高さ二メートル程の不気味な造形の彫像だった。頭が槍の様に尖り、幾つものひだで縁どられ、その中心に、一つの巨大な眼球。その下には、口などは見当たらず、袋状に膨れ上がった臓器の様な何かに数えきれない無数の目。その一つ一つが異なる形をしていて、目の様ではあるが、口や耳、鼻の様でもある。
更に下は、ヒトの胴体にも見えたが、腕や脚はなく、何本もの触手が波打ちながら伸びていた。それには、イカやタコの様な吸盤がびっしりと並んでいる。その触手の内いくつかは、剣や槍らしきモノを握りしめていて、その先端からは例外なく、何らかの液体が染みだしている。
背後から声が発せられ、暗い室内で反響する。
「そいつぁな。最古の毒神。グンダヴァム・イムイトだ。そして、それを祀った祭壇よ」
毒の神!?
「伝承じゃあ、第一次神界大戦の折に、滅びたとされているがな……」
暗く沈んだ声で、言葉は続く。
「滅んではいなかったのさ。肉片ひとつになっても生き永らえ、長き時を経て、人々の祈りによって復活した。……そして、その力に目を付けた連中がいた」
ここで顔を上げ、こちらに問いかける。
「今、話せるのはここまでだ。ここから先は、お前の覚悟を問う必要がある」
その言葉に、大精霊域へ入った時のやり取りを思い出した。
「あの時、俺の霊体に導管が通った時、全て伝わったと思っていました」
何度も深く頷き、再びこちらを見据える。それは、瞳の中に眠る真実を探り出そうとする様な眼差しだった。
「そうだな。だが、これは、そんなに甘え話じゃねぇんだ。再びお前に命を懸けてもらう事になる。――しかも、おそらくは、導管を通した時よりも、過酷な試練となる公算が高え」
どこか諭す様に、静かに、明るい声音で言葉が続けられた。
「この三日間、お前は本当によくやった。少し前までド素人だったお前が、今は自由に鉄の成形をなしている」
目の前の老人が、本気で自分を認めてくれていたのが、伝わって来る。だからこそ、この一連の出来事に、どんな意味があるのかを知りたくなった。
「今のまま立ち止まって、その力をより上手く扱える様に訓練すりゃ、攻撃も防御も自由自在な強力な魔法使いになれるぜ。……もちろん、使い様によっちゃ、仲間を救う事も出来る」
ここで、長い沈黙が続いた。次に紡ぐ言葉を、選んでいるのか。それとも、何か他の理由があるのかは分からなかった。ただ、老人の瞳からは、優しく温かな雫が溢れだしていた。
「すまねぇ。ちょいと、昔を思い出しちまった。……今は、お前の話をしているんだったな」
その瞳に、再び強い決意が宿る。
「俺が編み出した。硬化魔法の真髄。これは、我が師をも超えたと自負している。……だが、身に着けるためにはあまりにも危険が多すぎる。今のままでも十分に強くなれる。お前ならな。……ここで、やめるってんなら、止めはしねぇぜ。このまま愛する者の元へ帰りゃいい。ハキスはお前の意志を支え、その目的を果たすために大いに貢献するだろう」
「だが」
「もしも、それ以上の力を望むのなら。俺の、跡を継げる程の力を欲するのならば、お前には、再び命を捨てる覚悟が要る。……俺は、お前にそんな事を求めたくはねぇのさ」
静かに両目を閉じ、流れて行った言葉の数々を思い出し、そして、己の意思を伝えるために口を開く。
「嘘、ですよね?」
その言葉に、目を丸くして、こちらを見つめる。
「師匠は、あの時、確かにこう言いました。『お前には、これから死んでもらうぜ』と」
「あの言葉が、師匠が見た未来への希望を表していたんじゃないですか?」
「俺の事を心配してくれているのは、分かります。でも、本心では、死の危険と隣り合わせの試練を乗り越えてでも、自分の力を継げる者が欲しい。そうなんじゃないですか?」
迷うことなく、感じた事を言葉に変えていく。
「だとしたら、俺は、その期待に応えたい! 大丈夫です! 俺は絶対に死んだりなんかしませんよ!」
老人は、俯き、右手で両目を覆った。心なしか身体が震えて見える。
「はは、そんな根拠のない自信なんてよぉ。……俺も年を取ったな、こんな若造に、見透かされるなんてよぉ」
泣いているのだろうか?
「……確かに俺は、求めている。生涯をかけて編み出した奥義の継承者を……!」
顔を上げた時、その瞳からは迷いが消えていた。
「本心に、嘘をつくのはよくねぇな。……そうだ! 俺は! お前なら俺の力の全てを継げると踏んだ! その見込みに間違いはねぇと信じてる!」
「だが、だが――」
「それは、俺の希望にすぎねぇ。ヒト一人の命を乗せる天秤には、安すぎる。どうあがいても釣り合いが取れねぇ!」
「俺を、俺を、そんな人でなしにさせないでくれ……!」
再び目を覆い、小さな嗚咽を漏らす老人を見つめ、静かに目を閉じた。
分からない。俺は、また調子に乗ってるのか? ちょっと強くなったとか、少し出来る様になったとか、すごく嬉しいし、その度に約束に近づいた気がして、心が明るくなるけど、そんな事、この人が今かんじてる不安や希望と比べれば、軽いモノなんだろうな……。
普通は、乗らないと思う。
一人の命に対して、一人の希望。その希望は、将来的に多くの命を救う事につながるかもしれないけど、死ねば、全ては失われる。
やっぱり、釣り合いは取れないと思う。
でも、でも――!
ああ、これは、きっと間違ってる。考えなくても分かる。恐怖よりも、強い。この感情は、俺の――。
好奇心だ。
そんなモノに命を預けていいはずがない。アイシャもジジもきっと怒る。そりゃもう、火山が大爆発するくらいに。それに、死んだら、彼女たちとの約束も反故にした事になる。そんな最低ヤロウにはなりたくない。
現状に満足して、身の丈に合った力を持って、彼女たちの元へ帰る。それで、いいじゃないか。そうすれば、一人の希望は踏みにじられるけど、誰も、傷つかない……?
本当に、本当にそうか……?
ただ一人の切なる願い。それを、知っていながら、見て見ぬ振りをして、愛する者の元へ帰る。……誰もが、きっと望んでる。自分の大切な願いを叶えたいと、時には、その気持ちが、悪を生む事もあるかもしれない。
けど。
この人はそうだろうか?
アイシャやジジ、俺の大切な人たちにも、きっと心の奥底には、誰にも言えない様な強い、強い願いが秘められているはず。今、帰れば、俺は、それを叶える力に……。
本当になれるのか?
目の前で、涙を流し、本心を明らかにしてくれた人を放り出して、俺は、本当に強くなれるのか!?
分かってる。これ以上は、傲慢で、きっとただの我儘だ。でも、俺は――。
この人の願いを叶えてあげたい。
いや、叶えたい!
欲張りだって分かってる! でも、この人ももう、俺の大切な人のひとりなんだ。
そんな人の気持ちを踏みにじって、安穏となんてしていられない。
俺は、大切な人を誰も裏切りたくない!
長い問答の後、ゆっくりと目を開いた。目の前には、答えを待つ師の姿が見えた。もう落ち着いたのか、涙の跡も見えない。その目を真っすぐに見つめ、問いかける。
「ひとつ、聞いてもいいですか? ……師匠は、その試練を乗り越えたんですよね?」
無言で、ぎこちなく頷き、同時に何かを思い出している様だった。
「ああ、だからこそ、俺はここにいる」
その言葉を受けて、決意を確かめる。
「聞いてください。……これは、俺の我儘かもしれません。不遜なのも分かっています。でも、俺は、師匠。貴方の願いを叶えたい。だから、これは、俺の願いでもあります。……話してください。貴方の跡を継げる器を手にする方法を、もう覚悟は出来ています。でも、命を投げ出すつもりなんてありません。必ず生き残って見せます!」
目を丸くし、震える師が、口元を歪めて笑った。
「だからよぉ。そんな根拠のない自信なんてよぉ……。だが、分かったぜ。そこまで言うのなら、カイトよ。お前には、これから死んでもらうぜ?」
強く頷き返した。
「覚悟はいいな?」
再び聞いた、その言葉に深く頷く。一度目は何の覚悟もなかった。だが、二度目は自身が望んだ事だ。もう、後戻りは、出来ない――。
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