動き出す者たち
薄暗く腐臭の漂う部屋に、這いまわる害虫を象った醜悪な机と、髑髏や人骨と思しき意匠、様々な生物の抜き出した眼球を宝石の様にちりばめた、寒気がする程、悪趣味な椅子。少し離れて見れば、豪奢な玉座にも見えるそれに、ローブを着込んだ何者かが鎮座していた。フードの影に隠れ、よく見えないが、俯きながら何事かを呟いている様だった。
目の前の机には、奇妙な鏡が置かれていて、それもまた苦痛に歪み、悲鳴をあげる人物の顔が幾つも重なり合った枠に縁どられ、見ているだけで胸が悪くなってくる。何者かは得体の知れない革らしき手袋をはめた指で、その鏡にそっと触れ、枠をなぞる。
そこには禍々しく赤い双子の月が映り込んでいた。しばらくの静寂の後、小さな舌打ちが聞こえ、次いでくぐもってはいるが、何処かおかしそうな、喉の奥で鳴っている様な不気味な声が聞こえた。その声音から男性の様にも思えるが、定かではない。いや、そもそもが人間であるかも分からないのだが。姿形はヒトを模しているのは間違いなかった。
そのローブの裾がはためき、露わになったこれまた悪趣味な造形のブーツが踏み鳴らされる。すると、湿り気を帯びた不快な音が響く。忌々し気に繰り返される度に、不気味な水音が室内を満たす。暗く、影とひとつになって見える床には、何者かの内臓らしき物が敷き詰められていて、音の発生源はそこの様だった。これもまた醜悪な絨毯の類なのだろうか。
踏まれて湿った音を立てる縄状の何かが、あたかも生きているかの様に、踊り出し、その軌跡に、吐き気を催す臭気と赤黒い液体を振りまく。およそ常人であれば、ものの数分もしない内に、精神に異常を来たしそうな場所だったが、その中心にある者は、まるで気に留める素振りも見せない。
床の振動が柱を伝い、天井にまで伝わったのか、吊り下げられた人形が振り子の様に、揺れる。それもまた四肢をもがれ、内臓をえぐられて肋骨や背骨を剥き出しにした醜悪な造形で、揺れる度に、赤黒い液体をまき散らす。その雫が鏡を濡らし、映りこんだ月が揺らめいた。
何者かは、自らも不快な臭気を振りまく液体を浴び、全身で喜びを表現する。先ほどまでの態度とは打って変わって、痙攣する様に、身をくねらせ、くぐもった笑いをあげた。
「おや。おや、おや、おや。やはり、月の魔力には敵いませんでしたか。邪魔が入らない様に、舞台設定を決めたつもりでしたが、実に口惜しい」
発する言葉とは裏腹に何処か楽しそうだ。明瞭な人語からは、理性ある者の片鱗が見えるが、それ自体がこの者の正体を歪める罠なのかもしれなかった。
「あちらの世界を模した形では、こちらの者が、おいそれと介入する訳にも行きませんからねぇ。世界の秩序の崩壊は、即、破滅につながりますから」
細く長い指を伸ばし、フードの内の見えない顎へ添える。
「しかし、今回はあの者の記憶を通じて再現しただけの仮初の異界。不完全すぎて使いものになりませんでしたか。あわよくば、永遠にあちらに縫い付ける算段だったのですが……。再現度の低さから月に付け込まれるのでしょうねぇ。全く忌々しい。仮にも尊崇を集めた力ある者であれば、相応の品格と慎みを持ってもらいたいモノですが、あちらもご執心の様ですからね」
そこで、しばらく沈黙が流れ、椅子に背中を預ける音が響く。普通の人間が背もたれによりかかる音と比べると、軽く。そのローブの中身に骨肉がおさまっているのか、疑わしくなる。
「……こちらの世界で、苦痛や恐怖に基づく悪夢を見せても、すぐさま白光に払われる。かと言って、あちらの世界は不完全にしか形作れない、それでは先ほどの様に、月の入り込む余地が生まれる。加えて、あのエルフの少女の幻像の出現。……あれは、月の干渉ではない、とすれば、あの者の身の内に、別の何かが宿っている事になる。……困りましたねぇ」
さほど困っている様には、見えない。むしろ今にも笑いだしそうに、身体が小刻みに揺れていた。
「我が主へ報告すべきでしょうが、あの方は、一方的に命を下すばかりで、こちらから連絡はつきませんから……。しがない中間管理職に、酷い仕打ちではないですか。月と主との板挟み。全く損な役回り。……こうなれば、とことん好きにさせてもらいましょうか。うふふ。うふふふふ。久方ぶりに、私の空洞が沸き立つ様に、満たされていくのを感じます」
椅子から立ち上がり、再び不気味な水音が響く。何者かはローブの裾をはためかせ、両手を広げた。
「次こそは、とわの眠りを――!」
「悪夢の王の名にかけて!」
※ ※ ※
並んだ双子の月は、古くは、人々を守る祈りの象徴であった。それが、歪められたのは何時の話だっただろうか。信仰を集めたその時は、遠く。今は、ただ身を焼かれ、マグマの様に噴出する憎悪と、死より冷たい絶望とがそれを形作っていた。
並ぶ二つの影に対応する両者、その片割れがいずこかより帰還し、再び姉の前に立つ。
「お帰りなさい。どうだったかしら?」
機械的な声が、静かに尋ねる。
「ハッ! どうも何も、姉上も全部みてたンだろッ!」
静かな頷きだけが、返る。
「今のままじゃ、敵じゃねぇよ! 野郎が引きこもって、シコシコ仕込んでたのがあンな出来そこないとは、お笑い草だ!」
暗い影は、感情を持たない様に見えたが、少し咎める様な口調になる。
「その割には、何もできずに帰って来たのね。あの呪いの主は、貴方との戦いを糧に、更なる力をつけるかもしれないわ」
その言葉に、忌々しそうに、今にも爆発しそうな声が響く。
「アアッ!? オレが完全な姿で顕現すれば、一秒も経たない内に消し炭だッ!」
そして振り返り、彼方の大地を見据える。口元は悔しさに歪んでいた。
「パワーもスピードも大したことねぇ。……だが、折ったつもりが、折れてなかった。そして、地の利を生かして、相手の虚をつく狡猾さッ! チッ! 思い出すだけで、ムカムカしてくらァ!」
暗い影は、噛みしめる様に、答える。
「苦痛に耐える心の強さ。そして、即席の戦術を形にし、不利を覆す智慧。侮れない相手よ。……そして、何よりも、貴方が彼の大切な者に手を出した――逆鱗に触れたのね」
驚いた様子で振り返り、暗い影を見つめた。
「オイオイ、やけに饒舌じゃねぇか。姉上。……しかも野郎のオモチャを彼なンてよッ! まさか、あいつの肩もってンのかァ!?」
今にも喧嘩が始まりそうな険悪な雰囲気となるが、相変わらず機械的で静かな声が響く。
「さあ、どうかしら。とにかく、今回は失敗ね」
燃える赤い瞳が、禍々しい輝きを放つ。
「まだだッ! あの地には、強大な力を、それこそ神に匹敵する精霊が幾つも存在するッ! 奴らが、オレの力を削いだッ! 次は、人間どもの地で! 完全な姿で相手してやるッ! その時は、必ずぶっ潰してやるッ!」
それを静かに聞いていた、暗い影が小さく呟く。
「損な役回りね」
聞こえなかったのか、不愉快そうに尋ね返した。
「アアッ!? 聞こえねぇよッ! 姉上のその喋り方には飽き飽きするくれぇ、慣れてるが、たまにはさっきみてぇにハッキリ喋ってくれよッ!」
暗い影は、ただ静かに首を振る。
「何でもないわ。ただの独り言」
短い舌打ちが響き、双子の月の象徴は、再び永劫とも思える時間のくびきの中へと帰って行った。
※ ※ ※
明るい森に鳥たちの合唱が響く。緑に染まった樹間に、その風景に溶け込みそうな、苔むした廃屋があった。そこへ緑色のフードを深く被った一人の人物が入って行く。朽ちかけて、入り口に斜めにもたれかかるドアは、人目を避けるにはいささか不格好と言えた。
「ただいま戻りました。警戒されて、衛兵を呼ばれる可能性も考えましたが、ひとまず上手く行った様です」
廃屋の中には、床に寝かされた巨躯の男と、もう一人の男が座り込んでいたが、顔には疲労の色が濃く表れ、調子が優れない様だった。その男が答える。
「食料と医薬品に替えの武器。入手できたのか? ……こうも上手く行くとは、怪しまれなかったのか? 尾行がついてねぇだろうな?」
入ってきた男は、フードを脱ぎ、手にした粗末な袋を床へ置いた。その中身を漁りながら答えを返す。
「尾行は……ないと思います。疲労で自分の警戒範囲も狭まっているかもしれないので、確実とは言えませんが。怪我をしたエルフの乞食のフリをするのも楽じゃなかったですよ。いつ見破られるかとヒヤヒヤしましたからね。……しかし、あの心から憐れんだ様子の瞳……。相当なお人好しだったのでしょうか?」
そして隣の男に聞こえない様に呟く。「いくら異種族とは言え、我々は、あんな人々を手にかけようと……、そして、彼らにもらった道具で、彼らの命を奪おうと企んでいる……」その声は、森の鳥たちのさえずりに重なり、廃屋の空気へと溶け込んで行った。
「分からねぇぜ。尾行はなくとも、既に通報ずみかもしれねぇ。……これから交代で仮眠を取るんだろ? いくら一人は見張りに立つと言っても、このザマじゃあ、簡単には逃げられねぇ。もしここを発見されれば、まじぃ事になるぜ」
入り口側の男は、ゆっくりと首を振り、その後また喋り出した。
「……この辺りに怪しい人物の潜めそうな場所なんて限られているでしょうから。もし、通報されていれば、もう見つかったも同然ですよ。そんな事より、隊長を起こしてください。粗末でも食べ物があるだけマシです。……先輩の短剣の代わりですが、明らかに調理用のナイフですね。よく手入れされているので、切れ味はよさそうですが。それと、医薬品は森で多く流通している一般的な薬草で、軽い怪我ていどになら良く効くそうですよ」
そう言って、男は視線を落とし、「隊長の負傷には、焼け石に水かもしれませんが」と呟いた。
「考えても仕方ねぇってか。ようやくあの壁が見えて来たんだ。こんな所で捕まって、拷問されたあげくに公開処刑なんて運命は避けたいもんだ……。しかし、お前。エルフ語も話せたのか? 帝国人に特有の妙ななまりがあって、勘づかれたりしてねぇといいが……」
入り口側の男は顔を上げ、そっけなく答える。
「……ドワーフ語は、支配者である帝国人にとっては、耳慣れたモノでしょうが、敵対しているエルフの言語の話者は、ある方面で重宝されますからね。……その名残ですよ」
隊長を揺り起こしながら、男は続けた。
「おいおい、随分とまあ、きな臭い話だな。……今夜、あの壁を越える。もう後戻りは出来ねぇぞ」
眠っていた隊長の両目が見開かれ、その言葉に応じる。
「遂にここまで来たか。我々の命運は、今夜、決まる。それまでに出来る準備は全てやっておけ。……必ず生きて帰るぞ」
残りの二人が、同時に声をそろえて答え、決意を確かめる様に、強く頷いた。
※ ※ ※
何か冷ややかな液体が、額に打ち付けたのを感じ、意識が徐々に明瞭になっていく。独特な土臭い匂いが、水分に溶け込んで、軽やかに広がり、周囲の空間を満たしていた。
「冷たっ! ……雨が降ってるのか?」
身体を冷やすと面倒だからと、慌てて目を開く。そこには――。
「へ!?」
こちらを見降ろす骸骨の姿が見えた。のろのろと振り上げられた剣の切っ先が下を向き、真っ直ぐに振り下ろされる!
「うわぁ!?」
すかさず横転して、難を逃れたが、周囲を見知った霊たちに囲まれているのに気付いた。転がった勢いに乗って立ち上がり、精霊たちを呼び寄せる。
「こいつら、この程度の雲のかかり方でも、出てこられるのか!」
せっかく拾った命を儚く散らす所だった。周囲を徘徊していた霊の視線がこちらに集まり、一気に雪崩れ込んで来る。完全に逃げ道がなくなる前に、精霊を巨大化させ、その上に乗って空へと飛び上がった。
下を見ると、お互いにぶつかり合い、もつれあった間抜けな姿が見えたが、危うくその餌食になる所だったと思えば、笑える光景ではない。
辺りを見回し、彼女の姿を探す。
「ジジは、まだ俺の中で寝てるのか……。大丈夫かな、あいつ」
そこで、突然、胸に激痛が走る。
「うぐっ!」
しばらく浮遊しながらうずくまっていたが、徐々に痛みは引いて行った。
「……無理しすぎた反動か……? それとも、睡眠時間が少なすぎたのか? そういえば、何か退屈だけど、幸せな夢を見ていた気がする。……もう、全然おもいだせないけど」
空からデルライラムの家が見えた。
「さあて、体調ばんぜんとは行かないけど、今日も修行しないとなぁ」
朝方に激戦を経た、あの空き地を振り返ると、崖で囲まれていたはずの地形は見る影もなく、大地震で破壊された様に、地層が剥き出しになっていて、長閑だった光景は、無残な荒地へと変貌していた。
その変わりようを見て、少し後悔する。
「あそこ、いい感じの広場だったのに、グチャグチャにしちまったな……。あの時は、無我夢中だったけど、剣くらい質量の大きな精霊銀の塊が十数本だもんな」
あの戦いを思い出すと、寒気がしたが、あの時、発動した大魔法には確かな手ごたえがあった。
「人気のない広場だったから良かったけど、アレを街中で発動させたらどんな被害が起こるか、想像も出来ない……。魔法の恐ろしさを改めて知った気がするな」
ま、この世界に来てからこれまで、人の集まる街というモノを見たことはないのだが、いつか見られるといいな。
「それも、生きていればこそだ!」
いつの日か、アイシャやジジを連れて、明るく賑やかな街を闊歩し、楽しく笑い合いたい。そんな想像を胸に、デルライラムの家へと向かった――。
評価・ブックマーク・レビュー・感想などいただけると励みになります。




