悪夢と現実の狭間で
周囲が真っ暗な空間で、誰かに見下ろされていた。慈しみとも呆れとも取れる複雑な表情を浮かべる誰かが、話しかけて来る。
「無茶をしたね」
その声は、アイシャなのか? 何故、俺を見下ろしているんだ?
「私の言う通り、あんなお墓には行かず、真っ直ぐにデム爺のお家を目指していれば――」
すまない。アイシャ。俺の、失態だ。
「デム爺とジジちゃんと、カイト。三人で戦えば、あんな怪物、簡単に倒せたはずだよ」
見下ろす表情が、より険しくなっていく。
「もう肉体も、霊体も、ホントにボロボロ。取り返しがつかないくらい。……そのままじゃ、あの治癒能力でも間に合わない」
ゆっくりと屈み込んでいるのか。こちらへ顔が徐々に近づいて来る。
「私の言う事を聞いていれば、カイトひとりが、こんなにボロボロになる必要はなかったんだ。自業自得だね」
そんなに責めないでくれ。
「責めたくもなるよ。……でも、今、貴方に死なれる訳には行かないから。また、私の力を送るね」
目の前に黒い影が重なる。それは、誰かの手らしき物だった。それがにわかに輝き始め、視界は白い光に包まれて行く。
「これで、傷の方は、何とかなるはずだよ。……でも、これから見る悪夢に、打ち勝てなければ、二度と目覚めることはない」
何故、君がそんな事を知っているんだ?
「待っているから……。必ず帰って来てね」
エコーの様に、反響する言葉が、繰り返し、繰り返し、鼓膜を揺らした。
「必ず帰って来てね」
ああ、約束するよ。
白い光に包まれる視界で、誰かが優しく微笑んだ気がした。
※ ※ ※
暗い部屋に突然けたたましい音が鳴り始める。それは、徐々に間隔を短くし、急き立てる様に、鳴り響いた。
「うぅん。うるさいなぁ」
ドアをノックする音の後に、聞き慣れた声が響く。
「もう。海兎! 早く起きなよ、さっきから目覚まし鳴りっぱなしだよ! 遅刻しちゃうって!」
その声に、枕元をのろのろと探り、目的の物体を探し当て、スイッチを切り替える。
「まだ眠い……。何か変な夢を見てた気がする……」
寝ぼけた脳を少しずつ覚醒させ、目を擦って、開いた。そこには、長年、慣れ親しんだ天井が映っていた。
「あれ? ここ、何処だっけ……?」
起き上がって、周りを見回す、大画面のテレビに、幾つものゲーム機の置かれた棚。本棚には、攻略本が幾つも並び、壁には大好きなゲームのポスターが貼られていた。部屋の隅に置かれた学習机が居心地わるそうに佇むが、その上は、グッズの山で溢れ、本来の機能を失っていた。
「はは、何いってんだろ、俺。自分の部屋に決まってるよなぁ。まだ寝ぼけてんのかな……?」
ベッドの隣の窓へと手を伸ばし、明るい光の筋が注ぎ込んでいたカーテンを一気に開け放つ。
「うお。まぶし」
外は、とてもいい天気で、家に面した道路からは人々の明るい声が聞こえて来た。
「ふあぁ。とりあえず、制服に着替えるか」
壁に備え付けのクローゼットへ向かい、ハンガーにかけられた制服を取り出し、手早く衣服を取り換えて行く。着替えが終わった所で、机の隣に乱雑に置かれていたリュックサックを持ち上げ、中身を確かめる。
一度おおきく頷き、そのままドアを開け、部屋の入り口が並ぶ通路を抜け、一階への階段を降りる。トントンと小気味よい音と共に、階下のダイニングルームから良い匂いが漂って来る。
「おお、この匂いはっ! カリカリのベーコンを乗せた目玉焼き! 嗅いでると腹へってきた!」
そこで、何かが引っかかり、足を止める。
「ん? 目玉焼き……? 何処かで聞いた様な……?」
階段とちゅうで立ち止まっていると、下から姉の顔が覗いた。
「もう、何してんの? 朝ごはん冷めちゃうよ! 早く支度してきなって」
あれ? 姉さん、だよな……? 顔、久しぶりに見た気がする。
「んな訳ないか」
一階へ降り、洗面所へ向かう。鏡を覗くと、制服を着込んだ自分の姿が大写しになる。
「あれ? 何か、この服を着るのも久しぶりな様な……? いや、そんな事より寝癖ひっで! 早く直さないと!」
水道の蛇口をひねり、少量の水を手につけ、髪の毛の寝癖をとかしていく。
「ああ、ダメだ! 焦って上手くいかねぇ」
寝癖の手入れは程々で止め、歯を磨く。慣れ親しんだ歯ブラシの程よくほぐれた感触が心地いい。
手早く終わらせて、食事へ向かう。
テーブルへ行くと、既に姉が朝食を摂っていて、手前にある自分の席へ座る。目の前には、妙に豪華な食事が置かれていて、キッチンから現れた母が、更に品数を追加する。
「おお。今日の朝ごはんなんか豪華じゃない?」
姉は、咀嚼する口を止め、怪訝そうな視線を送って来た。
「そんな訳ないでしょ? いつも通りじゃん」
バタートーストに、目玉焼きに、緑黄色野菜たっぷりのサラダと、極めつきは、特盛のフルーツだ。空腹が我慢できなくなってきて、いそいそと箸を取り、サラダを食べようとした所で、また手が止まった。
「あれ……。箸、綺麗な箸だな。プロの作ったみたいな……?」
姉は、また怪訝そうな顔でこちらを見つめる。
「海兎。今日、何かおかしいよ? 熱でもあるんじゃない?」
それを聞いた母が、慌ててやってきて、俺の額に手を当てた。少しひんやりとした感触が、心地よかったが、直ぐに背を逸らして、振り払う。
「い、いいって! 母さんは、家事があるだろっ! 俺はなんともないから!」
再びキッチンへ向かう母は、振り向き、しばらくこちらを心配そうに見ていたが、やがて家事へと戻って行った。
豪華な食事を終え、腹をさすりながら立ち上がる。
「うっぷ。ちょっと量おおすぎたかも。いっつもこんなに食べてたかなぁ」
ダイニングに置かれたテレビには、いつもと同じ、朝のニュース番組が流れ、情報の洪水をこれでもかと浴びせかけて来る。
それをぼうっと見つめていると、姉が声をかけて来た。
「ほらっ。早く行かなきゃ、ホントに遅刻しちゃうよ!」
その言葉に続き、玄関へと足早に向かい、靴を履き、ドアを開け、見知った道路へと出る。まだ朝はやくだが、人通りはそれなりに多く、通学路を行く子供の列。ジョギングをする人。家の前を掃除するついでに、ご近所さんと話し込む人など、様々な人々の姿が見えた。
「じゃ、私はこっちだから。遅刻しない様に気を付けるんだよっ」
手を振り離れていく姉を見送り、とぼとぼとバス停へ歩き出す。
辿り着くと、すでに、列が出来ていて、その最後尾に並び、バスを待つ。
同じくバスを待つ人々の会話が漏れ聞こえて来る。
「聞いたか? 星陸浪高校の噂?」
「ああ、知ってる。失踪者が出たってやつだろ?」
「そうそう。行方不明で捜索うちきりだってよ」
「ええ、マジかよ。事件の匂いがするな……」
「おい、怖い事いうなよ」
うん? 俺の高校の話か……? 失踪者? そんな噂あったっけ?
「しかも、失踪の当日に交通事故があったって!」
「は? それ関係あんの?」
そんなとりとめもない会話を聞き流し、やって来たバスへ乗り込み、見知った通学路へ降りる。
バスの中でも同じような噂話をしている連中がいたな。そんなに広まってるのか?
「海兎!? お前、海兎じゃないか! おい、随分ひさしぶりだな!」
学生たちが集まり群れを成して歩く、通学路で突然よびとめられた。後ろを振り向くと、同じ制服を来た男子生徒が嬉しそうに駆け寄って来る。
「失踪したって聞いたけど、やっぱ嘘だったんだな! こんな平和な街でそんな事件なんて起きる訳ないってな!」
馴れ馴れしく話しかけて来る、その少年の顔には確かに見覚えがあった。だが、名前が思いだせない。あれ? どうしてだ? 確かに知り合いのはずなのに……。まあ、適当に話を合わせておくか。
「俺が失踪って、この通り元気だけど、誰から聞いたの?」
少年は、顎に手を当て、空を仰ぎ見る。
「え? 誰だったかなぁ。お前がずっと休んでて、その理由が、行方不明じゃないかって、そんな噂が――」
少年は、嬉しそうに俺の肩を叩き、快活に笑う。
「でも、やっぱ噂はただの噂だわ! お前、休んでた間なにしてたの? まさか、ずっと引きこもってゲームか!? よく家族が許してくれたな!?」
それから少年と他愛もない話をしながら通学路を行くと、通っている高校の門が見えて来た。姉のおかげか、時間には余裕があったため、悠々と登校する。
そして、単調な一日が始まった。いつも通りの光景、見知った人々、あっという間に過ぎ去って行く時間。いつも放課後を心待ちにしていて、アルバイトのない日は、すぐに帰っていたっけ……。
日が暮れ始めた教室で自席にぼんやりと座りながら、そんな事を思っていると、何か違和感を覚える。
「あれ? 何か、何か大切な事を忘れている様な……。大体さっきの思考、毎日の事のはずなのに、どうして昔を思い出すみたいに――」
そんな事を考えていると、また朝方の少年がやって来た。
「お、まだ残ってたのか? もしかして、俺を待ってた? 何てな! 途中まで一緒に帰ろうぜ!」
その日はそのまま自宅まで帰り、思い出した様に、メールやメッセージのチェックをする。
「え? いつの間にかバイト、クビになってた。つか、店長からのメッセージどんだけ来てんだ!?」
四畝波君、無断で休むなんて一体どうしたんだ? 真面目な君らしくない。とにかくこのメッセージを見たならすぐに連絡してくれ。
俺は、本当に失踪でもしていたのか? どうなってる?
四畝波君、君がこんなに常識の欠如した人間だったとは、正直な所しんじられないよ。
幾つもあるログを見返しても、アルバイト先の店長のモノばかりで、何故か他の知人や友人らしきモノが見当たらない。
「ホントにどうなってる? 不自然な点が多すぎる……。そもそも失踪なんて、父さんも母さんも、姉さんも、一言もそんな事は言わなかった。おかしいよな……」
「まあ、いいや。考えるの止めてゲームでもするか! 何かずっとやってなかった気がして、帰るのが待ち切れなかったんだよな! よぅし、久しぶりに徹ゲーだ!」
と意気込んでいたら、寝落ちしていた。外からは、小鳥の鳴き声が聞こえ、既に朝の様だ。ベッドにもたれかかって眠っていたせいか、身体中が痛い。
しばらくすると、また姉から声がかかる。
「海兎? 起きてるの? 今日は目覚まし鳴らなかったけど、まだ寝てるんなら起きなよ?」
さてと、今日も退屈な一日の始まりだ。帰ってゲームするのだけが生きがいだよなぁ。
そうして、日々は瞬く間に過ぎ去って行き、繰り返される日常の中で、何か大切な事を忘れているという感覚も、少しずつ薄れて行った。
「結局のとこ何だったんだろうな? あの感覚。絶対に忘れちゃいけない何かがある気がした。でも、そんなモノ何日たっても欠片も思いだせなかった」
考え事をしながら、帰路に着くと、あの少年がまた駆け寄ってきて、不思議な話を振って来る。
「なあ、聞いたか? 新しい噂! ……うちの高校にも、出るらしいぜ?」
「出るって。何が?」
「お前、出るって言ったら幽霊に決まってんだろ!?」
「いや、そう豪語されてもな。俺にはそんな常識はない」
「まあ、聞けよ! 何でも金髪の美少女の霊らしいぜ? どうだ? 興味深いだろ?」
「金髪ぅ? 外国人かよ」
「それがさ! こう、耳が長くてよ! エルフだって噂なんだって!」
「はあ? エルフって想像上の存在だろ。それが霊になる訳ないじゃん」
「ノリわりぃなぁ! こんなワクワクする話、他じゃないだろ! 今日の夜、学校に忍び込むぞ!」
「おいおい、俺も強制さんかなのかよ」
「たりめぇよ! じゃあ、今日の九時に裏門の前に集合な!」
少年は、それだけ告げると足早に走り去って行った。
「さてと、どうするかなぁ。エルフなんて……。エルフ? おかしいな、何か。今、頭の中で……」
聞こえたのは、何処か懐かしい響きのする少女の声だった。
「幻聴か? 確かにカイトって――」
いや、いや、女子は基本的に俺に話しかけたりしないし、呼ぶなら四畝波君だろ。カイトなんてそんな馴れ馴れしい。
「まあ、暇って事もないけど、付き合ってやるか」
幻聴が聞こえたからか、不思議と少年の誘いに興味が湧いて来ていた。話を聞いていた時には、行く気はなかったのだが。
そうして、集合時間が近づき、学校の裏門に回った。建物には、もう明かりのついている部屋もまったく無く、静まり返っている。遅れて現れた少年が、嬉しそうに駆け寄って来る。
「よぉし! じゃあ、早速、潜入そうさと行こうぜ!」
施錠された門の出っ張りに足をかけ、一気に飛び越えて、向こう側へ回ると、少年が感嘆の声を上げた。
「お前、そんなに運動神経よかったっけ?」
いや、自分でも分からない。身体が勝手に動いた――と言うべきだろうか。
続いて、建物に入り、人気のない廊下を歩いて行く。一階、二階、三階、どこにも霊どころかその痕跡も見当たらず、帰ろうと考え始めた頃、屋上へ続く階段の前で、また幻聴が聞こえた。
「まただ。また、カイト――って!」
思わず走り出していた。何故か施錠されていなかった屋上への扉を開け放ち、夜空の下へ駆け出す。心の内から湧き起こる焦燥感が身体を支配していた。
「何だ? この感覚は、一体おれは、どうなって?」
屋上にも霊はいなかった。だが、立ち並ぶビルの谷間に見えるそれに、強烈な違和感を覚える。
「どうして……、月がひとつしかないんだ?」
息を切らせながら追いついて来た少年が、その言葉を否定する。
「はあ、はあ。お前、足はやっ! てか、今きこえたけど、月はひとつに決まってるだろ?」
その言葉も強烈な違和感を喚起する。真っ直ぐに月を見つめていると、その様相が変わり、赤く変じ始める。
「ひとつじゃない! 確かにあの時、夜空に輝く双子の月を見た!」
その言葉を契機に、夜空の赤い月の後ろにうっすらともう一つの月が姿を現す。その姿はだんだんと濃くはっきりとしだし、禍々しい輝きを放った。
「うぐっ!」
心臓を掴まれるような不快感と共に、全ての記憶が甦っていた。空は不気味に渦を巻き、身体はその中心へと吸い寄せられていく。
「アイシャ! ジジ! 師匠! 忘れててゴメン! 今、帰るよ!」
下からは少年の叫び声が聞こえた。
「行くな! 行けば、二度と戻ってこられない! お前は、この現実を捨てるのか! 平穏な日々を! 可能性あふれる未来を! 共に生きる家族を! いつもお前を待っていた、片時も離れた事のない友たちを! 置いて、行ってしまうのか!?」
振り返らずに答えを返す。もし、振り返ってしまったら、あの退屈な日常に帰りたくなってしまう。いくら退屈でも、簡単に捨てられるほど、軽い人生じゃなかった。――でも、今の俺には、もう。
「大切なモノが出来たんだ。とても、とても大切な、俺の帰りを待っている人たちがいる。だから、行くよ。だってさ――」
万感の思いを込めて呟く。
「あの世界は、もう、俺にとっての現実だから」
新たな地で得た。かけがえのない日々に帰ろう――。
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