死闘、限界を超えて
男か女かも分からない、いや、そもそも生物なのかも不確かな黒い影が揺らめき喜々として語り掛けて来る。狂気を孕んだその声は、いささか高く女性のようにも思えたが、定かではない。外見の不気味さと比べて明瞭な人語は余計に恐怖心を煽る。
「オイ。簡単に潰れてくれンなよ? オレは、壊し甲斐のあるオモチャが欲しいンだ!」
こいつ! 一体なにを言ってる!? 狂ってるのか!?
「玩具って何の話だ! お前は一体――」
後ろからは「カイト、下がるのじゃ」とジジが小声で指示して来る。
「テメエに答える義理はねぇなあ! ハハッ! お喋りはそれ程すきじゃねぇンだ!」
その言葉と共に、黒い影は掻き消えていた。
消えた――!?
「潰れろッ!」
「カイト! 下がれッ!」
一瞬で眼前まで移動して来た黒い影の一撃を、咄嗟に後ろから飛び出したジジが受け止める! その瞬間、感じたこともない衝撃波が巻き起こり、背面にあった木に押し付けられていた。
今の衝撃、ジジと奴の力が拮抗してるのか!?
だが――。
「うあああっ!」
今まで聞いた事もない悲鳴と共に、彼女の姿が後方へと吸い込まれる様に消えて行き。激しい風が大地を洗う、次いで崖が崩れたと思わせる轟音が響く。目の前に立っていた、黒い影は薄気味悪い笑みを浮かべて見えた。
黒い影には構わず、慌てて振り向くと、壁面がクレーター状に陥没し、その中心に衣服が裂け、血を流すジジの姿が見えた。彼女の両腕は力なく垂れ下がり、ぴくりとも動かない。衝撃の余波によって、崖上から崩落が起こり、身じろぎひとつしないジジの身体に積もって行く。
「う、嘘……うそだろ?」
今にも駆け出しそうになったが、こちらへ歩む足音が聞こえ、ハッとしてそちらへ向く。黒い影は楽しそうに、掌を開閉し、弄びながら進み出す。
嘘、だろ? あのジジが、ただの一撃で……!
気付けば身体が小刻みに震えていた。そこで、黒い影の禍々しい赤い瞳と視線が交錯する。
「ハッ! テメエ、震えてンのか! 情けねぇ。全くこンな出来そこないが獲物とはなぁ。拍子抜けだ」
それ以上、目を合わせる事は出来なかった。黒い影は、伏した眼前を悠々と通り過ぎて行く。
「女を盾にして、拾った命はウメエか? 精々、骨までしゃぶり尽くせよ。こいつをやったらすぐテメエの番だ」
動け、動いてくれよ。俺の身体――! そうだ! あの力を使って! 一瞬だけでもいい。力を振り絞って、ジジを連れてこの場から逃げ出すんだ! そうすれば、師匠やアイシャが助けてくれるかも!
だが、何度スイッチを入れようと試みても、何の反応もなかった。その間にも黒い影は、ジジへと徐々に迫って行く。どうしてだ? 何時でもオンに出来るようになったはずなのに! どうしてこんな時に動いてくれない!? どうして――!
「さあてと、こいつの心臓をブッ潰すかぁ。綺麗な赤い花さかせてくれよぉ」
黒い影が、右腕を振りかぶるのが、スローモーションで見えた。それは、間違いなく動かない彼女の心臓に狙いを定めていて、今にも突き出されようとしている。
「やめろ――やめ」
身体の奥底で、金色の何かが弾けた。
それ以上ジジに――!
「近寄るんじゃねぇッ!!」
波動は瞬く間にその場の空間を満たし、震える空気が鳴動を続ける。逆巻く激情に身を任せ、黒い影に飛び掛かっていた! 目に見えない金色の軌跡がそれを追従する。
「あ?」
こちらの変化に気付いた黒い影が振り返るが、今の間合いなら届くと思われた。
音の如き速度で飛び込んで突き立てた右拳が、大地を抉り、後方へ破片の雨を飛ばす。ジジをうずめるクレーターの側面が、起きた衝撃によって、斜めに削がれてクラックを生み、再び、大きな崩落を起こした。
危なかった。もう少しでジジに――でも、無意識に狙いを逸らしてたみたいだ!
度重なる凄まじい衝撃音で、耳鳴りが頭蓋の中を駆け抜けるが、それにも構わず、立ち昇る土煙をかき分け、黒い影を探す。
「へぇ? 案外、遊び甲斐のあるオモチャなのか?」
後ろ!?
「ハハッ! やったと思ったか? アメエな。脳が腐るほどアメエ!」
後方へ跳躍していた黒い影が、背面の崖を蹴り、こちらへ突進する。
この場から動いたらジジに当たってしまう!
受け止めるんだ!
全身全霊で!
「潰れろォッ!」
「うおおおおおッ!」
突き出された右拳に、両手を重ねる様に、被せる。瞬間、骨が砕けた様な底知れぬ不快感と共に、両腕が波打っていた。それは、徐々に身体に達し、両脚は地面を抉りながら埋まって行く。
「うぐッ!」
やらせるかッ! ジジには、これ以上なにもさせねぇ!!
「お前の好きにさせてたまるかッ!」
受け止めた腕の一本、左腕を下にずらし、黒い影の突きを上腕で受け止める。そして、外した右腕を近づいて来た黒い影の顔面に、思い切り叩きつけた!
「何だ!?」
全く手ごたえがない!?
「だが、このまま引く訳には行かねェッ!」
パイプだ! 右腕を力を伝える導管に見立てて、上半身の力で押し返すんだ!
肩が抉れ、肩甲骨が背中から飛び出した様に錯覚する。その異常な感覚に呑まれそうになるが、意識を強く保ち、上半身を一気に前傾させる。気が付けば、黒い影の拳を受け止めていた、左の上腕は真っ黒になっていた。
「構うものか! ここで、引いたら俺は二度と――!」
男は名乗れない!
急激な前傾に伴い、地面に対して、斜めになった両脚に一気に力を込める。このまま奴に向かって飛び上がれ!
「うおおおおおッ!」
激しい衝突に、再び衝撃波が巻き起こる。
「チッ!」
短い舌打ちと共に、黒い影の身体が、後方の壁面へと飛ばされていく。そして、三度、大地を抉る轟音が響き、巨大なクレーターが出来上がっていた。
その中心には確かに黒い影がいた!
「や、やったのか……?」
だが、その声にすぐさま別の声が重なる。
「アメエ。ホントに脳が腐るぜ。アア、ついでに筋肉も腐りそうだなァ」
くそッ! 全く効いてないのか!?
何故かは分からないが、まだ身体は動く! だったら――!
壁面から飛び出し、地面に降り立った黒い影に両腕から連続したパンチを放つ。
「オ! 楽しいお遊戯の時間かァ?」
だが、その全てが、指一本で逸らされ、掠りもしない。
攻撃を続けながら絶望的な思考を始める。
こいつは、あのジジを一撃で吹き飛ばして、大怪我させた。つまり、アイシャのハンターモードを遥かに上回る様なパワーを持ってるはずだ。アイシャの本気がどの程度かは分からないが、今はそこは問題じゃない。加えて、俺のこの力が、ハンターモードと同程度だとしたら、こいつには絶対にかなわない!
くそッ! 考えれば考えるほど、勝てる気がしねぇ!
黒い影は、指一本でこちらの攻撃を受け流しながら、わざとらしく欠伸の様な動きを見せる。
「ファァ。なンか、眠くなってきたな。退屈な遊びは好きじゃねぇ」
そして、こちらを品定めする様に、視線を動かす。
「フゥン。……テメエの動き、パワーもスピードもそれなりのモンだ。だが――」
攻撃に集中して、前のめりの身体に突然、足払いをかけられよろめいて倒れそうになる。
「しまっ――」
黒い影は、心底あきたと言わんばかりに言葉を続け、それと同時に俺の腹部を蹴り上げた。
「ぐぼぉっ!」
痛みはなかった、だが、内臓が潰れる様な不快感と共に、身体が上空へと放り出される。
「そいつを相手を殺す純粋な力へ昇華する過程。つまりは、技術がねぇ」
下から余裕を感じさせる罵倒が続く。
「ただのおままごとだ」
そして、一気に飛び上がり迫りくる。
「ハハッ! お手玉になる趣味でもあンのかァ!? だが、オレァ、つまんねぇ遊びは嫌いだ」
そう言って、空中で回転し、後ろ蹴りを先ほどと同じ部位へ命中させた。
「ぐはあっ!」
意識が飛びそうになる中、猛烈な風を受けて、出口側の壁面へ叩きつけられた。内臓に致命的なダメージを負ったのか、こみ上げる濁流を口から吐き絞る。その赤い奔流は地面を汚し、鮮やかに彩る。
「クソッ! クソッ! このままじゃ」
その時、霞む目線の先に、慌てた様子で右往左往する精霊たちの気配が感じられた。イシ……デイ……。情けない主を許してくれ……。
直後、電流の様に、あるビジョンが浮かぶ!
あいつ、精霊たちが見えていないのか!? だとしたら、まだやりようがあるはずだ! 脳内で高速に戦術を組み立てていたら、慣れ親しんだ声が聞こえた。
(カイト、大事ないか!? 儂の声が聞こえておるか!?)
ジジ!? 無事だったのか!?
(おっと、声は出すなよ。彼奴に気取られぬ様に、念話を送っておる。答えは、考えるだけで良い!)
お前、こんな芸当が出来たのか!? 俺は、もうボロボロだけど、まだやれるぜ!
お前を助けるためならなんだってやる!
(カイト……。儂のいとし子よ。おんしを守ると豪語しておきながら、それが出来なんだ。情けない儂を許しておくれ)
そんな事が言いたい訳じゃないんだろ!? 何か作戦があるんだな!?
(うむ。そうじゃ、多くは語れぬが、しばしの間、時を稼いでくれ。さすれば、彼奴の首は儂が取ろう!)
分かった! やるよ! お前が支えてくれるのなら、どんな苦痛にも耐えてみせる!
「こっからが、本当の全力だッ!」
その声に心底おかしそうな哄笑が重なった。
「ハハハハッ! 今までは、全力じゃなかったとでも!? イイねぇ。面白れぇよ!」
両足にありったけの力を込めて、壁面を蹴り、黒い影めがけて飛ぶ!
「ハハッ! 来いッ!」
そして、大振りのパンチと共に、脇を通り抜ける。
「アア!? 何処ねらってんだァ!」
黒い影はわずかに躱す動作をして、こちらの動きを追って来た。それに追いつかれない様に、すぐさま反転し、また反対側の壁面を蹴る。再び、ギリギリ当たるか当たらないかの距離で腕を振り抜き、通り過ぎる。
スピードが命だ! 両足が壊れたっていい! とにかく全力で飛び回れ!
次々と、壁面と大地を蹴り、黒い影の周囲を高速に飛び回るが、少しずつ、軌道をずらして行く。奴の意識を少しずつ逸らすんだ。気取られない様に、徐々に、徐々に。姿を隠したイシが出口がわの壁面のスタートラインに立つのを待つために!
「オイオイ、今度はハエにでもなったつもりか。大したスピードだが、全く掠りもしねぇぞ」
今だ! あいつは、背後の空間から完全に意識が逸れている! 真正面からぶつかるのは、今しかねぇ! 黒い影と直線で結ぶ壁を渾身の力で蹴り、右腕を構える。
「うおおおおッ!!」
黒い影は、今度はかわそうとはせず、俺の右拳を左手でとらえた。その瞬間、凄まじい衝撃波が巻き起こり、周囲の崖から大きな崩落が起こる。
「何だ? もう遊びはしまいか? 退屈だなァ、退屈だ」
イシ! 今しかない! 姿を現し、こいつの後頭部に全力でぶち当たれッ!
十分に加速できる距離は取った、加えてこいつの意識は、完全に背後から逸れている。頼む! 当たってくれ!
瞬間、音速を越えたのか、空気が弾ける様な音とともに、イシは黒い影の頭を射抜いていた。スローモーションで見える光景の中で、頭の半分を失った影が、にやりと笑った様に見えた。
「ハハッ! 何だ? これは――」
緩やかに落下する黒い影を、待ち構えていたデイにありったけのマナを与え、命じる。
デイ、その場に並んだ剣を飲みこんで、こいつを拘束しろ!
超巨大化したデイがゆっくりと精霊銀の剣を体内に取り込み、その刃を中心に集めながら収縮していく。そして、落ちて来た黒い影を呑みこんだ!
「グアアアアッ!」
黒い影の身体に次々と剣が突き刺さり、血液かどうかも不確かな黒い膿を流す。拘束された黒い影の隣に降り立ち、ゆっくりとマナを放出する。
「ハッ! まさか、こんな手を隠してやがったとは! だが、この程度ではオレは死なねぇぞ!」
だろうな、頭が半分なくなって、身体中に剣が刺さっても、まだ生きてる。だが、俺には信じられる仲間がいる。ただ、自分の役割をこなすだけだ。
「知ってるか? 魔法ってのは、精霊素に一定量のマナが注がれると勝手に発動しちまう」
拘束された黒い影はこちらの意図が読めないのか、沈黙している。
「だから、俺みたいな、未熟な魔法使いには、上限を超えた強力な魔法は発動できねぇ」
黒い影は困惑し、「何だ!? 何の話をしてやがる!」と吠えた。
「だが、条件を整えれば、例外もある」
黒い影に刺さった、精霊銀の剣が明るく輝き始める。
「精霊銀は、それそのものが、マナを貯め込み、魔法を補助する触媒となる」
さあ、仕上げの時間だ。
「エレスティアル・マナバースト」
「アーグロア」
呪文と共に、マナの爆発が起き、周囲の大地が鳴動を始める。まるで意思を持った生き物であるかのように、壁面が崩れ、蛇の如く黒い影めがけて集まり始める。
「アアアアッ!」
分厚い岩盤の層が、鞭のようにしなり、黒い影を打ちすえ、締め上げる。それに伴い、剣もより深く刺し込まれていく。周囲が鳴動する轟音が静まったころ、黒い影は完全に大地にうずまり、動かなくなっていた。
「ク、クソッ! 動けねぇ! だが、この程度じゃ――」
その時、背後からジジの声が聞こえた。
「待たせたのう。カイトよ。良くやってくれた。……貴様。簡単には死ねん身体の様じゃが、それ以上くるしむ必要もあるまい。一思いに殺してくれよう」
ジジの身体はいつの間にか修復されていて、衣服もいつも通りになっていた。厳しい表情を浮かべ、徐々に黒い影へと近づいていく。
「オレを殺すだと!? ハハハハッ! 笑わせる! テメエに何が出来るッ!?」
ジジは地面に倒れ伏した俺に優しい様な、困った様な視線を向けた。
「はぁ。本来ならこの力は秘匿されて然るべきもの。例え、おんしにでも見せてはならんのじゃが」
ジジは右手を掲げ、黒い影へ静かに被せた。
「貴様が何であろうと。生命力や魔力。そういったモノの集合体に過ぎん。貴様を今から相殺する」
黒い影は、狂った様に喚き始める。
「相殺だとッ!? やってみろ! テメエ如きがあの方のお力を――!」
ジジは静かに目を瞑り、意識を掌に集中させている様だった。すると、黒い影が呻き出し、その身体が覆っていた大地の片鱗と共に徐々に崩れ落ちて行く。
「ガ、ガァ! バカな!? こんな事がッ!?」
「無へ還るが良いぞ」
一際おおきな断末魔の叫びと共に、黒い影は、完全に消失していた。
「はあ、思いもよらぬ大仕事じゃな……」
その場にへたり込んだと思ったら直ぐに立ち上がり、ジジはこちらへ近づいて来る。
「儂は疲れた。しばらくおんしの中で眠らせてもらうぞ」
そして、俺の背中に手を当てたと思うと、吸い込まれる様に消えて行った。
「まだ、まだ終わってなどいない」
中空から滲み出す様に、聞こえる声にぎょっとなる。
「今回は、日の射す時、そして、この地の精霊どもに嫌われたのが、顕現へ影響を与えた。だが、次は――」
「次は、また別の地で、月の下でやり合おう。……その時は、必ず殺す」
その言葉を最後に、声は聞こえなくなった。
「はあ、悪役のお約束のセリフってか……? 出来れば二度と会いたくないが……。俺も眠くなってきたな」
いつの間にか、あの金色の光は見えなくなっていて、そのまま意識は闇の中へと沈んで行った――。
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