可愛くて我慢できない
皆で朝食をすまし、アイシャに「行ってきます」と挨拶し、家を出た所までは良かったが、あの墓所が近づいて来たあたりで雲行きが怪しくなってくる。出来ればこのまま通り過ぎてしまいたいが、背後から謎のプレッシャーがかかり続けていた。
ジジにしては珍しく、そっと服の背中側を引っ張って来るのだ。それも無言のまま。欲を暴走させた態度を改めると言う昨日の誓いの効果なのか、だが、控えめでも主張を止める気はないという事か。
川を精霊たちの力で飛び越え、もう少し進めば、墓を通り過ぎる。だが、ここで控えめな主張は、少し形を変えて続行された。
両手になっとるぅ!?
「はあ。……あのさ。ジジは、やっぱあの墓に行きたいのか?」
諦めて尋ねてみると、嬉しそうな声が聞こえる。
「カイト! 昨日の夜から名を呼んでくれる様になったな! 嬉しいぞ!」
あ、ああ。無意識でやってたからなんか恥ずかしいな……。
「そうじゃなくて、何で尋ねてるかは分かってるよな?」
ジジは目線を逸らし、今度は指先で胸板を突いて来た。そのまま円を描く様に動かす。
「うんむ。アイシャが……。行くなと言っておった。その想いを無下には出来ん」
「じゃが」と消え入る様に続く。
「お前は行きたいんだろ?」
無言で遠慮がちに頷く。それにしても、しおらしくしてると本当に、何処に出しても恥ずかしくないとびっきりの美少女で、ふとした瞬間に、目を奪われ、抱きしめたい衝動が起こってしまう。
うむむ。不覚。こんな体たらくでは二人に顔向けできない。今も余裕ぶって話すのが精一杯だ。あの時、初めて俺たちの前に現れた時、もっと大きくさせておけば良かったかもな。百八十センチも越える様な身長になっていれば、こんなにときめかなかったはずだ! そうだ! この丁度だきしめたくなる様な、身長が悪いんだ! 俺は悪くない!
久しぶりに長めの時間、脳内に引き籠っていたら、袖をまた引っ張られて、現実に引き戻される。
「カイト、聞いておるのか? おんしの気持ちはどうなのじゃ?」
相手にだけ答えさせるのはずるいな。森の木々の隙間から見える青空を仰ぐ。美しい木漏れ日と共に、爽やかな風が通りすぎた。
「俺は――俺の気持ちは、半々ってとこだな。あそこに行けば成長のヒントになる何かがある気もする。そう思えば、何処かワクワクした気分にもなる。だけど、実際アイシャが心配してるみたいに危険な場所だとも思う。そして俺も彼女の意思を無下にはしたくない」
そう答えた所で、ジジがクスクスと愛らしく笑った。
「行くと、半々ならば、行くが僅かに優勢ではないか?」
美しい声を紡ぎ出す、愛らしい唇に釘付けになる。その柔らかく張りのある膨らみに指を伸ばしそうになって、慌てて頭を振る。
「カイト? どうしたのじゃ? 何処か具合が悪いのか?」
ジジが心配して肩に手を置いた時、心臓が一際おおきく跳ねた。そのまま飛び退いて逃げ出しそうになるのを堪える。
落ち着け、落ち着くんだ。いつものように性欲ぜんかいって感じより、こっちの方が余程、性的じゃないか!? お、俺はおかしくなってしまったのか!
くっ! 俺ってアイシャみたいな、元気で明るい子がタイプなんだとずっと思いこんでただけなのか!? 本当は、素直で愛らしい抱きしめたくなる様な子が好きなのかぁぁぁ!? うおおお!? これ以上まどわさないでくれぇぇぇ!
「そうだ、無だ、無になろう!」
またジジが心配そうに、肩を揺さぶった。
「先ほどから様子がおかしいが、何を言っておるのじゃ、おんしは」
い、言えねぇ。昨日の夜までただの性欲の権化の野生児だと思ってた精霊に、今日は心奪われて、ときめいてますぅぅぅ、なんてぜってぇ言えねぇぇぇ!
「な、何でもない! しかし、行くとなると、やっぱり修行のためだよな? 決してお前の好奇心を満たすためとかじゃないよな?」
力強い頷きが返ってくる。
「うむ。無論じゃ! おんしの成長こそが我が望みよ!」
少し後ろめたさを感じるが、もう迷う必要はない。
「行くか!」
あの巨岩に掘られた入り口を通り、地下への階段を降りると、また何か冷たいモノが身体をすり抜けて行った。
「うへ、ぞわぞわっと来た。こればっかりは慣れないな」
そういえば今日は引きずられずに、自分の足で歩いてるな。地上の光も届かなくなったあたりでまた光る石を取り出し、奥を照らした。すると、あの四人の霊たちが何処からともなく集まって来る。さながら光に吸い寄せられる虫の様だ。
先頭にドワーフ霊が歩み出て、恭しく頭を垂れた。
「今日もおいでくださいましたな。ジジさま。……おや? 昨日とはいささかご様子が違われますな……。これは――」
ここで、何かに気付いた様子で、こちらをみやり、顎髭を撫でながらにやりと笑う。
「ほっほっほっ。これは、お若いの。なかなかどうして隅に置けぬな」
に、にやにやしてこっち見てんじゃねぇ! 霊の癖してよぉ!
「ほれ、首なしの。今日もそのほうの墓を使わせてもらうぞ?」
縮こまった様子の首なし霊が、どうぞと言わんばかりに両手で道を示す。
「さてカイト、本日の鍛錬の時間じゃ! 思う存分、力を試してみるが良い!」
ま、昨日の今日で動くとも思えないが、筋トレだと思えば!
石棺の縁にゆっくりと手を当て、徐々に力を込めて行く。相変わらずびくともしないが、昨日のドワーフ霊の助言を思い出し、頭の中にあの解剖図を思い描く。腕や上半身のページは流し見た程度だが、ゼロよりは幾らかの助力になるだろう。
「ふっ!」
ただ腕力で押し込むだけじゃダメなんだよな? 上半身を全部つかうにはどうすればいい? そうだ、腕が、一本の棒になって、それを身体で押し込む。関節から逃げる力を出来るだけ減らすんだ。そうするためには……。
頭の中には、体育の授業で興味本位で参加してみた組体操の記憶が甦った。段数の少ないピラミッドを軽くやってみただけだが、下段に配置されたため身体にはそれなりの負荷があった。あの時、重さに耐えきれずに潰れたのは肘を曲げていたせいだった。次の試技で肘の関節を真っすぐに伸ばしてみたら余裕で耐えられた。
そうか、肘が曲がっていると、関節で力が逃げてしまうため、それを補助する筋肉に強い負荷がかかる。つまり、骨が上手く使えてないって事だ。この状態に当てはめると、肘が曲がっている今は、一見すると上腕の大きな筋肉の力を上手く引き出せてる様に思えるが、実際は、石棺からかかる力と、自分の上半身からかかる力とに挟まれて、肘まわりはその両方に耐えるために無駄なエネルギーを消費してしまっている。
なら、出来るだけそのロスを小さくすれば――!
姿勢を変え、腕をゆっくりと伸ばし、導管の様に、力を伝えるパイプをイメージする。そして、上半身を徐々に前傾させ、体重をかけていく。
「ふっ!」
しばらくその状態を維持したが、やはり石棺の蓋は一ミリも動かなかった。また体力の限界が近づき、床に座り込む。
「はあ! ダメだ、今日もびくともしなかった!」
座って息を整えていると、ドワーフ霊が近づいて来た。また顎鬚を撫で、柔和な笑顔を浮かべている。
「ほっほっほっ。今日は昨日より良かったぞ。……より強い力を出したければ、次は肩を意識してみると良い。つまりは、肩甲骨じゃな」
そう言って、ドワーフ霊は青白く透けた自らの肩を動かして見せた。
次にジジが近づいて来て、楽しそうに声をかけて来る。
「うむ。此度は身体の使い方を変えてみたのじゃな? その試行錯誤を諦めずに続ければ、いつか花開く時が来よう!」
ま、まあ。今はこいつに褒められるのも悪い気はしないな。
呼吸が整ってきたので、ゆっくりと立ち上がった。隣に立ち霊たちと雑談を交わすジジの横顔を見つめ、思案する。
やっぱり、今日もアレ、やるつもりなのかな? だとしたら今日はちょっと違う事を試してみたいかも。ジジに尋ねてみる。
「なあ、楽しそうに話してるとこ悪いんだけど、こう、攻撃魔法って言うかさ。そういう相手にダメージを与える目的のって、色々と種類がありそうだけど、名前を教えてくれないか?」
ジジは談笑を止め、こちらに向き直った。
「ふむ? 破壊魔法の事かの? ……じゃが、名なぞ知らずとも、鍛錬をしておれば自然と使える様になるぞ?」
はあ、分かってないなぁ。師匠も似たような事いってたけど、名前って結構、重要だと思うんだよなぁ。
「ふむ、まあ良い。属性別で言えば、基本的な破壊魔法は、火がフロア。水がウルグ。風はイレスト、土がアーグロアじゃな。その他の属性は初歩とは外れる故、今は言わずとも良かろう?」
へえ! フロア、ウルグ、イレスト、アーグロアかぁ! 意外とかっこいい名前じゃないの!
ふっふっふ。魔法の名前もだけど、今日はもう一つ、自分でつけちゃった名前があるんだよなぁ。やっぱ名前がないと技名とかを叫ぶ時に不便だし、かっこいいのはそれだけでテンション上がるよな!
「くくくく! 聞いて驚くなよ!? いつまでもあの力、じゃ不便だから俺の謎の力に命名したぜ! その名も――破壊の神力だぁぁぁ!」
ジジの表情は、まさに「はあ?」の形で固まり、場には気まずい空気が流れた。
な、なっんでだよっ! こんなにかっこいい名前なのに!?
「しんとは神かの? どちらかと言えば、悪魔ではないかと思うが……。破壊と言うのは、自らの肉体が壊れる事を指しておるのか? 自虐ではないか」
ち、ちっがぁぁぁう! 敵とか諸々が破壊されちゃうスーパーパワーなの! そ、そりゃ使い方を間違えれば、自分の身も危ないけど……。
ここで、にやりと笑い、ジジに熱い視線を送る。こいつに憑依されてれば使い放題だしなぁ。くくく。
視線の意味に気付いたのか、気付かなかったのか。定かではないが、ジジの表情がふっと柔らかくなり、優しさを湛えた瞳がこちらを捉えた。
「まあ良い。……あの力をそんな風に思える様になったのなら、一歩前進とも言えるじゃろう。長らくおんしの心に暗い影を落としておったはずじゃからな」
それを聞いてハッとする。そういえば俺、ちょっと前まで使う事じたいを恐れていたんだった。いつの間にかその恐れやためらいが薄れてる……?
「慣れるのは良いが、呑まれるでないぞ? 力に呑まれた者の末路なぞ、今も昔も悲惨なモノよ」
その言葉を受けて、深く頷き、あのもう一人の自分との邂逅を思い出していた。自分でも分かってる。この力は、絶対に呑まれちゃいけない奴だ。
しばらくジジと会話していたら、またドワーフ霊が近寄って来た。
「今、小耳に挟んだのですが、この場ではそういった魔法は発動しませんぞ」
え、そうなのか。今日は魔法を使って仕合してみようかと思ってたのに……。
「何故かは分かりませんが、濃い霊気の満ちた場所では、他の精霊の力は阻害される様でしてな」
どういう事なんだろう?
「死の精霊とか、そんなのがいるとか?」
ドワーフ霊とジジは、同時に首を傾げ、天井を仰ぎ見る。
「ふむ? その様な精霊の存在を聞いた覚えはないのう。恐らく何か他の要因があるのじゃろう」
会話が長引いたので、少しそわそわしながら尋ねる。
「な、なあ。今日も仕合、やるのか? やるなら試したい事があるんだ」
だが、ここで答えを返したのはジジではなく、何処か申し訳なさそうにうなだれたドワーフ霊だった。
「そうしたいのは山々なのですが、どうも我ら一同、今日は身体の調子がおかしいのです」
え? 霊でも風邪ひいたりするのか?
「……何やら朝方から妙な圧を感じていましてな。それがまとわりつく様に、この霊体に影響を及ぼしている様なのです」
ジジはしばらく考える様子を見せた後、快活に答えた。
「良い。案ずるに及ばず。そのほうらは静養に努めるが良い。……ふむ。カイトよ。それでは、奥へ向かってみるかの? あちらも同じ様子かも知れぬが」
黙って頷いて、霊たちと別れて歩き出した。向こうの連中も不調かもしれないけど、やっぱり奥へ行くのは緊張するな。
見慣れた曲がり角に立ち、そっと向こう側を覗き見てみる。
「うわあ、やっぱりずらっと並んでるな」
通路の奥まで青白い光が、壁沿いに整列する姿が見えた。
「ん? いや、でも何かおかしい様な……?」
後ろから顔を出したジジが、同じく不思議そうに答えた。
「ふむ? あやつらはこれほど整然と並んでおったか? それに、昨日の一件で幾らか数が減じたはずじゃが」
そうなんだよな。昨日も一昨日も、姿を隠してる奴の方が多かったはずだ。今のこの状況、全員が、綺麗に並んでいるのか?
「まあ、踏み出してみれば分かるか。どうせ進む訳だし」
少しずつ歩み出すと後ろから声がかかる。
「いつになくやる気ではないか、じゃが、気を付けるのじゃぞ?」
壁際の青白い骸骨霊の隣まで進んだが、霊は一向に動く気配を見せない。注意深く様子を探ってみると、痙攣でもしている様に、ぶるぶると震えて見えた。
「何だ? ほんとに風邪でも引いてるのか。どうなってる?」
襲ってくる気配がないのでゆっくりと歩を進める。ジジは少し心配そうだ。
「カイトよ。努々、油断するなよ?」
「分かってる! 動かない様に見せかけて不意打ちって可能性もなくはない!」
まあ、こいつらにそんな知恵があるかって言うと、でっかく疑問符が付く訳だけど。
警戒しながら進み続けたが、そのまま何事もなく、出口まえの曲がり角まで来てしまった。
「うん? 少し拍子抜けしたな。まあ、最後まで油断せず……」
行き止まりの四角い穴までたどり着いたが、霊たちは震え続けただけで、何もしてこなかった。ゆっくりと腕を伸ばし、穴へ這い出す。
「ここをこんなにゆっくりと通るのは初めてだな」
外へ出てみると、あの壁面で囲まれた広場はとても明るく、春の温かな陽射しに照らされ、繁茂した草木が静かに風に揺れていた。
埃を払って立ち上がる。
「うぅん。今日はいい天気だなぁ」
広場には昨日から十数本も剣が刺さっているため、それを避けて、デルライラムの家の方角の壁へと近づく。そこで、前に思ったある事が頭を掠め、後ろを振り向く。無言でついて来ていたジジと目が合った。
「ん? どうしたのじゃ?」
女の子にはちょっと言いにくい事なので、逡巡している内に、顔が熱くなって来た。だが、これはジジにしか頼めない事だ。何とか伝えないと!
「ちょっと見て欲しいモノがあるんだけど……」
腰に巻いていた古着をずらして、あのズボンの穴を見せる。いや、やましい考えがある訳じゃなくて、パンツを複製してもらえないか尋ねたいんだ! そ、そうだ! 幾らこいつが、ちょっと可愛く見え始めたからって、そこでいきなりセクハラするほど俺は軽薄じゃないぞ!?
「な、何を!? 誘っておるのか!? わ、儂には欲を抑えよと言ったではないか!?」
恥ずかしそうに目を覆うジジの姿に心奪われる。
「い、いや、そうじゃなくて、頼みたい、頼みたいことが――」
昨日までの図々しい態度と、あの性欲ぜんかい振りはどこへ消えたのか。両目を覆って羞恥に耐えるジジの様子を見ていると、ある衝動が湧き上がって来た。気付けば無意識に歩み出し、彼女へ迫る。
「な、何じゃ? カイト、何を――」
そのまま彼女の細い肩に手を回し、強く抱きしめていた。ジジは、困惑した様子で俺の背中に手をやる。
「カ、カイト? 本当に今日はおかしいぞ? こんな風にされたら、儂も――」
速くなる彼女の心音が聞こえた気がした。
「我慢できなくなってしまう――」
ジジも強く抱きしめ返して来る。吐息も混ざりあう距離で、お互いの心音が、溶け合って一つになった気がした。抱きしめあい、満たされた気持ちが溢れだしていく。
それからどれくらいの時間が流れたのだろう?
ある声に、突如として現実に引き戻される。
「よう。お二人さん。白昼堂々、こぉンな所で逢引かぁ? 実にイイご身分だな! ハハッ!」
誰だ!?
驚いて振り向くと、崖の上に、黒い人型の何かが立っていた。四肢も胴体も頭も黒く、目に当たる部分だけが、赤く禍々しい光を放っていた。その何かは、忌々しそうに、吐き捨てる。
「出てくンのに随分かかっちまったが、まぁさか。野郎のオモチャがこンな軟弱者だったとはな……」
聞いているだけで、心がざわつき、耳を塞ぎたくなってしまう。後ろにいるジジも警戒心を露わにしている様だ。
何だ? 何なんだ!? こいつは――。
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