仲直り
いまだにポーズを取るジジとアイシャに声をかける。
「二人ともありがとな! おかげでヒントがもらえたよ! 早速あした試してみる! なんかすっげぇワクワクしてきた」
二人はポーズを止め、またお互いに距離を取る様に、離れて立った。
あれ? やっぱりさっきまでのゴタゴタが二人の関係を悪くしてるのか……? だとしたらそのままにしておきたくないが……。
「ふむ。おんしの役に立てたのならば、本望じゃが、儂は、何処かこのあたりがもやもやするぞ」
そう言って、ジジは心臓あたりに左手を重ねた。ふむ。やっぱり一方的に蹴られたり、痛かったんだろうな。あの時の怒り方を見たら、そんなに簡単に水に流せるわけもない。
はあ、やっぱり女の子なんだなぁ。お前も……。しおらしくしてる姿は可愛くも思えるし、繊細な心に寄り添えるなんて、そんな傲慢な考えがある訳じゃないけど……。
ゆっくりとジジに近づき、そっと頭に手を伸ばし、優しく触れた。
「やんっ!」
嬌声には気を留めず、そのまま優しく撫で続ける。動きに伴って、長い耳が美しい銀の毛を揺らしながら魅惑的な軌跡を描く。
「ごめんな。こんな事しか出来なくて……。さっきのアイシャの飛び蹴りは行き過ぎた行為だと俺だって思うよ。……でも、お前がいつも欲を制御できずに暴れるのが原因って側面もあるんだぜ?」
後ろに居たアイシャは何か言いたそうに、口を開こうとしたが、そのまま黙ってしまった。
ジジは上目遣いで恨めしそうな視線を送って来るが、頬は紅く染まっていた。
「だからさ、今すぐとは言わないけど、その子供っぽいとこ、ちょっとずつ直していこうぜ? ちょっとくらいなら可愛いもんだと思うけど、今はやり過ぎだからさ?」
ジジは再び俯き、やがてゆっくりと顔を上げた。その瞳は少し潤んで見える。
「うんむ。……おんしが、そこまで言うのなら、儂も努力してみようと思う。じゃから、失望せずに待っていて欲しいのじゃ」
そしてジジは頭に添えられた手に自らの手を伸ばし、ぎゅっと強く握った。彼女の手の温もりが伝わって来る。
「分かったよ。失望なんかしないさ。お前が俺を決して見捨てないって言った様に、俺も見捨てたりしない」
目の前で何度も噛みしめる様に、コクコクと頷く少女を見ていると抱きしめたい衝動が湧き上がって来たが、それを必死に堪えた。
「ははっ。あの時とは逆の立場になっちまったな? 頭を撫でられるのって、くすぐったくて恥ずかしいだろ?」
ふぅ。これで、ジジは落ち着いてくれたかなぁ。そこで、ふと隣を見ると、頭を突き出し、両耳を垂れさがらせたアイシャが見えた。その目はぎゅっと強く瞑られている。
「あんのぉ。アイシャさぁん。一体なにをされてるんですかぁ?」
も、もしかして撫で待ち!?
「あの、あのですね。そんなに待たれてもご期待には添えそうにないんですが」
そこで、アイシャはがばっと顔を上げ、こちらを潤んだ瞳で睨み付けた。
「ど、どうしてぇ!? ジジちゃんにはそんなに優しくして! わ、私とあんなにいっぱい約束した癖に!」
言いたいことは分かるが、心を鬼にして答える。
「ジジはさっきの君の飛び蹴りで傷ついたんだぞ! あれはやり過ぎだった! それに、二人はいっつもすぐ喧嘩を始めるけど、それに俺が傷ついてるとか考えたことないかな!」
あまりに強く言われたのがショックだったのか、アイシャは「ううう」と吐息を漏らしながら、瞳を潤ませて、俯いてしまった。
しまった! ちょっと言い過ぎたか!?
しばらくの沈黙の後、アイシャは伏し目がちだが顔を上げた。
「ご、ゴメンね。ジジちゃん。さっきのは私もやり過ぎだったよ。カイトとの事になると私もすぐ熱くなっちゃって……」
そして消え入る様に、「仲直りしてくれるかな……」と小さく呟かれた。それを聞いたジジはしばらく沈黙していたが、アイシャの方に向き直り、右手を差し出す。
「ふむ。小娘よ、カイトを大事に思う心は儂も同じじゃ、じゃからのう、そなたの心も分からぬ訳ではない。手を取ってくれぬか? 先ほどの件はこれで水に流そう」
おずおずと差し出されたアイシャの手が、ジジの手を握り、二人はお互いの意思を確かめあう様に、ゆっくりと頷いた。
すぅっと、その場に温かく爽やかな春風が吹いた気がした。
「よし、湿っぽいのはこの辺にして、そろそろ寝る準備しようぜ!」
三人そろってパジャマに着替え、ベッドに並んで腰かけた所で、アイシャが思いだした様に、朝方の話を持ち出して来た。
「そうだ、今日の朝ってすごい雨が降ってたでしょ? その時に、様子を見に外に出たんだけど、みちゃったんだ」
深刻そうに話す様子から、何か重大な事柄があったのだろうか。
「あれってデム爺のお家の方角だった。……そこにね、すっごくおっきな水の塊みたいなのが浮かんでたんだよっ!」
アイシャは身振りを交えてその巨大さを表現するが、いまいち伝わってこない。
「ほんっとに、山も飲みこんじゃう様な大きさでね! でも、しばらくしたら弾けて消えちゃった。……あれは誰かの魔法だったのかなぁ。カイト達は見てない?」
話を振られたが、そんなモノを見た覚えはなかった。アイシャは、「あんなものを作り出せる人がこの辺りに潜んでいるとしたら……。ちょっといい気はしないかも」と警戒心を露わにしている。
「雨が降ってた時って、俺、気を失ってたよなぁ? お前は何か見たか?」
ジジにも話を振って見るが、「へ!?」と素っ頓狂な声を上げ、急にそわそわし始めた。
「わ、儂もその様な水塊には覚えはないぞ。何かの見間違いだったのではないか?」
むう? 視線を逸らすのが怪しい……。こいつの能力も底は見えないからなぁ。アイシャは「そんなはずないけどなぁ」と首を傾げたが、それ以上は言及しなかった。
「話は変わるけど、気を失ってたってカイト、また危ない事をしてたの!? まさか、また変なお墓に行ってないよね!?」
ぎくっ!
「いやあ、何の事かなぁ。行ってないよ、そんな危ないとこにはぁ。ははは」
横目でジジに目配せし、話を合わせる様に念じてみる。頼むぅ。本当の事を言わないでくれぇ。
「うむ。行っておらんぞ。カイトが寝込んでおったのは、儂の美貌ゆえよ。ちと刺激が強すぎた様でのう。くふふ!」
お前、またそんなアイシャを刺激する様な事を!
慌ててアイシャを見るが、彼女は怪訝そうな表情をして、瞳が怒りの色を帯びる。
「美貌って……! また二人でえっちな事してたの! そ、そんなのゆ! ゆ……、ゆ」
へ? ゆ?
「な、何でもないよっ! カイトがどうせ一人で興奮してたんでしょ。ジジちゃんは悪くないよね」
ええ、ちょっとぉ? 風評被害! 一人で興奮してるのはどっちかと言うとこいつの方だって!
しかし、今の反応。さっきの反省と仲直りの表れだろうか? うむ、ちょっと効きすぎたかもしれないな。
「何じゃ、そなた。何時になく歯切れが悪いのう」
まあ、今は多少、不自然でも、お互いに配慮するのを少しずつでも続けて行ってくれれば、そのうち何か変わるだろ。
「じゃ、明日も早いからそろそろ寝ようぜ」
今日は二人とも遠慮しあっているのか、壮絶な奪い合いは発生せず、お互いに「おやすみ」と声をかけあって床に就いた。それでも俺が真ん中に挟まれて窮屈な思いをするのに変わりはなかったが、これも修行だと思えばとりあえず耐えられるだろう。
そうして波乱に満ちた今日という日も、終わりを告げようとしていた。
※ ※ ※
暗い森の中に、闇よりも濃い黒い染みが点々と続いている。それは、物言わぬ肉塊と化した者たちの怨念と、その命を奪った者の足取りを示していた。染みの指す先には半ば崩れかけた小さな廃屋があり、その中から微かな明かりが漏れ出す。耳をすませば、何らかの法則性を持った音が聞こえて来る。
これは、人の声か。
彼らはいまだ暗い森の中を彷徨っていた。
「クソッ! この短剣も血錆びでもう使えそうにねぇ。手入れしようにも道具も尽きちまった。これからは武器なしだ。俺はこれ以上、戦闘も出来ねぇな」
忌々しそうに呟く一人に、壁際の隙間から外を窺っていたもう一人が答える。
「一般兵は基本的に体術の訓練は初歩的なモノしか受けませんが、先輩は主に特殊任務に赴く特務兵でしょう。そんな言い訳は通用しませんよ? 勿論、自分もですが……」
先輩と呼ばれた男は、呆れた様子で答えを返す。
「はあ、お前。嫌みのキレが増して来てんな。こんな状況でご苦労なこったぜ」
続けて、ため息交じりに愚痴を吐いて行く。
「あのトロル野郎をやってから、こっち、魔物どもは休む暇もなく執拗に追いかけ回して来やがった。精も根も尽き果てるってモンだろ?」
男は床に降ろしたバッグを漁り、何かを探している様だ。薄布の覆いを被せた明かりに照らされた衣服には赤黒い染みが広がっていた。もはや誰の物かも定かではない。
「クソッ! 空腹と疲労で目が霞んできやがった! ……せめて奴らの肉が食えればな……」
本能から漏れ出した暗い言葉に、理性的な返答が来る。
「……焼けば食べられるかもしれませんが、匂いと明かりがさらに魔物を集めてしまいます。戦闘で発生する音や、血の匂いだけであれだけ群がって来るのですから、更に酷い事になるでしょう」
暗い廃屋に舌打ちが響く。
「ちっ! 分かってるよ。そんなこたぁ。だが、行きのルートと外れたか? 帰りはこれほど過酷な道程になるとは……!」
相変わらずもう一人は至って冷静で、それが余裕を失った男の癇に障るのかもしれなかった。
「大陸図と、エルフの商人との裏取引で手に入れた周辺図に照らして、簡単な地図は作成していましたが、大瘴域は昼間でも暗くて目印が少ないですからね……。それに、行きには索敵に注意を払う余裕もありましたが、今の自分たちには……」
それを聞いた男は何度も頷いた。その度に、薄明りに照らされた壁が、影でちらつく。
「分かってる。分かってるさ。……もう後がねぇ。物資もほぼ尽きた。あの壁を越えるための道具をここで使っちまう訳には行かねぇ」
隙間から外を窺っていたもう一人は、ゆっくりと移動し、男の近くに屈んだ。そして、置かれた荷物の中身を探る。
「もう、これを飲むしかない様ですね。隊長には負担が強すぎて飲ませられませんが、自分と先輩なら」
しばしの沈黙の後、男も何かを指でつまんで取り出した。それが、明かりを受けて怪しく光る。
「ああ。腹ぁ括るしかねぇ。飲むぞ!」
二人が手にしたそれは、黒光りする小さな丸薬の様だった。
ごくりと、生唾を飲み込む音の後、二人の喉がほぼ同時に動いた。
冷静だったもう一人も、動揺を隠せない様子で呟く。
「……これで、後、三日いないに帝国に帰りつけなければ……」
男の頷きに再び壁が揺らめいた。
「ああ、俺たちは間違いなく死ぬ……!」
暗い廃屋に満ちた冷たい空気が、覚悟に満ちた言葉に伴い、ゆっくりと、鉛の様に重く、揺れ動いていた。
※ ※ ※
朝の光が満ち、室内が明るく照らされる。窓の外からは鳥たちの可愛らしいさえずりが聞こえて来た。ゆっくりと目を開き、両側を確かめる。
まだ二人とも寝ている、俺が一番ってのも珍しいかもな。
二人を起こさない様に、そっとベッドから抜け出し、パジャマのまま昨日の解剖学書を開いてみる。手早く記憶に残るページを探し出し、それを眺めながらイメージを描いていく。
金属片を集めて身体に纏わせる、そこで結合させて関節を固める? ふむ。師匠は確か酸化鉄を炭素と反応させて、純度の高い鉄にするって言ってたっけ。結合は、マナの循環の圧力で成形できるかもしれないけど、純度を高めるのはやった事なかったな。
今回の過程には高純度化も必要そうだ。恐らく酸化鉄と炭素では、精霊素を励起した際の色が異なると予想される。その色の違う二種を見つけ出し、上手く混合してやれば鉄になるのだろうか?
酸化鉄と炭素の反応は、鉄と二酸化炭素を生み出すんだっけ。普通は加熱するんだよな。じゃあ火の精霊の力もいるのか? いや、アイシャが火の力を使った時と、師匠が土の力を使った時の見た目は全然ちがってた。多分、土の力だけで鉄が作れるんだろう。
となると――。
その時、柔らかく温かな感触と共に、目の前が暗くなった。
「だぁれだっ!」
「儂じゃっ!」
「もう、ジジちゃん。自分から名乗ったらダメだよ。だぁれだって言わなきゃ」
「むう? そうなのか、ふむ。では、だぁれじゃ?」
「ふふっ。それじゃすぐにばれちゃうね!」
む、むぐぐぐ。くすぐったいけど、二人のコミュニケーションを邪魔しちゃいけないな。もう少し我慢するか。
「はい、カイト? 誰か分かったかなっ?」
両側から覆われた二人の手を、優しく掴んでゆっくりとずらした。
「二人ともおはよっ! 今日もいい朝だな!」
振り向くと、笑い合う二人の姿が目に入った。それは、今日という日が良い一日となる様にと、願わずにはいられない光景だった――。
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